『国際エピソード』(ヘンリ・ジェイムズ著、上田勤訳、岩波文庫)

写真》tea or coffee


 いつも昔話ばかりで恐縮だが、今回は中学生時代の思い出から。僕は1964年、中学校に進んだ。東京都内の公立中学校。ここで初めて体験したのが、英語の授業だ。たまたま東京五輪の年、国際化の喧騒が渦巻くなかで母語以外の言語に触れたのである。

 

 忘れがたいのは、その中学校であった英語教育をめぐる異変だ。ゴタゴタと言い換えてもよい。たぶん職員室では、英語教師たちが口角泡を飛ばす激論を重ねていたのだろうと推察する。もちろん生徒は、その内実を知る由もなかった。今からウラをとろうにも、半世紀余が過ぎているから困難だ。憶測を交えることを認めたうえで、何が起こったのかを跡づけておこう。そこに見えるのは、英国派と米国派の対立である。

 

 まずは外形的事実から。その中学校では、僕たちが2年に進級するとき、英語の教科書が突然かわった。1年のときは、いかにも教科書然とした堅苦しいものだったが、2年にあがると、主人公の日常を絵日記風に仕立てた軽快なものになった。今とは違って教師の権威は絶対だったから、学校側は生徒にも保護者にもなんの説明もしなかったように思う。ただ、それが英国流から米国流への転換であることは、子ども心にもうっすらとわかった。

 

 僕個人のことで言えば、英語の先生が1年と2年で違ったことも大きかった。1年のときの先生はダンディな雰囲気を漂わす中年紳士で、appleと言うときに口を縦に開けて「アポー」と発音した。英国流と呼んでよいだろう。ところが、2年のときの先生は大学を出てまもない青年で、appleはほとんど「エプー」だった。口を横に開く米国流だ。こうして僕は中学1、2年にして、英語が一つでないことを知ったのである。

 

 いま考えると、この教科書の取りかえが1965年の出来事だったのは興味深い。このころまで、日本人にとって英語は西洋文化を取り込むための教養だった。それなら本家に従ったほうがよいから、英国流が尊ばれたのだろう。ところが戦後の冷戦で米国が西側陣営を牽引するようになると状況は一変する。国際社会を生き抜く道具として米国流の英語が重宝されるようになったのだ。その潮目が見えたのが60年代半ばだったのではないか。

 

 後年、僕が新聞記者として英国に駐在したとき、米国流英語が英国人の耳にどう聞こえるかを職場の現地スタッフに尋ねたことがある。その返事を意訳すれば「訛りが耳に障る」という話だった。標準語しか知らない人が方言に対して抱く違和感に近い。それでもテレビを観ていれば、ニュースであれ、娯楽番組であれ、米国流があふれかえっている。その時代状況を甘受しつつ、あれは方言だね、と冷ややかに見ている感じなのだろう。

 

 で、今週は『国際エピソード』(ヘンリ・ジェイムズ著、上田勤訳、岩波文庫)という小説。巻末の訳者解説によると、著者(1843〜1916)は米国ニューヨーク生まれ、少年期から欧州経験を重ね、1875年にフランスのパリへ、翌76年には英国のロンドンへ移り住んだ。さらにイングランド南東部に転居、英国籍も得ている。この作品が世に出たのは79年なので、米国人の著者が英国人になりかかったころに書かれたと言ってもよい。

 

 実際、この小説は二部構成になっており、第一部は米国東海岸、第二部は英国ロンドンをそれぞれ主舞台にしている。米英を知る人が米英を描いた。だから米国小説とは呼びがたい。だが、英国小説でもない。文字通りの英米文学。だから題名も『国際…』なのだ。

 

 著者は、文学史の系譜で言うと「意識の流れ」派の先駆けとされることがある。この一群の作家たちは、作中人物の思考や心理を追いかける手法を得意とする。「意識の流れ」とは、著者の兄である著名な心理学者ウィリアム・ジェイムズが意識を動的にとらえようとしてもちだした概念なので、弟も影響を受けたのかもしれない。ただ、弟が本書を書いたのは、兄がそれを言いだすよりも前だ。この作品も、あまり「意識の流れ」的ではない。

 

 さて、話を戻すようで恐縮だが、僕が今回、どのようにしてこの本に出会ったかを打ち明けておこう。なぜなら今、新刊書店で岩波文庫の書棚を探しまわっても見つけるのは難しいからだ。この1冊は先日、当欄「町の店が消えるGAFAの時代」(2019年5月17日付)で話題にした古書店で手に入れた。その店は隣駅の商店街にあったが、4月末に閉業した。店じまいの間際に数回訪れたが、そのときに目にとまり、買い込んだのである。

 

 この文庫版は1956年刊。僕が手にしているのは、1974年の第16刷だ。したがって、手にとってもページを開いても古書感が漂う。漢字はまだ旧字体のまま。なおこれについては本稿で本文を引用するとき、新字体で記述することを許していただきたい。

 

 冒頭は1874年夏、英国侯爵のランベス卿とその従兄が船旅でニューヨークに到着した場面。二人は「際限なくつづく大通りには、さまざまな不調和なものが雑然と入りまじっていて、およそこれくらいイギリスの通りと似ていないものはない」との印象を受ける。いくつか例を拾いあげれば「はでな色彩の雑多な建物」「金めっきの飾り文字」「さまざまな形の日除(ひよ)け」……。町並みからも商業主義の息吹が感じとれるではないか。

 

 気になるのは、通りには「乗合自動車」が行き交っているとあることだ。当時は、内燃機関式の自動車が開発されたばかりのころ。これは蒸気機関のバスなのか。二人がビルに入ると「水力電気で動かしているこじんまりしたエレヴェータ」があり、「垂直の穴の中を矢のようにあがって行って、間もなく彼らを、その建物の八階へ下ろした」という。米国が20世紀に自動車と摩天楼の技術文明を花開かせる兆しは、すでにあったのである。

 

 この小説は、ランベス卿とボストン在住のベッシー・オールデンという未婚の男女が互いに惹かれあう様子を、それぞれ従兄との会話、姉とのやりとりで浮かびあがらせるが、当欄はその筋を追わない。それよりも米国人の英国観、英国人の米国観を切りだしてみよう。

 

 ベッシーの姉キティ・ウェストゲートはランベス卿に言う。「こちらにはお国の別荘生活はございません。昔のお城の廃墟も、広大な領地も、有閑階級も、何もかもございません」。ここでは「別荘生活」の原語が気になる。彼女がそれを口にしたのが、ロードアイランド州の避暑地ニューポートにある自身の別荘だからだ。米国にも別荘はあるが、英国のそれとは違う。貴族という「有閑階級」が享受する特権的な田園生活はない、ということか。

 

 余談だが、この避暑地は後年、ニューポート・ジャズフェスティバルで有名になる町だ。映画「真夏の夜のジャズ」(バート・スターン監督)でアニタ・オディが羽根飾りのある帽子をかぶり、「二人でお茶を」を唄った場所である。たしかにあの開放感は、英国郊外の館で繰り広げられる貴族たちの優雅な団欒とは趣が違う。そしてキティの夫は、妻を別荘へ送りだしても自分はニューヨークから離れない。「馬車馬みたい」に働くのだ。

 

 これは第二部で翌年、今度はキティが妹を連れて英国に着いたときの描写とも重なる。このときも夫は同行していない。そのことを鵜の目鷹の目でみる友人たちに彼女が主張したのも「アメリカには有閑階級がないという、遺憾ではあるが極めて特徴的な事実」だ。堅苦しく言えば、ここにあるのは封建主義対資本主義の構図ではないか。英国は産業革命を興しても前近代を引きずっていた。だが、米国は建国後すぐに近代を始動させたのである。

 

 この小説では、キティが社交のあり方を論じてこう言う。「あたしの国でやっているみたいに、同じ立場に立って交際がしたい」。ランベス卿がベッシーの気性をこう評するくだりもある。「物怖(ものお)じしないんだ。何でも率直に喋(しゃべ)る。誰とでも対等だと思っているんだ」。ただ、その米国の平等感覚には綻びがある。ウェストゲート家に黒人の使用人がいて「ございますだ」口調で来客に応対するのを読むと、そのことを痛感する。

 

 19世紀、欧米で国際交流できるのは貴族か富裕層に限られていた。それぞれの社会は暇もなく財もない階層に支えられていたが、これらの人々が表舞台に出るのは20世紀に入ってからだ。だから、この小説にみる英米の対照は米国台頭の世相の一断面に過ぎない。

(執筆撮影・尾関章、通算477回、2019年6月21日公開)

 

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