『ザ・パーフェクト―日本初の恐竜全身骨格発掘記 ハドロサウルス発見から進化の謎まで』

(土屋健著、誠文堂新光社)

写真》むかわ竜は恐竜博の売店にもいた

 夏休みなので、家族ともども太古の恐竜を見に出かけた。東京・上野の科学博物館で開催中の「恐竜博2019」(主催・国立科学博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社)である。館内に入る前から大行列で、暑かった。もちろん入ってからも大混雑で、展示物をつぶさに鑑賞できたわけではない。だが、居並ぶ復元骨格には圧倒された。こんな生きものが闊歩する時代に居合わせなくて、ほんとによかったと思う。

 

 この博覧会では、恐竜の研究がどのように進められていくかがよくわかる。好例は、デイノケイルス。1965年、モンゴルのゴビ砂漠で前あし部分の化石が見つかった。その長さは2.4m。入場者は、まずその複製を見せられる。これだけでも十分に迫力はある。だが圧巻は、衝立を回り込んだ次のコーナーだ。全身の骨格(全長11m)が復元され、今まさに立ちあがろうとしているではないか。どうしてこんな姿だとわかったのか。

 

 答えは、会場で配布されていた朝日新聞の「記念号外」にあった。デイノケイルスは発見後まもなく新種と判定されたが、「前あし以外の部分が見つからず、長い間『謎の恐竜』とされてきた」。ところが、2000年代に入って「ほぼ全身の骨が発見される」。さらに消化器の内容物の痕跡も出てきて、当初思われていたように肉食ではなく、魚や植物も食べる雑食性とみられるようになった。こうして体型から生態まで全容が見えてきたのだ。

 

 ここでわかるのは、古生物学では一個体の一部分が見つかっても不十分ということだ。逆に言えば、全身化石が一式掘りだされれば学術標本としての価値が格段に高まる――そんな理想に近い恐竜化石が日本国内にもある。2003年、一部が北海道穂別町(現・むかわ町穂別)で見つかり、11年に恐竜と確認されたものだ。通称「むかわ竜」。今では全身の8割余が揃った。今回は、その実物化石と複製の全身復元骨格を見ることができる。

 

 で、今週の1冊は『ザ・パーフェクト――日本初の恐竜全身骨格発掘記 ハドロサウルス発見から進化の謎まで』(土屋健著、誠文堂新光社)。副題にある「ハドロサウルス」は、恐竜の分類で「むかわ竜」が属するとみられる「科」の名前だ。著者は、略歴欄によれば埼玉県出身のサイエンスライター。大学院で地質学と古生物学を修め、科学誌『Newton』で記者や編集者を経験した後、独立したという。この本は2016年に刊行された。

 

 なお、この本には監修者もいる。北海道大学教授(刊行時は准教授)の小林快次さん、むかわ町穂別博物館館長(刊行時は学芸員)の櫻井和彦さん、同学芸員の西村智弘さんだ。

 

 では、さっそく本を開こう。「はじめに」には、2013年7月17日に穂別博物館と北大が恐竜化石の発見について報道発表した話が出てくる。「むかわ竜」のお披露目だった。このニュースが「衝撃的」だったのは尾椎骨13個が「すばらしい保存状態」で見つかり、しかも「個々の骨がつながっていた」(本文では傍点)ことだ。このときまで日本国内で見つかった恐竜化石は、たいてい「部分化石」であり、「バラバラの状態」だったという。

 

 念のために、その報道資料をネットで探しだした、見出しには「むかわ町穂別から恐竜化石を発見――ハドロサウルス科恐竜か」とある。末尾の問い合わせ先欄には、本書監修者3人の名が。発見の背景には、穂別博物館と北大の連携プレーがあったらしい。

 

 私事だが、このくだりで「あっ」と思ったのは報道発表の日付だ。同年同月の12日、僕は36年間の新聞記者生活に終止符を打った。自分の退職と入れかわりで飛び込んできた科学ニュースということになる。在職時の大半は科学記者だったので、感慨深いものがある。それだけではない。この本に綴られている日本の恐竜研究史は、僕の記者歴を意地悪くかすめているように思える。駆けだしのころにもすれ違いがあったのだ。

 

 この本によれば、日本の恐竜研究には長い空白期があった。戦前は1936年、当時日本領だったサハリン南部でニッポノサウルス・サハリネンシスが見つかったとの報告があった。「日本の恐竜化石第1号」とされる。「保存率は全身の6割」だったので、北大に全身復元骨格がある。ところが戦後は化石の発見が停滞気味で、「産出しても部分化石ばかり」という状況だった。「一つの転機となったのは、1980年代」と著者はいう。

 

 「1985年、福井県鯖江市在住の女子高校生から福井県立博物館に一つの化石が届けられた」。それは、彼女が7年前に石川県内で「手取層群」と呼ばれる地層から採取したものだった。鑑定によって、化石は「肉食恐竜の歯」とわかる。こうして北陸の手取層群が「日本最大の恐竜化石産地」となる。ちなみに僕が新人記者として福井支局に在籍したのは77〜81年。このときも僕と入れかわりに恐竜化石の発掘ラッシュが始まったのだ。

 

 では、北海道はどうか。学界では「北海道といえば、アンモナイト」が通念だという。著者は大学生や大学院生のころに道内で古生物学の調査を重ねたが、自身が探すのは貝類や花粉の化石。宿でほかの大学の仲間と語りあうときも「『恐竜化石』の話題が出たことは一度もなかった」。著者の生年は略歴欄にないが、映画「ジュラシック・パーク」第1作の公開が中学校時代だというから、この現地体験は2000年前後のことだろう。

 

 この本には、むかわ町穂別の太古の情景が描かれている。そのころ、一帯は海だった。「海底には巨大な二枚貝が生息し、アンモナイトが浮かび、クビナガリュウ類とモササウルス類、カメが泳ぐ」とある。ここに出てきたクビナガリュウ類やモササウルス類は海棲爬虫類で、恐竜ではない。恐竜は「直立歩行をしている爬虫類」で、脚のかたちも犬や猫に似ているのがふつうという。そんな陸棲爬虫類の化石が海の地層で見つかるとは考えにくかった。

 

 こんな事情もあって、「むかわ竜」の化石はそれが恐竜のものと報告されるまでに10年を要した。2003年、アマチュアの化石収集家堀田良幸さんが穂別博物館に寄贈した化石標本は、「おそらくクビナガリュウ類」とみられてお蔵入りになっていたのだ。恐竜は想定外だった。それを覆したのが、クビナガリュウ類の専門家だったというのはおもしろい。東京学芸大学准教授の佐藤たまきさんが2011年に館を訪れたときのことだ。

 

 佐藤さんがその標本を調べていて気になったのは、尾椎の下にある血導弓という骨の形状だ。クビナガリュウ類なら「ハの字」形のはずだが、この化石は違った。「たいへん残念ですが、これはクビナガリュウではありません。たぶん恐竜の骨です」。佐藤さんの「残念」は、標本が自身の研究対象外だったのだから本音だろう。だが、博物館側は違う反応をする。これを聞いた櫻井さんは「小さなガッツポーズをつくった」という。

 

 こうして北大が調査に乗りだすことになる。小林さんはハドロサウルス科の恐竜とにらんだが、すぐには決めつけない。海外の研究者から、この科に属する恐竜の尾椎の画像を取り寄せた。「それらの写真から、尾椎の幅と高さ、そして尾椎の上下にある突起の長さの比率を採り、グラフ化していく」。こうして、この科に特徴的な「一定の傾向」があることを突きとめたのだ。堀田さんの化石標本は、その傾向の枠内に収まっていた。

 

 その後の調査で、発見現場には全身の化石が埋まっている可能性が高まる。こうして最初の報道発表後の2013年9月、大がかりな発掘作業が始まった。

 

 なるほどと思ったのは、体の骨のそばで歯の化石が見つかったとき、小林さんが頭骨の存在を直感したことだ。頭は、種の判別のカギとなる重要部位だ。化石の恐竜は、現場が太古に海だったことを考えると遺骸となって流れてきたのだろう。ならば「“ひとりぼっち”のはずだ」。歯は同一個体のもので、近くには頭骨もきっとある――小林さんはそう考えた。そして実際、2014年に発見されるのである。ここには、科学者らしい推理がある。

 

 7000万年前にどんな生きものがいて、どのように生き、どう死んでいったのか。それを計測と思考によってありありと浮かびあがらせる。これぞ、科学の醍醐味ではないか。

(執筆撮影・尾関章、通算483回、2019年8月2日公開)

 

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