「月刊寅さん8月号」(朝日新聞2019年8月27日朝刊)

写真》団子と寅さん(朝日新聞2019年8月27日朝刊)

 当欄の書名欄に「月刊寅さん…」とあるのを見て、えっ、そんな雑誌が出たの? と思う方がいるかもしれない。ええ、たしかにこれは創刊号。でも、雑誌ではない。朝日新聞がかつて一世を風靡した「男はつらいよ」シリーズ(松竹)を題材に月1回の連載を始めたのである(朝日新聞2019年8月27日朝刊)。シリーズ第1作(山田洋次監督)の公開から満50年の機会をとらえて、ということらしい。8月27日はその封切り記念日だった。

 

 この企画、いかにも、なあ、という感じがしないでもない。新聞は今、読者層がどんどん高齢化している。若い世代には、日常は読まない、開かない、手にしない、という人が多いようだ。新聞社がもし、若者の読み手をふやそうとすればデジタルメディアで勝負せざるを得ない。では、紙の新聞を生き延びさせるにはどうするか。ここは、高齢層の心をわしづかみにするしかない。さあ、寅さんの出番である――。というわけだ。

 

 では、僕自身の寅さん体験はどうだったか。子どものころ、NHK「夢であいましょう」で渥美清という人を知った。浅草の匂いのする喜劇人だった(当欄2016年7月15日付「選挙翌日、夢とシャボン玉しぼんだ」)。高校時代、その渥美が主演する「男はつらいよ」(フジテレビ系列)というドラマの虜になった。主人公の寅さんが亡くなって完結したので残念に思ったが、まもなく映画で復活した。でもすぐ映画館に駆け込んだわけではない。

 

 そもそも、これまで僕は映画館で「男はつらいよ」を観たことがあるだろうか。あるような気もするし、ないような気もする。あったとすれば、学生のころに時間つぶしで入った名画座のシリーズ連続上映ではなかったか。映画広告を見て切符を買い、わざわざ封切り館に出向くということはなかった。それなのに、かなりの本数を観ている。これが不思議だ。テレビで放映されると、なんとなくチャンネルを合わせ、寅さんの世界に浸っていたのだ。

 

 いったい、僕は寅さん、即ち「男はつらいよ」の世界が好きなのか嫌いなのか。この問いには、自分でも答えるのが難しい。観ていて心地よいのだが、退いてしまうところもある。そんな感じか。退いてしまう因子を言えば、それはあのシリーズのインテリ色にある。

 

 寅さんがインテリ? 渥美清はそうでも寅さんは……という反論はあろう。たしかに、あのキャラはインテリとは言えない。だが、「男はつらいよ」の作品世界は、戦後知識人が民主主義の理想を背負ってつくりあげたユートピアのように思われる。そこでは、町の印刷工場の社長や工員が隣の団子屋一家を交え、ときに悪口雑言を投げあいながらも心の底で慈しみあっている。社長も工員も働く仲間なのだ――そんなメッセージがある。

 

 僕自身は、「男はつらいよ」的なユートピアが心地よい。だから、その作品世界に惹かれるのだ。だが残念なことに、日本社会はそれと乖離する方向に進んだ。シリーズ第1作公開の1969年以後もしばらくは高度成長を追い求め、次いでバブル経済を膨ませ、それが潰れると格差という亀裂を引き起こした。日本社会はついに「社長も働く仲間」という意識を身につけられなかった。そう思うと、あのユートピアが机上の夢想に見えてくる。

 

 だから僕は、「男はつらいよ」シリーズに距離を感じるようになっていたのだけれども、最近は別の角度から心を動かされている。その思いをすくいとってくれたのが、「月刊寅さん」だ。その前書きに「不寛容、貧困、格差、孤独死……いま、日本の社会はさまざまな問題に直面しています」「寅さん(車寅次郎)だったら、どんな言葉をかけるだろう――」とあることに、僕も共感する。で、今週は、その創刊号を話題にしよう。

 

 この8月号本文の筆者は、小泉信一編集委員。この人を朝日新聞随一の「寅さん記者」と呼んでも、おそらく叱られまい。去年、全国のスナックをぶらりと訪ね歩く連載を取材執筆していたが、それも、記者自身が寅さんになり切って旅している記事のように読めた。

 

 さて、今回の本文。導入部は、寅さんが全国津々浦々の神社仏閣を回り、境内の一角で露店を開いて「トントントンと畳みかけるような七五調の口上」で客を呼び集めている、というおなじみの場面。「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水……」「白く咲いたはユリの花、四角四面は豆腐屋の娘……」という感じだ。春は桜前線のように北へ、秋は紅葉前線のように南へ足を向け、「トランク片手に旅をしていた」と書く。

 

 次いで登場するのが、実在の露天商。北海道根室市内の神社の夏祭りで屋台を構えていたベテランのあめ細工師、72歳の男性だ。あめを温め、「練り、延ばし、ハサミを入れ」て犬や猫、竜などを仕上げていく。道内各地を巡る日々。屋台も、商品も、生活用具一式も、なにもかも2トン車に詰め込んで町から町へ移動する。「のたれ死ぬのかなと思うこともある」というから、「トランク片手」にさすらう寅さんほど軽快ではない。

 

 だが、そのあめ細工師は言う。「日常から逸脱した世界がテキヤ稼業の魅力。窮屈な管理社会とは対極だよ」。ここで、テキヤとは露天商の俗称だ。えっ、この人は「窮屈な管理社会」のことも知っているのかと一瞬訝るが、経歴の記述を見て納得する。芸大を中途退学して転職を繰り返し、たどり着いたのがこの仕事だという。大学で、職場で、いつも「管理」の息苦しさを感じてきたのだ。僕はほぼ同世代だから、その気持ちがよくわかる。

 

 彼が20歳前後だった1960年代後半、日本には大学紛争があった。米国ではベトナム反戦運動が高まっていた。そして欧州ではパリ五月革命、プラハの春。これら若者の反抗に共通するのは、五月革命のときに叫ばれたという反「管理」の精神だったように思う(当欄2016年5月13日付「五月革命、禁止が禁止された日々」)。ところが、その反抗の頂点1968年を境に、世の中は「管理」のベクトルを強めたのではないか。

 

 そして今、「管理」の波は寅さんの世界にまで押し寄せている。この記事によれば、1992年施行の暴力団対策法が大波だった。露天商も、取り締まり強化の影響を受ける。「出店計画を街商組合を通じて地元警察にかなり前に届けないといけない」と記事にはある。露天ビジネスを暴力団から切り離し、暴力団の資金源を断つ効果はあるのだろう。ただ、もし寅さんが今も仕事を続けているのなら、もはや気の向くままの旅はできないはずだ。

 

 ここで言い添えなくてはならないのは、「管理」は警察権力の上意下達でもたらされるものばかりでないことだ。この記事で例に挙がるのは、東京・新宿の花園神社で催される「酉(とり)の市」。出し物に規制があるが、それを促したのは人権や動物の権利を重んじる「市民団体の批判」だという。見世物小屋にはかつて容認しがたいものがあったから、これは正当な主張である。それによって主催者側が「管理」を迫られているのだ。

 

 この記事は「何かあれば苦情が寄せられ、ネット上でバッシングされる世の中」を反映して、露天ビジネスが無難な領域に限られてきた現状を指摘する。商品の定番は「お好み焼き、クレープ、フランクフルト……」。これでは、買い物街のフードコートと変わらない。根室の神社の氏子総代(73歳)も、昔の祭りをこう懐かしむ。「ちょっと怖いお兄さんがいたりしてね。口八丁手八丁でインチキ臭そうな品物を売りさばく人もいて楽しかった」

 

 僕が今、「男はつらいよ」に見いだすのは、「管理」の呪縛とは無縁な人々だ。だが映画のつくり手は、ことさらその様子を描こうとはしていなかったように思う。なぜなら、あのころは現実社会の「管理」がそんなには強くなかったからだ。つくり手の思いはむしろ、「社長も働く仲間」的なユートピアにあったのではないか。そのために生みだされた風来坊の主人公が半世紀後、僕たちが今どれほど「管理」されているかを痛感させてくれる。

(執筆撮影・尾関章、通算488回、2019年9月6日公開)

 

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