「夏の夜の夢」

(『夏の夜の夢・あらし』〈ウィリアム・シェイクスピア作、福田恆存訳、新潮文庫〉所収)

写真》王侯貴族vs.職人たち

 訪れたことはあるが、どんなところだったかはっきりしない。この年になると、そんな町がいくつかある。ウィリアム・シェイクスピア(1564〜1616)の生誕地ストラトフォード・アポン・エイボンも、その一つだ。英国イングランド中部の田舎町である。

 

 四半世紀前のことだ。ロンドン駐在時代の休日、ここも家族旅行で訪れた。車で数時間のところだから、マイカーを駆って出かけた。現地に着いてから、シェイクスピアゆかりの史蹟を巡ったに違いないが、エイボン川沿いの風景くらいしか思いだせない。

 

 川が印象に残っているのには理由がある。僕がストラトフォード・アポン・エイボンという地名に初めて触れたのは、高校の英語の時間だ。教科書に、シェイクスピアゆかりの地として描かれていた。長い名前だなあと思った。やがて、後半のアポン・エイボン(upon Avon)はオン・エイボン(on Avon)であり、エイボン河岸という位置を示しているに過ぎないのだとわかる。だから、その町が実際に川に面しているのを確かめて、納得したのだ。

 

 家族旅行のときに見てまわった史蹟には当然、シェイクスピアの生家が含まれていたはずだ。家族も、そう証言している。だが、そこで何を見たかがはっきりしない。仕方がないので「シェイクスピア生誕地トラスト」のウェブサイトに入って、見学を再体験する。ここでは、建物内外の様子が画像で見られるだけではない。シェイクスピア一家の家庭事情も文章で読める。とりわけ興味深いのは、ウィリアムの父ジョンの波乱万丈の人生だ。

 

 その記述によると、ジョンは、もともと近郷富農の息子だったが、結婚前にストラトフォードの町へ移って不動産を手に入れた。しだいに町の有力者となり、ついには現在の市長職に相当する地位を射止める。商工業でも身を立て、皮製品をつくったり、手袋を売ったり、羊毛の取引に手を出したりした。ただ羊毛商は認可制だったので、無許可の売買が問題化して失脚する。こうして息子のウィリアムは若くしてロンドンに出るのだ。

 

 ここで注目したいのは、ウィリアム・シェイクスピアが王侯貴族を主人公とする戯曲を量産しながらも、自らは上流階級の人ではなかったという事実だ。英国では1600年前後、産業革命による機械生産がまだ始まっていない。だが、工場制手工業(マニュファクチュア)はすでに広まっていた。資本主義社会の芽生えだ。父ジョンは、それを体現する地方都市の商工業者だった。ウィリアムは、父親のなかに封建制の次にくる世を見ていたのだろう。

 

 で、今週は「夏の夜の夢」(『夏の夜の夢・あらし』〈ウィリアム・シェイクスピア作、福田恆存訳、新潮文庫〉所収)。訳者執筆の解題によると、この作品が書かれたのは「早くて一五九二年、遅くとも一五九八年」。作者が30代にさしかかったころだ。沙翁劇の年譜では「初期喜劇」の時代に属するが、当時の「写実的」作風とは趣を異にしている。「夢幻劇的」であり、晩年の「あらし」に代表される「浪漫喜劇」を先取りしたものだという。

 

 この解題では、もう一つ教わることがある。原題A Midsummer Night’s Dreamには「夏至前夜の夢」の意があり、欧州ではその夜、「若い男女が森に出かけ、花環(はなわ)を造って恋人に捧げたり、幸福な結婚を祈ったりする風習があった」。妖精が跋扈して、薬効が高まるという言い伝えもある。題名が、劇そのものの伏線になっているのだ。訳者は、夏至が日本人の「真夏」の実感に沿わないことから、邦題を「夏の…」にしたという。

 

 ページを開くと、冒頭に劇中世界の「場所」の説明と劇に登場する「人物」の一覧が載っている。場所は「アセンズ(アテネ)、およびその近くの森」。人物欄の筆頭に挙がるのは、アセンズを治める大公シーシアスと、その婚約者ヒポリタだ。後者は、アマゾン族の女王でもある。ギリシャを舞台にギリシャ神話ゆかりの人々が出てくるドラマ。さぞや気宇壮大な筋書きなのだろう。一瞬、そう思うのだが、すぐにそれは裏切られる。

 

 「人物」一覧の中ほどは、ピーター・クィンス(大工)、ニック・ボトム(機屋)、フランシス・フルート(オルガン修繕屋)、トム・スナウト(鋳掛屋)、ロビン・スターヴリング(仕立屋)……という一群が占めているからだ。これを見ると、どこがギリシャだ、どこに神話がある、と言いたくなる。名前からして英国風。この芝居が上演された時代、英国のどこの町にもいただろう職人たちだ。作者の脳裏には、故郷の原風景があったのではないか。

 

 さらに驚くべきことに、登場人物には妖精の一群も含まれている。オーベロン(妖精の王)、タイターニア(妖精の女王)……と続いて「豆の花」「蜘蛛の巣」「蛾」「辛子の種」と名づけられたものもいる。なるほど伝説の通り、夏至前夜の森らしい賑わいである。

 

 「人物」一覧の顔ぶれだけで、この戯曲が「写実的」ではなく「浪漫」志向であることがわかる。古代ギリシャの高貴な世界に妖精がかかわり、そこに近世英国風の町人たちも入り込む。現実と夢幻がつながり、時代も国境も超える。そこに作者の大胆さがある。

 

 そこで、この戯曲を3層に分けて見ていこう。仮に高貴層、妖精層、町人層と呼ぶ。

 

 まずは高貴層。ここで繰り広げられるのは、3組の男女の恋バナだ。まずは大公とその婚約者。シーシアスは冒頭、こう口を開く。「さて、美しいヒポリタ、吾らの婚儀も間近に迫った」(引用ではルビを省く、以下も)。もう一組が、ライサンダーとハーミア。相思相愛だ。さらにデメトリアスとヘレナ。ヘレナはデメトリアスに恋しているが、デメトリアスはハーミアに横恋慕している。三角関係が一つ混入して、不安定要因になっているわけだ。

 

 ここで恋愛事の枷になるのが父権主義。ハーミアの父イジアスは、娘とデメトリアスとの縁組を望んでおり、彼女がそれに同意しなければアセンズの法によって裁いてほしい、と大公に申し出る。法が求める罰は、死刑か永久蟄居かの二者択一。イジアスは、こう言う。「娘は私のものでございますゆえ、その処分は私にお任せを」。こんな強権オヤジがいるおかげで、ライサンダーとハーミアの恋は生命や人生をかけたものになっていく……。

 

 妖精層にも男女の揉め事がある。たとえば、妖精の王オーベロンと女王タイターニアの夫婦仲。妻は、夫が「羊飼いのコリンに化けて、一日中、麦笛を吹きならしたり、恋歌をうたったり」しているとなじる。最近、夫がヒポリタをシーシアスと結婚させることに熱心なのも不満の種らしい。一方、夫は、妻が「星明りの夜」にシーシアスを誘い、元妻と離婚させたのではないか、という疑念をぶつける。嫉妬心に根ざした非難の応酬だ。

 

 ただ、興味深いのは、妖精の嫉妬のありようが人間のそれとは異なることだ。オーベロンとタイターニアの発言を注意深く読むと、それがわかる。妻は、夫とヒポリタの情事を疑っていない。夫が妻に対して抱く疑惑も、妻がシーシアスと不倫した、という話ではなさそうだ。これを読み解くのは難しいが、僕なりに解釈すると、妖精は人間の恋愛事に当事者として参加できない、だから後援会の幹部然として余計な介入を画策するのだ!

 

 ここで、介入の道具となるのが「浮気草」という植物だ。その絞り汁を睡眠中にまぶたに塗られると「すっかり恋心にとりつかれ、目が醒めて最初に見た相手に夢中になってしまう」。この魔法が高貴層の男女に混乱を呼び起こす。ここに、喜劇の仕掛けがある。

 

 町人層が婚礼の余興で演じる芝居が、それを増幅する。彼らは近世英国からタイムスリップして来たわけではない。一応、アセンズの職人衆だ。この劇中劇の筋書きは、恋しあう男女が不慮の出来事に見舞われ、最後は男女とも自死する、というもの。悲劇だが、そこに男の早とちりが介在して喜劇性を帯びる。素人芸のドタバタがそれに輪をかける。悪気は感じられないが、高貴層の生命や人生をかけた恋をそれとなく皮肉っているようにも見える。

 

 古代ギリシャ風の世界を近世の田舎町から出てきたような町人たちが引っかき回す。その構図に、シェイクスピアは資本主義萌芽期の英国人の気概を吹き込んだのではないか。

(執筆撮影・尾関章、通算489回、2019年9月13日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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