2019年ノーベル物理学賞発表資料(スウェーデン王立科学アカデミー)

写真》われらの惑星系

 ノーベル賞発表には含蓄がある。日本人が獲るか獲らないかだけで騒ぐ時代は終わった。受賞者の顔ぶれから見えてくるものは何か。それをすくいとるところに醍醐味がある。

 

 日本人といえば、今年は吉野彰氏が「リチウムイオン電池の開発」で化学賞受賞者の一人に選ばれた。そこには、一つの技術がIT(情報技術)社会を開花させ、今、脱炭素社会を支えようとしているという物語がある。それはいずれ、機会をみて話題にしたい。

 

 へそ曲がりかもしれないが、今回は、あえて物理学賞に目を向ける。今年は、宇宙天文系の研究者3人に贈られることになった。僕が印象深かったのは、うち二人が太陽系外惑星の発見者だったことだ。ノーベル賞が人間に近づいてきたな、と感じたのである。

 

 これまで物理学賞が宇宙天文系の分野に目を向けるとき、受賞研究は宇宙の始まりや時空のありようにかかわるものが多かった。ときに超新星や連星パルサーなど天体そのものの研究もあったが、それも宇宙のしくみやそれを支配する物理につながるものだった。だが、太陽系外惑星の発見はちょっと違う。僕たちが生きているこの太陽系と同じような惑星系が宇宙には一つならずある、ということを立証したのだ。

 

 それは、世界中の子どもたちの関心事、「宇宙人はいるか」という問いにも通じる。「宇宙人」が荒唐無稽というなら、「地球外生命(ET)」と言い換えよう。もし、この太陽系とは別の惑星系にも地球のように生命が持続可能な天体があるのなら、そこに地球外生命がいるかもしれない。もし、地球外生命があちらにもこちらにも散在するならば、その一部は知性をもっていてもよい――この発見は人間を相対視する世界観を呼び起こすだろう。

 

 そう思うと、この授賞決定は意義深い。ということで、今週は2019年ノーベル物理学賞の発表資料を。これは、ネットでノーベル賞の公式サイト(https://www.nobelprize.org/)に入れば、だれでも見られる。ここでは英文で読むが、引用では拙訳で邦文にした。

 

 物理学賞の発表資料は3種類ある。いずれもスウェーデン王立科学アカデミーが編集した。まずはプレスリリース、いわゆる報道資料だ。受賞者の名前、肩書、略歴や授賞理由などが要約されている。ほかに一般向けの解説(サイト内英語版ではPopular InformationともPopular Science Backgroundとも呼ばれている)と上級者向けの解説(同Advanced Information”“Scientific Background)があって、これらがなかなか読ませる。

 

 分量はそこそこある。今年は、一般向けの解説がpdfにしてA4判9枚、上級者向けは同26枚。どちらにも、図やグラフがふんだんに盛り込まれている。数式は上級者向けには散見されるが、一般向けにはほとんどない。物理学者の頭脳が組み立てた難解極まりない話を、ふだん着の言葉で叙述している。科学記者にとっては手本のような文章である。今回は一般向け解説に的を絞って、読みどころを拾いだしてみることにする。

 

 そのまえに、報道資料にある発表の要点を記しておこう。今年受賞するのは、米プリンストン大学のジェームズ・ピーブルズ名誉教授、スイス・ジュネーブ大学のミシェル・マイヨール名誉教授、同大学のディディエ・ケロー教授。授賞理由は、ピーブルズ氏が「物理的宇宙論における理論上の諸発見に対して」、マイヨール、ケロー両氏が「太陽型恒星の周りを回る太陽系外惑星の発見に対して」。賞金は、前者一人と後者二人で二分される。

 

 では、一般向け解説に入ろう。前半はほとんどがピーブルズ氏についての記述だ。

 

 それは、ピーブルズ氏が「宇宙史の現代的理解の礎」となる理論を築いたことから切りだされる。目を引くのは「この50年間は宇宙論にとって黄金期だった」という指摘だ。宇宙論はかつて推測の産物だったが、1960年代にそれが科学へ進化する土台ができたという。出発点は64年、宇宙初期の大爆発ビッグバンの名残の電波(宇宙背景放射)が見つかったことだろう。氏は、こうした観測家の成果を取り込みながら理論研究を重ねた。

 

 さて、1980年代半ばのことだ。そのころ、宇宙論は大問題に直面していた。宇宙空間は背景放射の観測結果に見てとれるように曲がりの少ない平坦さを具えているのに、全宇宙の質量とエネルギーの総量が、それを実現するにはまったく足りなかったのだ。必要量に対して、ふつうの物質は5%、暗黒物質は26%しか見積もれない(異なる数値も見かけるが、ここでは発表資料に拠る)。では、残りの69%は何なのか?

 

 ピーブルズ氏は、その69%が宇宙空間に潜む暗黒エネルギーであるとすれば、問題が解決することを示した。その理論計算は、背景放射の精密測定にもぴったり合った。宇宙論が推測の時代を抜けて科学の時代に入ったというのは、こういうことを言うのだろう。

 

 ピーブルズ氏は科学の王道を歩んでいる。研究の主題が宇宙史というのも知的探究心が向かう先として申し分ない。これは、ノーベル賞らしいノーベル賞である。

 

 では、いっしょに受賞することになったマイヨール、ケロー両氏の研究はどうか。彼らは1995年、地球から50光年離れたペガスス座51番星の周りを惑星が回っていることを突きとめた、というものだ。これが、人類が見つけた太陽系外惑星の第1号だった。その観測は、星の微細な動きをとらえるもので精緻を極める。痛快な発見だ。だがそのころ、「太陽系外惑星の探索は天文学の主流から外れていた」と、この解説にはある。

 

 これは、僕自身の科学記者体験からも腑に落ちる。1990年前後、太陽系外惑星はすでに関心の的だったので、それらしい天体が見つかったという外電情報が飛び込んできたことがある。だが、天文学者に値踏みしてもらうと眉唾もの扱いされた。太陽系外惑星→地球外生命という興味本位の連想が嫌われていたのかもしれない。それは、日本国内に限ったことではなかっただろう。そんななかで、二人は腹を固めて発見を発表したのである。

 

 その後、太陽系外惑星は続々と見つかる。宇宙望遠鏡の観測もあって、今では4000を超える(発表資料)。僕たちの世代にとっては、子どものころから信じ込まされてきた常識が大人になってひっくり返ったのである。ノーベル賞も、それを無視できなかった。

 

 ただ今回、奇異に感じるのは、宇宙論と太陽系外惑星の同時受賞である。なによりもスケール感が違う。片方は138億光年先の火の球の残照をにらんでいる。もう一方は50光年先の恒星に目を凝らしている。それをつなぐのは、ちょっと無理がある。

 

 実際、この一般向け解説でも、ピーブルズ氏の研究について述べた前半と、マイヨール、ケロー両氏の研究を紹介した後半のつなぎ部分に苦心の跡が見える。ところが、その箇所こそが、この解説でもっとも心揺さぶるくだりなのだ。書きぶりを見てみよう。

 

 宇宙論によれば、ふつうの物質が宇宙の総量の5%しか占めていないことに触れた後、こう続ける。「この物質のちっぽけなかけらがやがては塊になって、われわれの身の回りのありとあらゆるものをかたちづくる――恒星も、惑星も、木々も、花々も、そして人間も。宇宙を見渡して、われわれは孤独なのか、それとも宇宙のどこかに別の太陽とそれを回る惑星があって生命が存在しているのか、だれにもわからない」。詩的な問いかけだ。

 

 そして、大胆な宣言をする。「しかし今や、われわれは知っているのだ。太陽が惑星を伴う唯一の恒星ではないことを。そして、銀河系内にある数千億個の恒星の多くにも惑星があるだろうことを」――。惑星系を特別な存在とみないほうがよい、ということだ。

 

 恐ろしいのは、人類はつい二十数年前まで惑星系は太陽系一つと信じ切っていたことだ。傲慢と言えば傲慢な世界観。マイヨール、ケロー両氏は、その幻想を打ち破った。だとすれば、これは人類史に刻むべき大発見だ。ノーベル賞を受けるのは当然だろう。

(執筆撮影・尾関章、通算493回、2019年10月11日公開、同日更新後に再公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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