ノーベル平和賞発表資料(ノルウェー・ノーベル委員会)

写真》北東アフリカ(紙面は朝日新聞2019年10月12日朝刊)

 先週に続いて、今回もノーベル賞の発表資料をとりあげる。エチオピア首相のアビー・アハメド・アリ氏に贈られることになった平和賞だ。賞の公式ウェブサイトに載った文書は理系3賞とは違って、短い発表文が1本だけ。だが、行間から読みとれることはある。

 

 発表文の中身に入るまえに、ノーベル平和賞について、ちょっと補足説明をしておこう。理系3賞や文学賞、経済学賞はどれもスウェーデンの学術機関が授与するが、平和賞だけはノルウェーのノーベル委員会から授けられる。だから、発表場所もオスロ、授賞式があるのもオスロだ。委員会は、ノルウェー議会が指名する5人の委員から成る。だから、そこには有権者の思いがいかばかりか反映されているとみてよいだろう。

 

 ここで少しだけ、僕の平和賞取材体験に触れよう。ロンドンに駐在していた1994年のことだ。大江健三郎氏が文学賞を受けた年である。僕はストックホルムでまず理系3賞の発表を見届け、文学賞の日も現地に居残り、最後はオスロへ足を延ばしたのだ。

 

 この年の平和賞は、イスラエルのイツハク・ラビン首相、シモン・ペレス外相とパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長の共同受賞に決まった(肩書はいずれも当時)。パレスチナの暫定自治に道筋をつけたというのが理由だ。だがここで、ひと悶着があった。ノーベル委員会委員の一人が親イスラエル派の元国会議員で、アラファト議長は「テロリストだった」として選考結果に不満を露わにし、委員辞任を申し出たのである。

 

 僕はこのとき、オスロで平和賞の第1報を送った後、この元議員の記者会見に駆けつけた。彼が自らの政治信条を主張して一歩も譲らない姿を見ながら、ノーベル平和賞は政治だな、と思ったものだ。賞の裏側に権力闘争があるとか、利権がドロドロと渦巻いているとか、そういうことではない。そうではなくて、平和賞にはノルウェーの政治家たちが世界に向けて訴えたいと考えるメッセージが込められている、と思ったのだ。

 

 ではまず、今年の受賞者アビー氏の横顔から。発表文には略歴がないので、英国BBCのウェブサイトの記事(2019年10月11日付)を参考にする。1976年、イスラム教徒の父とキリスト教徒の母の間に生まれ、90年代、当時の社会主義政権に対する武装闘争に参加、ルワンダで国連の平和維持活動にも加わった。平和・安全保障の研究で博士号を取得、英国への留学経験もある。2010年に政界入り、18年4月に首相となった。

 

 発表文によると、今回の授賞は「平和と国際協力の実現に向けた努力、とりわけ隣国エリトリアとの国境紛争の解決に決断力をもって乗りだしたこと」に対してだ。アビー氏はエリトリアのイサイアス・アフェウェルキ大統領と力を合わせ、両国間の「戦争でも平和でもない」膠着状態に終止符を打つ和平合意の原則を取り決めて、両首脳が調印する宣言に盛り込んだ。これに先立って、仲裁役の国際委員会が提示した国境線を受け入れていた。

 

 これらは、首相就任後わずか数カ月間の出来事だ。冷戦後、局地紛争が後を絶たない世界情勢を思うと、隣国との対立関係解消にこれだけ機敏に動いた立役者は平和賞にぴったりということだろう。だが今回の授賞には、もう一つ、意味があるように思えてならない。

 

 それは、あえて現役の政治家を選んだということだ。ノーベル平和賞の受賞者は、ひと通りではない。すぐに思いあたるのは反戦や人権擁護の活動家だが、ときに現職バリバリの政治家も受賞する。ただこの場合、後に落胆が控えていることがある。記憶に新しいのは2009年のバラク・オバマ氏だ。受賞決定に先立ってこの年初めに米国大統領となり、「核なき世界」の追求を訴えていたが、今、国際社会がその目標に近づいているとは言い難い。

 

 前述のラビン、ペレス、アラファト3氏の受賞もそうだ。25年後の今、パレスチナ情勢が安定しているとは言えないだろう。政治家はいつも、現実の壁に直面している。アビー政権にも、同様のリスクがある。発表文は、それを見越してこう言う。「きっと、今年の授賞は早すぎると考える人々もいることだろう」。そのうえで、アビー氏の努力は「今」この時点で「顕彰に値するし、激励を必要としていると信じる」と強調するのだ。

 

 ここには、ノーベル委員会の強いメッセージがある。ひとことで言えば、アビー的なるものを待望しているということだろう。アビー的なるものとは何か。発表文のたたみかけるような記述からうかがえるのは、理想を追い求めながら寛容でもあるという政治家像だ。

 

 「彼は就任100日のうちに非常事態令を解除し、幾千人もの政治犯に恩赦を与え、メディアに対する検閲を廃止し、非合法の野党勢力を合法化して、腐敗が疑われる軍民の指導者たちを追放した。そして、エチオピアの政治や地域社会に対する女性たちの影響力を著しく高めた」。さらに続けて、「自由で公正な選挙によって民主主義を強めることも約束した」とある。リベラルな社会をめざす政治判断の連打と言ってよいだろう。

 

 これは、ノーベル委員会の買いかぶりとは言えないようだ。前述BBCの記事も、アビー氏が矢継ぎ早に手を打つ様子を時系列で記している。政治犯の釈放は去年5月、非常事態令の解除は翌6月、秋になって10月には閣僚ポストの半分に女性を指名したという。

 

 発表文は、アビー氏が東アフリカや北東アフリカ域内の緊張緩和にも力を貸していること、エチオピア国内の民族間対立に和解と連帯と社会正義をもたらそうとしていることも書き添える。後者は必ずしも成功していないが、だからこそ「激励」が必要なのだろう。

 

 僕が思うに、今回の平和賞は一人の政治家が一つの地域の安定に力を尽したことへの称賛とだけとらえてはいけないのではないか。選考には、今や絶滅危惧種になりかけたタイプの政治家のイメージを広めたいという委員たちの心理が働いたように思えてならない。

 

 今、内外の政治家を見てみよう。自国第一主義に突き動かされて国際社会のつきあいを軽んじる人がいる。統治能力ばかりを磨いて、寛容の精神に欠ける人もいる。ネットメディアに溢れる感情論に気をとられて、理想を追うことを忘れてしまった人もいる。だが、そうではない政治家もいるはずだ。いや、いてほしい。そう願っていたら、期待に応えてくれそうな人がそこにいた。そんな現実が、今年の平和賞からは見えてくるのである。

(執筆撮影・尾関章、通算494回、2019年10月18日公開)

 

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