『国境の女』(夏樹静子著、徳間文庫)

写真》現場は月見橋

 いい湯だな、というのは歌の題名だ。永六輔作詞、いずみたく作曲。デューク・エイセスが歌う「にほんのうた」シリーズの一つとして1966年に発表された。群馬県、すなわち上州の温泉を愛でた歌。四番まであって草津、伊香保、万座、水上の地名が出てくる。だが、彼の地の温泉郷はそれだけではない。関東平野が尽きて、上越の山々が屏風のように聳えるあたりには、山あいにまだまだ湯煙の里がある。四万温泉も、その一つだ。

 

 四万と書いて「しま」と読む。どことなく謎めいているではないか。たしか、2時間ミステリー(2H)の舞台になったこともあったはずだ。秘湯の趣があって、旅情をそそられた記憶がある。ということで今週は、その四万温泉へ1泊2日の旅に出た。

 

 四万温泉は、妙義山や榛名山などよりもずっと奥、三国山脈の水を集めた四万川沿いにある。今回、僕は東京から新幹線で高崎まで行き、そこで上越線経由吾妻線の在来線列車に乗り換えて中之条で降りた。宿のある谷あいまでは駅前からバスで約40分の道のりだが、途中下車して渓谷沿いを歩いた。沿道に温泉宿が一つ、二つと現れるあたりから、川沿いの山腹は紅葉の度合いを強め、月見橋という朱塗りの橋を渡って温泉中心街に着いた。

 

 四万の名は、いったいどこから来たのか。ネットで四万温泉協会の公式ウェブサイトに入ってみると、「四万の湯が『四万(よんまん)』の病を癒す霊泉』であるとする伝説に由来」とある。なぜ、一万でもなく五万でもなく四万なのか、と突っ込みたくもなるが、それは無粋だ。患者のDNAまで調べあげて、その人に適した治療をしようという分析の医学とは真逆のよろずや流の癒し。ここでは、その大らかさをうらやましく思おうではないか。

 

 とにもかくにも、四万温泉は湯治場だったのだ。一帯には、その湯治を求めて逗留する人々のために湯宿が開かれた。上記サイトによれば、江戸期半ばの宝暦年間には2地区に計17軒あったとする文献がある。今回は、その伝統を受け継ぐ老舗の一つに泊まった。

 

 その宿の当主は、泊り客を集めて四万温泉史を語ってくれた。そこで強調されたのは、病を患う人々向けの療養の場が近代になって観光地に様変わりした湯の町事情だ。団体客がどっと来て湯量が不足する。話を聞いて、源泉の湯を守ることの大変さを知った。

 

 で今週は、四万にも観光の波が押し寄せたころの様子をうかがわせるミステリー長編小説。『国境の女』(夏樹静子著、徳間文庫)だ。著者は1938年生まれの本格推理作家。2016年に死去した。この作品は1982年、『夏樹静子作品集』(講談社)の月報に連載されたものだ。翌年、講談社は作品集の予約購読者に対する贈呈品として単行本化。その後、講談社ノベルス、講談社文庫に収められたが、2001年、徳間文庫の1冊になった。

 

 さて、僕はこの作品を「四万温泉」×「夏樹静子」のネット検索で見つけだした。作品紹介の記述からすると、「国境」とは米国・メキシコの境界線を指しているらしい。いったい、それが上州とどうつながるのか。たぶん、『国境の女』という小説に四万温泉が出てくるとなれば、上州越後の国境(くにざかい)や、それを貫くトンネルのことを思い浮かべる人が多いだろう。だが、この作品世界は川端康成『雪国』のそれとは大きく異なる。

 

 ひとことで言えば、この作品は1980年代前後の世相をくっきりと描きあげている。あのころ、日本社会は妙に明るかった。高度成長で蓄えた力は、石油ショックくらいではへたらなかった。ちょうどバブル経済に入ろうかというころだ。国際化が進み、ニューファミリーの生活様式が広まっていたが、一方で終身雇用も年功序列も盤石だった。若い世代――それは現60超の世代ということになるのだが――は、前途に安定があると信じていた。

 

 冒頭、東京の風景描写にも、それが映しだされている。場所は麹町。「テレビ局の角を廻っていくと」とあるから、日本テレビの本社が移転するよりも前だろう。「昔ながらの酒屋やテーラー、アンティークの店など並び、それなりにまた東京らしい、しっとりとした風情のある通りだった」。ここには、旧世代になじみの商店と新世代が好む専門店が混在している。ただ、コンビニなどフランチャイズ形式の商いはまだ広まっていない。

 

 主人公、明月(あきづき)奈緒子の生活にも当時の世相は表れている。現在、27歳前後。女子大を出て家事手伝いをしていたが、見合いで商社員と結ばれた。すでに二人の子がいる。夫の達夫は米国西海岸のサンディエゴ在勤。達夫の父母を世話するため、自分は日本に残った――。女性が就職せずに家にいて、見合い結婚して舅姑と同居するというのは昔風だが、夫が海外に単身赴任というのは今日的。ここにも新旧の混在がある。

 

 ちなみに麹町には、奈緒子の女子大時代以来の親友、総子が女将をしている小料理屋がある。奈緒子は「外で酒を飲む機会などめったにない主婦なのだが、ふた月か三月に一度くらいここへ寄って、季節の料理とお喋りを楽しむことが、何よりの息抜きだった」。これは、1980年代前後の日本社会に典型的な女性像だ。旧来の道徳観に縛られているが、その枠に収まりきらない。すでに自由の心地よさを知っている世代だからだろう。

 

 そんな生活がある日、暗転する。米国からの電話で達夫の死を知らされたのだ。奈緒子がサンディエゴに着くと、達夫は動物園内で刺殺されたことを告げられる。こうしてミステリーの幕が切って落とされたのだが、例によって筋書きには立ち入らない。

 

 一つだけ明かしておかなければならないのは、奈緒子には結婚前に心を寄せる人がいたことだ。総子の兄、小磯良司。バツイチの商社員で、偶然にも達夫の先輩だった。達夫は見合いの後、結婚を迫っていたが、奈緒子は逆に良司への思いを募らせる。心の内を伝えようと決意したが、不運が重なって機会を逸する。その直後、良司は旅先で不審死を遂げた。川に落ちて心臓麻痺を起こしたのだという――その場所が四万温泉だった。

 

 その旅というのは、社内旅行だった。師走の土曜日、営業部の約30人が1泊2日で同じ宿をとり、忘年会を開いたのだ。宴会場の広間には「酔って芸者とふざけたり」する者がいた。「十時頃にはあちこちで麻雀も始まった」。職場の仲間が大挙して泊りがけで温泉地へ繰りだし、「芸者」をあげる、「麻雀」に興じる。これは、高度成長期のサラリーマン社会ならでは気晴らしだった。その行動様式が1980年前後にもまだ残っていたのである。

 

 今は、こんな慣習もほとんど消えうせた。まず、宴会に「芸者」は考えにくい。男女混合の会席で、接待役の性別が非対称というのが当世風ではない。麻雀も、もし賭けを伴うものならコンプライアンスに反する。そしてなによりも、集団行動に難色を示す若者が多い。

 

 奈緒子はそんな旧世代の行動様式の残滓を知らぬげに、良司の死を聞いて総子とともに四万温泉にかけつける。川沿いはすでに冬景色。「水の流れのほかは、すべてが雪に被われ、ところどころで湯煙がほのかに漂っている」。高台の宿に入って、二階から窓外を眺めると「道路の両側には、旅館が建ち並び」「暗い緑の樹層に被われた山腹に、無数の雪片がしんしんと降りしきる風景は、心の芯までしみわたるように寂しさをたたえていた」。

 

 奈緒子が現地で達夫から聞かされた説明は次の通りだ。良司は月見橋直下の河原で見つかった。「みんなに尋ねたところ、昨夜十時半頃まで、小磯課長は確かに広間におられた。ところが、その後は誰も彼を見てないというわけです」。その夜は雪が降っていた。四万温泉は国民保養温泉地の指定を受けていて、歓楽街もない。それなのになぜ、良司は山あいの暗がりを歩いていたのか。その謎は、5年後の達夫自身の死にもつながっていく……。

 

 この小説を読んでいて、いやでも目につくのは、1980年前後の日本の企業社会では当然視されていた男の身勝手さだ。夏樹静子は、それが海外の進出先にも及んでいることをさらりと描いた。上州温泉郷と米国西海岸の取り合わせが、そこでは絶妙の仕掛けになっている。一つ言い添えたいのは、奈緒子が男社会に振り回されながらも被害者意識に囚われず、冷静であることだろう。あの時代、男女のありようは確かに変わったのだ。

(執筆撮影・尾関章、通算497回、2019年11月8日公開)

 

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