「或る『小倉日記』伝」

『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション()(松本清張著、文春文庫)所収

写真》記憶の媒体

 今年の紅白歌合戦には、美空ひばりが出演するそうだ。そう、NHKが今秋、AI(人工知能)の技を駆使してテレビ画面によみがえらせた歌謡界の女王に再び、ご登場いただこうという趣向らしい。あのとき、彼女はたしかに新曲を歌った。だから、それは過去の映像ではない。歌手美空ひばりが現在に立ち現れたと言ってもよい瞬間だった(NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」2019年9月29日放映)。

 

 NHK公式ウェブサイトのNHKスペシャルのページを開いて、あの番組でどんなことが試みられたのかを押さえておこう。資料として集められたのは「NHKやレコード会社に残る、膨大な音源、映像」。これらをもとにAIが「超人的な歌唱力や表現力」を「数値化」して「再現」しようとした。その結果、3次元ホログラムの立体感ある姿が現れ、秋元康さん作詞の歌を歌いあげたのである。その迫真力に僕も圧倒された。

 

 ここで言えるのは、AIはすごいね、ということだ。そのAI時代は目前にある。だからNHKは、ああいう番組を今年企画して大みそかの紅白につなげたのだろう。だが、すごいのはそれだけではない。こんなことができるのは「膨大」な記録資料があるからだ。

 

 現代の記録資料の威力に僕が気づいたのは約10年前、『クォンタム・ファミリーズ』(東浩紀著、新潮社)を書評したときだ(朝日新聞2010年2月21日朝刊読書面)。この小説では、主人公が量子力学的な並行世界に迷い込む。その世界で別の自分になりきるには、そこに残る個人情報がほしい。幸いIT(情報技術)社会には、写真や動画、そして「メーラやスケジューラのログ」や「ネットにばら撒かれた無数の噂話」もあるというのだ。

 

 で今週は、人間の生の再現について。それも、ITというものが存在しなかったころの話だ。そんな時代でも、人は世を去った他者の生前に思いを馳せ、その姿を脳裏に生き生きとよみがえらせたいと思ったらしい。まして、他者が尊敬を集める人物であれば……。

 

 とりあげるのは、松本清張(1909〜1992)の短編「或る『小倉日記』伝」(『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション(上)』〈松本清張著、文春文庫〉所収)。1952年に『三田文学』誌に発表され、著者はこの年下半期の芥川賞を受けた。ミステリーの巨匠の出世作は、純文学に位置づけられていたことになる。この作品で主人公の心をとらえるのは、文豪森鷗外の福岡県・小倉在住期(1899〜1902)の足跡だ。

 

 作品は1940(昭和15)年、鷗外の小倉在住期の日記が不在だった時点から書き起こされる。「世の鷗外研究家は重要な資料の欠如として残念がっていた」。ただ、日記は最初から書かれなかったのではなく、破棄されたのでもなかったことは冒頭のエピグラフからもわかる。そこに「小倉日記」の一節が引用されているからだ。一時行方不明だったのだろう。史実とはいえ、後年の推理小説作家が冒頭にネタばらししているのはおもしろい。

 

 筋書きとしてはまず、在京の医師兼詩人であるK・Mに小倉在住の田上耕作という人物から手紙が届く。自分は「小倉時代の森鷗外の事蹟」を調査中で、その結果の一部を草稿にまとめたので一読してほしい旨、書かれていた。鷗外が小倉で暮らした「痕跡」は約40年が過ぎてほとんど残っていないが、その様子を間接的にでも知る人を見つけて話を聞きだそうというのだ。日記の不在ゆえの過去の空白を、現在の証言で再建する作業だった。

 

 冒頭でK・Mの田上に対する関心を綴った後、次の節からは田上自身の個人史が始まる。子どものころから舌と片足が不自由だったこと、学校では「ズバ抜けた成績」をあげていたこと、父を早くに失って母親と二人、貸家の家賃収入で暮らしていたこと。そして、文学好きの友人とつきあい、地元の文化人の手伝いをするうちに鷗外の「小倉日記」に関心をもつようになったという。宮部みゆきの「前口上」には、田上は「実在の人物」とある。

 

 田上は「『小倉日記』の空白を埋める仕事を思い立った」。関係者に当たり、「片言隻句でも『採集』しよう」というのだ。当時、地方の若者たちには柳田国男流の民俗資料収集熱が高まっていたから、その方法論を応用した面もあると著者はみる。その姿は「鉱脈をさぐり当てた山師」に似ており、そこには「一生これと取りくむ」という決意があった。ここで彼を駆りたてたのは、日記の不在によって「かくれている部分」の大きさだけではない。

 

 田上には、陰の動機もあった。それは幼年期の思い出だ。借家人のなかに「でんびんや」と呼ばれる年寄りがいた。早朝に鈴を鳴らして家を出ていく。「ちりんちりんという手の鈴の音は次第次第に町を遠ざかり、いつまでも幽かな余韻を耳に残して消えた」

 

 「でんびん」とは何か? ずっと謎だったが、その答えは鴎外の小説「独身」にあった。それは「会社の徽章の附いた帽を被って、辻辻に立っていて、手紙を市内へ届ける」仕事だった。邪魔な手荷物を自宅へ届けてもくれる。でんびんは伝便。鷗外は「小倉の雪の夜に、戸の外の静かな時、その伝便の鈴の音がちりん、ちりん、ちりん、ちりんと急調に聞える」と書いている。田上は、まだ見ぬ日記に「自分と同じ血が通う」ような感覚を覚えた。

 

 田上の聞きとり調査を追いかけてみよう。鷗外と直接の交遊があった人はほとんど亡くなっていたが、存命者もいる。その一人は、カトリック教会のフランス人宣教師。「森さんはフランス語に熱心」「時間は正確で、長い間遅刻はなかった」。当時、鷗外は陸軍第十二師団軍医部長。日月水木金とほぼ連日、勤めのある日は役所からの帰宅後に訪ねてきたという。「キモノに着更えて葉巻をくわえ、途中の道を散歩しながら来るのだといっていました」

 

 禅寺の老僧も鷗外を知っていた。「森さんは、寺の古い書きものや、小笠原家の記録など出して上げると、半日でも丹念にみて居られた」。小笠原家は旧小倉藩主だ。「そうじゃ、森さんは禅にも熱心でな」。別の寺で開かれる禅の会に出ていたことも教えてくれた。

 

 その寺に赴くと、住職らしい僧が「わしの祖父さんの代だし、何も分りません」とすげない。がっかりして帰途につくと、後方で「今、思い出した」と声がする。寺に当時のものとみられる魚板があり、寄進者の名が刻まれているという。「魚板は古くて黒くなっていた」。だが「その名前を見て耕作は息を詰めた」。7人のなかに鷗外の本名「森林太郎」があったのだ。寄進仲間の「身許」を調べれば、鷗外の交遊歴が見えてくるかもしれない――。

 

 田上の調査行では、母ふじの応援が大きかった。ある日、田上は鷗外の亡き友の妻を山あいの集落に訪ねたが、会えずに帰ってくる。ふじは息子の消耗落胆ぶりをみて、先方からどうあしらわれたかを悟る。「明日、もう一度行ってみよう、お母さんも一緒にね」。ふじは翌朝、人力車2台を呼ぶ。往復で8里(約31km)の道のりなので、生活費の半月分はかかる。「田舎道を人力車が二台連なって走るのは婚礼以外に滅多に見られぬ景色であった」

 

 言葉の聞きとりにくさや足の運びのぎこちなさは、疎外感を呼び起こした。そのことを察知したからこそ、母は力を貸したのだ。宮部「前口上」は、田上の営みを「身の置き所のなさ」が生みだしたものと受けとめる。田上には「自分自身の拠(よ)り所」が必要であり、それが鷗外の事蹟調査だった。「どうやったって生き難い世の中を生きてゆく」――そういう人間を描いたという一点で、この作品はまぎれもなく「純文学」なのだと強調する。

 

 田上の調査は、やがて急進展する。鷗外と親交が深かった新聞社の元小倉支局長に会えたことが大きい。それに魚板情報が重なって、鷗外の小倉人脈が浮かびあがったのだ。ではいったい、この作品はどういう結末を迎えるのか。それは、ここでは書かない。ただ、エピグラフのネタ晴らしにあるように小倉日記は見つかったのだ。本人の行動記録が明らかになった今、他者が周辺を調べまわって再構築した「事蹟」はどんな意味をもつのか?

 

 田上作成の「事蹟」にも、鷗外は確かに存在するように僕は思う。人間とは、他者との関係そのものだからだ。そこにいるのはきっと、伝便の鈴の音に聞き入る鷗外だろう。

(執筆撮影・尾関章、通算502回、2019年12月13日公開) 

 

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