『マッちゃん84歳 人生店じまいはムズカシイ』(沼野正子著、岩波ブックレット)

写真》アラ8を準備する

 僕にも介護に縛られる日々があった。おととし、母が老いて在宅で寝たきり生活の末、逝ったのである。家族や知人と交代で、病床を見守りつづけた。ヘルパーさんや訪問看護師さんが代わる代わるやって来る。訪問診療のお医者さんも、週1回の往診のみならず、容体の変化に応じて夜中でもかけつけてくれた。僕や家族はそうした支援ネットワークの中心にいて、問題が起こるたびに医療や介護の方針選択を迫られたのである。

 

 あの1年間は、それまでとはまったく異なるものだった。まずは、電車に乗って出かけることが激減した。キホンは地元町内にいて、ヘルパーさんや看護師さん、お医者さんをひたすら待っている。そこにあるのは、地域の医療看護介護圏という小宇宙だった。

 

 その渦中にあって、忘れていたことが一つある。それは、自分自身も遠からず看取られる側になるという世の定めだ。介護していると、自分は若いという錯覚にとらわれる。ヘルパーさんや看護師さんを手伝って、ベッドに横たわる母の体を動かしていると、自分は力仕事ができるのだから年寄りじゃない、と勘違いする。母に対して「今度は、息子さんのほうを向きましょうね」という声がかかるのを耳にすると、少年に戻ったような気にもなる。

 

 だが、これはとんでもない誤りだ。母の享年は89。その時点の僕の年齢は67。ザクッと言えば、20年たてば自分も同じ立場になる。ここで問題は、20年をどうみるかだ。誕生の瞬間からはたちになるまでととらえれば、長かったようにも思える。だが、2000年から今年まで、というなら短い。アル・ゴア対ジョージ・W・ブッシュの米国大統領選を顧みるように今年の大統領選を振り返るころ、自分は介護される側になっている。

 

 これにはもちろん、大きな前提がある。病気や事故なしに天寿を全うする、ということだ。そう考えると、僕たちの前途には二つの未来のいずれかがある。介護されるよりも前に世を去るか、あるいは、生き延びて介護されることになるか。どちらに転ぶかは自分で決められないので、後者になったときのことは今から考えておいたほうがよい。他人にかける迷惑を最小化して、それなりに心地よい生を送りつづける道を探らなければなるまい。

 

 で今週は、そんな未来を真正面から受けとめる本。『マッちゃん84歳 人生店じまいはムズカシイ』(沼野正子著、岩波ブックレット)。著者は1935年生まれ。東京芸術大学卒の絵本作家で、イラストレーターでもある。この本も漫画仕立て。実体験を綴ったエッセイのようにも読めるが、主人公の名は「マツノマツコ」となっている。話を普遍化するために虚構も交え、苦笑微笑を誘うスパイスも利かせたのだろう。2019年12月刊。

 

 最初の章は、主人公の自己紹介。「わたし、絵描(イラスト)屋マッちゃんことマツノマツコ、ただいま『アラ8』。絵本作家デビューは35歳」(改行なしに引用、以下も)。もともと夫婦と子ども二人の核家族。在宅で家事をしながら仕事をこなしていたが、実母が80歳になるころ、彼女を自宅に引きとった。そして今、「みんな、それぞれのところへ行ってしまい、気がつけば、我が身も『アラ8』!」。立場が逆転したわけだ。

 

 第2章は「この歳にならなきゃワカラナイヨ!」。書きだしで「この先の老化について考えはじめると、97歳まで長らえた、母親キイちゃんの晩年の人生は、あれでよかったのだろうか?」と自問する。「母親と娘だからといって、30年ぶりにともに暮らすのがどういうことか、まったく考えのなかったわたし」。親が老いれば、そばに寄り添うのが親孝行だとふつうは思う。だがそれが、ありがた迷惑に感じられることもあるらしい。

 

 キイちゃんは、それまで一人で家事を切りまわしていたが、ある夜、電話で「アタシこの頃なんだかヘンなのヨ〜」と言う。どうヘンなのかは、家を訪ねるとすぐわかった。食料品は1日1回、近所のスーパーに通って調達しているのだが、「気がついたら、冷蔵庫の中は、食べもしない同じ食べ物でいっぱい!」。認知能力に問題あり、の黄信号か。マッちゃんは「このままでは、まずい」「実行あるのみ」と母を連れ帰る決断をしたのだった。

 

 このあと、マッちゃんが頭を抱えている場面がある。「あの頃ワタシはキイちゃんを孤独地獄からつれ出したと思っていたけれど――」。ここで、キイちゃんの生前の姿が想起される。仏壇に向かって、「アタシはマツコにだまされてこちらにお邪魔しております」と話しかけていたというのだ。キイちゃんは結局、食事も家族と別にとるようになる。部屋で一人、テレビを観ながらだ。家庭内独居と呼ぶべきか。ここにも別種の「孤独地獄」がある。

 

 もちろん、マッちゃんの母思いが功を奏したこともある。近くの特養ホームのデイケアに週に2度、通うようになったときのことだ。当初はいやがっていたが、しばらくすると「なにを着て行こうかしら……」と、お出かけ気分で服を選ぶようになった。それを家族の前で着て見せて「派手かしら?」と聞くこともあったという。このとき、マッちゃんの夫ノブさんが「いやいやなかなかステキだよ」と答える場面には、ほっとさせられる。

 

 それもつかの間、ノブさんが急病で亡くなる。そして息子たちが結婚や転勤で独立すると、母娘の二人暮らしが始まった。切ないのは、娘がいないときの母の様子。玄関先の椅子で「ずーっと、マッちゃんの帰りを待っているのでした」。娘は、母の猜疑心の強まりにも手を焼き、困り果てる。そこで、ケアマネさん推奨の「お泊りステイ」を試みたのだが、母が数日後に帰宅したとき、「マッちゃんとの暮しを、まったく覚えていませんでした」という。

 

 キイちゃんは結局、病院の認知症専門病棟に入院した。きれいで広めの4人部屋だったが、入院している人は「それぞれの世界に生きているよう」だった。だが、なぜか歌を唄うときは、一斉に声を出した。たとえば、唱歌「ふるさと」のような歌を。

 

 と、ここまで書いてくると、身につまされることが多い。僕の母も一時期、デイケアに通っていた。そこでの最大の楽しみは、歌を唄う時間だったらしい。夕方、家に戻ってからも口ずさむことがあった。たとえば、「上を向いて歩こう」のような歌を。

 

 キイちゃんの話はさらに続く。マッちゃんが病院を訪れると、「ウメコちゃん」と声を掛けてきた。自分の妹の名だ。「あんたイイひとができたかエー」と切りだし、マッちゃんが適当な受け答えをしていると、今度は「わたしお嫁にイクのよォー」と衝撃の告白をする。そうかと思うと、「オカカなんしておるかのォー」と言いだすことも。オカカは、お国言葉で「おかあさん」のこと。「何やら時空を超えた会話」が飛び交ったのだ。

 

 僕自身の母も、最末期には息子を息子ととらえる認識がおぼろになった。「この人好き」「この人はいい人」と語りかけ、他人と区別することで自分の子との関係性を保ったのだ。あるいは、生まれ故郷の地名を口走ってみたり、子どものころの家族が今も近くにいるかのような言葉を発したりすることもあった。認知能力が下がるということは、なにものかを失うばかりではない。そこに僕たちの想像を超えた新しい世界が立ち現れるのだろう。

 

 この本の後段は、ほとんどが健康話だ。吐露されるのは、ある種の達観。医学がすべての病気の原因を突きとめ、治療法を見いだすことは困難、とマッちゃんはみる。「はるか昔の祖先から、つなぎにつないできた遺伝子とやらが、今の我が身にどんな仕業をしているのか、わかる縁(よすが)はありません」。わからないなら、わからないままでよい――老境の知は、なにごともわかろうとするばかりの現代科学が見落としている急所を衝いてくる。

 

 それにしてもマッちゃんがうらやましいのは、近所に行きつけの「カフェ・ハギノ」があることだ。顔見知りの店主やスタッフがいて常連客もいる。その店で病や死について語りあうことが、彼女の不安を和らげているように見える。ここで僕が思いついたのは、今の時代に社会が具えるべき3条件だ。町に喫茶店が存在すること、高齢者が1日1杯のコーヒー代を支払えること、そして、そこにしがらみのない緩い人間関係が生まれていること――。

 

 マッちゃんを見習って、僕もそろそろ、わからない未来の受け入れ態勢に入ろう。

(執筆撮影・尾関章、通算507回、2020年1月17日公開、同月18日更新)

 

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