『サザエさん』第一巻(長谷川町子著、朝日新聞出版)

写真》社会面の一角(朝日新聞2020年3月3日夕刊、同月4日朝刊)

 新聞の四コマ漫画は、不思議な存在だ。紙面の一角を占めていても報道ではない。作者の想像の産物だとしても芸術作品とは違う。これは、いったい何者なのか?

 

 一つには、「ほんわか」ということがあっただろう。四コマ漫画が載っているのは、たいてい社会面だ。世相を映すページで、事件事故を扱うことが多い。悲惨な話、げんなりする話がずらりと並ぶ日もある。一つぐらい、ほっとする話題がほしいではないか。

 

 もう一つは、「チクリ」。作者の風刺精神が問われるからだ。ただそれは、別のページに出てくる政治漫画とは趣が異なる。権力者の言動を皮肉って笑い飛ばすわけではない。市井の人々が自身の暮らしぶりを振り返って、自嘲気味に苦笑する雰囲気がある。

 

 「ほんわか」「チクリ」という大人びた役割があるからだろうか、四コマ漫画には、マンガだから子どもに受ける、という通念が成り立たないように思う。それは、幼年期を思い返してもわかる。当時、わが家では読売新聞をとっていたのだが、どんな漫画が載っていたかは思いだせない。小学校高学年のころ、朝日新聞に乗り換え、「サザエさん」(長谷川町子)や「クリちゃん」(根本進)を知ったが、それでも毎日読むことはなかった。

 

 四コマ漫画に馴染んだのは、むしろ、サラリーマンものの「フジ三太郎」(サトウサンペイ)からだ。1965年に朝日新聞夕刊で連載が始まり、79年に朝刊へ移り、91年まで続いた。開始時点で僕は中学生。会社の上下関係とはどんなものか、帰りがけの一杯は何のためにあるか、など知る由もなかったが、だからこそ興味を抱いた。さらに三太郎には、今ならアウトなほどエッチな一面があって、大人たちの本心をのぞき見た気もしたのだ。

 

 こうみてくると、四コマ漫画は新聞の必須品目であることがわかる。それは、記者の報道活動がすくいそこなった事実を「報道」しているのだ。サザエさんのような家庭人が日々体験していること、フジ三太郎のような勤め人が日々痛感していること――それらは、事件事故にはならない世相そのものだ。虚構の小話だからこそ切りだせる日常生活の実相を、読者は紙面の片隅で目の当たりにできるのだ。架空ゆえの真実が、そこにはある。

 

 で、今週は『サザエさん』第一巻(長谷川町子著、朝日新聞出版)。朝日新聞出版は、今年が著者の生誕100年にあたることから、シリーズ単行本の全68巻(姉妹社刊)を復刊することになった。この巻は、その第1弾として出された3冊のうちの1冊である。

 

 ここではまず、「サザエさん」の歴史を振り返っておこう。起点は1946(昭和21)年4月22日。連載は、朝日新聞ではなく九州・福岡の地方紙「夕刊フクニチ」で始まった。48年、東京の夕刊紙「新夕刊」に移り、49年には朝日新聞へ。最初は夕刊掲載だったが、51年〜74年、朝刊に連載された。第1巻所収の漫画はフクニチ時代のもの。46年4〜8月掲載分から選んでいる。並べ方は概ね時系列だが、必ずしも日付順ではない。

 

 特筆すべきは、これらの作品群の大半が終戦から1年未満のものということだ。とりあげられる話題には、引き揚げ、食糧不足、占領軍……と終戦直後ならではの物事が多く含まれる。当時、人々の心には苦い記憶が淀んでいたはずだが、作風はどこまでも明るい。

 

 あの戦争は、日本人だけでも内外で数百万人の生命を奪った。著者は終戦時に25歳。東京住まいだったが、戦時中、家族とともに福岡に疎開していた。その福岡も空襲に見舞われている。本人は西日本新聞社の編集局に勤めていたというから、戦禍の深刻さも知っていたはずだ。だが、サザエさんたちは大らかで、茶目っ気すらある。これは脚色ばかりではなさそうだ。人々がたくましく生き抜くには、そんな心のもちようが不可欠だったのだろう。

 

 第1回は、磯野家のご挨拶。母フネを真ん中にワカメとカツオがいる。フネが「サザエ!」と呼ぶと、ふすまの向こうから「ハーイ」と声がして、サザエさんが登場。湯気を立てた食べ物を手に、頬っぺたを膨らませて、もぐもぐ。オチは「どうも あんなふうでこまります」というフネのひと言。食べ物は焼き芋か、ふかし芋か。(新聞掲載では、せりふを原則としてカタカナ書きにしていたらしいが、この本ではひらがな主体に改められている)

 

 サザエさんのいでたちは、シンプルな洋装。長袖薄手のセーターに黒のベスト、スカートは黒の膝丈で裾先がチューリップ状に広がっている。ここで「黒」としたのは、絵がモノクロだからで、焦げ茶かもしれないし、濃紺かもしれない。なかなか、モダンではないか。そう、磯野家は驚くほど現代風なのだ。読み進むと、サザエさんが父波平のことを「ウチのパパ」と言ったり、母フネに向かって「ママ」と呼んだりする場面もある。

 

 ワカメとカツオが、俄か洋画ファンになる作品もある。「あたし タイロンパーワーすき」(ワカメ、原文のママ)、「ダービン 二どめのけっこんだってネ」(カツオ)。タイロン・パワーはアクション男優、ディアナ・ダービンは女優兼歌手だ。フネが困り顔でサザエさんの部屋をのぞくと、華やかな映画雑誌が散らばっている。終戦から1年を待たずして、日本の若者にはハリウッドへのあこがれが強まっていた。「鬼畜米英」の影はもはやない。

 

 サザエさんが街の書店で英会話本の看板を見かけ、さっそく買い求めるという作品もある。家に帰るのも待ちきれず歩き読みしていると、馬の頭とゴッツン。まだ、馬が荷車を引いていたのだ。彼女は、その最初の遭遇者に対して、さっそく「アイアムソーリー」。

 

 「戦後」を痛感させる作品も多い。まずは食糧難。サザエさんが「ひとつ めあたらしいだいよう食でもつくろかな」と、台所のラジオをつける。料理講座なのか、スピーカーからは「つぎに おいものきりくずやニボシのくずをいれます……」の声。言われるままに調理して糠を加え、攪拌して、さあ代用食のできあがりかと思うと「ただいまは ニワトリのえさについてもうしあげました」。食生活の水準が飼料並みだった現実がうかがえる。

 

 当時は、外地の人々が続々と帰郷していた。満州(現・中国東北部)からの引き揚げ家族を励ます会だろうか、サザエさんは接待係で、大荷物の夫婦とその子らの相手をしている。女の子が父親らしい人物にしがみついて「カアチャン」。連れの母親らしい人物が「きけんだったので だんそうしてきました」と説明する。引き揚げに身の危険はつきものだった。この話にはオチもある。母親もどきも実は父親の女装。「ボクは ようふくがないので」

 

 作品には、進駐軍も登場する。ワカメが買い物かごを提げて歩いていて「ねーちゃん パン一つおとした」。通りには「パン配給所」の看板を掲げた店。パンも配給制だったのだ。サザエさんは「よーく さがしてごらんよ」。二人がうつむいて地面を見回していると、1台のトラックが疾風のごとく走り抜ける。幌付きで、荷台の側面に「U..A」(原文のママ)。軍用車だ。路面にはパンがピザ生地のように広がり、そのうえにタイヤ痕がくっきり。

 

 米兵が顔を出すことも。どういういきさつかはわからないが、父波平が米兵と思しき男性を連れて帰宅する。客人ということだ。サザエさんは、庭先で二人が並んだ記念写真を撮った。その紙焼きを見て波平は驚く。長身の男性がにっこりほほ笑んでいる。だが、自分の姿は頭のてっぺんだけではないか。なるほど。ただこの作品からも、戦後日本社会がついこの間までの「敵」に対してさほど悪感情を抱いていなかったらしいことが見てとれる。

 

 戦後民主主義が市井にどう立ち現れたのかも、登場人物が教えてくれる。サザエさんが友だちと連れだって外出の途中、道に迷うという作品。友だちが交番の警察官に行き方を尋ねると、「かどをまがって四けんめです」。ここでは、「です」の2文字が重要らしい。「おまわりさんも民主化したわネ なんでもていねいにおしえてくれるワ」。戦前戦中を生き抜いたサザエさん世代には、巡査と言えば「おい、こら」という固定観念があったのだろう。

 

 サザエさんには歴史書からは切りだせない戦後がある。それは、平凡ゆえに力強い。

*引用した台詞には、読みやすいように本文にない半角アキを入れた。

(執筆撮影・尾関章、通算514回、2020年3月6日公開)

 

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