『偶然世界』(フィリップ・K・ディック著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF)

写真》テーブルの上の偶然

 カジノ誘致構想は、コロナ禍が勃発するまで経済再生の切り札扱いだった。これは「統合型リゾート(IR)」という訳がわからない名で呼ばれているが、皮を剥いでいけば中心に賭場がある。IRと言われて、カジノなしのリゾートを思い描く人はあまりいない。

 

 賭け事には、よほど強い吸引力があるのだろう。客全員の収支を足し合わせれば赤字になるはずだとわかっていても、賭場にやって来る人は後を絶たない。大損する客が多くても自分だけは違う、と思うのか。胴元が栄えれば地元も潤う。簡単な理屈である。

 

 もう一つ、賭けがらみでは最近、印象に残る言葉がある。ジャンボ宝くじのテレビコマーシャルで笑福亭鶴瓶が発するひとこと――「買わない、という選択肢はないやろう」だ。今昔の広告コピーを見渡しても、これほど強烈なメッセージはないように思う。買うしか選択の余地がないと断言しているのだから……。だが聞かされる側には、さほど抵抗感がない。宝くじがはずれて訴えを起こす人もたぶんいない。これも、賭けの魔力だろうか。

 

 私事を言えば、賭け事にはほとんど興味がない。若いころから、競馬、競輪、競艇のたぐいにハマったことはない。警察回りの記者だったころ、事件取材で競馬場に張りついたことはあったが、馬券を買う人たちの心理はついにわからなかった。馬は美しい。場内の開放感も高揚感も心地よい。なぜ、それだけで満足しないのか?――内心には、そんな思いがあった。とはいえ、世に競馬ブームが衰える気配はないから、僕は少数派なのだろう。

 

 話は飛ぶが、自分自身の原点に思いを馳せると、そこにも賭けがあったことに気づく。その物語は、父母の結婚に始まる。彼と彼女は戦後、見合いで結ばれた。言葉を換えれば、どちらにも不特定多数の候補がいたことになる。このうち、多数×多数の組み合わせのうち、たった一つが成立して、その結果、生を受けたのが僕というわけだ。人口に照らせば、当たりくじがめちゃくちゃ少ない宝くじで1等賞を引き当てたことに相当する。

 

 いやいや、もっとリアルに話そう。僕が生まれるにあたっては、もっとワイルドな賭けもあった。僕の源流の片方にある一匹の精子は膨大な数の仲間と競いあい、ついには逃げきって、もう一方の源流である卵子に飛び込んだのだ。その精子クンは、勝ち馬だった。それは、駿馬のように身体能力が高かったというだけではない。競争につきものの運不運が、すべてよい方向に転んだのだ。ここでも僕は、賭けに勝ったと言えるだろう。

 

 で、今週は『偶然世界』(フィリップ・K・ディック著、小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫SF)。著者(1928〜1982)は、米国シカゴ生まれのSF作家。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』などの作品で知られる。『偶然…』は1955年発表の長編第1作。原題は“Solar Lottery”。直訳すれば「太陽のくじ引き」か。邦訳は、早川書房が68年に『太陽クイズ』(ハヤカワ・SF・シリーズ)の書名で刊行、77年に改題、文庫化された。

 

 まずは、この小説の時代設定に注目しよう。最初の1行に「二二〇三年の五月初旬」とあるから、作品の執筆時点から見れば250年ほど先の未来だ。当然のことながら、世界の様相は、発表時の1955年とも現在の2020年ともまったく異なっている。

 

 地球には国というものがなお存在しているらしいが、その国際関係はもはや大問題でなくなっている。地球外にも「火星のワーク・キャンプ」など有人域があり、「九惑星連邦」という統治機構が生まれていた。最高権力者の職名は「クイズマスター」。クイズ番組の司会者というような意味がある。「執政庁」が置かれているのはバタビア。インドネシアの首都ジャカルタの旧名だ。太陽系の系都が、地球のアジアに置かれているのである。

 

 苦笑を禁じ得ないのは、バタビアを「インドネシア帝国の首府」としていること。1955年と言えば第2次大戦終結の10年後で、インドネシアはすでに独立しているが、それを「帝国」と呼ぶのはどうか。もっとも、同じ年にジャカルタ東方のバンドンで「アジア・アフリカ会議」が開かれているから、第三世界の盟主というイメージが強まっていたのかもしれない。ただし、「バタビア」の名はオランダ領時代のものだから、チグハグではある。

 

 さて、「クイズマスター」という呼び名の謂れについては本文に解説がある。それは、壮大な世界経済史だ。人類の生産力は20世紀に過剰となり、しだいに購買力が追いつかなくなった。22世紀後半に広まったのが、余った商品をクイズの賞品として分配する方式だという。ここでクイズとは、くじ引きめいたものを指しているらしい。こうして、くじ引きの仕切り屋が最高権力者となり、ついにはその地位も、くじで決まるようになったのだ。

 

 この未来では、社会や経済のしくみが壊れただけではない。「人々は自然律に対する信を失った」。物事は因果律に従うという通念が消え、「偶然事象の連続」ばかりが見えてきた――その世界像は、20世紀前半に確立した量子力学が影響しているのかもしれない。

 

 この小説では、「ボトル」という装置がもたらす「出鱈目(ランダム)な権力転位」によって、クイズマスターが入れかわる。劇的な政権交代だ。残念なことに、本文には「ボトル」の詳述がない。もし、それが量子力学にもとづいているならば、原子の状態遷移のような現象が考えられる。ただ著者は、さほど物理学に踏み込んでいない。本人は、カジノに置かれたルーレット円盤のような素朴な機械を思い描いていたのかもしれない。

 

 こんな政治システムが、なぜ生まれたのか。その事情は、登場人物が語ってくれる。ただ、ストンと腑に落ちるほど明快ではないので、僕なりの解釈を織り込んで読み解いてみよう。背景にあるのは、第2次大戦後に広まった数学者ジョン・フォン・ノイマンらによるゲーム理論。そこでは、考えられる限りの最大損失を最小に抑えるという戦法がある。「ミニマックス」と呼ばれる。ここでものを言うのが、ランダムさなのだという。

 

 ランダムさには、戦略家の分析が通じない。クイズマスターが失脚後、刺客を送って政権を奪還しようとするとき、側近はこう助言する。「あなたがランダムに行動するなら、あなたの敵はあなたの行動を追跡することはできない」「あなた自身ですら次に何をするかわからない」。そのランダムさを制度化したのが、ボトル方式だ。これなら万人がゲームに参加できるし、結果にも納得しやすい。「合理的なやり方」になりうるという。

 

 250年後の未来にはもう一つ、ランダムさが威力を発揮する理由がある。それは、内心の透明性だ。前クイズマスターが側近の助言を聞いて「われわれは計画をたてることができない」と不満を漏らすと、側近は冷たく突き放す。「ティープにかこまれていて計画なんぞたてられますか?」。ここで「ティープ」とは、他人の心を覗ける人のこと。核戦争の放射線被害による遺伝子変異で、そういう能力をもつ人々が出現したというのである。

 

 この小説の筋書きは、ひとことで言えば未来の権力争奪戦なのだが、そこでは権力者が優位にある。執政庁の「テレパス機関」がティープ軍団を擁して守ってくれるからだ。実際、新クイズマスターがバタビアに着任しようとするとき、機関の幹部が前クイズマスターの移動先を告げ、「きっとあそこから采配をふるうでしょう。彼の計画の一部はすでにキャッチしました」と伝える。ティープたちは、いつも感覚を研ぎ澄ましている。

 

 もっとも、それに対抗する先端技術もこの作品には登場する。前クイズマスターが政権転覆のために用意した刺客ロボットだ。外見は一人の人間の姿をしているが、頭脳のほうは次々と入れ代われる。そうすることで、ティープの追跡を撒く強みがあるのだ。

 

 幸いにも今、ティープ軍団は存在しない。だが、類似の機能が社会に備わりつつある。温泉へ行こうかと検索エンジンに地名を打てば、旅心が察知され、ホテルの広告が続々と画面に現れる。そうかと思えば、ソーシャルメディアを内心の吐露装置のように使って、胸中を世に曝す人もいる。ディックは、そんな心が透明な世界が「出鱈目(ランダム)」になるだろうと見抜いていたのか。この小説は、ネット社会の行き着く先も暗示している。

(執筆撮影・尾関章、通算516回、2020年3月20日公開)

 

《お知らせ》ちょっと休んで、新装開店します

 当欄は、私が新聞社に在籍中の2010年4月、記者ブログとして始めた「本読みナビ」を原点としています。以来、「文理悠々」(ブック・アサヒ・コム、2012年〜)、「本読み by chance」(個人ブログ、2014年〜)と看板をかえつつ、1週1冊のペースで読書の醍醐味を綴ってきました。来月、満10歳の誕生日を迎えることになります。

 さて、この機会に私は、当欄の大幅改装を決意しました。要点は、以下の二つ。

1)ブログの自前度を高める

2)ブログの自由度を高める

 1)については、新装ブログをWordPressで開設しようと考えています。これまではjugemのお世話になってきたのですが、これからはできる限り、自力で設計してゆくつもり。すでに着工していますが、コンピューター向けの人工言語まで用いなければならないので、試行錯誤の連続です。

 ということで、2〜3週の休業をお許しいただき、4月中の開店をめざします。

 2)については、再開時にその思いを語るつもり。

 次週金曜日は、「本読み by chance」としての最終回。

 ちょっと早めに、お知らせしました。

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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