『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(黒川光博著、新潮新書)

 僕が愛用してきた言葉に「男子スイーツ部」がある。男女共同参画の職場で女性から性のニュアンスをはぎとった「女子」という呼び方がはやりだして、裏返しの「男子」をぜひ使いたいと思っていたころに出会った。
 
 新聞社では、職場でみんなの注文を集めて、飲みものや食べものを配達してもらうことがままある。僕が大阪本社の論説委員室にいたころ、当時の社屋には社員食堂に喫茶コーナーがあり、内線電話一本であんみつもパフェも届けてくれた。昼下がり、息抜きに甘いものがほしくなると、率先して「スイーツはどう?」と同僚に声をかけた。そんなとき、「部員」を名乗ったのである。
 
 この言葉はいったい、だれが考えたのか。ネットを漁ると、そのものずばり「男子スイーツ部」を掲げるサイトがすぐ見つかるから、そこが本家なのか。あるいは、それに先立ってグルメ雑誌の類が発信源になったのか。新鮮でキャッチーな造語だなと感心する半面、ちょっと引っかかるところもある。「男子」と「スイーツ」がくっつくと、どうしてこうも目を引くのか。標準男子はスイーツと無縁ということなのか。
 
 自ら「男子スイーツ部」を標榜して、浮かれている僕などは、ポリティカル・コレクトネス――すなわち差別と偏見を排する立場から言えば、役割固定の囚われ人なのかもしれない。ここで「役割」と言うのは、料理を「つくる」「食べる」の話ではないのでドンピシャではない。それは、トイレ表示の多くが女子ピンク、男子ブルーに色分けされているようなことだ。そのピンクとブルーの同列に甘党辛党もあるように思える。
 
 幼い子に同型異色のおもちゃを選ばせると、女の子が赤っぽいものをとり、男の子が青っぽいものに手をのばすのはよくあることだ。だがそれは、生を受けて数年の社会体験で身につけた嗜みである可能性を否定できない。甘辛の好き嫌いも同様だろう。
 
 そもそも、甘党と辛党は相対立する党派ではない。野党が与党にすり寄るのは無節操ゆえのことが多いが、甘党が酒好きであっても辛党が甘味通であっても、論理矛盾はない。それを、ことさらに「両刀づかい」と呼ぶほうがおかしい。あえて言えば、ワインにはシュークリームよりもチーズが似合う、熱燗には羊羹よりもシシャモがぴったりくる、というだけのことではないのか。
 
 で今週は、僕の「男子スイーツ部」脱退宣言。これからは「スイーツ部男子班員」を名乗ることにする。とりあげる一冊は、甘いものは男女を問わず、人類共有の文化であることを痛感させてくれる本。『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(黒川光博著、新潮新書)である。
 
 著者は、和菓子業界の老舗中の老舗、東京・赤坂の「虎屋」十七代当主。「創業四百八十年。室町時代に京都を発祥の地として菓子屋を営み、明治維新とともに東京にも進出、現在に至る会社」の経営者だ。「御陽成天皇以来、虎屋は今日まで御所御用商人として歴代の天皇をはじめ皇室の方々に、また、宮中のいろいろな行事の折などに、菓子をお納めして参りました」。まさにセレブな甘味を究めた御菓子司(おんかしつかさ)のトップである。
 
 先代当主が1973年に創立した「虎屋文庫」は、菓子をめぐる古文献や古器物を収集、そのなかには「虎屋の古文書約八〇〇点」も含まれる。この本は、それらの史料を踏まえているので、一商家が肌身で感じた和菓子史になっている。
 
 ひとつ目を見張るのは、スイーツ業界の進取の精神だ。「虎屋に残る最も古い帳簿」にそれがみてとれる。寛永12(1635)年、御所に納めた菓子の品目明細である。大量の大饅頭、薄皮饅頭、羊羹などに交ざって、「有平糖」「かすていら」「かるめいら」「はるていす」といった西洋系の菓子も顔をのぞかせていた。日本が欧州とつながった時代、そこから流れ込む南蛮菓子の風味をさっそく取り込んでいたことがわかる。
 
 黒船来航後の幕末には、さらに洋風の波を受ける。万延元(1860)年、宮中の儀式に届けた「琥珀(こはく)まんぢう」がそうだ。「『琥珀』は砂糖と寒天で作ったゼリー状の菓子に使われる言葉」なので、涼やかな甘味だろう。おもしろいことに、それは「ぎやま徳り(ギヤマン徳利)」というガラスの器に入れられていたという。会席の甘味にもフレンチのデセールにもなりそうだ。スイーツは、性差どころか国境でもたやすく乗り越える。
 
 この本によると、「和菓子の完成期」は元禄年間(1688〜1704)とみてよいらしい。西鶴、近松、芭蕉、初代團十郎、光琳らが活躍したころだ。「京都では公家や僧侶あるいは武家や上層町人をも含んだ文化サロンが形成され、『源氏物語』や『古今和歌集』を素材にした芸術がもてはやされて」「意匠に工夫を凝らし、『古今和歌集』や王朝文学に想を得た雅な名前の菓子が登場するようになります」。
 
 こうした品名を「菓銘(かめい)」という。菓子を「味覚や触覚、嗅覚ばかりでなく、意匠を視覚で楽しみ、菓銘を聞いて聴覚でも楽しむ」。そんな時代の到来だった。虎屋には、当時のカタログとも言える「菓子絵図帳」が残っている。最古のものは元禄8(1695)年版。絵図帳を開くと、「しら(白)藤」や「さか(嵯峨)野」のような風雅な菓子群に出会うという。スイーツは詩心を結晶させた高度な文化なのである。
 
 この本のもう一つの読みどころは、江戸時代、政治経済の中心ではない京都で生き延びた虎屋の企業史だ。はじめは京の文化サロン効果もあって好調だった。正徳4(1714)年には、ほかの商家と共同出資して江戸にも店を出した。ただ、約半年で手を引く。江戸出店では京都の同業者に先行されていたこと、「幕府御用」はすでに関東商人が押さえていたことなどで苦戦を強いられたらしい。「撤退が早かったため」に損失は小さかったという。
 
 経営が苦しくなるのは、江戸中期以降のようだ。「朝廷の経済の逼迫」が深刻になったのである。それを裏づけるのは6代当主の日記。享保12(1727)年に「昨年一年間は御用代金を頂いていない」旨の記述があるという。官需に頼らぬ企業努力が求められた。
 
 そんななかで9代当主光利の経営手腕が目を引く。軸となるのは、文化2(1805)年から連発した社内文書だ。就業規則の「掟書(おきてがき)」、倹約マニュアルを盛り込んだ「定(さだめ)」、職掌規程に似た「店員役割書(てんいんやくわりがき)」である。
 
 この本には、掟書の要約が現代語で載っている。「良い提案があれば各自文書にして提案する」「製造にあたっては常に清潔を心がけ、口や手などをたびたび洗う」「御用のお客様でも、町方のお客様でも丁寧に接する」「お客様が世間の噂話をしても、こちらからはしない」「仲間を組んで悪いことをした者がいる場合は届け出る」。モラール向上、食品衛生、公平公正、個人情報保護、内部通報。昨今の企業が掲げる理念と見事に響き合うではないか。
 
 和菓子商人は日本の封建時代にいち早く近代の感覚を取り込んで、市民社会萌芽期の文化と経済を担ってきたと言えるだろう。それは、全国津々浦々にあった造り酒屋の立ち位置と重なる。この一点で、甘党と辛党は同じ重みをもっている。
 
 読んでいて思わずグッとくるのは、昭和20(1945)年5月の空襲で、店のある赤坂一帯が火の海になったときの話だ。店舗ビルは残ったが、工場と当主の居宅は失われた。このとき、「焼け落ちた赤坂の工場に別れを告げ、迫り来る熱風の中を近くの弁慶堀まで逃れた女子店員たちが、水につかりながらも工場の重要品袋を守り通した」のである。袋には「虎屋に残る古い史料」が入っていた。あえて水に浸して焼損を防いだものもあるという。
 
 僕たち「スイーツ部員」にとってよだれが出るほど貴重なスイーツ史の物証が、火の手に追われる「女子店員たち」の機転で生き永らえることができたのである。それもこれも、和菓子は文化だという意識が店の人々に浸透していたからだろう。
 
写真》羊羹。敬意を表して虎屋の一品を買ってきた=尾関章撮影
(通算239回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
<<普遍的なものを外来のものとして反発する風潮は嘆かわしい>>(虫さん)
たしかに、こうした短絡反応が目立ちますね。明治時代に欧米から「普遍」がどっと入ってきたことに対する反作用なのか。ほんとうは今回の本からもわかるように、日本社会にも「普遍」の価値は育っていた。価値吟味の基準を外来かどうかに置くのは、かえって内なる価値の本当の値打ちまで見逃すことになるのではないか。そんなふうに思います。
  • by 尾関章
  • 2014/11/27 3:50 PM
<<そういう人類史的「進化」に、ナショナリズムの観点から反発する風潮があるのは嘆かわしいことです(尾関さん)>>

全く同感です。たしかに人間にとって普遍的な道徳や倫理というものがあることは否定できないですよね。そして、さまざまな国や文化で、普遍的なものと矛盾する習慣や文化をあえて矯正する努力を続けてきた歴史があります。
その普遍的なものを外来のものとして反発する風潮は嘆かわしい。「行き過ぎた個人主義としての利己主義」なるものがあるそうですが、それを嘆く人々の狭いナショナリズムにその「行き過ぎ」がもっとも端的な形で現れているのがなんとも皮肉です。
  • by 虫
  • 2014/11/27 3:15 PM
<<郷に入って郷に従うか、それとも『美しい日本』を貫くか、いずれにせよ理論武装を欠かさないよう提言いたします>>(虫さん)
皮肉に富んだご「提言」、なるほどと思いました。
ひとこと付け加えれば、ポリティカル・コレクトネスをめぐっては、「郷」だけではない問題もある。たとえばジェンダーをめぐるコレクトネスでは、欧米にも過去の男性優遇社会に対する強い反省がある。それは、洋の東西を問わず共有すべきものでしょう。
そういう人類史的「進化」に、ナショナリズムの観点から反発する風潮があるのは嘆かわしいことです。
  • by 尾関章
  • 2014/11/27 11:53 AM
<<甘いものは男女を問わず、人類共有の文化である(尾関さん)>>

その通りですね。私の知る限り、甘いものを「オンナコドモ」と結びつけるのは「日本固有のオトコ文化」であります。そして、そのオトコ文化を尊んで継承する気概のある諸兄は、是非、理論武装して諸外国におもむいていただきたい。
また、フェミニズムやポリティカル・コレクトネスに挑戦する目的で渡米するのなら、日本で何気なく使っている日常的な表現に関しても十分な理論武装を。
例えば、「そうですねえ、オンナの足で10分くらいはかかると思います」と言った場合、相手の女性によっては論争になることは必定。
また、フェミニズムがらみではありませんが、「はい、お電話替わりました」をアメリカでも使い続けるおつもりなら、「はじめに女性が電話を取って、今、男性であるあなたに替わりましたよね。私にはその違いが分からないとお思いですか」と言われるか、まあ、言われないとしても、この種の丁寧が無礼か異様と受け取られる可能性は否定できないでしょうね。郷に入って郷に従うか、それとも『美しい日本』を貫くか、いずれにせよ理論武装を欠かさないよう提言いたします。



  • by 虫
  • 2014/11/26 4:13 PM
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