『ハンナ・アーレント――『戦争の世紀』を生きた政治哲学者』
(矢野久美子著、中公新書)

 どうしてこんなに冷めているのだろう。師走の今、そう思う。宵のにぎわいは10月末のハロウィーンに始まり、やがて青色LEDがあちこちで輝きだして、クリスマス商戦になだれ込んだ。そこに降ってわいた解散総選挙。それなのに、沈静感のある歳の暮れだ。
 
 居酒屋をのぞいてみよう。職場の飲み会、そして男子会、女子会の類が花盛りで、だれかが何かを言えば、ほかのだれかが合いの手を入れ、そのたびごとに全員でどっと沸く、ということを繰り返している。それはちょうどテレビのバラエティー番組から、大げさな笑い声が10秒とおかず波状的に流れてくるのに似ている。デシベル値は高い。それなのに、騒がしさが空回りしている。
 
 ダンボ耳を傾けると、その展開はだいたいこんなふうだ。真面目な発言に対して、ひとまず「ですよねえ」の反応がある。それでは盛りあがらないとわかると、どこかから笑いをとるひと言が飛んでくる。これを受けて「ナイスツッコミッ」「そっちから来たか」。ここで気づくのは、言葉のやりとりに切れ目がないことだ。どうやら、一瞬たりとも沈黙があってはいけないと思っているフシがある。こうやって会話はとめどなく回転していく。
 
 若者だけではない。シニアも似たり寄ったりだ。だれかがしゃべって、だれかが茶々を入れ、みんなでほどよく冷やかしあって締めとなる。若者集団ほど騒々しくはないが、耳が遠い分、声は大きい。にぎやかだ。心も温まる。その代り、むせるような熱気はない。
 
 予定調和の横行である。僕らシニア世代の飲み会に限って言えば、それは致し方ない。先行き、そんなに多くの時間は残されていない。つまらないところで傷つけあってどうする。互いの思想、信条、趣味、境遇の違いは違いとして、ひととき軽い言葉のいなしあいで癒しあおう。そんな意識がどこかにある。幸か不幸か、シニアはすでに人間関係に揉まれて角がとれ、こうした雰囲気を演出するのがまことに巧くなっている。
 
 だが、若者たちはそれでよいのか。ふと心配になるのは、その場の空気を読んで会話をつなぐことばかりに気をとられ、何を話したか、何を話しているのか、何を話したいのか、ということがどこかに吹っ飛んでいるように思えることだ。
 
 振り返って、僕たちが若かったころはどうだったか。友だちと飲んでいても会話はそれほど軽やかに回らなかった。異性とのあれこれを打ち明けあうにしても、政治向きのとんがった話題を論じあうにしても、映画やジャズや小説について訳知り顔で語りあうにしても、言葉のやりとりがときに心に摩擦を生じた。電気回路のように抵抗が組み込まれていたのだ。だからエネルギーが要る。そのぶん言葉は熱を帯び、心も熱くなった。
 
 で、今週は、そんな言葉の熱さを再発見させてくれる一冊。『ハンナ・アーレント――「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子著、中公新書)。初版刊行は今年3月。去年、映画「ハンナ・アーレント」が国内公開されたこともあってか、好調に版を重ねている。著者は思想史が専門の大学教授。この本では、ドイツのユダヤ人家庭に育ち、ナチスの圧政下で亡命を強いられて、後半生は米国で過ごした政治哲学者の思想と生涯を描きだした。
 
 ハンナ・アーレント(1906〜1975)が熱い言葉に囲まれていたのは、パリ亡命時代。そこには同様にナチスから逃れてきた批評家のヴァルター・ベンヤミンら錚々たる知識人がいた。フランスの社会学者や哲学者とも交流することができた。
 
 左翼活動家で二人目の夫となるハインリッヒ・ブリュッヒャーと出会ったのも、パリだ。その人脈で詩人や画家たちとも親しくなった。「こうした友人たちが集まったベンヤミンのアパルトマンでは、フランスの政治やユダヤ人問題、マルクス主義やファシズム、哲学や文学、さらにはそれぞれの生活状況のことなど、多くのことが語られ、共有されていた。こうして日々の糧(かて)を与えあわなければ生き延びられない状況があったのだ」
 
 全体主義の影が欧州大陸に広がろうとしていた時代、その抑圧を肌で感じてきた人々にとって、言葉を分かち合うことが知的生存の条件だったのである。たぶん、僕たちの世代が通り抜けた1970年前後とは桁違いの熱さが、そこにはあったのだろう。
 
 アーレントと言えば、避けて通れないのがマルティン・ハイデガーとの恋バナシだ。マールブルク大学の学生時代、「カリスマ的教師であったハイデガーの求愛を、アーレントは受け入れた」。ハイデガーには妻子があり、しかも「自身の研究や家族を何よりも優先」させたというのだから不倫の恋だ。その人は後に、ナチ党に入る。この本によれば、米国に渡り、戦後になっても彼女は彼にアンビバレンツの思いを抱きつづけていたらしい。
 
 転入したハイデルベルク大学では、カール・ヤスパースにも師事した。この師とは生涯、家族ぐるみのつきあいをする。ハイデガーとヤスパースという実存主義の系譜に連なる二大哲学者はアーレントの思想にどんな影響を与えたのか。著者は、その違いを指摘する。
 
 ハイデガーが「非凡な深みをもつが他者を欠く哲学者」なのに対し、ヤスパースは「判断」の人であり、「判断力は、他者の視点から世界がどのように見えるかを想像する力を前提としている」というのだ。アーレントの遺著『精神の生活』が、「思考」と「意志」の記述箇所でハイデガーと向きあい、「判断」の部分はヤスパースや夫ブリュッヒャーと響きあう本だとみる教え子がいることに触れて、著者はその見方を支持している。
 
 実際、アーレントはハイデガー的な側面とヤスパース的な側面を併せもっていた。「アーレントはヴァレリーの『私はあるときは考え、あるときは存在する』という言葉を思考の営みにたとえた。人は『現れっぱなし』のときは思考できず、人格をもった『ひとりの人間』になることもできなくなる。とはいえ、『引っ込みっぱなし』でも世界のリアリティと乖離(かいり)してしまうだろう」
 
 アーレントが考えつづけたのは「単独で人間がおこなうことと複数で存在することの関係」だった。独りになって「自己との対話を保持した想像力」をもつことは大事だが、「見捨てられた状態の『孤立』」は避けたい。進むべき道は「単独の生の領域を確保しながら、人びとを結びつけては離す『あいだ』の空間を生み出していくことでしかない」。この論理には、二人の師がもたらした二つの側面がともに見てとれる。
 
 自己を重んじ、併せて他者との世界共有を求める姿勢は、全体主義批判に通じる。アーレントによれば、全体主義の本質は「イデオロギー」と「テロル」であり、これらの支配下で「人間が複数であるという事実が破壊される」。それは「複数の人間のあいだにあり、人びとが同じものを見ているという意味で共有している世界の解体」を意味し、「人間が根こそぎロンリーであるという事態」が引き起こされるのだという。

 著者は、アーレントがイデオロギー的思考をどうみていたかをこう要約する。それは「過去・現在・未来について全体的に世界を説明することを約束する。そしていっさいの経験を無視して、予測不可能で偶然性に満ちている人びとの行為の特質と無関係な説明体系をつくりだす」。人の世の「偶然」に目をつぶり、「必然」を強要する体系に「孤立し原子化した人間」が「組み込まれる」。そうなると「ひとりの人間」に戻っての思考も難しいだろう。

  この本で通奏低音のように聞こえてくるのは、「思考欠如」に対する懸念である。著者は、アーレントが著書『人間の条件』で「新しい科学的・技術的知識」をどう用いるかは「職業的科学者や職業的政治屋の決定に委ねることはできない」と断ずるのを引いている。このくだりを読んで僕の脳裏をよぎったのは、福島第一原発事故まで原発立地のアクセルを踏みつづけてきた日本社会であり、そこにあったと思われる「思考欠如」だ。
 
 自分で考え、他人と語りあわなくてはならない問いは今、アーレントの時代よりずっと多くなっている。なのにどうして、ここまで言葉は軽く、冷めているのだろう。
 
写真》映画「ハンナ・アーレント」のDVD=尾関章撮影
(通算242回)

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
《みなさん一体何を考えているのだろう?もし誰かにそんな風なことを自分の方へ質問されたら…》(コーセイさん)
考えることよりも、その場の空気を壊さないこと、盛りあげることのほうが優先されているように思われますね。
  • by 尾関章
  • 2015/01/08 11:01 AM
尾関さんの前段の話、そちらの方が僕にとって興味深いです。食事したり飲んだりしてる方が、テレビ番組の中で、さわいで、はしゃいでる人とダブって見える、という話。みなさん一体何を考えているのだろう?もし誰かにそんな風なことを自分の方へ質問されたら…。パッと答えられるか?一度はみなさん、いや、日本の人、全員が、この際、考えた方がイイみたいですよね。
  • by コーセイ
  • 2015/01/07 4:32 PM
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