『行人』(夏目漱石著、岩波文庫)

 新春恒例の漱石である。1週1冊を心に決めて看板を代えながら続けてきた当欄では2012年以来、新年1回目には夏目漱石の本をとりあげてきた。どことなく、波長が合うからだ。「正月は、整ったたたずまいの文学が読みたくなる」「読んでいて陽だまりにいるように感じる作風が、新春気分にぴったりということだろうか」(「正月は漱石が読みたくなる」=「文理悠々」2012年1月6日付
 
 だが今年漱石を手にとりたくなるのは、そんな気分からばかりではない。もっと深いところから突きあげてくる衝動がある。漱石作品からは、明治、大正の日本社会に芽生えた近代の自我を強く感じとることができる。そこでは人ひとりひとりが個人の自覚をもち始めた時代の様相が、登場人物の心理や振る舞い、人間関係を通じて活写されている。リベラリズムが揺らぐ今、「個」の源流をもう一度掘り起こしたいという思いが僕にはある。
 
 おととし、「年の初めはシャイな漱石」「文理悠々」2013年1月7日付で紹介した短編「趣味の遺伝」(『倫敦塔・幻影の盾』〈夏目漱石著、新潮文庫〉所収)にも、群衆のなかに「個」が顔を出す瞬間があった。主人公が、新橋停車場で日露戦争帰還兵の凱旋に出くわしたときのことだ。将軍が姿を見せると、どこからともなく「万歳」の声があがり、自分も同調しかける。だが、日焼けした将軍の胡麻塩ひげを見て、その言葉をのみ込む。
 
 主人公は、老将の顔から「戦(いくさ)は人を殺すかさなくば人を老いしむるもの」と見抜いたのだ。戦勝の熱狂という抗いがたい渦のなかにあっても、「個」の思いを群衆の感情に優先させる意識がすでに成立していたのである。
 
 ここで僕は、「個」をことさら国家と対立させようとは思わない。当時の日本に国家意識が台頭していたのは間違いないが、人々の深層心理に浸透していたのは明治以前の忠孝思想だったかもしれない。漱石は、そこに頭をもたげた「個」を切りとったとも言える。
 
 近代の自我とは、右とか左とかいう政治の座標軸とは別次元にある。洋の東西を問わず、近代市民社会の成熟とともに人々の心に芽生えたものだ。昨今、それが置き忘れられているように見えるのは僕だけか。旧来メディアはもちろんネットメディアも含めて飛び交う声が大勢に流されている現実をみると、そんな危機感を抱いてしまう。群衆の歓呼のなかであえて「万歳」を踏みとどまる人が少なすぎる。
 
 で、今年は『行人』(夏目漱石著、岩波文庫)。1912(大正元)年暮れから翌年11月まで朝日新聞に連載された長編だ。ただ、著者の胃病悪化で途中5カ月間も休載された。中断後の展開は、中断前のそれと風合いを異にしている。
 
 ここに描かれるのは、東京・山の手に住むホワイトカラーの家庭。独身青年の二郎の目を通した物語で、その中心に学者である兄一郎とその妻直(なお)がいる。中断前は、この三人が織りなすスリリングな構図が一つのヤマ場をかたちづくるが、中断後は、兄の心のうちが彼の友人の観察によって深掘りされる。その内面の葛藤こそが最大の主題なのかもしれないが、小説としてのおもしろさは中断前にある。
 
 とりわけ、僕の心をとらえるのは直という女性だ。この作品に登場する男女は恋愛を経ないままに結婚したり、そういう結婚を当たり前のことと受けとめていたりする。僕たちが思い描く見合いではなく、相手をあてがわれるという感じの婚姻である。一郎と直も例外ではなかったようだ。だが直の心には、そうして結ばれた関係を無批判に受け入れず、距離を置いてみる感覚がある。ここでは、そこに焦点をあてたい。
 
 この作品は、二郎が「梅田(うめだ)の停車場(ステーション)」に降り立つところから始まる。梅田とは大阪駅のことだ。友人と大阪を起点に高野詣でなどをしようという旅行。あえて関西を書きだしの舞台に選んだあたりは、この連載小説が大阪朝日新聞にも載ることを意識していたのかもしれない。ただ、それは旅情を醸しだす一方で、二郎のいる中流家庭の日常に非日常をもたらす効果もあった。
 
 友人が急病になるという不測の事態で大阪滞在が長引いているところに、なんと母と兄夫婦が連れだってやって来る。「機会があったら京大阪を見たい」という母の念願が叶う旅ではあった。思わぬ合流で、一家は和歌山市郊外の和歌の浦観光に出向くことになる。
 
 和歌山に向かう汽車の車中。「母と嫂(あによめ)は物珍らしそうに窓の外を眺めて、田舎めいた景色を賞し合った」。ところが兄はそれに応じず、「何か考え込んでいた」。このときに始まったことではない。学究肌の気難しい性格。「何か癪(しゃく)に障った時でも、六(む)ずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をする」のである。その一郎が、和歌の浦の宿で二郎を外に呼びだして、爆弾発言をする。
 
 「実は直(なお)の事だがね」「直は御前に惚(ほれ)てるんじゃないか」。そして翌日になると、さらに衝撃的な頼みごとをしてくる。「実は直(なお)の節操を御前に試してもらいたいのだ」「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」
 
 二郎はしぶしぶ、直とともに日帰りで不自然な和歌山市中見物をするのを受け入れる。ここで著者は、小説の妙を生かして彼を窮地に追い込む。電車を降りると「不規則に濃淡を乱した雲が幾重(いくえ)にも二人の頭の上を蔽(おお)って」「何時(いつ)驟雨(しゅうう)が来るか解らないほどに、空の一部分が既に黒ずんでいた」。やがて、暴風雨のせいで帰りの電車がとまったことを知る。二人はしかたなく同じ宿で一夜を過ごすことになる。
 
 この日、二郎は直に苦言を呈する。兄に冷淡すぎるというのだ。直は「これでも出来るだけの事は兄さんにして上(あげ)てるつもりよ」「冷淡に見えるのは、全く私が腑抜(ふぬけ)のせい」と反論する。自身のことを「魂の抜殻(ぬけがら)」と言って憚らない。
 
 宿は停電で暗かった。「姉さん宿帳はどう付けたら好いでしょう」「どうでも。好い加減に願います」。蝋燭の灯のもと、二郎は嫂の名に「一郎妻(さい)」、自分の名に「一郎弟(おとと)」と律儀に書き添える。夕食前、電灯が一瞬明るみ、また消えた。「自分は電気燈がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、何時(いつ)の間にか薄く化粧を施したという艶(なまめ)かしい事実を見て取った」。一線を守りながら、危うさが顔をのぞかせる場面である。
 
 和歌の浦に戻った二郎は、一郎夫婦の関係を気遣う。だが「兄の頭に一種の旋風(せんぷう)が起(おこ)る徴候」は、直と十数分ほど言葉を交わすだけで収まったようだ。「自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠(はりねずみ)のように尖(とが)ってるあの兄を、僅(わず)かの間(あいだ)に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した」。そして直は、その「手腕」を思いのままに出したり引っ込めたりしているのではないかと疑う。
 
 日ごろの直は、一郎が帰宅すれば幼い娘を伴い、着替えの普段着を手に迎えるのが常だった。同居の義父母とも、それなりにうまく折り合っていた。明治の中流家庭が求める良妻賢母の枠をはみ出ていない。だが、二郎は違う側面をみてとる。
 
 「囚(とら)われない自由な女」、そして「凡(すべ)てを胸のうちに畳み込んで、容易に己(おのれ)を露出しないいわゆるしっかりもの」のイメージだ。「あの落付(おちつき)、あの品位、あの寡黙(かもく)、誰(だれ)が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々(ずうずう)しいものでもあった」。ここには、どこまでも学究として自らの生のありようを突き詰める夫とは別の近代の自我がある。
 
 2015年の今、夫婦の風景は大きく変わった。「魂の抜殻」が兆しただけで離婚を考える人も少なくないだろう。だが、そんな時代になったにもかかわらず、僕たちは本当の意味で自身と他者の自我を大事にしていると言えるだろうか。
 
写真》年のはじめに今年も漱石
(文と写真・尾関章/通算245回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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