『声』(松本清張著、光文社文庫『松本清張短編全集05 声』所収)

 年末年始、僕はミステリー漬けになった。本ではなく映像作品だ。うれしいことに正月休みに合わせて、CS放送のTBSチャンネルは朝から晩まで2時間ミステリー(2H)をほとんど切れ目なしに流してくれた。十津川警部ものや浅見光彦ものなどである。舞台となる町は北海道から本州、四国、九州へと、だんだん南下してくる。これらを拾い観ていると、なんだか自分まで旅歩きをしているような気分になった。
 
 それでも飽き足らず、レンタル店で借りてきた松本清張もののDVDも観まくった。「黒の奔流」「危険な斜面」「眼の壁」「内海の輪」。劇場ものもあったし、テレビの放映作品もあった。「十津川」や「浅見」が列島縦断の空間の旅なら、こちらは時間の旅だ。
 
 年代ものの映画やテレビを観る楽しみは、そこに出てくる大道具、小道具類にある。家の間取り、家具調度、そして登場人物がどんなものを着て、どんなものを食べ、どんな乗り物に乗っているか。それらのすべてから、時代の匂いを嗅ぎ分けられる。

 なかでも見落とせないのは電話だ。ざっくり色分けすれば、2010年代はスマートフォン、00年代なら折り畳み式携帯、それも最初のころはアンテナ付き、1990年代後半は畳めない細長携帯、それ以前は固定電話が優勢でプッシュフォン、1980年代半ばより前はダイヤル式も多かった。85年に世に出た「恋におちて―Fall in love
」(湯川れい子作詞)にも「ダイヤル回して手を止めた」とある。
 
 だから、週末昼下がりのBSなどで蔵出しともいえる昔の2Hを見ていると、最初の放映が80年代か90年代か、それとも2000年代に入ってからかをおおよそ突きとめることができる。これも、2H鑑賞法の一つである。
 
 さて、このめまぐるしい電話史は映画やドラマの制作者にとっては悩みのタネだろう。たとえば1960年代の小説を今に置き換えてドラマ化するとき、登場人物同士のコミュニケーションをどう描くかが難題になるからだ。原作に、家族や同僚の耳を気にしながら電話口でひそひそ話をする場面があったとしても、それが今は成立しない。スマホの電話やメールでなんなく密談できるからだ。きっと脚本づくりで苦心しているに違いない。
 
 で今週は、そんな置き換えが難しい清張作品。ダイヤル式の黒電話がどんと居座る1950年代半ばに執筆された『声』(松本清張著、光文社文庫『松本清張短編全集05 声』所収)という小説だ。筋立ては、あの時代の電話の使われ方に深く組み込まれている。
 
 この短編集の刊行は1964年。光文社カッパ・ノベルスの一冊だった。そのときに添えられた著者自身のあとがきで、所収作品の多くが「十八年勤めていた朝日新聞社を正式に辞めた」ころのものであることが明らかにされている。著者は、新聞社で長く広告意匠の仕事をしていた。退社は、すでに芥川賞作家となっていた1956年。今回、当欄でとりあげる表題作は「新聞社時代にベテランの交換手がいたことから思いついた」とある。
 
 小説は、主人公の高橋朝子(たかはし・ともこ)が「ある新聞社の電話交換手であった」という1行で始まる。この社では、交換手たちが24時間態勢でシフト勤務に就いている。「三日に一度は泊まりが回ってきた」というから、かなりハードだ。3人がチームを組んで泊まる夜は午後11時以降、順番で一人が1時間ずつ交換台に向かい、この間、残る二人は三畳部屋で仮眠をとるという。
 
 交換業務に1分たりとも空白を許さない。それは、かつて新聞社の常識だった。交換手が夜を徹して社外からかかる電話を受け、社内の当該部署につなぐという態勢は、最近まで多くの社がとっていたと思われる。事件事故発生の知らせが、いつどこから舞い込んでくるかもわからないからだ。ときに不愉快ないたずら電話もあるだろうが、それを大人の対応でかわしながら、新聞が外に向けて開く「窓」の役割を担ってきたのである。
 
 やがて部署ごとに直通電話が置かれるようになり、記者に携帯電話が行き渡った。日常の取材相手が代表番号に電話してくる機会はめっきり減った。そんなこともあって僕のいた新聞社でも交換手の深夜勤務はなくなり、それを警備スタッフが代行するようになった。
 
 この小説は、新聞社で夜勤の交換手がバリバリ活躍していたころの話だ。その忙しさは、僕が知っている1970〜90年代の比ではない。50年代は電話を受けるだけでなく、かける仕事まで押しつけられていたようなのだ。
 
 午前零時すぎ、朝子の前で受信の赤ランプが灯った。相手は社内。いきなり、「赤星牧雄さんの家にかけてくれ」という命令口調が聞こえてくる。社会部の石川デスクだ。「赤星牧雄さん」は東大の学者。僕は、これだけで「コメントがほしいんだな」とピンと来た。石川が深夜の架電について朝子に言い訳するくだりまで読み進むと、「えらい学者」死去の報を受けて「赤星さんの談話」が急に必要になったという事情がわかる。
 
 記者をしていると、こういう状況はままある。著名人の訃報だけではない。欧米のニュースは、日本が夜更けでも遠慮なく飛び込んでくる。なかには、識者談話が欠かせないものがある。科学関係などの外電では、ニュースの価値判断に専門家の助けを借りたくなることもある。だから真夜中に学者の家へ電話して、恐縮しながら話を聞かせてもらうことは珍しくない。だが僕たちの時代、ダイヤルを回す手間まで交換手任せにすることはなかった。
 
 しかも、石川の「かけてくれ」はダイヤル回しだけではない。番号探しまで背負わされる。「朝子は、いま、石川の言いつけで厚い電話帳を調べた。アの部、アカ、アカと指先で滑りながら、素早く赤星牧雄の活字を当てた」。相手が世帯主で氏名がわかっていれば、電話帳から番号に行き着ける。ほんの20年前まで、僕たちはそんな世の中にいた。隔世の感を覚える場面だ。それにしても昔の新聞記者は、社内でここまでえらそうにしていたのか。
 
 ただ、これを記者の傲慢とばかりは決めつけられない。締め切りが迫るなか、記者のわがままを交換手が聞き入れるということもあっただろう。新聞社には、速報のためなら職種を超えて力を合わせる気風がある。組織系統の上下とは無関係の連帯感だ。それは、石川の「おい、まだ出ないか?」「ずっと鳴らしてみてくれ」という督促に、朝子が「夜中だから寝てるんでしょう」「何よ? こんなに遅く」とタメグチで応じる様子からもうかがえる。
 
 このミステリーの鍵は、交換手たちの声の識別能力だ。「朝子は、社内の三百人くらいの声はたいてい知っていた」「二三度聞けば、その声を覚えてしまった」とある。識別範囲は、ときに社員に電話をかけてくる恋人や酒場の女性にまで及ぶというから怖い。「声の持主の微妙な癖、抑揚(よくよう)、音階など」を聞き分けるのだという。交換手の脳内には、受話器越しに大勢の声たちが個性をもって存在していた。
 
 小説の筋は、朝子が電話帳の検索ミスで間違い電話をかけてしまったところから思いも寄らぬ展開を見せる。すぐに正しい番号にかけ直したので仕事に影響はなかったが、間違った先の「赤星真造」宅がその時刻、殺人の犯行現場だったために火の粉が降りかかってくる。電話口に出た男はどんな声だったのか、参考までに社内300人の誰の声に近いかを教えてほしい。捜査官にそう促されて、かえって記憶がぼやけてくる――。
 
 この小説を読み終えて思いだされるのは、黒電話があったころ、世間には電話の声を仲立ちとする濃淡さまざまな人と人のつながりがあったことだ。電子メールがないので、なんであれ電話で事を進めた。携帯電話と違って相手の名前も番号もわからない。未知の人なら、どんな人物かを声の様子、息づかい、話しぶりから絞り込んだ。交換手ほどではないにしても、あのころの僕たちには受話器の向こうにニュアンス豊かな声の群像があった。
 
 そう言えば最近、僕がもっともよく電話で話す相手はITサポート窓口の人々だ。「お客さま」に対する丁寧な言葉づかいは見あげたものだが、返ってくるのはマニュアル通りの乾いた答えばかり。黒電話から聞こえた声の湿度が妙に懐かしい。
 
写真》家じゅう探しても黒電話はない。固定電話はファクス兼用。
(文と写真・尾関章/通算247回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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