『安井かずみがいた時代』(島崎今日子著、集英社文庫)
写真》この2枚組にもZUZUの訳詞2曲、作詞2曲
 
 あなたとは住む世界が違うのよね。そう言われたことが僕にはある。若かったころのことだ。相手は、ちょっと憧れていた女子だったから、目の前でいきなり電車のドアを閉められたような気がしたものだ。
 
 思えば、この世に世界はいくつもある。僕も、自分とは違う世界に幾度となく触れてきた。まずは理系の学び舎。文系アタマなので、場違いなところに来たなと思った。新聞記者の仕事も同様だ。駆けだしのころ警察署を回っていると、自分が自分でない気分に襲われた。
 
 ただ、理系であれ、新聞であれ、そこにある世界は、違和感を抱きながらも入り込むことができた。ところが「あなたとは住む世界が違うのよね」は、接触そのものを遮断している。手を伸ばしても届かない世界が、遠くに浮かんでいるような感じだった。
 
 1970年前後、日本社会には「あなたとは住む世界が違う」と言える華やかな一画があった。戦前の上流階級とは違う。戦後の成金富裕層や高学歴エリートとも違う。いまどきのセレブでもない。あえて死語を用いれば、イカシタ人たちがいるところだ。進駐軍文化の名残のようなバタ臭さ、湘南文化に通じるお坊ちゃまお嬢様感、スパイスとしての適度の不良っぽさ。それらが混ざり合う世界。くだんの女子も、そんな雰囲気を漂わせていた。
 
 こんな話をもちだしたのは先月、ミュージシャンの加瀬邦彦さんが亡くなるというニュースに接したからだ。享年74。がんのために自宅療養中で、自死だったようだ。彼がリーダーを務めたザ・ワイルドワンズは、数あるグループサウンズ(GS)のなかでも、バタ臭さとお坊ちゃま感、不良っぽさの3要件が適度に満たされるという点で群を抜いていた。エレキをやるが長髪ではない、というところにそれは表れている。
 
 触れがたいイカシタ世界にいた人も死ぬ。当たり前の話だが、そんな事実を次から次に見せつけられるこのごろだ。このままいくと、僕たちが見あげていた世界は脳裏から消えてしまう。だったら今、それを歴史の1ページにしっかりとどめておくべきではないか。
 
 で、今週は『安井かずみがいた時代』(島崎今日子著、集英社文庫)。著者はジャーナリスト。1960〜70年代に数々のヒット曲を生んだ伝説の作詞家、安井かずみの人間像を追い、家族や元家族、友人、知人、仕事仲間に会ってまとめた本だ。そこには、加瀬も出てくる。主体は2010〜12年に『婦人画報』誌に載った記事だが、書き下ろし部分もある。13年に集英社から単行本が出て、この3月に文庫化された。
 
 安井は1939年1月に生まれた(この本に出てくる家族の話では、これは戸籍上のことで、実際は前年のクリスマスらしい)。父は東京ガスの技術者。横浜で育ち、フェリス女学院で学んで文化学院美術科に進んだ。愛称はZUZU。1994年3月に永眠した。だれもが知る歌は「わたしの城下町」「赤い風船」「草原の輝き」などだが、僕には60年代初めの訳詞がピンとくる。たとえば「アイドルを探せ」。ポップスに乗る詞を書ける人だった。
 
 ポップス志向は加瀬も同じだ。この本では、ワイルドワンズを解散して沢田研二のプロデューサー役に転じたいきさつをこう語る。「せっかく日本の音楽シーンをポップなものにしていこうと思ったのに、GSがだんだん歌謡曲みたいになってしまったでしょ。だから、ジュリーで巻き返したいと思ったわけ」。バタ臭さやお坊ちゃまお嬢様感、不良っぽさと波長が合うのは演歌であるわけがなく、クラシックでもなく、モダンジャズとも少し違った。
 
 二人の出会いは1960年代半ば。慶大生の加瀬が寺内タケシとブルージーンズのメンバーになったころのことだ。「あの頃、ZUZUは加賀まりこちゃんやコシノジュンコさんと三人で集まることが多くて、よく『ご飯食べない?』と呼び出された。どういうわけか男は僕一人だけ。あの三人、ぶっ飛んでたから、普通の男なんかではまともに太刀打ちできない。僕は、なんとなくヘラヘラしていたから、よかったんじゃない?」
 
 ZUZU人脈の迫力は満点だ。その風圧は、フォークソングの吉田拓郎も受けた。1970年代前半、かまやつひろしの誘いで、安井がマンションの自宅で開くパーティーをのぞいたときのことだ。「スリー・ディグリーズの『荒野のならず者』が流れていて、コシノジュンコさんが踊りながら出てきたんです。とんでもないものを見たって思いましたね」。マンションはプール付き。「夜中になると男も女も裸になってプールに飛び込むんです」
 
 吉田拓郎は、「テレビ出演拒否」で芸能界主流に対抗していた。だが、「フォークの連中をどこか嘘っぽく感じていた」と打ち明ける。「ZUZUの家に行って、モデルが裸になったりしているのを見て、『これのためなんだよ、東京に出てきたのは』って。行きたい方向がはっきりした」。正直と言えば、正直すぎる告白だ。当時の若者、とりわけ地方出身者の目に安井や加瀬の世界がどう映っていたかのヒントにはなる。
 
 吉田が受けた衝撃は、安井の本づくりを手がけた編集者矢島祥子の記憶にも通じる。「それはそれは美しい部屋だった。玄関が広くて、高い天井まで届くような大きなドア、壁は赤茶色で、リビングの南側一面には白いブラインド。赤茶色の革製の大きなソファが置いてあった」「私は弘前の出身で、家賃一万一千円の六畳一間の風呂なし電話なしのアパートに住んでいた頃だったので、田舎娘がいきなり都会の洗礼を受けたという感じだった」
 
 こうした別世界を支えていたものは何だろう。この本からは、その下部構造も見えてくる。文筆家玉村豊男の証言。すでに安井作品の量産期を過ぎてからの話のようだが、「ある時、ZUZUは僕に『玉さん、毎日印税入らないの?』と聞いたことがあります。『音楽は毎日入るけれど本は一発出たらお終い』と言うと、『そうなの?』って。カラオケ・ブームも始まってましたから、彼女には印税が毎日入ってきたんでしょう」
 
 作詞は生産性が高い。作曲家平尾昌晃は、安井の仕事ぶりを「鍵かけちゃって、一時間でも二時間でも一人書斎に籠もって書くタイプ」と評しているが、著者はこれと矛盾する目撃談も、加賀まりこの本から引用している。「わたしの城下町」の詞が生まれた瞬間だ。「一緒に出かける予定で迎えに行った私の目の前で、20分で書き上げたのがあの詞だった」(加賀著『純情ババァになりました。』講談社)
 
 この詞に、加賀は「格子戸はくぐり抜けないわよ」と反応したという。後段に「四季の草花が咲き乱れ」とあるのも不自然な季節感で、メロディーをつくった平尾は「ZUZUらしいよね」とあきれ気味だ。ひらめいた言葉をさっと書きとめるのがZUZU流なのだろう。
 
 1960〜70年代は、はやり歌が大量生産され、テレビという太いパイプで家庭に流し込まれた時代だった。印税制度は、そこで巨富を生む。それがバタ臭さやお坊ちゃまお嬢様感、不良っぽさを増幅して、憧れの的の憧れの度合いをますます高めていたのではないか。
 
 この本で友人知人が漏らした思い出からは、今ならば「いかがなものか」と言われそうな安井の一面も見てとれる。彼女が「私はフェリスだから」と口にするのを度々聞いたという話。ある大企業の愛唱歌を作詞して詞の一節にNGの懸念が出たとき、経営者を「○○パパ」と呼んで直接電話で話をつけようとしたという逸話。いかにも昭和風の高ビーではないか。ハラスメントが御法度で、コンプライアンスが第一の昨今の行動基準にはなじまない。
 
 安井は1970年代半ば、ミュージシャンの加藤和彦と結ばれる。これを機に「独身仕様」の生活は「夫婦仕様」に取って代わられたという。この本には、二人の豪奢な暮らしぶりがつぶさに描かれているが、それは当時のバブルな世相と「住む世界」を共有していた。
 
 「あなたとは住む世界が違うのよね」という甘酸っぱい言葉は、バブルが膨らむ前、憧れが成り立つ時代だからこその殺し文句ではなかったか。ほぼ半世紀を経て、僕はそう思う。
《おことわり》著者名にある「崎」は、つくりの上部が正しくは「立」です。

(執筆撮影・尾関章、通算263回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
《「あなたとは住む世界が違うのよね」というのは、尾関さんに気があったかただった、と推測されます(笑)》(コーセイさん)
文末に(笑)とある通り、100%違いますね。
電車の話で言えば、乗れるか乗れないかで人生の筋書きに枝分かれが起こり、それぞれまったく様相の異なる未来が展開するという映画がありましたが(「スライディング・ドア」)、それはタイミングのちょっとしたズレによるものだった。一方、あのひと言はタイミングではなくてドアのほうが意志的に毅然と閉まったという感じ。その意味では、とてもさわやかでした。
  • by 尾関章
  • 2015/05/09 4:48 PM
尾関さん、コメント久しぶりにさせていただきます。で「若かったころのことだ。相手は、ちょっと憧れていた女子だったから、目の前でいきなり電車のドアを閉められたような気がしたものだ」と書いてありますが・・・そこからがよいところなんだと思われますよね。その女性が言った言葉「あなたとは住む世界が違うのよね」というのは、尾関さんに気があったかただった、と推測されます(笑)。そうじゃなければ、ふつうは、そういうことはあんまり言わないからです。で、その女性は尾関さんがそれから、どう出るか?心待ちにしていたと推測されます。ガーン!という感じにさせておいて・・・相手の男性が次に起こす行動は何か?これは世の女性が男を相手に楽しむ、よくあるパターンだと推測されます。あ、さっきから僕は「推測されます」と言ってますが、これは、あくまでも「その可能性がある」という意味です。ま、「かもしれない」って言ってもイイんだけれど、あの場合とはちょっと状況が違うから、分けて使ってみました。★ドアが閉まりそうなところを・・・けって!ドアをこじ開けて・・・「君と僕とはちがう、ってどうちがうんですか?」って聞いたらよかった、と・・・「推測されます」。あ、すみません!長くなるので・・・この続きはまたの機会に・・・。では!

  • by コーセイ
  • 2015/05/09 3:32 PM
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