『海を見ていたジョニー』(五木寛之著、講談社)
写真》マルの「レフト・アローン」
 
 いまではPTSDと言えば、ああ、あのことかと思う人がほとんどだろう。心的外傷後ストレス障害。なにかのトラウマで心の安寧が脅かされる。そんな心の病があることは、だいぶ世間に知れわたった。
 
 だが、この言葉がメディアに広まったのは、1995年、阪神・淡路大震災後のことだ。朝日新聞のデータベースでは、「PTSD」という用語を含む記事が1984年から94年末までにわずか8件だ。ちょっと自慢めくが、そのなかに僕が書いた記事が2件含まれている。一つは、旧ソ連チェルノブイリ原発事故の健康被害にかかわる連載(91年)、もう一つは、バルト海であった大型フェリー・エストニア号沈没事故のルポ(94年)だった。
 
 後者については、ひとこと言い添えよう。これは、欧州駐在時代に同僚とともに執筆した。僕が取材に出向いたのは、フェリーの行き先だったストックホルム。スウェーデンには惨事に見舞われた人やその家族のPTSDを防ごうという社会運動があり、このときも港でボランティアや医師、牧師、ソーシャルワーカーらが活動していた(朝日新聞1994年9月30日付朝刊「時時刻刻」)。この直後、震災後の神戸で同じ動きが起こったのである。
 
 世にトラウマとなる災いは多い。ただ、見落としてならないのは、朝日新聞が1984〜94年に載せたPTSD記事のうち残る6件が「帰還兵」をめぐるニュースや話題だったことだ。86年12月23日付夕刊には、米国駐在の科学記者がフロリダ州にある復員軍人庁の診療所を訪ねた報告が載っている。悪夢や幻覚に悩まされるベトナム帰還兵や彼らの支援をする医師、ソーシャルワーカーの肉声を聞いた先駆的な記事だった。
 
 帰還兵のPTSDは、ベトナム戦争に起因するものとは限らない。6件のなかには、湾岸戦争で英国社会も同様の問題を抱えていることを伝えた記事もある。どうやら、PTSDという概念が根づいたきっかけは天変地異ではなく、巨大事故でもなく、戦争だったらしい。戦場には、もっとも強烈なトラウマのタネがあるということだ。それが引き起こすのと同種の病が現代社会のさまざまな局面で見つかってきたのだとも言える。
 
 で、今週は『海を見ていたジョニー』(五木寛之著、講談社文庫)。単行本が1967年に出た短編集。その表題作をとりあげる。この作品を選んだ理由は、それが先週紹介したJ・Jこと植草甚一の『ぼくの東京案内』(晶文社)で激賞されていたからだ。
 
 「ぼくには忘れられない作品で、これを思いだすたびに、いつもきまってジェイムズ・ボールドウィンの短編『ソニーへのブルース』が浮かんでくる」「ぼくはこれこそ日本で最初のジャズ小説だと考えている」(「五木寛之のよくスイングする文章」=初出は『青年は荒野をめざす』〈文藝春秋社刊・五木寛之作品集3〉解説)。既読の気もするが、今回、まず図書館で借り、つづいてネット通販で中古本も買って味読した。
 
 ボールドウィンら米国の「黒人」作家は、日本では1960〜70年代に注目を集め、書店には早川書房の「黒人文学全集」が並んでいた。その真っ黒な装丁は今も忘れられない。なかを開くと、ジャズっぽい文体が満載だった。それと似ているということか。
 
 『海を見ていた……』の書きだしはこうだ。「少年の目の前に、ぬっと褐色の手がさしだされた。/『やあ(ハーイ)、ジュンイチ』/喉からでなく、胸の奥からひびく柔かい低音(バス)だった」。リズムはあるが、スイングというには端正すぎる。だから僕は、J・Jほどにはジャズっぽさを感じない。むしろ改めて気づかされるのは、自分は戦争と無縁と信じる人が大半だった1960年代の日本社会に戦場のキナ臭さが紛れ込んでいたことだ。
 
 舞台は港町。登場人物が「ラジオ関東」を聴いているので、おそらく横浜か横須賀だろう。淳一は母を早くに亡くし、父も入院中なので高校へ進まず、姉の由紀が開くスナック「ピアノ・バー」で働いている。米軍座間キャンプの一等兵ジョニーは馴染みの客だったが、ベトナムの戦地に送られ、一時帰休で日本へ戻ってくる。こうして久しぶりに店を訪れたのが冒頭のくだりだった。このあと小説は、ジョニーと淳一の出会いに立ち戻る。
 
 淳一が熱中しているのはジャズ。「小遣いは全部、レコードとモダン・ジャズ喫茶に」という日々で自分もトランペットをやる。海沿いの道から石段を降りて、水際で2〜3曲吹いていると、「ブラボー!」と言いながら大男が近づいてくる。それがジョニーだった。
 
 あだ名は「野牛(バッファロー)」らしいが、音楽を語らせると思想家のようになる。「悲しい歌がブルースだと思ってる奴がいる」「だが、それは違うな」と言って、「絶望的でありながら、同時に希望を感じさせるもの、淋しいくせに明るいもの、悲しいくせに陽気なもの、悲しいくせにふてぶてしいもの、俗っぽくって、そして高貴なもの。それがブルースなんだ」と説く。「学校の先生か、それとも牧師」というのが、淳一が受けた印象だった。
 
 それからしばらくしてのことだ。深夜の店内で、由紀が客の一人に突然、背中のファスナーを引きおろされる、という出来事があった。その客は、「蜘蛛(スパイダー)のハーマン」の異名をとる元プロボクサーの米兵。由紀の恋人マイクがビール瓶を割って先を尖らせ、それを手に歯向かおうとするが、ハーマンは動じないどころか逆に脅しにかかる。そこにたまたま現われたのが、ジョニーだった。「やあ、ジュンイチ。ここがあんたの店かね」
 
 マイクをかばったり、ハーマンをたしなめたりはしない。ピアノを見つけると「何とも無造作に〈レフト・アローン〉を弾きだした」。マル・ウォルドロンのピアノ、ジャッキー・マクリーンのサックスで知られるあの名曲だ。ジョニーはジャズピアニストで、しかもかつてはハーマンをリングで倒したことのあるボクサーだったのだ。「もう誰も荒っぽい大声を出さなかった。ジョニーのピアノの音は、新鮮な血液のように客たちの間に流れていた」
 
 ジョニーは戦地から「新しいピアノを買って」と送金してくる。由紀はそれをマイクの借金返済に充てたので、一時帰休時にピアノは古いままだった。だが、彼は怒らない。「わたしにはもうピアノなんか必要ないんだ」「もう弾けなくなってしまったのさ」
 
 圧巻は、それでも周りに請われてピアノを演奏する場面だ。「少年はその時はじめて本当のブルースを聞いたような気がした。ピアノが息づいて、人間のように呻いたり、嘆息したりするのを、少年は目をつぶって聞いていた」。淳一は、べた褒めする。「最高だ。何も言うことないよ。何か言うと嘘になる。素晴らしいブルースだったよ」。これに対するジョニーの反応は、「なんだって?」という予想外のひとことだった。
 
 ジョニーは、戦闘を振り返って言う。「罪のない人間を殺せない奴は、生きて帰れない。わたしは自分が信じられない人間になった事を知っている」「汚れた卑劣な人間が、どうして人を感動させるジャズがやれるだろう」「もし今のわたしのピアノが他人を感動させる良い演奏だったとしたら、わたしはもうジャズさえも信じられないことになる」。そして、小説は劇的な結末に突き進む。
 
 ナイーブと言えばナイーブに過ぎるジャズ論かもしれない。ジョニーと淳一を軸に織りなされるストーリーはおとぎ話のようでもある。だが、ここで今、半世紀後の視点に立つと、そのあと米国でベトナム帰還兵のPTSDが多発した事実が重みをもってくる。殺戮の現場に身を置いて心に傷が残るのは、レフト・アローンを奏でるジョニーだけではなかった。戦争は、無数の「ジョニー」を産み落としたのである。
 
 いま日本では「安全保障法制」の関連法案が国会にかけられ、若者たちと戦場を隔てる距離が縮まりそうな気配だ。そこで傷つく可能性があるのは、身体だけではない。ときに心も痛手を負う。「安全保障」を語るとき、ジョニーのことを忘れてはなるまい。
《おことわり》引用は、文庫版の記述を採用しました。ジョニーがブルースを語るくだり、単行本では「ふてぶてしい」の前に「弱々しいくせに」とあります。
(執筆撮影・尾関章、通算266回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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