『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下』
(オリバー・ストーン、ピーター・カズニック著、大田直子、鍛原多恵子、梶山あゆみ、高橋璃子、吉田三知世訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
写真》2015年8月6日朝、広島(NHK)
 
 風止まる8・6の8:15(寛太無)
 先日の句会に出した拙句だ。毎年8月6日の午前8時すぎ、NHKは広島から平和記念式典を生中継する。炎天下のことが多い。今年は大屋根が取りつけられたが、それでも扇子を開いて煽ぐ姿を見かけた。投下の時刻、風までも止んで、地球全体がヒロシマの1945年8月6日午前8時15分を想起しているように感じられる。
 
 第二次世界大戦の終結から70年。うち60年余を生きてきた僕にとって、原子爆弾とは何だったのだろうか。幼いころは、その恐ろしさをあまり実感することがなかった。広島、長崎の被爆から10年ほどしか経っていなかったのに、である。東京育ちで、周りに被爆経験のある人が少なかったせいもある。だが、それだけではあるまい。核兵器という悪の根深さは年を追うごとに輪郭を露わにしたのである。
 
 原爆が広島、長崎の上空で炸裂したとき、人々の多くはDNAの存在をまだ知らなかった。核の禍を、そのしくみにまで立ち入って理解することができなかった。人を含む生きものの根幹には一つひとつの細胞に収められたデオキシリボ核酸、すなわちDNAの鎖があり、それこそが生命体の設計図であるとわかったのは、8年が過ぎた1953年のことだ。核爆発とその残留物がもたらす放射線は、その設計図を乱してしまう。
 
 1954年には、マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が水爆実験の放射性降下物を浴びて、生命を奪われた。歳月を経て、広島、長崎の被爆者にも晩発の症状が現れてくる。そして、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で原子力平和利用の危うさも露呈された。原子核のエネルギーは善用のつもりでも途方もない災厄を起こす。まして、兵器として悪用すれば……。原爆の怖さは、都市をまるごと木端微塵にする破壊力だけではなかった。
 
 70年前の原爆投下を正当化する議論が、欧米にはある。このあいだ朝日新聞の戦後70年をテーマとする記事(2015年7月27日付朝刊、梅原季哉記者)に、長崎上空で原爆を落とす瞬間を撮る米軍機に同乗した英国軍人、故レナード・チェシャーの話が出ていた。戦後は障害者福祉に力を尽くした人だ。著書には「嫌悪感がこみ上げてきた」「大いなる後悔の源」という記述があるが、一方で原爆の「正当化論」も口にしていた、という。
 
 記事によると、彼は1945年秋、英首相クレメント・アトリーに「原爆には戦争の意味をなくすだけの威力があり、各国が保有すればむしろ平和につながる」と報告した。91年には国際会議で「原爆投下が戦争を早く終結させ、多くの人の命を救った」という趣旨の論陣を張った。前者は、核保有が偶発の危機を招くおそれを過小視しているので僕は同意しないが、そんな理屈もあるのかなとは思う。だが、後者は到底納得できない。
 
 で、今週は、原爆が戦争終結を早めたという論理を米国側の視点から懐疑する本。『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下』(オリバー・ストーン、ピーター・カズニック著、大田直子、鍛原多恵子、梶山あゆみ、高橋璃子、吉田三知世訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。ストーンは映画監督、脚本家、プロデューサーであり、「プラトーン」「JFK」などで知られる。カズニックは歴史学者だ。
 
 原著の刊行は2012年。邦訳は翌13年、早川書房が単行本全3巻を出した。戦後70年に合わせるように3巻が文庫化されたのは、この7月のことだ。僕は、その第1巻を読んだのだが、ここでは「原子爆弾――凡人の悲劇」と題された章に焦点を絞る。
 
 「凡人」とは、原爆投下時の大統領のことだ。前年1944年の大統領選挙で、民主党幹部は「ルーズベルト大統領は健康が優れず、四期めをまっとうできるとも思えない」とみて、後継大統領含みの副大統領の候補から現職を外し、「ミズーリ州選出の凡庸なハリー・トルーマン上院議員を選んだ」。資質をみてのことではない。「毒にも薬にもならぬ彼には敵と言えるほどの敵もおらず、もめごとを起こす心配もない」と判断したからだ。
 
 筆頭著者が映画人だからだろうか、この本はトルーマンの人物像をいくつかの書物をもとに幼少期から再現する。「牛乳瓶の底」のような眼鏡をかけていて仲間とスポーツもできず、「孤独になり、劣等感に苛まれ、それを克服しようと苦闘した」。そんな記憶を背景に「自分が意気地なしではなく、スターリンを相手に自分が優位に立つことを証明した」のが、大統領になってまもなく、1945年夏に手にした原爆だった。
 
 もちろん、孤独や劣等感を悪の源泉とみるのは誤りだ。著者も、そんな短絡思考には陥っていない。ただ、文献を漁って関係者の証言を拾い、それらを重ね合わせる作業によって、僕たち読み手を一つの推論に導く。それは、大統領の子どもじみた「優位」願望さえなければ、米国は一線を踏み越えることはなかったのではないかということだ。政治指導者の心のありようが悪夢の引きがねになるのだとしたら怖い。
 
 ここに書きとめたいのは、大戦末期の米政府中枢に原爆なしでも対日戦争は終わるという認識があったことだ。たとえば、ハンガリー出身の亡命物理学者で、米国の原爆開発を促しながら完成が近づくとそれを使わせまいと奔走したレオ・シラードの証言。
 
 1945年5月末、大統領側近で、ほどなく国務長官になるジェームズ・バーンズに進言しようとしたときのこと。「バーンズ氏の回答は、戦争を終結するためには日本の都市に原爆を使用せざるを得ないというものではなかった」「彼はそのときすでに日本が敗北したも同然であるのを承知していた」。そこにあったのは冷戦の先取りだ。「彼は原子爆弾の保有・示威行為によってヨーロッパにおけるソ連の影響力を抑えられると主張していた」(1)
 
 6月には、海軍次官がヘンリー・スティムソン陸軍長官に宛て、米国が「崇高な人道主義を掲げる国家」ならば、日本に対してソ連の参戦と原爆の開発を警告すべきだ、と訴える。陸軍次官補も、天皇制を認めることなどを約束し、それでも降伏を拒むなら「きわめて強力な破壊力をもつ兵器」を使わざるを得ないと日本に伝えるべきだ、と大統領に具申した(2)。原爆を威圧のカードにとどめたいという空気が伝わってくる。
 
 スティムソン自身も「原爆使用に深い懸念を抱いていた」。原爆は「フランケンシュタインの怪物のようなものかもしれない」と日記に書く。著者によれば、「彼は日本人に天皇制の存続を確約するようトルーマンとバーンズ相手に何度も説得を試みた」が聞き入れられなかった。大統領とともにドイツのポツダムに滞在していた7月中旬には「日本は条件付きの降伏を認められるなら戦争終結を望んでいる」との情報が届いていたのに、である。
 
 これらの事実を並べた後、著者は書く。「原爆が戦争終結につながったという誤った信念を抱いてきたアメリカ国民の八五パーセントは、原爆使用を是認している」「しかしアメリカ国民の大半が知らされていなかったのは、アメリカ軍の最高指導者の多くが原爆使用を軍事的には不必要であるか、道徳的に非難されるべき行為ととらえていたという事実だった」。日本国民の大半も「知らされていなかった」と言ってよいだろう。
 
 話を1944年の大統領選に戻すと、副大統領候補として最有力視されていたのは、現職で植民地主義に批判的なリベラル派、ヘンリー・ウォレスだった。民主党大会で保守派の画策に遭い、その座を奪われる。「トルーマンではなくウォレスだったとしたら、アメリカはどのような国になっていただろう」。原爆は? 冷戦は? 公民権や女性の権利は? 科学と技術の恩恵は? 著者はそう畳みかける。それを読んで僕もまた歴史のイフを思う。
 
(1)Alperovitz,“The Decision to Use the Atomic Bomb”147
(2)Bird and Sherwin,“American Prometheus”300
《おことわり》訳者の一人、鍛原多恵子さんの「恵」は、正しくは旧字体です。
(執筆撮影・尾関章、通算276回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
《圧倒的多数は、「それでは真珠湾はどうなんだ」という、なかば感情的な反応を返してくる》(虫さん)
この本にも「真珠湾の『奇襲』によって、アメリカ人の反日感情はいやが上にも高まった」という一文があり、戦時の米国で日系人が体験した苦難が詳述されています。
その一方で、日本に妥協案を示してでも原爆なしの降伏を促そうとする動きが米軍上層部にあった。そこからは、原爆はふつうの兵器ではなく人類規模の危機をもたらす魔物だという認識が見てとれる。彼らが核開発の機密を知る人々だったからこそなのでしょう。情報が隠されることの怖さをみる思いがします。
  • by 尾関章
  • 2015/08/08 12:05 AM
尾関さん

私にはアメリカとのそれなりに長い関わりがあるのですが、アメリカ人と「ヒロシマ・ナガサキ」について語ることを避けるようになりました。「原爆が戦争の早期終結をもたらしたか」という議論以前に、圧倒的多数は、「それでは真珠湾はどうなんだ」という、なかば感情的な反応を返してくるからです。私が関わってきたアメリカ人たちの知的レベルがあまり高くなかったということなのかも知れませんが(笑)。
しかし、これが私の実際の経験なのです。一般のアメリカ人たちにとって、真珠湾奇襲の非道徳性と原爆の非道徳性とは同等であるというのが現実でしょう。これを、原爆投下に関わる良心の呵責の解消心理と取るかどうかはともかくとして、原爆が戦争の早期終結をもたらしたどうかというテーマをアメリカの一般大衆が自分のものとしているかと問われれば、否というのが今の私の答えと言えそうです。
  • by 虫
  • 2015/08/07 6:26 PM
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