『顔に降りかかる雨』(桐野夏生著、講談社文庫)
写真》フロッピーがあった頃
 
 60年余を生きてきて、思ってもみなかったことはいくつも体験している。私事を言えば、新聞記者になるという未来図は少年のころ頭の片隅にもなかった。個人史とはそんなものだ。思いも寄らないことの蓄積が人生だと言っても言い過ぎではない。
 
 では、世界史はどうか。小さな出来事は偶然の産物だとしても、大きな流れは必然の定めに従う、という歴史観がかつては卓越していた。封建制から資本主義が芽生え、やがて社会主義、共産主義の世へ移っていく。それが、どういう手順でどれくらいの速さで進むかは別として、逆流することはない。そんな思い込みがあった。ところが1990年前後、「思ってもみなかったこと」が起こる。
 
 1989年11月のベルリンの壁崩壊。91年12月のソ連崩壊。一つめは、世界を政治体制で「東」「西」に二分していたカーテンが取り払われたことを意味する。二つめは、消滅したのが西ではなく東の中心だったということだ。「必然」の流れで言えば未来にあるはずのものが先に退場してしまった。これは、僕のように政治イデオロギーとは疎遠だった者にも、心にぽっかり穴が開くような虚無感をもたらした。
 
 興味深いのは、それが日本社会の変容と歩調を合わせたことだ。1990年前後、日本経済は地上げという言葉に象徴されるような投機マインドで膨らみきっていた。都心やウォーターフロントのディスコが賑わい、お立ち台でボディーコンシャスな装いの女たちが踊る。そのバブルがほどなくして、はじけたのである。あのころの僕たちは、ボディコン女子のように景気の高みで舞い、そこから一気に突き落とされたのではなかったか。
 
 物価と給料は上がりつづける、土地をもっていれば損はない、といった成長神話は崩れた。学校を出て会社に入り、定年まで勤めあげれば、そこそこの老後が待っているという安定神話も揺らいだ。世界の激動期、僕たちは日本国内でも「思ってもみなかったこと」を別のかたちで実感していたことになる。それが、あの時代ならではの心のありようをもたらしたのは間違いない。
 
 で、今週の一冊は、そんな時代状況を見事に切りだしたミステリー小説。『顔に降りかかる雨』(桐野夏生著、講談社文庫)。『OUT』『魂萌え!』『東京島』などを連打してきた著者の初期代表作だ。1993年に江戸川乱歩賞を贈られている。
 
 バブル末期の日本社会で危うい世界に片足を突っ込んでいた人々を描きながら、それに壁崩壊直後のドイツ社会の混乱を絡ませる。ハードボイルドタッチのミステリーでありながら、地球規模で同期した心の不安定が浮かびあがってくるところがおもしろい。
 
 主人公は村野ミロ、32歳。私立探偵の父に育てられた。大学を出て広告代理店に勤めていたが、今はやめている。結婚していたのに、上司との仲を噂されたのが退社のきっかけだった。恋愛関係とは言えなかったが、「互いに魔がさした瞬間があった」のは事実だ。夫はジャカルタに単身赴任中だったが、噂を察知して自殺した。彼女が離婚を望む手紙を出してまもなくのことだった。そんな心の傷が癒えないなかで事件に巻き込まれる。
 
 ミロの友人である宇佐川耀子が突然姿を消したのだ。耀子の交際相手で中古外車販売業を営む成瀬によれば、「預けた一億円ごと、どっかに行ってしまった」。金は親会社のものだという。それは、やくざともつながりのある企業。裏金なので紛失や盗難の届けも出せない。会長は、成瀬とミロに「ともかく、二人で探せ。女と金を早く見つけて来い」。無理筋で押しつけられた主人公の友人捜しが、このミステリーの本筋だ。
 
 耀子は、ノンフィクションライター。自室は「すべての物がひっくりかえされ」「ものすごい惨状だった」が、「ワープロだけは狼藉(ろうぜき)を免れていた」。ただ「フロッピーディスクを入れる部分が、空っぽ」で「システムファイルも何も見つからない」。事務所にも「やはり原稿の入ったフロッピーは一つもないようだった」。ワープロにフロッピーを出し入れして原稿を書いていたころだ。その消えたフロッピーが事件の鍵なのか――。
 
 親会社の会長と成瀬との出会いは、いかにもあの時代らしい。会長の回顧談。「私とどこで知り合ったと思いますか? 大昔のトウコウですわ。トウコウなんて知らないでしょう。東京拘置所(こうちしょ)」「私は恐喝(きょうかつ)。こいつは学生運動で入ってきててね。いやに頭の切れる奴だと思って聞いたら、東大全共闘だって」。それで自動車販売という生業を世話したという。世代も信条も異なる者同士が、そんな契りを結ぶ余裕があった。
 
 耀子も、まさに時代の子である。ミロとは高校の同級生。信用金庫に就職するが、ほどなくライターになった。ミロのような旧友には「あたしね、『高卒魂』忘れないんだ。だからやれるの」と心の内を明かすが、経歴を知らない人には「うちの大学じゃ、そんな手抜きの講義はなかったわ」などと言ってのける。真偽どちらの言葉からも、強い上昇志向が感じとれる。男女雇用機会均等の法制が整い、女性たちを鼓舞する気運は高まっていた。
 
 彼女の出世作は『従う肉体』という本。「若い女の子がスレイブやミストレスのボンデージのコスチュームを好んで着たり、からだじゅうにピアスをしたりして、ソフトSMの世界に入っていく過程を細かにレポートしたもの」である。耀子自身、SMショーの出演体験を綴り、表紙ではボンデージ姿も披露したので、評論家から「経験値文学というジャンルを確立した」などともてはやされた。
 
 彼女の周辺には、バブルの密林から出てきたような人物がうごめいている。たとえば、女装の霊感占い師ジュヌヴィエーブ松永。仕事場のドアに「プラスチックの葡萄(ぶどう)の葉や木蔦(きづた)がはいまわり、デパートのワイン祭りのような飾り付けがされている」。あるいは、耽美小説の書き手であり、ヴァイオリンの弾き手でもある川添桂。「暗黒夜会 エロスとディシプリン」と題するパフォーマンスを催したりする。
 
 その夜会は、こんなふうだ。「ハウスミュージックが突然かかり、同時に、小さなステージにぴっちりした黒いラバーのブラとショートパンツを身につけた美しい女が現れ」「房鞭を片手に、けだるく踊り始めた」。女や男のストリップがあった後、モノクロのビデオが映写される。ひと目で死体とみてとれる白人女性が、ステンレスの台上に横たえられている。解剖シーンだ。川添には、変死体の写真を集めるというおぞましい嗜好があった。
 
 ミロと成瀬が、耀子の謎を追って大手出版社を訪ねると、編集者が彼女の近況をこう語る。「実は、今度のルポはすごく力が入ってましてねえ。今までのフェティッシュものでは賞が取れないということで、O賞狙いの作品なんですよ」。O賞は「ノンフィクション物の一番権威ある賞」というから、大宅賞をイメージしたらよいのだろう。「今度のルポ」で彼女が取材に赴いたのが、大陸の向こう、壁崩壊後のベルリンだった。
 
 耀子は、助手にも「すごく面白いスクープつかんだから」と漏らしていた。「殺人の現場に居合わせたことがあるらしいんですよ。それはネオナチ同士の抗争だったらしいんですがね」と編集者。第1稿に加筆して、新事実を盛り込もうとしていたという。
 
 この小説では、登場人物の弁護士がネオナチを分析してみせる。その言によれば、彼らが旧東独で台頭した背景には「経済不振」があるという。統一で東の生活水準が西に追いつくと思われたのに、そうはならない。「外国人が大量に入ってきて仕事を奪う」という現実に反感が募った。加えて、社会主義統一党支配の終焉。「アンチテーゼとして圧(おさ)えられていたナチス信奉が急激に浮上してきたのだ、という考えかたもあるようですね」
 
 片や資本主義バブル社会の爛熟と腐乱、片や社会主義独裁体制の崩壊と反動。ユーラシアの両端で人心と世相の不安定が同時発生した。あのとき僕たちは、そんな共振の位相を目撃したのではないか。
(執筆撮影・尾関章、通算277回)
 
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