『歴史とは何か』(E・H・カー著、清水幾太郎訳、岩波新書)
写真》2015年8月のカレンダー
 
 今年の8月は、過去を顧みることの連続だった。一つは、第二次世界大戦の終結からちょうど70年が過ぎたことだ。もう一つ、日本航空ジャンボ機墜落事故から満30年の節目でもあった。10年単位の区切りは、戦禍や事故で生命を奪われた人々にとって意味があるわけではあるまい。だが、生きている者には自らの思いを新たにする機会となる。戦後70年の今夏は、負の記憶を風化に抗してどう受け継ぐかについて深く考えさせられた。
 
 たとえば、安倍晋三首相の戦後70年談話。その良し悪しは、ひとまず措こう。ただ、そこに一つ矛盾があることは気になってしようがない。親安倍、反安倍の立場は別にして、そのことがもっと論じられたらばよいと僕は思う。
 
 談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と、謝罪の意思を引用のかたちで表しながら、しばらく後で「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言い添えている。
 
 安倍さんは1954年生まれ。彼自身もまた「あの戦争には何ら関わりのない」世代なのである。それでも日本政府を代表して謝罪の姿勢を示したのはなぜか。しかも「今後も、揺るぎない」と言ったのだから、子や孫やその先の世代の後継者にも「謝罪を続ける宿命」を負ってもらうことになる。これは、謝罪を子どもには押しつけないが、大人になったら引き受けてほしいという趣旨でもなさそうだ。ならばやはり、そこに矛盾がある。
 
 人は、個人であると同時に社会や組織の一員でもある。自らが属する集団が自らのあずかり知らない過去の重大事象に関与しているとき、僕たちはどういう態度をとればよいのか。これは難題で、すぐには答えが出ない。ただ、他人事としてスルーできないだろうとは思う。このことは、日航ジャンボ機事故の慰霊行事に、事故後に入社したJAL社員たちがかかわっていることでもわかる。彼らは「宿命」を引き受けているのである。
 
 ここで思い出されるのは、先日当欄(2015年6月12日付「デリダ、脱構築の『嘘』論と『赦し』論」)で紹介したジャック・デリダ著『言葉にのって』(林好雄、森本和夫、本間邦雄訳、ちくま学芸文庫)という本の一節だ。著者はユダヤ系のフランス人哲学者で、ナチスの迫害で加害者側と被害者側に分かれた「ドイツ人とフランス人」や「ドイツ人とユダヤ人」の間の代替わり後の「赦し」について、難解な言い回しで次のように語っている。
 
 「まさしく赦しが不可能と見える瞬間にこそ、その純粋な可能性がそのものとして現われてくるのではないか」「ヘーゲルは、赦しと和解を歴史性のまさに原動力としました」「赦しや和解などのない歴史はありません」――デリダは、赦しはありうるとみる。ただ、それは歴史のなかで収束する話で、10年単位の区切りですっきり割り切るには無理がありそうだ。謝罪をいつまで続けるのかという問いも、その赦しと裏表の関係にある。
 
 で今週は、大きく構えて『歴史とは何か』(E・H・カー著、清水幾太郎訳、岩波新書)。帯に「絶対名著」とある通り、この老舗新書のなかでもとりわけ名高い1冊だ。著者(1892〜1982)は英国外務省に勤め、そのあと学界に入ったロシア通の歴史家。原著は1961年、その年初めのケンブリッジ大学での講演をもとに出された。邦訳本は、新書版で翌春刊行。以来、ロングセラーとなり、去年11月、第83刷で改版された。
 
 この本は、「過去に関するすべての事実が歴史的事実であるわけではない」として「歴史上の事実を過去に関する他の事実から区別する規準は何なのでしょうか」と問うところから始まる。それに対する答えは「歴史家は必然的に選択的」というものだ。「歴史家の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顚倒の誤謬」と、あっさり言ってのけるのである。
 
 だから、歴史家、なかでもふんだんな史料に囲まれた近代史家は忙しい。「少しの重要な事実を発見して、これを歴史上の事実たらしめると同時に、沢山の重要でない事実を非歴史的な事実として棄てるという二重の仕事」を強いられるからだ。
 
 例に挙がるのが、ワイマール時代のドイツ外相グスタフ・シュトレーゼマンが残した膨大な文書だ。秘書が編纂した書物では西方外交の成果が強調され、対ソ外交は「小さく扱われていた」。その英語版は英国の読者向けに「縮訳」されたので、この印象がいっそう強まった。ところが原典にあたると、対ソが「彼の外交政策全体の中で大きな役割を果していた」。意地悪く言えば、これもまたロシア通ならではの「解釈」かもしれないが……。
 
 一方で著者は、薄っぺらな「解釈」至上主義も戒めている。「正しい解釈の規準は現在のある目的にとっての適合性」ということになると、「歴史上の事実は無で、解釈が一切」とみる極論に陥りかねないと案じる。「歴史家は事実の慎ましい奴隷でもなく、その暴虐な主人でもない」「歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属している」と述べた後に出てくるのが、この本を特徴づけるあの名言だ。
 
 「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」
 
 さて、それでは歴史家が過去の事実から重要なものを選びとるときの物差しは何か。著者は「未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれる」と言う。求められるのは「自分の見方を未来に投げ入れてみて」「深さも永続性も優っている洞察を獲得する」という作業だ。だから名言にある「現在と過去との間の対話」も、後段では「過去の諸事件と次第に現われて来る未来の諸目的との間の対話」と言い直している。
 
 ここに見てとれるのは、歴史は進歩するという確信である。「過去に対する歴史家の解釈も、重要なもの、意味あるものの選択も、新しいゴールが次第に現われるに伴なって進化して行きます」。進歩と言えばヘーゲル哲学の歴史観が思い浮かぶが、この本はそこにも「未来を望み見るのを避けようとする」傾向があることを見逃さない。著者は、その意味で筋金入りの進歩主義者なのである。
 
 僕が著者の歴史論で違和感を覚えるのは、偶然に対する過小評価だ。批判の矢面に立つのは、クレオパトラの鼻が歴史を変えたという小話。著者によれば、アントニウスが彼女の美貌に惑わされたのも、偶然というよりは因果関係の帰結であり、そういう日常の因果が「最も本格的な原因結果の連鎖」の攪乱要因になる。こうしたなかで、歴史家の役回りは「歴史的に有意味な因果の連鎖を」「多くの連鎖の中から取り出す」ことだという。
 
 だが今、僕たちは「バタフライ効果」という言葉を知っている。カオスの科学が教えてくれた因果のありようだ。この理論によると、北米大陸の蝶の羽ばたきが日本列島の気象を大きく変え、東京に猛暑や冷夏をもたらすこともあるという。蝶の振る舞いも、それだけを取りだせばどこかに原因がある。だが、蝶の翅がどんなタイミングで動き、そのときに大気の状態がどうだったかは偶然とみなしてよいだろう。
 
 一瞬のわずかな違いが、世界を大きく左右して未来予測を困難にする。そんなカオスの知見が現代科学の関心事として広まったのは1960〜70年代だ。著者の講演が61年ではなく今ならば、科学の進歩を取り込んで「進化」した歴史観を聴けたかもしれない。
 
 話を、負の記憶に戻そう。著者はこの本で、歴史家は「社会の意識的あるいは無意識的なスポークスマン」として「歴史的過去の事実に近づいて行く」と言っている。集団としての赦しや謝罪を考えるとき、歴史家でない僕たちも同様の自覚を求められてはいまいか。
(執筆撮影・尾関章、通算279回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
《「バタフライ効果」の偶然性と矛盾する喩えかどうかは分かりませんが、一介の市井の人がその歴史観に従った言動を取った結果、歴史が大きく動くことがあるかも知れません》(虫さん)
矛盾どころか、これも小さな振る舞いが大きな影響をもたらすという意味で立派なバタフライ効果でしょう。そこに「一介の市井の人」として生きる醍醐味があり、意義もあるように思います。
  • by 尾関章
  • 2015/09/02 8:50 AM
尾関さん

「後世の歴史家の判断に委ねる」と繰り返す政治家がいますが、本心はともかくとして、この言葉自体には歴史の審判者は歴史家であるという考えがあるように聞こえます。あるいは、激動する歴史の只中にある自分に、現時点の歴史的な意味を解釈することは不可能であるという謙遜な表現と取ることも可能でしょう。
私は専門性というものに敬意を表するものですが、こと歴史に関しては、歴史家から学んで一人ひとりの個人が歴史観を持つべきだと考えています。当然なことだとも思います。我々は歴史の一部なのですから。
「バタフライ効果」の偶然性と矛盾する喩えかどうかは分かりませんが、一介の市井の人がその歴史観に従った言動を取った結果、歴史が大きく動くことがあるかも知れません。無名の自分の歴史観が将来を変えるかもしれないという歴史と自分との繋がりを自覚していないところには、過去の歴史に関して赦しを求める心が浮かぶことも、多分、ないでしょう。
  • by 虫
  • 2015/09/01 5:42 PM
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