『キング牧師とマルコムX』(上坂昇著、講談社現代新書)
写真》“I have a dream.”
 
 晩夏、衝撃のニュースが米国から届いた。テレビの生放送中に記者とカメラマンが銃で撃たれ、命を落としたのだ。容疑者の男は同じテレビ局の元社員で、現場から逃走後、こんどは銃口を自らに向けて命を絶った。朝日新聞によると、この人物は黒人として、さらには同性愛者として、差別されていると感じていた、と米メディアが伝えたという。人種間の摩擦と銃の所持。米国社会の負の側面が露わになった事件だった。
 
 この銃撃事件が起こったのはバージニア州。南北戦争でリンカーンと戦った南部州の一つである。南部と言えば、サウスカロライナ州のチャールストンでも今年6月、教会に集った黒人9人が白人に射殺されるという惨劇があり、今回の容疑者はそのことも動機に挙げていたという。奴隷解放宣言から150年余、公民権法から50年余。それでも米国南部では、人種間の亀裂が消えていないのか。
 
 そんな思いを抱きながら9月上旬、僕は私事で米国南部を旅した。滞在したのはジョージア州アトランタ。途中、泊りがけでチャールストンにも足を延ばした。そこで感じたのは、米国社会の空気は一連の事件から受ける印象ほどには悪くないということだった。肌の色の違いを超えて、人々が融け合っているとまでは言えない。だが、その方向へ踏みだしていて、もはや引き戻せないという前向き感はあった。
 
 融け合っていないなと感じた体験を一つ。大リーグの地元球団アトランタ・ブレーブズの試合を球場で観たときのことだ。イニングの合間、バックスクリーン上方の大画面にスタンドの観客が次々に映しだされる。米国人らしく、だれもかれも大きな身振りで陽気に自己主張するのだが、並んで座る応援仲間は黒人同士、白人同士というのが大半で、肌の色が交じりあうグルーブは少数派だった。
 
 では、どこが前向きかと言えば、町では黒人も白人も対等感覚で働いているように見えたことだ。旅行者が垣間見る職場といえば、せいぜいレストランくらいだが、そこではスタッフが肌の色などまったく気にとめない感じで同僚同士の会話を交わしていた。地縁血縁のゲマインシャフトはともかく、社会機能を担うゲゼルシャフトには、もはや人種によって切り分けられない米国人集団が存在している、という感じだろうか。
 
 当初、この稿では「黒人」という言葉を使うまいと心に決めていた。だが帰国後、代わりに用いようとしていた「アフリカ系米国人」という表現は、言われるほどに公正ではないようにも思えてきた。彼らの先祖がアフリカ文化の人であっても、彼ら自身はそれでは収まりきらないアイデンティティをもっている。だから、肌の色の違いを価値中立的にとらえて「黒人」「白人」と呼ぶことのほうがかえって公正かもしれないのである。
 
 で、今週は『キング牧師とマルコムX』(上坂昇著、講談社現代新書)。著者は1942年生まれ、通信社や出版社で働き、駐日米国大使館に勤めた後、大学でアメリカ研究の教授となった。この本は1994年の刊行。オバマ大統領の登場より15年も前に執筆された。黒人運動の二つのベクトルを代表し、ともに暗殺で非業の死を遂げた2大ヒーローの人生と思想を、どちらかに偏ることなくバランスよく活写している。
 
 マーティン・ルーサー・キングが担ったベクトルは、黒人と白人が対等に手をつなぎ合う社会をめざす公民権運動だった。一方、マルコムXは、黒人イスラム教徒(ブラック・モスレム)の立場から黒人の自立にこだわった。相手に近づいて手を差しのべるか、距離を置いて自分たちのことは自分たちでやると言うか。二つの志向は、アフリカから奴隷として連れて来られた人々の子孫が内心に宿す葛藤を表しているようにも思う。
 
 二人はともに牧師の子だが、その軌跡は大きく異なる。キングはアトランタ生まれ、中流家庭で良い子に育ち、教会の指導者となった。一方、マルコムはネブラスカ州オマハ出身、5歳で父を失い、一家は貧困に陥った。少年時代は悪ガキで、成人後も刑務所暮らしをしたが、そこで本を読み耽り、運動に目覚めた。二人の対比はそれだけでも一読の価値があるが、今回はわが心のジョージアが鮮明なときでもあり、キングの話を軸に語ろうと思う。
 
 キングの名を高らしめたのは、1955年、アラバマ州モントゴメリーで始まったバス・ボイコット運動だ。百貨店で働く黒人女性ローザ・パークスがバスの後部席に座っていると、立っている白人に席を譲るよう運転手から求められた。拒むと、それだけで逮捕されたのである。これがきっかけで、黒人がバスに乗るのを一斉に控える運動が興る。このとき、指導者として白羽の矢が立ったのが、当地で牧師となって間もないキングだった。
 
 興味深いのは、キングもパークスと同じ屈辱を受けていたことだ。高校時代、弁論大会で「黒人と憲法」について熱弁をふるい、入賞した日のことだ。帰りのバスで、運転手から白人のために席を空けろと言われたという。居座ろうとも思ったが、引率教師は「法律には従わなくてはいけない」と諭した。「黒人の憲法上の権利についてスピーチをした直後に現実の差別を受け、一五〇キロの道程をずっと立ったままバスに揺られた」のである。
 
 バス・ボイコットは「『行動しないこと』、つまりバスに乗らないという受動的な抵抗運動だった」。その後、キングは「『行動すること』によって、不法な法を破り服従しないという能動的な市民的不服従へと運動を進めていく」。これが「非暴力直接行動」と言われる運動の哲学である。いま日本社会ではコンプライアンス(遵法)が絶対のように言われているが、覚悟を決めて不当な法を破らなければならない局面も世の中にはあるということだろう。
 
 この本は、キングが逮捕時にしたためた獄中書簡を彼の著書『黒人はなぜ待てないか』(中島和子、古川博巳訳、みすず書房)から引いている。そこでは、南部諸州の人種隔離法を「不正な法」と断じていた。「その施行が魂をゆがめ、人格をそこなう」からだという。
 
 キングは人格を尊んだ。だからこそ、白人の過去の過ちを赦す心ももちえたのだろう。寛容な態度を示すことで「キングが完全に白人より上位に立っていることは明らか」と著者は書く。ノブレス・オブリージュ(高貴さに伴う義務)の一つとも言えよう。
 
 アトランタに去年開館したばかりの公民権・人権センターを訪れて驚いたのは、運動に共感した白人たちも展示の主役となっていたことだ。人種隔離政策を否定する流れが強まっていた1961年、南部行きの長距離バスに乗って実態を調べようというフリーダム・ライド運動に白人の若者も多く加わり、現地で暴行や放火の被害に遭ったのである。その映像を見て脳裏にひらめくのは、キングの「わたしには夢がある」という言葉だ。
 
 1963年、首都ワシントンであった公民権運動の大集会については、この本ももちろんページを割いている。参加者は約25万人。4人に1人は白人だった。そこで、キングはあの一世一代の演説をする。「わたしには夢がある。いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、ともに兄弟愛のテーブルにつくことができるだろう」。これこそが、彼が指し示した共存のベクトルだった。
 
 これに対して、マルコムの思想には黒人社会を白人社会から切り離すというベクトルがあった。黒人のアフリカ帰還を最終の目標に掲げたり、米国領の一部を黒人に譲れと主張したりしている。だが、晩年には変化もある。著者は、その兆しを暗殺があった前の月、1965年1月のテレビインタビューに見いだす。北米に黒人の国をつくる構想はあるかと問われ、「考えていない」と断言したという。キングに近づきつつあったということか。
 
 二つのベクトルのどちらが理念として正しいかは難題だ。ゲゼルシャフトでは人種を超えて尊敬しあうようになったが、ゲマインシャフトの縁を深めているとまでは見てとれない現実があるからだ。ただ、言えることは二つある。マルコム没後50年、キング没後47年、いま米国の大統領が黒人だということ、そして、ここまできたのだから、米国はもはやどの人種でもなく米国人の国になるしかないだろうということである。
(執筆撮影・尾関章、通算282回)
 
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