『火山噴火――予知と減災を考える』(鎌田浩毅著、岩波新書)
写真》阿蘇が噴いた(朝日新聞2015年9月14日付夕刊)
 
 こんどは火山か。9月14日の阿蘇中岳噴火を見て背筋が寒くなった人は大勢いただろう。阿蘇は文字通りの活火山で、中岳の小噴火は去年から続いていた。だが今回は、36年ぶりの規模という。もくもくと立ちあがる黒煙には不気味さが漂った。
 
 「こんどは」と言うのは、そのころ日本列島で自然が猛威をふるっていたからだ。北関東と東北が線状降水帯の直撃を受け、川の堤防決壊が相次いで流域が水浸しになった。東京湾の直下では地震が起こり、調布市で震度5弱を記録した。ちなみに後者は、拙宅でも平積みの本が瓦解した。首都圏を襲うかもしれない大地震への警告となったのである。自然災害の見本市とも言える9月だった。
 
 火山について言えば、「またもや」とも思う。昨秋の御嶽山大惨事から1年ほどしかたっていないのに、今年は阿蘇だけでなく口永良部島、浅間山、箱根山でも、気になる噴火や降灰が報じられてきたからだ。桜島は日常的に噴いている火山だが、8月には山体の膨張が観測されて緊張が走った。周辺の人々に避難勧告が出され、まもなく解除されるということもあった。火山に対する警戒態勢は列島のあちこちで、もぐら叩きのように続いている。
 
 ここでどうしても頭に浮かぶのは、一連の火山活動と4年前の東日本大震災とのかかわりである。もちろん、二つの事象がほとんど時を隔てずに起こったというだけで、そこに因果関係があると決めつけてはならない。ただ、その二つが共通の根っこをもっているということはありうる。とりわけ地震と火山については、地球を覆う岩板、すなわちプレートの動きがそのどちらにもかかわっているらしいからだ。
 
 その一方で、火山活動が強まったという実感は誇張されているようにも思う。それは、僕たちが遠方の出来事でも即座に生々しく感知できるようになったことによる。今回の阿蘇噴火は午前9時43分ごろの発生だが、僕の記憶では10時のニュースで映像が流れていた。昔なら、遠隔地の人は昼のニュースや新聞の夕刊で知るくらいだっただろう。「これからどうなるの?」というリアルタイムの不安感をもって印象づけられることはなかった。
 
 実際、国立天文台編『理科年表』(丸善)を開くと、今年、ニュースを賑わせた火山のうち、浅間、阿蘇、桜島、口永良部は最近数十年だけをみても噴火を繰り返しており、そのなかにはまったく覚えていないものも多い。列島の噴火は、ほぼ切れ目なく続いてきた。
 
 ということで、今週の一冊は『火山噴火――予知と減災を考える』(鎌田浩毅著、岩波新書)。いつだったか火山のニュースがあったときに本屋で買ってあったものを、今回、阿蘇の噴煙に突き動かされるように一気に読んだ。
 
 著者は1955年生まれの火山学者。いまは京都大学大学院人間・環境学研究科の教授で、関心の裾野を科学教育や科学者のアウトリーチ活動に広げている。この本も、火山のしくみを語りながら火山とのつきあい方に多くのページを割いている。そこでは、天災多発列島の住人に必須の覚悟のようなものが示されている。刊行は2007年。東日本大震災よりも前に書かれたことを思うと、説得力はいっそう高まる。
 
 ページを繰って最初に強く感じる著者の印象は、火山が好きなんだなあ、ということだ。たとえば、第1章「火山噴火とはどんな現象か」で、米ハワイ島のキラウエア火山に触れたくだり。現地では、噴火中に溶岩の流れを間近に見る「とろとろツアー」という観光企画が用意されているという。もちろん、近づける溶岩流は「人が歩く速さよりもゆっくり」のものに限られるらしいが、その細密描写には愛がある。
 
 特筆されているのは、「ポッピング」という現象。「溶岩流の表面は空気で冷やされるとすぐに固まる。このときに、いちばん外側の表面だけが急冷されるのでガラス質になる」「このガラスが冷えるにつれて、ピンピンと跳(は)ねるのだ。そのときかすかに音を発するのだが、耳を澄ますとガラスが弾(はじ)ける軽やかな音を聞くことができる」。その音色を思い起こしながら「一度耳にすると忘れられない」と書くのである。
 
 「地中海の灯台」と呼ばれるイタリア・ストロンボリ島の描き方も詩的だ。その火山は幾千年もの間、マグマを間欠的に噴きあげている。「噴き出した赤いしぶきは、しばらく周囲に漂う水蒸気のつくる雲を照らしている。そのあと空は再び数十分のあいだ暗闇となる。漆黒(しっこく)の闇夜に断続的に光を発するようすは、幻想的ですらある」。火山は怖いばかりではないんだよ、という著者の思いが伝わってくる。
 
 僕は現役時代、科学記者として地震や火山の科学者ともつきあいがあった。そこで痛感したのは、彼らがみな地球のダイナミズムに魅せられているということだ。ただ、地震は災厄そのものなので、地震学者はそれを好きとは言わない。これに対して、火山は災いをもたらすだけではない。ときに動的な自然美を見せつけ、さらに湯けむりの悦楽ももたらす。この本が著者の火山愛を素直ににじませているのも、そうした二面性があるからだ。
 
 この視点からみると、著者のメッセージが凝縮されているのは「火山の災害は短く、その恵みは長い」という言葉だろう。同じ趣旨の記述は随所に繰り返し出てくる。それを敷衍すれば「火山噴火のあとには美しい地形が残り、観光資源となる」「災害を科学の力で予知し、事前に回避することができれば、むしろ火山の恩恵を享受できる期間のほうがはるかに長い」ということになる。
 
 この本が訴えているのは、「恵み」をひたすら貪れ、ということではない。むしろ、「恵み」の位相にあるときに次の「災害」に備えよ、ということだ。火山とうまくつきあうには、それを動と静のリズムでとらえる発想が求められているとも言えよう。
 
 例に挙がるのが有珠山だ。2000年に噴いたときは犠牲者がゼロだった。「噴火前に緊急火山情報が出され、噴火予知に成功した数少ない事例」とされている。1977年の噴火後に住人の火山に対する理解が深まったことが背景にある、と著者はみる。そのうえで紹介される現在進行形の地元話が興味深い。「防災教育用の副読本」が「次の噴火のときには大人になっている子どもたち」のためにつくられ、小中学校で使われているという。
 
 「次の噴火はおそらく二〇〜五〇年も先のことだ。日常生活の時間に比べて噴火の休止期はあまりにも長い。何もせずにいたのでは、貴重な体験を継承してゆくことははなはだ困難」。有珠山周辺の学校の先生たちは、そんな認識にたどり着いた。その結晶が副読本だったという。ここには、火山活動の息の長いリズムを見据えて、それに人間社会のリズムを合わせようという姿勢がみてとれる。
 
 著者は噴火予知に一つの章を充て、さまざまな手法を詳述している。地震、地殻変動、地磁気、地電流、火山ガス……。結論として、噴火予知の5要素である「時期」「場所」「様式」「規模」「推移」のうち、最初の二つ、いつどこから噴くかは「十分な実用段階に達したといってもよいだろう」と言う。ここが、地震とは違うところだ。ただ、そうであっても僕たちが忘れてはならないのは、それぞれの火山に個性があるということではなかろうか。
 
 この本を読んでタメになったのは、噴火の様式を4種に分けて解説してくれていることだ。噴煙柱の高いほうからプリニー式、ブルカノ式、ストロンボリ式、ハワイ式と呼ばれる。プリニーの名は、ヴェスヴィオ火山の噴火で救援に向かい、自らも犠牲となったローマの博物学者プリニウスに因む。後の三つはいずれも地名からの命名だ。4種の違いはマグマの粘り気によるもので、粘性の高さもプリニー、ブルカノ……の順だという。
 
 災いを最小にするにも、恵みを最大にするにも、大切なのは火山を知ることだ。その活動を左右するマグマの特徴がサラサラかネバネバか。それくらいは僕たちも頭に入れておきたいと思う。
(執筆撮影・尾関章、通算284回)
 
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