『死の発送』(松本清張著、角川文庫、新装版)
写真》鉄道、そして駅
 
 この暮れ、東北の温泉郷へ1泊2日の旅に出た。東京駅から新幹線で2時間ちょっと、本1冊を読む間もなく下車駅に着く。そこから車に30分ほど揺られれば、もう山あいの鄙びた宿にいる。湯煙はよかったが、往路復路はあっさりしすぎていた。
 
 そもそも、日本列島の鉄道網は一様になるばかりだ。たとえば、新幹線の駅はどこも似ている。プラットホームはたいてい寒々しい。金魚鉢のような待合室、とぎれとぎれの安全柵。売店がない、駅員の姿が見えない、というところもある。地方在来線のたたずまいもそうだ。かつては電車であれ気動車であれ、乗客が向かい合わせの席に座っていたが、いまは山手線そっくりの車両がふえた。
 
 列車の種類分けも同様だ。大都市圏のJR路線では急行券の要らない快速列車が花盛りだが、それは地方路線にも広まっている。普通、準急、急行、特急というように序列づけられ、それぞれが個性をもって行き交っていた時代が懐かしい。とりわけ旅情をそそったのは、普通、すなわち鈍行だ。垂直の背もたれは窮屈だったが、停車駅で後続列車に追い抜かれる間に駅弁を買う楽しみもあったのである。
 
 で、今週は、昔の鉄道事情を改めて知る一冊。『死の発送』(松本清張著、角川文庫、新装版)。1961〜62年、二つの雑誌に断続連載されたものに筆を加えて、1982年にカドカワ・ノベルズの本になった。昭和30年代の空気が漂うミステリーである。
 
 この本は、中古本ショップで思わず手にとった。帯に「TVドラマ化」とあったからだ。2014年5月に「フジテレビ開局55周年特別番組」として放映されたらしいが、僕は観た記憶がない。2時間ドラマ(2H)好きとしては再放送を待つばかりだ。そのときのために原作をチェックしておくのは2H愛好家のたしなみである。とりわけ清張ものでは、原作との対比がドラマを10倍おもしろくしてくれる。
 
 それは、なぜか。ドラマが原作のままの時代設定なら時代考証の確かさを測れるからだ。一方、舞台を今に移しかえているときは、清張が描いた「昭和」を2010年代にどう落とし込んだかが見どころになる。
 
 このドラマが後者を選択したことは、フジテレビのサイトに入ってすぐわかった。この特番の紹介ページが残っていて、それを開けると、主役の向井理さんがスマホを耳にあてた画像がいきなり目に飛び込んできたからだ。番組広報文によると、ミステリーの鍵を握る鉄道小荷物は宅配便に置き換えられているらしい。その宅配便がトラックだけで運ばれたのか、それとも一部を鉄道に委ねたのかはわからない。楽しみは視聴時にとっておこう。
 
 ということで、ここからは原作の話をする。主人公の底井武八は「夕刊立売りだけの三流紙」の新聞記者。ことの発端は、中央省庁の元若手官僚が5億円もの公金を横領して刑に服し、7年たって出所したことだ。編集長の山崎治郎は、元官僚が「まだ、どこかに大金を匿(かく)している」とにらんで、彼の出所後の行動を見張るよう底井に命じる。尾行取材に走り回ると、府中の競馬場、神楽坂の料亭街。たしかになにかがありそうだ。
 
 ところがある日、元官僚は福島市飯坂温泉近くで絞殺死体となって見つかる。そこは亡母が眠る寺の裏山だった。底井は数日前、飯坂行きの話をつかんでいた。そのことを山崎に電話で告げると、出張費を届けるから上野駅へ走れと急き立てられた。だが結局、列車同乗に間に合わなかったのである。山崎は、殺害を知ってもなおこう言う。「奴はきっと巧妙に金を匿している」「どうだ、今度はその金の隠し場所を探ってみようじゃないか?」
 
 このあと、山崎自身が不可解な振る舞いを見せる。自ら内偵に乗りだしたらしい。ある朝、いつまでたっても出社しない。夕刻になっても三日が過ぎても、社に現れない。もちろん、自宅にも帰っていなかった。そして4日後、編集部に衝撃が走る。底井が帰社すると、デスクが告げる。「エライことが起こった。山崎さんの死体が見つかったんだよ」。発見場所は福島県の本宮。東北本線五百川駅に近い田園地帯だ。
 
 山崎の死体はトランク詰めだった。そのトランクは東京の田端駅から発送され、五百川の手前にある郡山駅で受取人の手に渡っていた。驚くべきは、田端駅にトランクを持ち込んだ男の人相が山崎そっくりだったと、駅の荷物受付係の証言からわかったことである。自らが送り手となったトランクにいつのまにか死体となって納まり、届けられるという奇怪さ。これが「死の発送」の意味するところだ。
 
 元官僚の背後には黒幕がいるのか。山崎はどうして危険な一線を越えたのか。そこには、清張ワールドらしい物語の展開が用意されている。だが、ミステリーなのでここから先は筋を追わない。ただ、鉄道のことだけを素描しよう。
 
 山崎殺害にかかわりがありそうな列車系統がいくつか出てくる。一つは、トランクの移動にかかわるものだ。田端を21時30分に出て、大宮で別の貨車へ移されて翌朝4時30分に出発、郡山へは日暮れの19時05分に着いた。もう一つは、山崎を乗せた旅客列車。急行津軽だとすれば、21時40分に上野を発った。ちなみに、その郡山着は翌未明1時29分。これに、山崎との接触が疑われる競走馬厩務員の動きが絡みあう。
 
 この厩務員が乗り込んだのは、家畜輸送車だ。田端発が20時50分、郡山には翌日21時10分に到着した。そして、トリックに使われたかもしれない列車に準急しのぶがある。上野16時30分発、郡山20時25分着である。
 
 ここでわかるのは、速い列車とのろい列車が混在して走っていたことである。東北本線のこの区間は1960年ごろ、一部に貨物用の線路が並行してあるものの、単線の箇所がまだ残っていた。東京都内から郡山まで、急行や準急は4時間弱。新幹線の約1時間20分には遠く及ばないが、当時としては高速だ。一方、貨物系統はほぼ1日かけてようやくたどり着く。いろんな駅で、ほかの列車に道を譲りながら時間を潰していたのだろう。
 
 この作品では、家畜輸送車の融通無碍に呆れてしまう。くだんの厩務員は、福島競馬の出走馬に付き添っていて「馬の調子が悪い」「矢板(やいた)駅に少し長く停ってくれたら、土地の獣医さんを呼んでくる」と車掌に訴え、受け入れられる。車掌の心づもりでは矢板駅(栃木県)での停車はせいぜい40分だったが、獣医が来て診療を終えるまでに約1時間半。このために別の列車を先に通す必要が出てきて、なんと10時間も駅に留まった。

 

 驚愕を通り越して圧倒されるのは、この車掌が底井の問いに答えて口にする能天気な言葉だ。矢板駅での対応について「ぼくは四十分間の停車と決めていた」「三、四十分くらいの延着だったら、わざわざ福島の車掌区や機関区に断わらなくともいいのですが」「厩務員の人が一生懸命に馬を介抱しているのを見ていると、ぼくも打たれました」。感動はいいが、停車時間が車掌の一存で決まり、30〜40分のズレなら現場任せとはどういうことか。
 
 これは小説の話だ。だがリアリズム作家の作品なので、まったくの絵空事とは思えない。
 
 今の鉄道はコンピューターとともにある。たいがいの路線では、中央の制御室が全列車の居場所や動きをつかみ、トップダウン式に運行を管理している。その視点で言えば、この車掌の言いぐさは言語道断だ。だが、コンピューターがなかったころは、それほどに突飛ではなかったのかもしれない。運行システムの技術としては、列車間の距離が狭まったことを知らせる信号などが頼りで、ボトムアップ式の管理に依るところも多かったのだろう。
 
 列車がより速く、より過密に走る今、鉄道にのどかさを求めるのは愚かなことだ。とはいえ、世の中には集中管理をしなくともよい物事がたくさんある。そんなところに、鉄道をかつて支えたボトムアップ式を転用する手はあろう。郷愁から、緩やかな知を紡ぎたい。
(執筆撮影・尾関章、通算296回)
 
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