『初恋温泉』(吉田修一著、集英社文庫)

写真》シャボン

 夏休みの遠出と言えば、海、島、高原、そして海外か。温泉という選択肢は標準型ではない。ただ、老いを感じるこのごろは、海で泳ごうとも山を歩こうとも思わない。行った先に温泉場があれば、それがうれしい。季節はどうあれ、いい湯だな、がいい。

 

 温泉については、当欄も幾度か触れてきた。僕は2時間ミステリー(2H)ファンなので、どうしてもそれに関係づけてしまう。「2時間ドラマの旅で考える鉄道論」(2014年10月31日付)では、2Hの魅力は旅情と伝説にあるとして、それを演出してくれるものの一つに湯の町を挙げた。作中の旅館では「泊まり客が事件に巻き込まれても、大女将や若女将は快活でまったくめげない」。視聴者を憂き世忘れの異空間に引き込むのである。

 

 「浅見光彦といっしょに温泉へ行こう」(2016年11月18日付)や「つかの熱海、あのころの美学」(2017年3月3日付)では、日本の温泉場がどう進化してきたかを僕なりに考えてみた。それらをつないでなぞり、改めて要約するとこうなる。

 

 温泉場はかつて歓楽街として栄え、その多くに芸妓さんがいて「夢千代日記」のような雰囲を漂わせていた。ところが高度成長期からバブル期にかけて、都会人のレジャーランドの色彩を帯びるようになった。それには2種類ある。箱根型と熱海型。前者には林間学校が開かれるなど教育志向があるが、後者は今でも「芸妓さん」の存在を前面に押しだすというふうに娯楽志向の趣を残す。ただどちらにしても、明るさと賑やかさが強まっていた。

 

 それが最近、再び落ち着きを取り戻し、艶っぽさとはひと味異なる情緒を醸しだしている。これは実際に温泉に出かけてみるとわかるのだが、同宿する人々にバカ騒ぎする気配がないのである。年配の夫婦であれ、子ども連れの家族であれ、もの静かに料理を囲み、湯に浸かり、ロビーで和んでいる。歓楽街の看板を捨てて、湯治場に立ち戻ったということなのか。いや、それだけではない。温泉に新しい効能が生まれてきたように思われてならない。

 

 で、今週の1冊は『初恋温泉』(吉田修一著、集英社文庫)。著者は1968年生まれ、長崎県出身の作家。芥川賞を受けた人なので純文学系ということになるが、代表作の『悪人』などは読みものとしての醍醐味がある。今回の本も温泉を舞台とする軽妙洒脱な短編集で、エンタメ系と言ってよい。所収作品は、月刊『小説すばる』の2004〜05年の号に発表された5編。単行本が06年に集英社から出て、09年に文庫化された。

 

 余談めくが、この本は中古本ショップで見つけた。書棚からとり出したところ、帯に「NATSUICHI 2012」「ナツイチ WONDERLAND」の文字。どうやら、集英社文庫の夏季キャンペーンで2012年に選ばれた1冊だったらしい。一瞬感じたのは「夏なのに温泉?」という戸惑い。ただ読み進むと、それでよいのかもしれない、と思えてきた。温泉の真髄は、新緑や紅葉や雪あかりに浮きあがる秘湯ばかりにあるのではない。

 

 この本は表題作から始まるが、それは「初恋」をひとひねりして描いた作品。ずばり「初恋」そのものというのは、むしろ最後の1編「純情温泉」だ。この2作を読み比べると、この短編集が温泉宿という場を借りて見せようとした世界が浮かびあがってくる気がする。

 

 まずは「純情温泉」。冒頭で、主人公の高校生健二17歳が夕食時に父母と交わした会話を思い返している。健二はさりげなく、温泉へ行こうと思うと打ち明けた。もちろん、同行者は男友だちということになっている。母からは「今どきの男の子ってのは、温泉なんか好きなんやねぇ」とあきれられ、父は「お母さん、久しぶりに俺らも温泉にでも行こうか?」と暢気なことを言う。「ちょろいもんだと健二はついニヤけてしまった」

 

 健二の連れは、もちろん女子。恋人の真希17歳だ。通学のバスで見かけた広告写真がきっかけだった。紅葉に彩られた温泉郷の風景に、真希が「温泉ってさ、なんかエッチな感じしない?」と口走る。健二はさっそく、真希に内緒で旅館を探しはじめる。資金は、夏休みにバイトで稼いだ3万円。部屋に露天風呂を備えているところが第1希望だったが、二人分を支払うのは無理とわかると、貸し切りの浴室がある宿で手を打つことにする。

 

 そもそも、健二と真希の男女交際はきわめて今日的だ。高校生であっても公然のステディーなら、ほぼ無制限に交遊を深められる。だから健二は放課後、連日のように真希を自宅に誘う。真希は家に入るなり、まず母親に挨拶する。そのまま女子会風に二人で料理を始める日もあるが、たいていは健二の部屋でひとときを過ごす。この作品では、2階の10代カップルと階下の父母が織りなすドタバタがコメディー風に描かれている。

 

 で、いよいよ温泉。健二の念願が叶い、貸し切り露店風呂に二人で浸かったときの会話が読みどころだ。真希の兄の離婚騒動にからんで、男女の浮気が話題にのぼる。体を触れあいながら「俺は、おまえでいいな」「おまえでいいって、何よ、それ」。さらに、こんな大人びたやりとりも。「これから先の将来で、あと何回くらい、俺、温泉に行くかな?」「あと、何人の女の子と行くんだろうね」。ここには、未来を冷めた目で見通す10代女子がいる。

 

 その未来を絵に描いたようなのが、巻頭の「初恋温泉」。書きだしは「玄関へのアプローチは、劇的に簡素なほうがいい。特にここ熱海のような雑多な温泉街を抜けてきた客の目には、竹藪(たけやぶ)を切り開いて伸びる小路の、水を打った石畳、足元を照らす灯籠(とうろう)が、日常の裏側へと続いているように見える」。こちらの一編は、静寂と成熟の雰囲気。温泉が人を非日常の世界へ導く装置であることもしっかり押さえている。

 

 この導入部から、登場人物は愛人関係の男女だろうと思うと肩透かしを食う。重田光彦と彩子。正真正銘の夫婦である。ただ、どこか訳あり。それもそのはず、前夜、彩子が離婚話をもちだしていた。夫が風呂場から「おい、この前、お前がまとめて買ってきたパンツ、あれゴムがちょっときついから、前のを出しといてくれよ」と呼びかける。妻は「高かったのに」などと応じたが、つづけて「ねぇ、話があるんだけど……」と切りだしたのだ。

 

 光彦は、コンピューターの専門学校を中退、居酒屋で働いてノウハウを身につけ、やがて自ら開業するまでになった。都内の一等地に計4店。成功者と言ってよい。それなのになぜ? 伏線は半年前、4店舗目の開店パーティーで彩子が友人に漏らした言葉にあった。みんなからうらやまれると「私なんて、ただ旦那の後ろにじっと立ってるだけじゃない」。専業主婦は「けっこういろんなことにビクビクして暮らしてる」と言って憚らない。

 

 この一編がなぜ「初恋…」なのかと言えば、光彦が高校時代、彩子に恋心を抱いていたからだ。卒業後しばらくして、彼が仕事仲間に彼女のことを語るくだりがある。単純に好きなわけではないとして、「自分が一番幸福な瞬間を見せたい」相手だと説明するのだ。「たとえば、マラソン大会のトップでテープ切る瞬間とかさ」「自分の店を持つときでも、金儲(かねもう)けて広いマンションに引っ越すときでも、全部、この女に見てて欲しいね」

 

 初恋は、一生懸命だが自分本位のものなのだろう。その果てに何があるのか。彩子は熱海で湯に浸かりながら「昨日の話の続き、ずっとしないつもり?」と懸案をもちだす。「幸せなときだけをいくらつないでも、幸せとは限らないのよ」。ここにも、冷めた目がある。

 

 この本からは、今どきの温泉の効能が見えてくる。それは、人を裸にすることだ。体だけではなく、心までも。だから、ここでとりあげた2編でも、湯のなかで交わされる会話が湯温でほぐされ、初恋や純情の一途な思いさえ湯煙のようにすり抜けていく。その結果、男女の思惑のズレがはからずも露わになることがある。大人の女性がたどり着いた境地が10代女子のませた予感の延長線上にあるように感じとれるのも、短編集の妙だ。

 

 最後にもう一つ。この作品群を読み通して気づくのは、吉田修一が音に敏感なことだ。「初恋…」では、太鼓のように響く相模湾の波音が「どーん、どーん」と浴室まで聞こえてくる。それが人の心を内省に向かわせ、湯の効能をいっそう高めているように思う。

(執筆撮影・尾関章、通算434回、2018817日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『異邦人』(アルベール・カミュ著、窪田啓作訳、新潮文庫)

写真》光る地中海

 「きょう、ママンが死んだ」。この書きだしは鮮烈だった。フランスの作家アルベール・カミュの代表作『異邦人』。10代の終わりだったと思うが、僕も読んで、最初の一文を心に刻んだ。だが、そのママンがどこでどのように暮らしていて、どんな死に方をしたのかは、すっかり忘れていた。あのころの僕たちにとって、この小説は読みものではなかったのだ。筋の展開を味わおうなどという気がなかったから、作品世界の記憶は風化する。

 

 この本は、僕たちの世代には実存主義を学ぶための必読書とみなされていた。ある思想の何たるかを知りたければ、哲学書を読めばよいと言われるかもしれない。だが、実存は目的に先立つ、といきなり言われても、なかなかピンと来ない。実存の生きた姿を見られないものか。そんな需要に応える文学が、ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』であり、カミュの『異邦人』だった。これらは、小説であっても哲学先ありきの読まれ方をしたのである。

 

 ただ、『異邦人』に限れば、その読み方は浅はかだったと言える。カミュ自身が、実存主義に距離を置いていたからだ。彼はあくまで文学者であり、哲学者ではなかった。実際、この作品に哲学を語ろうという気配はなく、文中に実存のジの字も出てこなかった。

 

 カミュの文学で鍵となる言葉は、むしろ「不条理」だ。世界の無意味さと言いかえてもよい。それは、人間から目的を剥ぎ落とそうとする実存主義につながってはいる。だから『異邦人』で実存を感じとろうとしたことが、まったく見当はずれだったわけではない。

 

 筋書きを忘れていても、一つの光景は脳裏に焼きついている。地中海に太陽光線が容赦なく降りそそぎ、浜辺に男が突っ立っている。これこそが、不条理のイメージに重なった。同じ効果は別の場所でもかなえられたかもしれない。ただカミュは、たまたまアルジェリアの住人だったから、まぶしいほどの陽光と照りかえす海、焼けつく砂の3点セットを選んだのだろう。それが強烈な映像美をもたらし、不条理な世界を印象づけたのである。

 

 一方、「ママン」はどうか。冒頭の1行に出てきただけで、あとは印象に残っていない。主人公ムルソーは、母にどんな感情を抱いていたのか。彼女の死をどう受けとめたのか。そのことが小説の主題にどんな影響をもたらしたのか。それらが一切思いだせない。

 

 で、今週は、その『異邦人』(アルベール・カミュ著、窪田啓作訳、新潮文庫)。原著は1942年刊。この邦訳文庫版は初版が1954年に出た。以降、版を重ねた堂々のロングセラー。今回手にとったのは2014年改版、今年5月印刷の第132刷で、表紙カバーには太陽、海、砂浜という例の3点セットに男のシルエットを噛ませた画像をあしらっている。背表紙の色は僕が1970年前後に馴染んだものと同じで、シルバーグレー。

 

 では、さっそく「きょう、ママンが死んだ」の後を読んでみよう。「もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」とある。養老院から電報を受けたばかりのことなので、詳細がわからないということなのだが、投げ槍感が漂っているのは間違いない。

 

 ここで、主人公ムルソーのことを素描しておこう。独身の男性。ママンの年齢を聞かれたとき、「六十ぐらい」と答えているから、年齢はたぶん30代か、その前後だろう。アルジェの場末のアパルトマンに住んでいて、船荷を扱う業者の事務所に勤めている。

 

 ムルソーは、ママンの死を受けて息子としてなすべきことをきちんとしている。アルジェから80km離れた養老院で予定される通夜、埋葬に出るため、勤め先から2日間の休暇をとりつけ、同僚から黒ネクタイなどを借り、バス乗り場へ走る。車中では眠りこけるが、「私がまどろんだのは、きっと、こんなにいそいだり、走ったりしたためだった」。この世間並みの律義さは、僕が半世紀ほど頭の片隅にとどめていたムルソー像とは違う。

 

 ムルソーの内面も世間並みだ。養老院に着いて院長に面会したとき、彼がママンの唯一の身寄りであることを念押されると「私をとがめているのだ」と猜疑したりするからだ。院長が3年前の入所のいきさつを振り返って、ママンには「看護婦」が必要だったこと、だがムルソーの収入ではその余裕がなかったことを述べ、「ここにおられた方(ほう)が、お母さんにもお幸せでしたろう」と慰めると、「その通りです、院長さん」と答えている。

 

 ママンは、養老院に入るまで「黙って私を見守ることに、時を過ごした」。だから、入所して「最初の頃(ころ)にはよく泣いた」。それは「習慣のせいだった」。だから、慣れてから帰宅させていたら、今度はそれで泣いただろうと、ムルソーは自分に言い聞かせる。ここにあるのは、老親を抱えて在宅かホームか、在宅か病院かで悩む家族の姿だ。『異邦人』は、いま僕たちにのしかかる高齢社会の重圧も取り込んでいる。これは、今回の発見だった。

 

 さらに言えば、著者はその苦悩を肉付けすることにも長けている。ムルソーは、同じアパルトマンに住む老人と雑談していて、こんなことを言われる。「この界隈(かいわい)では、母を養老院へ入れたために、あんたの評判がよくないことを知っているが、しかし、私はあんたをよく知っており、大へんママンを愛していたことを知っている」。西欧社会にあっても世間体というものがあるらしい。ムルソーも間違いなく、他人の眼差しのなかにいる。

 

 この老人のことでは、もう一つ、ここにどうしても書きとめておきたい一節がある。彼は病を患う老犬を飼っていたが、ある日、その犬が姿を消した。老人が自室で泣くのを壁越しに聞いたときのことだ。「なぜだか知らないが、私はママンのことを考えた」とある。

 

 養老院の場面で、僕がムルソーらしいな――それは、記憶のなかに固定されていたムルソー像だ――と思ったのは、彼がママンの死に顔を見ようとしなかったことだ。院内の一室に置かれた柩では「申しわけばかり打ちこんだネジが、きらきら光り、くるみ塗りの板からとびでている」。通夜の前、門衛が「あんたが御覧になれるように、ネジを抜こう」ともちかけるが、引きとめる。「御覧にならないですか」「ええ」「なぜ」「理由はありません」

 

 夜が明けて、埋葬当日。院長が「柩をしめさせようと思いますが。その前にお母さんにお別れをなさいますか」と問いかけたときも、これを断る。遺体は物に過ぎない。そのことは厳然たる事実だろう。それを生きているかのようにみて儀礼を尽くす虚構へのノン。

 

 これが、小説後半で大きな意味をもってくる。ムルソーは、太陽と海と砂浜を背景に一つの事件を起こす。偶然が重なった「太陽のせい」かもしれない犯罪。裁判で、院長は被告人が母の埋葬にあたって「いかにも冷静だったのには驚いた」と証言する。具体例には「私がママンの顔を見ようとはしなかった」ことが含まれる。それが、母に養老院暮らしをさせた選択や服喪すべきときに恋人と遊んだ行状などともに、悪い情状をかたちづくっていく。

 

 後半部では、僕が前半部を読んでいたときに感じとったことの多くが捨象されている。ムルソーも、母の死を知ると忌引きの休暇をとり喪主の務めを果たそうとしたこと、母を養老院へ入所させたときは内心に迷いがあったらしいこと、愛犬の失踪を嘆く老人の嗚咽で母の記憶が呼び覚まされたこと――そうした心情の機微をどこかへ押しやって、世間は物事を図式的に片づける。これこそが、世界の不条理が露わになる瞬間と言えないか。

 

 さて私事だが、この夏、僕のママンが死んだ。89歳。在宅で診療と看護、介護を受けていたが、老衰でゆっくりと息を引きとった。最期に2回ほど大きく口を開けたのは、人生の閉幕を自ら告げたのか。僕は泣かなかった。こみあげてきたのは静かな敬意に近い。

 

 死をこんなふうに感じることがあるとは。生と同様、死も、その看とりもさまざまだ。

 

 半世紀後の再読で思うのは、『異邦人』が哲学の副読本ではなかったということだ。そこにあるのが実存だとしても、それは人間っぽい。とりわけムルソーが、法廷に聞こえてくる「アイスクリーム売りのラッパの音」で実生活の感触を思い返す場面は、心に痛い。

(執筆撮影・尾関章、通算433回、2018年8月10日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『小僧の神様 他十篇』(志賀直哉著、岩波文庫)

写真》国語は明解を旨とす?

 このあいだ、当欄「太宰治、戦時の帰郷で見えたもの」(2018年6月22日付)で太宰作品をとりあげたとき、言及しようと思ったが分量のかねあいで省いた話がある。それは、彼がその私生活からデカダンスの作家と見なされているにもかかわらず、少年少女のころ手にとった国語の教科書を通じて多くの人々に親しまれていることだ。これが幅広い読者層を生みだし、桜桃忌に集うファンが絶えない一因をなしているのではないだろうか。

 

 僕の経験で言えば、『走れメロス』はやっぱり教科書で読んだ。それが小学校であったか、中学校だったのか、全文が掲載されていたか、抄録だったのか、今となっては思いだせないことだらけだ。ただ、これは教科書向きの小説だな、と子ども心にも納得した。

 

 そもそも、国語の教科書にふさわしい文芸作品とはどんなものか。すぐ思いつくのは、エッチな話はNGということだ。男女の愛はありだろうが、性愛の域に踏み込むと、たちまち眉をひそめる向きが出てくる。暗い話はどうか。悲劇はあってもよいが、そこにいくばくかの救いや希望がほしい。そしてもう一つ好まれるのが、明快で歯切れの良い文体ではないか。『…メロス』は、前者二つはもちろん三つめの条件も満たしている。

 

 書きだしをのぞいてみよう。「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった」。これは、『斜陽』冒頭部と対照的だ。あちらは句点を打たずに優美さを醸しだしたが、こちらは句点で短く区切ることで明快さを強調している。太宰は、文体を使い分けられる職業作家だった。

 

 さて、国語教育はそもそも何のためにあるのか。文芸に親しむ心を育むのも効能の一つだが、教育論の立場で言えば、人々のコミュニケーション能力を高めるねらいが大きいのだろう。だから、言いたいことをはっきりとわかりやすく書くことが称揚される。これは、情報の伝達を本務とする新聞記者が新人時代から叩き込まれる文章作法に通じている。そう考えれば、国語の教科書が明快な表現、歯切れの良さに固執する理由もわかる。

 

 では、どんな書き手が好まれるのだろう。太宰は『…メロス』のように教科書の条件を満たす作品も書けるが、そこから外れたものも多い。全身どこをとっても教科書風の作家を日本文壇から探せば、やはり、この人をおいてほかにない。志賀直哉である。

 

 ということで、今週選んだのは『小僧の神様 他十篇』(志賀直哉著、岩波文庫)。1912(明治45)年から20(大正9)年までに世に出た短篇小説11篇が収められている。著者(1883〜1971)は白樺派の中心にいた作家。白樺派は、大正デモクラシーの時流を映して自由主義、理想主義の気風にあふれていた。それは、戦後民主主義の学校教育とも響きあう。だから、僕らは教科書の教材で白樺派の作品に多く触れたのかもしれない。

 

 この短編集のなかで歴代教科書の定番と呼んでもよいのは、「城の崎にて」だろう。北兵庫の温泉街が舞台。だが、そこに出てくるのは遊興談議ではない。小川の対岸に見た小動物の生命に自らのそれを重ねるという展開は、まさに教科書にうってつけだった。

 

 今回は、この作品に改めて触れてみよう。書きだしの一文には、ちょっと驚く。「山の手線の電車に蹴飛ばされて怪我(けが)をした、その後養生(あとようじょう)に、一人で但馬(たじま)の城崎(きのさき)温泉へ出掛けた」。背中のけがは大事に至るまいと医者に言われたというのだが、今のJR電車を思い浮かべれば、湯治くらいで済むとはとても思えない。いったい、どんな事故だったのか。まず、そのことが気になった。

 

 この作品は私小説なので、著者の個人史から答えが得られる。巻末の著者略年譜には、1913(大正2)年8月の項に「電車にはねられ重傷」とある。さらに巻末解説(筆者・紅野敏郎)によると、「城の崎…」には「いのち」と題する草稿が存在し、そこには「線路のワキを歩いてゐて不注意から自分は山の手線の電車に背後から二間半程ハネ飛ばされた」と書かれていた。背を打つだけでなく、頭にも骨に達する傷を負ったという。

 

 こうみてくると、事故はやはり生きるか死ぬかほど深刻だったのだ。だからこそ、川べりの小動物――イモリ(本文では難解な漢字が用いられているが、ここでは片仮名で書く)――との対比が意味をもってくる。イモリは、主人公が不用意に石を投げたことで「四寸ほど横へ跳んだように見え」「尻尾(しっぽ)を反(そ)らし」「反らした尾が自然に静かに下りて来た」。そして「もう動かない」。光景がありありと目に浮かぶような描写だ。

 

 自分はイモリを驚かそうとしただけなのに、投げた石がたまたま命中した。イモリは「偶然に死んだ」のだ。あのとき、自分も電車の当たりどころが悪ければ命を落としていただろう。「偶然に死ななかった」のである。生と死は紙一重。偶然の掌に載っている。

 

 ここで特筆すべきは、作品冒頭の筆致だ。自分の生死を分ける一大事をあたかも自転車で転んだかのようにさらっと書き流している。ここに、志賀直哉の巧妙さがある。東京市中の人身事故と湯の町のぶらり歩き。その二つが主人公の時間軸で意外なかたちでつながり、その化学反応によってはじめて生の危うさ、生の尊さが浮かびあがってくるという物語の妙。それを演出するために、あえて最初の記述を淡泊にしたようにも思われる。

 

 この短篇集にはもう一つ、電車事故をとりあげた作品がある。「正義派」。こちらは私小説ではない。紅野解説では「客観小説」とされている。「ある夕方、日本橋の方から永代(えいたい)を渡って来た電車が橋を渡ると直(す)ぐの処(ところ)で、湯の帰りらしい二十一、二の母親に連れられた五つばかりの女の児(こ)を轢(ひ)き殺した」。詳細も志賀直哉流に目に見えるように描写されているが、凄惨の感を否めないので引用は避ける。

 

 その事故を、新聞記事風に書き直してみよう。現場近くにいた保線作業員(作中では「線路工夫」)らの目撃談によれば、電車の運転手は前方に子どもの姿を見てブレーキをかけたが、それは急停止用の電気ブレーキではなかった。電気ブレーキの作動は、子どもが車両の下に引き込まれた後。車体前部には歩行者保護の救助網が二段構えで設えられているが、いざというときに落ちるはずの第二の救助網が落ちてこなかったのも不運だった、という。

 

 現場に駆けつけた電車運行の監督は、運転手に「電気ブレーキを掛けたには掛けたんだな?」と問い詰める。運転手が「掛けました」と言って、一から経緯を説明しようとすると、「よろしい」とさえぎって畳みかける。「ともかくもナ、警察へ行ったら落着いてハッキリと事実をいうんだ」「電気ブレーキで間に合わず、救助網が落ちなかったといえば、まあいわば過失より災難だからナ」。作業員も群集のなかにいて、このやりとりに憤る。

 

 警察署で、作業員らは「電気ブレーキでも間に合わなかった」という筋書きに異を唱え、「運転手は電気ブレーキを忘れていた」と主張する。署からの帰途、作業員の一人は仲間たちに、監督がこう因果を含めてきたことを打ち明ける。「ナア君、出来た事は仕方がない。君らも会社の仕事で飯を食ってる人間だ」――作品執筆のころ、東京の市街電車は公営化された。「会社」は市当局を指しているのかもしれないが、組織第一の論理には違いない。

 

 これは、社会派ドラマとして実によくできている。のみならず、組織ぐるみの隠ぺい、内部告発への圧力といった今日的なテーマもはらんでいる。日本の文壇では白樺派と入れ代るようにプロレタリア文学が台頭するが、一つのイデオロギーにとらわれないという意味では、この作品のほうが先を行っているようにも思う。今こそ、教科書に採用する意義が大いにある。ただ、事故の記述がリアルすぎて不向きかもしれないが。

 

 この短篇集から電車がらみの2篇をすくいとっただけで、志賀直哉的なるものが見えてくる。それは、主題の明確さだ。生死を分かつ偶然の危うさを私小説で描き、社会に巣くう倫理のほころびを客観小説であぶり出す。なるほど、教科書に似合うのもうなずける。

(執筆撮影・尾関章、通算429回、2018年7月13日公開)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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「モンド」=『海を見たことがなかった少年――モンドほか子供たちの物語』所収

(J・M・G・ル・クレジオ著、豊崎光一、佐藤領時訳、集英社文庫)

写真》町を駆ける

 通算400回は、クリスマスの季節になった。昔は心が浮き立ったものだが、ここ数年は静かにこの時季を迎える。キリスト教徒ではないのに、である。宗教心というよりも、心が温まりたいという気持ち。年末の慌ただしさを感じながらも、静寂に浸るときである。

 

 今年は、この季節でさえも暗雲が垂れ込めている。とりわけ日本列島の周辺では、軍事衝突の可能性さえ懸念されるのだ。それは、ただの戦火で済まないかもしれない。最悪の場合は人類の破滅につながる核戦争のリスクすら伴う。気にかかるのは、日本社会が「年内の決着」にこだわるように欧米では「クリスマス休暇前」が一つの目途になることだ。急いた気持ちが良いほうへ向かえばよいが、その逆になることだってありうる。

 

 そんな心のざわつきがあるせいだろうか。この暮れは、いっそう温かな静かさがほしい。それでちょっとうれしいのは、温かさも静かさもある町に僕が暮らしているということだ。私的事情があって、この1年はほとんど遠出をしなかった。泊りがけの旅行が少なかっただけでない。電車に乗ったのも数十日に満たなかったと思う。あとは地元、東京郊外の私鉄沿線にある古びた住宅街にとどまった。その町でひたすら歩き、自転車を漕いだ。

 

 それがどううれしいのかというと、だれかと通りすがりに声を掛けあう機会が日常となったことである。古くからの友人がいる。地元のバーで知りあった人もいる。なじみのレストラン店主もいる……。勤めをやめて4年余、名刺を交わす人は大幅に減ったが、代わりに路上で足をとめて、あるいは自転車をまたいだまま「やあ」と挨拶する人がふえた。バスの運転手が、すれ違う別のバスの同僚に向けて軽く手をあげるような友愛である。

 

 思えば、僕たちはこうした人間関係をあまり楽しんでこなかった。会社員のころは日々、損得勘定のつきあいに追われていたように思う。こちらがこう出ればあちらはあの手を打ってくるだろう、と無意識に計算する。生き抜くことに必死だったのだ。だが、一線を退いた今、目先の損得よりも「やあ」が愛おしい。この関係は、ゲゼルシャフト(利益社会)ではなくゲマインシャフト(共同社会)に近いが、昔の村落社会ほど濃密ではない。

 

 で、今年のクリスマスは、そんなうっすらとした人間関係を小説世界で味わってみようと思う。この秋、たまたま読んだ短編にそれを見つけた。童話風ののどかさのなかに抑制された心の通いあいがある。不快な胸騒ぎを鎮めてくれること請け合いの1編である。

 

 当代フランスの有名作家の手になる「モンド」。これは、『海を見たことがなかった少年――モンドほか子供たちの物語』(J・M・G・ル・クレジオ著、豊崎光一、佐藤領時訳、集英社文庫、原著は1978年刊)という短編集の冒頭に収められている。所収8編の書きぶりは多彩だ。古代の都市国家を舞台とする王侯物語風あり、自然のダイナミズムにあふれた冒険記風あり。そんななかでこの1編は、リアルな、ありえなくはない話として読める。

 

 著者の名は、僕にとって懐かしいものだ。学生だった1970年前後、言語芸術の最先端にあるのはフランス文学だと頑なに信じていたころがあった。そこでは、既成の小説作法を脱したヌーヴォー・ロマンが台頭していた。ル・クレジオは1960年代前半にデビューした作家。ヌーヴォー…とは一線を画していたようだが、実験的な作風で名を馳せていた点は共通する。その作品を熟読した記憶はないが、あこがれは間違いなくあった。

 

 だから、この本を開くときはそれなりに身構えたのだが、「モンド」の物語性はその緊張を和らげてくれた。書きだしは「モンドがどこから来たのか、誰(だれ)にも言えなかったに違いない。ある日たまたま、誰も気がつかないうちにここ、私たちの町にやって来て、やがて人々は彼のいるのに慣れたのだった」。年のころは10歳前後。「少し横目使いのきれいな黒い眼(め)」と「光の具合で色が変る灰色まじりの茶褐色の髪」をした少年だ。

 

 読んでいると、なんとなく先日当欄でとりあげたスペイン・カタルーニャのバルセロナが思い浮かんだ(2017年11月24日付「バルセロナのこと、もっと知りたい」)。「私たちの町」が海辺にあり、後方に「町を見おろす丘のつらなり」が控えているせいだろうか。訳者(豊崎)執筆のあとがきに「南仏ニースと思われる都市とその近郊」とみられるとあるから、僕の直感はあながち的外れではない。地中海に面した港町の空気が漂ってくる。

 

 モンドは町で人とすれ違うとき、笑みを浮かべて「僕を養子にしてくれませんか?」と言うことがある。ただそれだけで、しつこくは頼まない。言われたほうが驚いているうちに、もう立ち去っている。「彼はここに何をしに来たのだろう、この町に?」と著者は書く。貨物船や貨物列車で長旅をしてきたのか。この町の別荘地風のたたずまいに惹かれたのか。「確かなのは、彼がとても遠くから、山の向う、海の向うから来たということだ」

 

 最初の2ページに載ったこれらの情報からだけでも、この作品が描くのが濃密な共同体でないことは察しがつく。主人公は、どこからともなくふらりとやってきた少年。彼は、現代の都会人を象徴しているようにも見える。顔を合わせれば微笑むのだから敵対感情はない。「養子にしてくれ」は厚かましいが、口にするだけなのだから挨拶がわりともとれる。もしかして、「養子」のひとことには血縁の対立概念が暗示されているのか。

 

 実際、モンドは希薄な友愛を育むのが得意だ。たとえば、町の撒水係との関係。その男は広場でホースから水を放ち、水煙を立ちあがらせる。「嵐(あらし)と雷鳴のような音がして、水は車道にはじけ、停(と)めてある車越しに微(かす)かな虹(にじ)が見えた」。興味深いのは「モンドが撒水係と友達なのはそのため」とあることだ。二人は言葉を交わさない。一人が仕事をして、もう一人がそれに見とれるだけの友だちなのだ。

 

 「町のなかを歩くだけで、モンドはたくさんの友達を見つけていた。しかし彼はみんなに話しかけるわけではなかった。それは話したり遊んだりするための友達ではなかった。通りすがりに素早く目配せして挨拶したり、あるいは通りの反対側から遠くへ手で合図を送るための友達だった」。これは、最近の僕が地元で交わす「やあ」に限りなく近い。著者は、モンドの鋭敏な感性を紡ぎだすことで、そんな町のありようを活写している。

 

 とはいえ、モンドにも挨拶や合図で終わらない交流はある。相手の一人は、五十がらみの釣師ジヨルダン。「彼は長いあいだ、太陽が水平線すれすれになるまで防波堤の上で釣りをしていた」「ほとんど口をきかなかったけれども、かかった魚を釣り上げるたびに笑うのだった」。ところが、モンドが海上の船を眺めながらあれこれ質問すると、釣師は急に冗舌になる。アフリカの国、紅海の鮫、雨季の嵐、島の漁師一家。話題は次々に転じていく。

 

 釣師が語るアフリカや紅海は真に迫っているが、それが体験談なのか耳学問なのかははっきりしない。ただ話が一段落して、モンドが「おじさん、いつ向うに行くの?」と問いかけると、「私は行けないな、この防波堤にいなきゃならん」という答えが返ってくる。理由は「私は船を持ってない船乗りだからさ」。だが釣師は、防波堤で釣糸を垂れながら水平線を見つめることができる。この町には、そうやって遠い世界とつながる人がいる。

 

 鞄のなかで鳩を飼う爺さん、丘に邸宅を構えるヴェトナム女性、若い郵便配達人、海水浴場の砂をならす老人……モンド自身も、その人懐っこさで異質な世界に触れていく。

 

 この小説がすごいのは、モンドの暮らしの下部構造にも触れていることだ。彼が稼ぐのは、広場に「市の立つ日」。青果物を運んできたトラックの荷降ろしを手伝い、1台ごとに硬貨数枚を手にするのだが、それだけではない。市が閉じると「りんごやオレンジやなつめ椰子など地面に落っこちているものを拾うのだった」。市場にいて、それが見落としたものを糧とする。ここから市場経済を超えるなにかを感じとるのは深読みに過ぎるだろうか。

 

 ル・クレジオはただの実験作家ではなかった。その作品には、人がいて町がある。

(執筆撮影・尾関章、通算400回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『海辺のカフカ』(村上春樹著、新潮文庫、上下2巻)

写真》アーシーな讃岐うどん

 10月が終わらないうちに村上春樹について語っておこうと思う。例年はノーベル賞がどうのこうのという話から入るのだが、今年はそれをやめる。賞のことをさておいても年に1度は、この作家のことを書いてみたいという気に駆られるのだ。

 

 僕は折に触れて、村上春樹の魅力は「普通」にあると言ったり書いたりしてきた。これはもちろん、一ファンとしての支持表明だ。ただ「普通」をもってほめ言葉とすることについては、親しい友人からたしなめられたことがあった。「普通」をいわゆるノーマルという意味でとらえると、その礼讃は少数派の異端視につながる。いや、それだけではない。人間ひとりひとりは異なるという多様性を軽んじているようにも見えてしまう――。

 

 たしかにその通りだ。「普通」が良いというような文言を安易に用いてはいけないと肝に銘じた。ただ、僕の真意を伝えるのに、それに代わる言葉がなかなか見つからない。ということで、ここでは自分が彼の作品に感じる「普通」の意味を再整理してみようと思う。

 

 ザクッと言うと、こうなる。日本の現代文学史を地図にして概観すれば、ノーベル賞作家の川端康成と大江健三郎が巨峰として聳える。前者は耽美派、後者は進歩派の代表と言えよう。両者の周りには、同様の系譜の作家群が山脈をなしている。それらと対峙するのは異質な山影。野坂昭如、五木寛之といった在野感の強い面々だ。これが、1970年代前半までの文壇の構図だった。そこに新生の活火山のように現れたのが村上春樹である。

 

 ひとことで括れば、村上春樹は権威と反権威を超えて新しい地平を切りひらいた。そこに、文壇の匂いはもはやない。このことを言い表すのに、僕の貧弱な語彙から引っぱりだしたのが「普通」だった。それがどう普通なのかを当欄の前身で考察したこともある。

 

 旅行記『辺境・近境』(村上春樹著、新潮文庫)に収められた「讃岐・超ディープうどん紀行」で、父子が営むうどん店を訪ねたくだり。そこでは、うどんを足でこねているのだという。息子が口にした言葉は「そうせんと美味(うも)ないねん」。それを受けて、こんな一文がある。「そのアーシーなパワーにただただかしこまってしまうしかないような気がする」(文理悠々2013年10月15日付「残念、でも村上春樹の『普通』がいい」)。

 

 「美味ないねん」と「アーシーなパワー」(訳せば「土臭い力」か)。方言の重さを今風の外来語で軽やかに包んでしまうのが村上春樹だ。そこには、下から目線の屈折も上から目線の衒学もない。権威は崩れ、それに盾突く反権威も意味を失っている。1970年半ば、対抗文化の嵐が去った後の風景だ。それをいち早く切りとってみせたのが村上春樹ではなかったか。自身は49年生まれ、反抗の世代のど真ん中なのにもかかわらず、である。

 

 で、今週は『海辺のカフカ』(村上春樹著、新潮文庫、上下2巻)。2002年発表の長編小説(新潮社刊)だ。05年に文庫化された。この本を選んだ理由は、主舞台の四国高松に惹かれたから。「美味ないねん」の地元である。僕自身の出張の記憶を呼び起こすと、海に近い市街のサンフランシスコのような明るさが印象に残っている。この作品は未読だったので、今回遅ればせに読んでみて、あの空気を再体験しようとも思った。

 

 うどんは、この作品にも出てくる。主人公の家出少年、自称「田村カフカ」15歳が夜行バスで高松に着いてまず飛び込んだのが駅前のうどん屋。「東京で生まれ育ったから、うどんというものをほとんど食べたことがない」とある。東京人としては、著者が関西人ゆえの偏見と言いたい! ともあれ、少年はそのうどんに「腰が強く、新鮮で、だしも香ばしい。値段もびっくりするくらい安い」(「だし」に傍点)と大満足で、おかわりを頼む。

 

 夜行バス→うどん屋というカフカ少年の高松第1日は、宿泊先がビジネスホテルだったことで完結する。「YMCAをとおすと料金がとくべつに安くなる」「ただしそのサービス料金は3泊で終わってしまう」という宿だ。ここにはデフレ感漂う今日の世相がある。

 

 だが、カフカ少年がホテルから通いはじめる場所は、それと対照的だ。「甲村(こうむら)記念」と銘打つ「旧家のお金持ちが自宅の書庫を改築してつくった私立図書館」だ。「門を入ると曲がりくねった砂利道がつづき」「植え込みのあいだに大きな古い灯籠(とうろう)がいくつかあり、小さな池も見える」――素封家が私財を投じて書画を愛で、文人を支えるという地域文化の伝統が見えてくる。ちなみに、これは実在の図書館ではない。

 

 そこには、謎めいた人物がいる。一人は、受付の大島さん。削りたての鉛筆を愛用していて「ハンサムというよりは、むしろ美しい」。スポーツカーのマツダ・ロードスターで高速を飛ばしながらシューベルトを聴くこともある。もう一人は館の責任者、佐伯さん。見たところ40代半ばくらいの女性で姿勢がよく、光沢のあるストッキングに細身のヒールを履いて階段を上がっていく。こちらは万年筆党で、愛車はフォルクスワーゲン・ゴルフ。

 

 夜行バスやうどん屋やビジネスホテルを現実だとすれば、この私立図書館は現実からはみ出している。実際にカフカ少年は、ここを起点に奇妙な体験を重ねる。大島さんに誘われて山深い森に入り、異界へ迷い込む。館に泊っていて深夜、少女時代の佐伯さんを眺めることもある。リアリズムの物語のつもりで読んでいると、いつのまにかおとぎ話や神話の真っただ中に立たされている自分に気づく。それが、この作品に奥行きを与えている。

 

 導入部では、カフカ少年の逃避行と並行して二つの物語が進行する。一つは戦時中、山梨県の山林で野外実習していた児童たちが集団で倒れた事件。戦後、米軍が調査した報告書は極秘扱いだったが、1986年に公開される。教師は直前、上空に「銀色のジュラルミンらしきもののきらめき」を見たと証言するが、米軍機飛来の記録はない。子どもたちはぐったりとして「どこか遠くにある風景を端から端まで見わたしているみたい」だったという。

 

 もう一つは、現代の東京が舞台。中野区在住のナカタさんという初老の男性が、猫と会話できる特技を生かして行方不明の飼い猫探しをしている。町で出会う猫たちとのやりとりが、なんとも長閑だ。「あんたは人間にしても、いささか変わったしゃべり方をするね」「はい、みなさんにそう言われます。しかしナカタにはこういうしゃべり方しかできないのです」。9歳のころ、「理由のわからない熱病のようなもの」に罹ったのが原因だという。

 

 すぐ気づくように、この二つの物語はつながっている。戦中、別世界に踏み込んだ少年が戦後、大人になって異界の不思議を現実世界にもち込む。そんな感じだろうか。それがカフカ少年ともかかわっているように見えるところが、サスペンスの趣をもたらしてくれる。

 

 下巻では、ナカタさんも高松にやってくる。ヒッチハイクを引き受けたトラック運転手の星野青年が神戸で積み荷を下ろした後も、旅の友となって同行したのだ。青年は中日ドラゴンズの帽子に柄物のアロハ、ナイキの運動靴といういで立ち。出会った富士川サービスエリアでは「一人で煙草(たばこ)を吸いながら漫画週刊誌を読んでいた」。どこか「美味ないねん」に通じる「アーシーなパワー」のある人物。彼の内面の軌跡が読みどころだ。

 

 星野青年の人生観は高松で、まるでうどんのようにこねまわされる。「カーネル・サンダーズ」を名乗るポンビキからは、警句もどきの言葉を浴びせられる。「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ」「宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ」。ふらりと入った喫茶店ではベートーヴェンのピアノ三重奏曲に聴きほれ、「ナカタさんは自分が空っぽだと言う」「じゃあ俺はいったい何なんだ?」(後者には傍点)と自問する。

 

 アーシーで心優しい精神が、聖と俗の間を行き来しながら自分流の哲学を見いだしていく。脇役に過ぎない星野青年の人物像に、僕は村上春樹イズムの真髄を見る。この作品がもしカフカ少年とナカタさんだけの物語で終わっていたら、読後の余韻は半減しただろう。

 

 ホシノちゃんこそが「普通」なのだ。彼のようなヤツがもっといてほしいと僕は思う。

(執筆撮影・尾関章、通算391回)

 

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『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ著、小野寺健訳、ハヤカワepi文庫)

写真》受賞第1報(朝日新聞2017年10月6日朝刊)

 ポール・オースター、カズオ・イシグロ、村上春樹。この3人に共通するのは何か。それは、国境を超えて発信力のある同時代作家という点にあるだろうと僕は思う。同時代性は世代によって物差しが違うだろうから、厳密には「僕にとって」と限定をつけなくてはなるまい。ともあれ、その一角をなす日本出身、英国籍のイシグロさんが今年のノーベル文学賞受賞者に決まった。うれしいことだ。当欄は急遽、彼の作品について書く。

 

 イシグロについては7年前、当欄の前身で『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)という作品をとりあげたことがある(文理悠々2010年4月22日付「カズオ・イシグロ わたし《に》はなさないで」)。拙稿の表題は「私に話さないで」の意味を込めたもので、先端科学技術をめぐる深刻なテーマにネタばらしをしないで誘導していく作家としての巧妙さと文学作品としての繊細さに舌を巻いたからだ。

 

 そこで「なによりも泣かせる」として引用した一節を、ここでも紹介しよう。それは、主人公が少女時代、寮の部屋にひとりいて歌のテープを聴く場面。曲の題名は「ネバー・レット・ミー・ゴー(わたしを離さないで)」。「極(きま)り悪いことに、赤ちゃんに見立てた枕を抱いていました。そして、目を閉じ、リフレーンを一緒に歌いながら、スローダンスを踊っていました。/『オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで……』」

 

 今回の発表資料にある授賞理由を僕なりに訳せば、こうなる。「情緒豊かな小説を通じて、世界とのつながりという幻覚に潜む深淵を明るみに出してきた」。「情緒豊かな小説」とした部分の英語は、“in novels of great emotional force”。上記引用箇所の光景を思い浮かべると、その“emotional force”の強さを実感できる。

 

 で、今回は、『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ著、小野寺健訳、ハヤカワepi文庫)。1982年の作品で、著者にとっては20代後半に世に出した長編第1作。原題は“A Pale View of Hills”。直訳すれば「青ざめた山影」か。邦訳は、同じ訳者でまず84年に筑摩書房から単行本で出た。このときの邦題は『女たちの遠い夏』。それが後に、ちくま文庫に収められ、2001年に改題されてハヤカワepi文庫の1冊となった。

 

 この小説の舞台は2カ所。一つは、主人公の悦子が今住む英国の田園地帯。もう一つは、悦子にとって「遠い昔になったある夏」の長崎郊外。後者は著者の生誕地であり、「遠い昔」は1950年から53年まで続いた朝鮮戦争のころと書かれている。著者はその直後、54年の生まれで、5歳のときに英国へ渡っているから、この作品には幼少期に見た日本の原風景が投影されている、と言ってよいだろう。

 

 悦子がそのころ住んでいた場所の描写がある。川沿いの小さな村落だったが、原爆で「完全な焦土と化した」。そこに復興計画でコンクリート造りの集合住宅4棟が建てられ、うち一つに入居した。「この建物と川のあいだはどぶと土埃ばかりの、何千坪という空地だった。この空地は健康に悪いという苦情がたえず、事実その排水状態はひどいものだった。あちこちの穴には一年中水が溜っていて、夏の数カ月はものすごい蚊に悩まされた」

 

 これを読んで思いだすのは、僕自身の幼少期だ。1950年代半ば、日本の都市は概ねこんなものだった。僕が育った東京郊外の一角は空襲に見舞われなかったので焦土とはならなかったが、宅地開発のスプロール現象であちこちに空き地があった。下水道整備はほとんど進まず、小さな川はどぶと化していた。衛生環境は最悪で、あちこちにハエとり紙が吊るされている状態。たぶん著者は、そんな風景を脳裏に焼きつけて渡英したのだろう。

 

 話の筋に立ち入ると、この作品では三つの物語が絡みあう。

 

 一つめは、悦子自身の半生。彼女は今、英国の小村のはずれにある一軒家で独り暮らしをしている。そこに、死別した2番目の夫――英国人で新聞記者だったらしい――との間の娘ニキがロンドンから訪ねてくる。ニキには、長崎で生まれた父親違いの姉景子がいたが、景子は引きこもりの末に家を出て、マンチェスターの借り部屋で自殺していた。トラウマを抱えた母子だが、ニキの陽性な言動に支えられて、話は淡々と進められる。

 

 ここでひとことことわっておくと、「悦子」や「景子」などの日本人名はすべて漢字表記になっているが、これはもちろん英語の原文にはなかった。あとがきによると、訳者が「音を読みちがえる恐れがなく、その音にとってなるべく一般的な表記」を選んだという。

 

 二つめは、悦子が「遠い昔」の「ある夏」に長崎郊外で数週間ほど近所づきあいをした佐知子とその娘万里子の物語。二人はもともと東京にいたが、佐知子の夫が戦争で亡くなり、親類を頼って長崎にやって来たという。米国人男性フランクとつきあっていて、別れるの別れないのというすったもんだがある。万里子は思春期に入ったころで、母に反抗して猫に愛情を注ぐ。彼女たちの感情の起伏には、占領がもたらした世相が映しだされている。

 

 そして、もう一つの物語は悦子の前夫二郎の父、「緒方さん」をめぐるいくつかのエピソード。長崎では校長先生を務めていた名士だが、二郎が新婚生活を始めたころは出身地の福岡で独り暮らしをしていた。そして「遠い昔」の「ある夏」には長崎を再訪して、息子夫婦宅に泊っていたのである。その滞在は波乱含みではあるが、そこから穏やかな家庭像も見えてくる。僕は、この緒方の物語こそこの作品の読みどころのように思う。

 

 まず波乱のほうから書こう。緒方は長崎の図書館で、自分を批判する論文が雑誌に載っているのを目にする。執筆者は、二郎の旧友で今は高校の教師になっている男。戦後民主主義の風に乗って戦前の教育者を糾弾する内容だったのだろう、と推察される。緒方さんは二郎の同窓会が近いと知って、その友人も来るのではないかと問う。よほど腹の虫が収まらないのだろう。だが「まったく驚いたよ」というだけで、露骨にののしったりはしない。

 

 後段では、その友人と直接やりあう場面もある。「ぼくらは心から国のことを思って、立派な価値のあるものを守り、次の時代に伝えるように努力したんだよ」。別の箇所では、二郎の会社の同僚が来訪して、選挙の投票をめぐって夫婦喧嘩になったという話を打ち明けたのを聞きつけて、同僚が辞去した後に言う。「呆れるじゃないか。夫と妻で別々の党に投票するなんて」。緒方が戦前の思想から抜け出せないでいるのは確からしい。

 

 だがその緒方は、いま悦子が「さん」づけで思い返すほど心優しい人でもある。彼女が台所に立つと「何を作っているのかね」と聞く。「オムレツか。その作りかたを教えてもらわんとな。むずかしいかね」「とてもむずかしいですよ。今ごろになって覚えようとなさっても、無理ね」「しかし、ぜひ習いたいね。今ごろになってとは、どういうことかね。わたしはまだまだ若い。いくらでも新しいことを覚えるよ」「本気でコックになるおつもり?」

 

 別の場面では、悦子に対してこうも言う。「若夫婦が親とは別に暮らすというのは悪いことじゃない」「若夫婦は、老人にいつまでもいばられているのは嫌がるものだよ」

 

 僕は、この悦子と緒方の淡々とした会話を読んでいて、著者が小津安二郎映画を好んでいるとの報道を思いだした。あのころの日本社会には、どこにも小津映画を彷彿とさせる家庭があった。そこには手のひらを返すようには戦時下の意識を変えられない人もいたが、そういう人々の心にもリベラルな空気が静かに染み入ろうとしていた。それを5歳でこの国を離れて、日本語をほとんど話さない著者が描いたところがすごい。

 

 この小説では、謎めいたまま残された部分も多い。万里子がいると言う「川の向こう」のおばさん、今は亡き景子の部屋から聞こえてくる音、そして悦子がどんないきさつで再婚したのか、ということ。それらはすべて、読後も読み手の心を作品世界に引きとめる。

 

 余韻という言葉がカズオ・イシグロほど似合う作家はいないだろう。

(執筆撮影・尾関章、通算389回)

 

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『紙の月』(角田光代著、ハルキ文庫)

写真》ペーパームーン

 自分は過渡期の世代だな。そう感じている人は多いように思う。たとえば1980年代生まれなら、後輩との飲み会で「俺たちは昭和世代だからなあ」などとつぶやくくせに、その昭和を生きてきた親とは距離を置いているように見える。高度成長の果実をまるごと味わってはいないが、幼いころ、ディズニーランドでバブリーな空気を吸うくらいのことはあった――そんなふうに自らを過渡期に位置づけているのではないだろうか。

 

 だから僕も、自分のような1950年代生まれが特別だというつもりはない。ただ、僕たちの過渡期感が強いのは確かだ。一例を挙げれば、先行世代はIT(情報技術)に疎い人が多い。ところが後続世代はIT漬けの暮らしぶりだ。この落差はあまりにも大きい。

 

 それを思い知らされたことがある。20年ほど前、日本のエレクトロニクス開発を牽引してきた老研究者から話を聴いたときのことだ。別れ際に「なにかあったら、遠慮せずにFAXをください」という言葉をもらった。そのころ、理工系の世界ではすでに電子メールが広まっていたから、FAXという言葉にちょっと驚いた。どんな通信手段を選ぶかといった生活習慣は、職域よりも年齢によって制約されるのだなと痛感したものだ。

 

 考えてみれば、僕の世代はITの出現前と出現後の両方を知っている。というよりも、どちらの環境にも適応を強いられてきたと言ってよい。自身の職業体験を振り返れば、記者になったころは原稿を藁半紙に3B鉛筆で書いた。ペンだこは、今もかすかに右手の親指に残る。それが、やがてワープロ専用機が普及するとキーボードの作業にとって代わる。そして最後のころは、パソコン一つで出稿のすべてが完結することになった。

 

 思えば遠くへ来たもんだとは、こういうことを言うのだろう。この隔世感は、ITの話ばかりではない。暮らしの隅々にまで広がっている。技術革新は大きな一因ではあるけれど、そこに経済や文化の様相が絡まって日本社会はいつのまにか大きく様変わりした。

 

 たとえば、食生活。高齢世代には、食事にどんな料理が出てきても醤油やソースをかけたがる人が多い。そう言えば、1960年代は家庭の食卓でも食堂のテーブルでも醤油差しやソース入れが鎮座していたものだ。ところが今は、なべて本格レストランに倣ったように料理にはあらかじめ味をつけて供することがふつうになった。これなどは80年代以降、海外情報に接する機会がふえて欧米の生活様式が浸透したことの表れだろう。

 

 僕たちの世代を境目にして日本社会は激変した。日本の現代史の転換点といえば、1945年の終戦ばかりが語られるが、そのあとも大きく変わった。大きな世代断絶は戦後にこそあるようにも思える。昭和から平成への流れのなかに、その亀裂は見てとれる。

 

 で、今週の1冊は長編小説『紙の月』(角田光代著、ハルキ文庫)。金融機関に勤める女性が不正に手を染め、東南アジアに逃避行するという筋立ては「そんなニュース、あったなあ」と思わせるリアルな虚構世界だ。だが一方で、小説ならではの強調や誇張があって読み手を引き込んでいく。筋そのものには、テレビで朝の情報番組を観ているような既視感があるのだが、それを肉づける登場人物たちの描き方にハッとさせられる発見がある。

 

 この作品は、もともと新聞小説だった。2007年以降、静岡新聞などの地方紙に次々に連載されたという。加筆されたものが単行本として世に出たのは2012年(角川春樹事務所刊)。14年に文庫化された。同じ年、テレビドラマ化(NHK)も映画化(吉田大八監督)もされている。僕は、原田知世が主演したドラマのほうを観ている。彼女の透明感は原作の主人公にぴったり合うと、後から小説を読んでつくづく思った。

 

 さて、ここからは中身に入るが、例によってネタばらしにならないよう筋は追わない。登場人物がいる世界の断面を切りとっていこうと思う。まず記しておきたいのは、主人公の梅澤梨花が属する世代。1986年、25歳で食品会社勤めの夫と結婚、夫婦は89年に横浜市緑区に建て売りを買って移り住んだ、とある。親たちは高度成長期のモーレツ世代、それに対して自分たちはバブル崩壊までに持ち家の獲得に間に合ったバブリーな世代だ。

 

 この世代像は、少女期の学園生活からも感じとれる。梨花が通ったのは「川崎にほど近い横浜の、田園都市線沿線にある中高一貫の女子校」。そこで彼女は、流行には無頓着なのに人目を引きつける生徒だった。「成績は優秀なのに優等生ではなく」「いじめに荷担することもなく」「だれにでも屈託なく話しかけ」「大人びて見えた」。ニュータウンの空気が漂う学び舎に、とりたてて派手ではないが良き趣味を身につけた女の子がいる。

 

 その梨花が、なぜ大胆な犯罪に手を染めるようになったのか。押さえておきたい場面がいくつかある。一つは、夫婦で誘われたバーベキューパーティーに自分だけが行くことになったときの夫の言葉。「おやつは五百円まで? お小遣いはいくらまで許されているの?」。遠足の思い出をもちだした冗談に過ぎなかったはずだが、夫の金を「つかわせてもらう」という現実を突きつけられた気がした。夫に家父長の匂いを感じた瞬間だったとも言える。

 

 もう一つは、デパートの買い物場面。夫への違和感を宿した梨花は、このときまでに銀行にパートで勤めはじめ、さらにフルタイムで働くようになっていた。化粧品売り場で選んだ商品の合計は5万円ほど。ところがうっかりしていて、財布には2000円しかない。「さっき顧客から預かった現金入りの封筒に、咄嗟(とっさ)に手が伸びる。鞄のなかに手を突っ込んで封筒から紙幣を取り出し、五枚揃えて梨花はカウンターに置いた」

 

 罪がないように見えるちょっとしたひとことが、心に淀みを生みだして人生の道筋を変える。一瞬立て替えてもらっただけとも弁解できる行為が、心の歯止めをとり払って道を踏み外す。そんな場面を随所に忍ばせているのが、著者の巧妙なところだ。

 

 その行き着く先は感覚麻痺だ。「梨花にとって金額を示す数字は何か意味のあるお金ではなくなった」。ブランド品に費やした数十万円が「いつ口座から落ちて、その口座には今いくらあって、引き落とし後はいくらになるのか」、そんな計算はしない。「どの銀行の、どの口座の、どのお金もつながっている」という錯覚に陥ったのだ。梨花が顧客回りをしながら着服した額は、1990年代半ばから2001年にかけて約1億円に膨らむ。

 

 こうした麻痺は、バブルを経験した世代に共通の落とし穴だった。それは、梨花に少なからぬ影響を与えた友人の中條亜紀にも見てとれる。バツイチで、夫の実家に引きとられた娘とは友だち同士のようにつきあっている。その亜紀の購買行動が凄い。膝丈パンツ3万8千円を試着して、紺か白か色に迷うと両方を買う。店員が「上に合わせるもの」をいくつか勧めると、それらも「まとめてもらっちゃうわ」。2時間で総計35万円ほどの買い物だ。

 

 彼女たちと対比されるのが、その親の世代。梨花が訪問する顧客は「八割が、定年退職後の老人」で、この年齢層にあたる。「愚痴や噂話(うわさばなし)、過去の自慢話や日々の思いつき」をひたすら聞き、電球の取り替えのような手伝いをすると、「あんたが独身だったらうちに嫁にきてほしかった」などと人気の的になる。かつてのモーレツ世代は孤独で、まったりとして無警戒だった。罠は、その手もとに潤沢な蓄えがあったことである。

 

 この2世代の断絶を鋭敏に感じとっている人物も登場する。梨花が昔つきあった山田和貴の妻、牧子。なにかというと子どもたちの境遇を自身の少女期と比べて「かわいそうだ」と言う。たとえば、今の住まいが「いい学校」への通学に不便なこと、合格祝いをしたレストランが高級ではなく「ファミリーレストランとかわらない店」だったこと。それらの一つひとつが彼女の心を曇らせ、深夜、キッチンでひとり酒を飲んでいたりする。

 

 思えば、闇雲に働いた高度成長から、右肩上がり幻想に踊らされたバブルへ、その崩壊から停滞へ、という変遷は、経済だけでなく人々の心理にも相転移をもたらした。この小説は娯楽作品であると同時に、市井の人々の内心に生じた軋みをあばく歴史書でもある。

(執筆撮影・尾関章、通算388回)

 

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『孤独の発明』(ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮文庫)

写真》どちらに転ぶ?

 今年の夏、あなたはどんな本を読まれただろうか。これはという1冊に出会ったという方も多いだろう。「今年は何を読もうか」――そんな思いとともに人を俄か読書家にする魔力が、この季節にはある。魔力の理由は非日常の静寂か。夏休み、高原の緑陰に腰を下ろしていても、海辺の宿で横になっていても、だれにも邪魔されないでいられる。旅に出ずとも居間のソファで同じ気分に浸れる。その時間は、まるまる読書に充てることができるのだ。

 

 そう考えると、夏にもっともふさわしい本は長編小説だろう。なぜなら、小説を読むとは異なる世界に入り込むことだからだ。自分がいる「いま、ここ」とは別世界にしばし身を置いて、そこにいる気分になる。これは、読む側に心の余裕がなければできない。

 

 話は飛ぶが、このことには先般の共謀罪論議にあった「内心の自由」が関係してくる。政権を武力で転覆する、テロリズムに手を貸す、などということは現実の世界にあってはならない。だが、フィクションは別物だ。人は一定時間、自身の内心を虚構世界にそっくり移して登場人物になりきる。それは空想の域をはるかに超えるものだ。当事者の心の綾が自身のそれとぴったり重なってくる。この感覚をもてるところが人間のすごさだろう。

 

 それがなんの役に立つのか、と問われれば返答に窮する。犯罪を扱う小説ならば、読み手は作品世界に没頭して、被害者となって悲嘆にくれたり加害者となって罪悪感に苦しんだりする。その読書が、他人を思いやる気持ちを涵養するのは確かだろう。ただ、そこだけに収斂させると人間を矮小化して見ることになる。一つの人生なのに複数の世界を生きる――うち一つ以外は現実でないにしても――ということ自体に意義があるのだろう。

 

 で、今週は稀代のストーリーテラーに登場願う。米国の現代作家ポール・オースターだ。ちなみに、この人は作品に作中作の入れ子構造を組み込むのを得意としている。結果として、読んでいる側は一つの作品でいくつもの虚構世界を体験することになる。

 

 たとえば『幻影の書』(柴田元幸訳、新潮社)では、男性主人公の話だけでなく、たまたま見た無声映画の監督の個人史、その作品、そこに登場する人物が書く小説、というふうに入れ子が次から次に現れ、「幾重にも層をなして共鳴し合う」(朝日新聞2009年1月11日読書面の拙稿)。当欄でとりあげた『闇の中の男』(柴田元幸訳、新潮社)も作中作で読ませる小説だった(2014年9月19日付「オースターで読むもう一つの米国」)。

 

 今回選んだ1冊は『孤独の発明』(ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮文庫)。原著は1982年に出た。著者は47年生まれなので、30代半ばの作品。訳者あとがきによれば、そのころまで著者の本業は詩人だったので「散文作家として出発した一冊」にあたる。自伝的な中身だが、本人は「僕自身をモデルにして、自己というもののなりたち方について探った作品」と位置づけているという。邦訳(新潮社)は91年、文庫版は96年刊。

 

 この作品は、性格の異なる2部から構成される。第1部「見えない人間の肖像」は、亡くなったばかりの父について一人称の「私」が書く形式。それだけで独立した物語となっている。第2部「記憶の書」は、断章を並べたようなつくり。著者本人と思われる人物「A」の体験を縦糸に、交遊関係や書物の話を織り込んでいる。後者には、物語について語る物語という側面もある。その意味で、散文作家として再出発する宣言の書となっている。

 

 まず目を引くのは、第1部書きだしの巧さ。「ある日そこにひとつの生命がある。たとえばひとりの男がいて、男は健康そのものだ。年老いてもいないし、これといって病気の経験もない」「そしてそれから、突然、死が訪れる。ひとりの人間がふっと小さなため息をもらし、椅子(いす)に座ったまま崩れおちる。それが死だ」。これは普遍の真理だが、次の段落で個別の死と生が結合する。一人の非日常がもう一人の日常と交差する瞬間だ。

 

 「父の死を知らされたのは三週間前のことだった。日曜日の朝、私はキッチンで、幼い息子のダニエルの朝食を作っていた」「それから電話が鳴った。私はただちに、何かよくないことが起こったのを知った」。人は、往々にしてこのように近親者の死に出会う。

 

 その父の描写は、どこまでも客観的だ。ダニエル誕生直後の話。父は乳母車をちょっとのぞいて「私」の妻に言う。「可愛(かわい)い赤ちゃんだ。元気に育つといいね」。その言葉は「レジの行列で、他人の赤ん坊を見かけて言う科白(せりふ)」に似て「うわの空の口調」だった。「私」は「生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた」と思う。父は孤独だった。それは「退却という意味の孤独」だ。ここで読者は、その背景を知りたくなる。

 

 糸口はいくつかある。一つは、父の遺品の家族写真。幼い父は「私」の祖母の膝に抱かれている。だが画面中央は破られ、かたちばかりの修正が施されて、祖父の姿はない。これは読者も、この本の口絵画像で確認できる。謎の示し方としては見事なほど衝撃的だ。

 

 もう一つは、「私」のいとこ経由で入った情報。彼女が国際線の機内で隣り合わせた老人と雑談を交わしていたときのことだ。その人が暮らす町が、父の出身地であることがわかる。実家の苗字を問われて「オースター」と答えると、「老人の顔色が変わった」。こうして「五十年以上前に起きた出来事」の概要が当事者の子孫に伝えられる。「祖父の死の真相」は、この「大きな偶然」がなければ「きっと永久にわからずじまいだったろう」。

 

 隣席の老人は帰国後、いとこに当時の新聞記事をコピーして送ってくる。「私」は、それをもとに家族の歴史を再現していく。そこでわかってくるのは、祖父と祖母の間に刑事事件にまで発展する確執があったことだ。当欄では、その詳細を明かすのは控えておこう。

 

 偶然の話は第2部にもある。1966年、Aの恋人が体験した話。春に自分のピアノで「真ん中のドの上のファ」の鍵盤が壊れる。その彼女が夏にAとともに旅をしたとき、田舎町の集会所で見つけたピアノを弾くと、まったく同位置の「ファ」が破損していた。「同じピアノが二つのちがった場所に存在する」とも思われる事態。A即ち著者がすごいのは、ここで偶然の一致はそれがどう書かれるかで受けとり方が違ってくることに気づいた点だ。

 

 小説として書かれれば「登場人物なり世界なりについて作者は何か言おうとしているのだ、と読者は当然考える」。これに対して「事実の物語はそれ自身の向こう側に何ひとつ意義をもたない」。A自身も、ピアノ2台の「ファ」の欠損のような「二つの断片」のつながりに「意味を探したい欲求に駆られてしまう」が、それがうまくいかないこともわかっている。だから、「意味の不在を第一原理として受け入れること」に徹しようとする。

 

 このくだりで、僕は著者の小説の極意に触れた気がした。オースターの作品世界には偶然がちりばめられているが、背後に必然を潜ませようという意図が感じられない。偶然を偶然と割り切る乾いた感覚。それが、思いもよらない筋書きを生みだすダイナミズム。Aの思考に沿って言えば、虚構を書いても「事実の物語」になる。僕たちが、その入れ子構造に引き込まれるのも、作中作がすべて「事実の物語」として活写されているからだろう。

 

 偶然をめぐっては「出来事同士が韻を踏む」という発想も興味深い。例示されるのは、Aの友人がパリで間借りしたら、そこはかつて彼の父親がナチスから逃れるための隠れ家だったという話。「両者を同時に眺(なが)めたときに生じる韻が、それぞれの現実を変革する」と書く。「韻」によって「世界のなかに新たな結びつきが生み出され」「もうひとつのシナプスがつけ加えられる」。シナプスは接続点。今日のネットワーク論に通じる洞察だ。

 

 最後に、巻末に収められた吉本ばななの一文から。ニューヨークで著者にインタビューしたとき、こんな言葉が返ってきたという。「自分にとっては今、何よりも、家庭の中で日々おこるハプニングこそが人生だと思う」。オースターは偶然を拾いだす達人なのだろう。

 

 今この瞬間、なにがどう転ぶかわからない。だから、僕は生きつづけようと思うのだ。

(執筆撮影・尾関章、通算383回)

 

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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『Q&A』(恩田陸著、幻冬舎文庫)

写真》問いと答え

 気の早い話だが、「オルタナティブ・ファクツ(alternative facts)」が今年の流行語大賞を獲るかもしれない。「代替(もう一つ)の事実」だ。米国大統領にドナルド・トランプ氏が就いたとたんに広まった。就任式の盛りあがりを示す人の集まりをめぐって、メディアは前任大統領のときなどと比べて少ないと報じた。写真を見れば明らかなように思える。ところがトランプ側は、それに噛みついて自陣営の主張を「代替の事実」だとした。

 

 これで僕たちの世代が思いだすのは、ひと昔前のデモや集会の参加者数だ。発表される数字が主催者と警察で大幅に食い違っていた。主催者が2万人と言っているときに警察が1万8000人ならいいほうだ。主催者が1万人なのに警察は6000人というような大差もあったと思う。僕自身、40年ほど前に駆けだしの新聞記者としてこの種の催しを取材していて、いつも当惑した。人数にはどちらの発表かを明記することが原則必須だった。

 

 あのころは、主催者が多めに言う、警察は少なめに抑える、という性向を世の中も受けいれていた。運動を企てる側は、民衆が大勢集まったことをもってよしとする。ところが、治安を担う側は民衆があまり集まらないことに秩序の安定をみる。だから、主催者が頭数を知らず知らずに二度数えしていても不思議はないし、警察は人影が重なって見えない人までは数えていないかもしれない。世間もそんなふうに受けとめていたのである。

 

 そう言えば、似たようなことはスポーツでもあった。少年時代に野球が好きになったころ、僕は捕手という守備位置にあこがれ、キャッチボールのときもよくしゃがんで球を受けたものだ。そんなとき、たまたま相手をしてくれた青年から教わったことがある。球を捕ったらミットを体の真ん前へずらせ、という鉄則だ。それからは、言われた通りにミット――と言っても実際はグローブだったが――をストライクゾーンに動かすようになった。

 

 昔はなにごとにも曖昧さがつきまとったのである。だから、人数推計の「多めに」「少なめに」が通用した。スポーツでも審判の目を惑わすことが技量のうちだった。ところが今は、画像や映像、電磁記録が物事を厳密に判定する。今回の就任式報道では、地下鉄駅の乗車データまでが引きあいに出されたようだ(朝日新聞朝刊2017年2月11日「Media Times」)。だから、事実は一つであるとして「代替の事実」論に猛反発が起こった。

 

 ただ――と、へそ曲がりの僕は思う。事実はほんとうに一つなのか。事実は確定したときに一つになる。それは間違いない。だが厄介なことに、一つに定まるまでは複数の候補が並び立って雲のようにもやもやしている。それらを代替事実群と呼んでよいのかもしれない。世の中のニュースを頭に浮かべてみると、雲状態にあるもののほうが多いように思う。代替事実群を前にしてどう生きるか。そんな問いが今、突きつけられているのでないか。

 

 で、今週は長編小説『Q&A』(恩田陸著、幻冬舎文庫)。著者は1964年生まれ、ついこのあいだ2016年下半期の直木賞受賞が決まったばかりだ。この作品は、04年に単行本が出て07年に文庫化された。全編から21世紀初頭の空気が強く感じとれる。

 

 本を手にしてまず気になるのは、その題名だ。これはふつうに“question”と“answer”のことらしい。最初から最後まで一問一答の形式で書かれた作品である。ただ、問う人と答える人は固定されていない。「章」と呼んでもよい小部分ごとに交代していく。問答をする二人の名前や横顔が地の文で明かされることはなく、ト書きも事物描写もない。言葉のやりとりだけでこれだけの作品世界をつくりあげたということに、僕はまず圧倒される。

 

 この作品の読み物としての主題は、大惨事の顛末だ。それは巧妙に描きだされる。一問一答のやりとりは、はじめのほうでは文字通りのQ&Aだ。一方がもう一方を問いただしている印象がある。ところが章が進むうちにQ&A色が薄れてふつうの会話のようになり、どことなくなごんだ雰囲気さえ出てくる。この変化が一つの効果をもたらしている。前段は直接の関係者の証言、後段は間接の関係者の解釈として読めるのである。

 

 では、それはどんな惨事か。冒頭の章でAの役回りにある「東都日報」社会部記者が明かした取材結果によれば、あらましはこうだ。連休最終日の昼下がり、東京郊外のショッピングセンターで非常ベルが鳴り、避難を促す館内放送も流れた。地上6階地下1階、大きなスーパーが入った建物だ。買い物客は階段やエスカレーターや出入り口に殺到、「あちこちで人波に強い圧力が加わる」事態となって69人が死亡、116人がけがをした。

 

 これには、型通りの解釈も用意されている。後段の章のQ&Aで、Qが巷間流布される読み解きをもちだして「集団パニックだって。何かの引き金が偶然重なって、それがみんなに伝染したんだって」と言えば、Aが「僕は、最初、サイバーテロかなと思った」と応じる。大型店はコンピューターに管理されている。エスカレーターが急加速急停止しても、空調が働かなくなっても一大事だ。「どこか一箇所システムが壊れれば、惨事は起き得る」

 

 上記2章で、すべてが言い尽されているようにも見える。だがそれは、一線記者が通りいっぺんの報道をして識者が利いた風の解説をするというメディアの予定調和に等しい。だが、事件や事故の実相はそんなにすっきりしていない。その場に居合わせた人の話を紡いでいくと、その人にしか見えない事実の証言がたくさんある。そこには思いもよらない物事の展開も隠されている。それを想像力で汲みあげたところが、著者のすごいところだ。

 

 4階婦人服売り場にいた41歳女性客。「おかしな夫婦がいたんですよ」。この店に場違いなほど上品な高齢男女だ。その女が不意に万引きを始める。店員が声をかけると、男が口を開く。「悔い改めなさい。我々は、あなたがたに許す機会を与えてあげているのです」。困惑する店員、興味津々の客たち。「その瞬間ですよ、ベルが鳴ったのは」。男はポケットのなにかに手をやった。「銀色の金属に見えました」。そして、みんなが一目散に逃げたという。

 

 71歳男性客は階段から1階の売り場を見下ろしたとき、あやしげな男に気づいた。その周りだけ人がいない。「で、いきなりその男が手に持っていた紙袋を床に投げたんだ」「ペしゃっ、という音がして」「液体が入っているという印象を受けたね」。男が足で袋を潰すと、客たちが顔を覆って階段に押し寄せたという。男性客は自分も刺激臭と目の痛みを感じたと主張するが、液体は犬の尿だったらしいとQ&AのQが明かす。

 

 これらの証言からわかるのは、別の階では別のパニックがあったということだ。万引き発覚後の逆切れと紙袋の「ぺしゃっ」。ともに異様な光景であり、通り魔事件や化学テロを連想させる。人々が恐怖に陥れられても不思議はない。それらの相乗効果が大惨事を招いたらしいが、では逆切れと「ぺしゃ」はたまたま同時に起こったのか、それともどこかにつながりがあるのか。人々の話を聞けば聞くほど、聞きたいことはさらにふえていく。

 

 Q&AのAには、今の世相を反映して監視カメラの録画を見た人の証言も出てくる。「無人になった店の中で、小さな子がちょろちょろ歩き回っていました」「何かをひきずっていたんです」「なんだろう。赤っぽくて、だらりとした」。後段では、この子の母親もAで登場する。彼女によれば、ひきずっていたのは娘のぬいぐるみで、そこに誰のものかわからない血がついていたという。女の子はけが一つなく生還して、メディアにもとりあげられる。

 

 作品の筋は、この子を狂言回しに繰り広げられる。そこには、犠牲者の家族たちが心の拠りどころとなる「隠れ家」をつくる、という話が出てくる。ところが、この活動の裏には主宰者が企てる利殖商法があり、隠れ家に集まる家族たちが次々に勧誘されているらしい、という疑惑も暴露されていく。悲しみにうちひしがれた人々が互いに支えあうという美談の陰にも欲得が渦巻いている――作者は、そんな事実の二面性も切りだしていく。

 

 最近は、事件事故の情報が大手メディアの報道だけでなく、つぶやきや映像の投稿としても拡散される。断片を見て判断すれば見誤る。片面を知って納得すればだまされる。僕たちは、本当か嘘かわからない代替事実群に囲まれている。そう覚悟しておいたほうがいい。

(執筆撮影・尾関章、通算357回、2020年8月17日更新)

 

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『それから』(夏目漱石著、岩波文庫)

写真》賀春

 風雲急を告げる2017年である。太平洋対岸の大国ではトップがもうすぐ代わり、その人がいったい何をするのかが気がかりだ。隣国ではトップをめぐる混乱がすでに極みに達して、東アジアの安定を崩すことはないかと目が離せない。そして足もとでは改憲の歯車がカチカチと回りだし、戦後っ子が当たり前と受けとめてきた価値に「時代遅れ」の烙印が押されそうな雲行きだ。どこもかしこも不安だらけだが、ともかくも正月が来た。

 

 先々週の当欄「クリスマスには幽霊を呼ぼう」(2016年12月23日付)にも書いたように、日本では正月に、欧米ではクリスマスに家族のもとへ帰るという社会習慣がある。近代人は、自らの活動拠点を機能本位の組織ゲゼルシャフトに置くことが多くなったが、年に1度くらいは血縁地縁の共同体ゲマインシャフトに立ち戻りたくなるのだろう。最近は商店の元日営業もふえたが、コンビニくらいにとどめておいたほうがよいと僕は思う。

 

 さて当欄は、家庭内の私事にはなるべく触れないできた。60歳超の男の異端の主張や愚痴めいたつぶやきに家族を巻き込みたくないからだ。ただ、物故者については縛りを緩めてもよいだろう。僕の祖父母4人は、先週の当欄「今年は『坊ちゃん』の明治で年を越す」(2016年12月30日付)で明かした通り、みな明治生まれだ。内訳を言えば、商家出身一人、農家出身一人、士族出身一人、農商どちらか不分明が一人ということになる。

 

 もっとも親密だったのは、長く同居した父方の祖父だ。商店街で小さな和菓子店を開いていた。「まっすぐ」を「まっつぐ」と言い続けた江戸っ子である。子ども心に敬愛していたのは母方の祖母。電車の駅で三つめの屋敷町に住んでいて、よく遊んでもらった。背筋がぴんとしていていつも冷静沈着。晩年、「わたしは士族の娘だから」というひと言を聞いたときはちょっと退いたが、そんな時代錯誤の自負も彼女の支えだったのだろう。

 

 多民族ならぬ多階層のルーツをもつことは僕にとって一つの財産となった。幼少のころから、世の中はひと色ではない、と身に染みて感じることができたからだ。その意味では、家の釣りあいなどにこだわらずに婚姻を進めてきた先行の家族に感謝である。

 

 最近人気のテレビ番組にNHKの「ファミリーヒストリー」がある。著名人のルーツを制作陣が本人に代わってたどる、という趣向。ひと昔前なら差別を助長すると批判されかねなかったと思うが、世の中の受けとめ方がだいぶ変わってきたのだろう。さまざまなリスク含みではあるが、観ていると胸が熱くなるのは事実だ。人は自らも知らない過去を背景に生きている。その驚きは、正月に家族が集まったときに抱く感慨ともどこか通じあう。

 

 で、今週は新春恒例の漱石。暮れに『坊っちゃんのそれから』(芳川泰久著、河出書房新社)をとりあげたからではないが、今年は『それから』(夏目漱石著、岩波文庫)を選んだ。明治40年代の話だが、そこに描かれる人々は江戸時代の延長線上に見てとれる。日本社会は欧風資本主義の道具立てを整えたが、底流には封建主義の意識が残っている。それに抗して近代の自我をどう貫くのか。その葛藤が社会批評を交えた筆致で描かれている。

 

 書きだしはこうだ。「誰か慌(あわ)ただしく門前を馳(か)けて行く足音がした時、代助(だいすけ)の頭の中には、大きな俎下駄(まないたげた)が空(くう)から、ぶら下っていた」。眠りから覚める瞬間。ただ、門前の足音には現実感がある。読み進むと、主人公長井代助の家は東京・牛込神楽坂界隈にあるらしいとわかる。独身だが、同居の書生と「婆(ばあ)さん」が身辺の世話をしてくれる。当時の山の手には、こんな暮らしがあった。

 

 代助は高等教育を受けているが、仕事には就かない。「先生は一体何をする気なんだろうね」で始まる書生と「婆さん」の会話。ここで「先生」は代助だ。「まあ奥様でも御貰(おもら)いになってから、緩(ゆ)っくり、御役(おやく)でも御探しなさる御つもりなんでしょうよ」「いいつもりだなあ。僕も、あんな風に一日(いちんち)本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮していたいな」。高等遊民とは、こんな人を指す言葉なのだろう。

 

 この境遇は、同時代の資本主義と前時代の封建主義の両方に乗っかっている。代助の父は役人勤めをした後、実業に手を染め、「自然と金が貯(たま)って」「大分(だいぶん)の財産家になった」。兄も、父のかかわる会社の幹部。父と兄のいる邸は東京・青山界隈にある。代助は、この実家に月1回ずつ生活費をもらいに参じて「親の金とも、兄の金ともつかぬものを使って生きている」。だから、経済面ではまちがいなく資本主義の子である。

 

 だが、こんなすねかじりの実態がありながら本人は平然と暮らしている。武家の名残が感じられる日常だ。実際に父は若かったころ、どこかの藩の武士であり、藩財政が逼迫したときに「町人を二、三人呼び集めて、刀を脱いでその前に頭を下げて、彼らに一時の融通を頼んだ」ということもあった。その功績は決して小さくはなかったようで、実家には「先代の旧藩主に書いてもらった」とされる書がありがたそうに掲げられている。

 

 この小説の筋は代助の秘められた恋心をたどるが、そこにも同じ構図がある。代助は、学生時代に知りあった菅沼三千代への思いを彼女が親友平岡常次郎の妻となった後も断てず、むしろ募らせる。そこにあるのは、近代の自我だ。だが、父や兄夫婦が縁談を用意しており、しかも先方の娘は父が藩士時代に恩を受けた人の家族だった。これは、武家意識を引きずっている。資本主義の力と封建主義の慣性。男女の心理にもそんな力学が見てとれる。

 

 この小説には三千代のほかにもう一人、魅力的な女性が登場する。代助の嫂(あによめ)梅子だ。彼が実家で客間にいると「ちょいと其所(そこい)らに私の櫛(くし)が落ちていなくって」と入ってくる。「まあ、御掛けなさい。少し話し相手になって上げるから」。このあと二人が始めるのは、ファッション談議だ。彼女の胸元にのぞく半襟が話題になる。「此間(こないだ)買ったの」「好(い)い色だ」。成人男女の快活な心の通いあいがある。

 

 別の箇所で梅子は「天保調(てんぽうちょう)と明治の現代調を、容赦(ようしゃ)なく継ぎ合せたような一種の人物」と素描される。縁談話では義父の意向を代弁する。これは、天保調だ。だが代助から、兄が留守がちで淋しくないかと問われたときは、いったんは笑って受け流した後、「貴方が奥さんを御貰(おもら)いなすったら、始終宅(うち)にばかりいて、たんと可愛がって御上げなさいな」と言い切る。こちらは現代調の心情だろう。

 

 もう一つ、この作品の読みどころは明治末期の風俗だ。身近なところでは代助の朝食。「熱い紅茶を啜(すす)りながら焼麺麭(やきパン)に牛酪(バタ)を付けて」とあるから、洋風が広まりかけていた。代助の甥は「近頃ベースボールに熱中している」。姪も「近頃はヴァイオリンの稽古(けいこ)に行く」。梅子と雑談を始めた客間は「近頃になって建て増した西洋作り」とされている。いわゆる洋間だ。「近頃」は欧風文化のラッシュだった。

 

 都市のインフラも整いつつあった。たとえば、春の上野を描いたところで「電燈に照らされた花の中に這入(はい)った」という記述に出会う。代助が書生を住まわせるときには「風呂は水道があるから汲まないでもいい」と言う。その書生に「君、電話を掛けてくれませんか」と頼み、公衆電話へ走らせたりもする。夜に郵便を届ける「夜中投函(やちゅうとうかん)」という制度もあった。人々が昼夜を問わず通信を交わす時代はできあがっていた。

 

 代助が動きまわる足は路面電車だ。だが、実家を訪ねるときに「電車の左側を父と兄が綱曳(つなびき)で急がして通った」という描写もある。綱曳とは二人で引く急行の人力車らしい。東京市街では、電力と人力が競い合っていた。ここにも明治の位相がある。

 

 遊民は、封建の世とひと続きの近代を生きる明治人にとって一つの解だったのかもしれない。代助は「歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる」という生き方をする。なぜ歩くのかと思うこともあって、そんなときは「アンニュイ」(倦怠)に襲われる。たしかに、行動が目的になるというのは話が逆だ。でも、そういう遊民流だからこそ時代を超越できる。先が見通せない2017年、書きたいからから書く、と当欄も開き直ることにしよう。

(執筆撮影・尾関章、通算350回)

 

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