『最後の紙面』(トム・ラックマン著、東江一紀訳 日経文芸文庫)
写真》新聞に新聞の買収話(朝日2015年7月24日付朝刊)
 
 日本経済新聞が、英国フィナンシャル・タイムズ(FT)を買収するというニュースをみてつくづく思うのは、新聞業界の苦境もついにここまで来たかということだ。日本語メディアというガラパゴスの生きもののようにローカルな存在が、英語メディア大手というグローバルな怪物をのみ込むという皮肉。それは、新聞社がコトバを紙に刷って売るという素朴な業態から抜けだそうとする脱皮の苦しみを如実に物語っている。
 
 買収劇に出てくるのが日経とFTというのも象徴的だ。ともに、経済情報を最大の売りものにしている。それを伝えるのに英語も日本語もない。原初的な自動翻訳で言語の壁を乗り越えられるコンテンツである。コトバではなくデータに生き残りを賭けようというのか。
 
 人々の新聞ばなれは、もはや否定できない。それは、僕自身も肌身で感じている。7年前、単身赴任でワンルームを借りたときのことだ。大学町だったので、そのマンションには学生、院生、ポスドクと思しき若者が多く入居していた。月に一度、古紙回収がある。どんな新聞が読まれているのか。引っ越してからしばらく、興味津々でその朝を迎えたものだが、古新聞の束を出してきたのは三十数戸のうち数戸に過ぎなかった。
 
 記者という仕事は、紙の新聞が消えてもデジタル報道の書き手として存続するだろう。だが、見聞きしたことがらを頭のなかで整理して、朝夕刊の締め切りごとにコトバを絞りだし、そのつど紙に落とし込む職業人は、もはや絶滅危惧種の域に迷い込みつつある。
 
 そう思うと、僕が半生の過半を費やしてきた記者生活をもう一度、振り返ってみたくなる。とりわけ愛おしく感じられるのは、そこで出会った新聞人たちだ。語弊を恐れずに言えば、変人ぞろいだった。
 
 彼らは、行動様式が世間一般とちょっと違うのである。一つだけ言えば、上昇志向の強い人はいても、お金に突き動かされる人はほぼ皆無だった。だから、新聞批判の常套句としてときどき耳にする「売らんかなの姿勢」という言葉は、個々の記者を形容するつもりなら的を外している。損得抜き、とにもかくにも自分の書いた記事が大きく出ればうれしい。そんな稚気にあふれた人々なのである。
 
 それは、売名とも違う。新聞は最近でこそ署名入りの記事がふえたが、かつては、海外特派員は別として、筆者名が紙面に出ることはめったになかった。世間はもちろん社内であっても、だれが書いたかは調べなければわからない。それでも記者たちは、自分の記事が載ればほっとし、きちんと扱われれば満足し、見出しが大きければ喜び、ボツになれば胸のうちに怒りを募らせた。あの心理をどう説明すればよいのだろうか。
 
 で、今週は『最後の紙面』(トム・ラックマン著、東江一紀訳、日経文芸文庫)。著者は英国生まれ、記者出身の作家だ。この小説では、2000年代、ローマを拠点とする新聞社を舞台に老壮青、男女、そして地位職種がさまざまな新聞人たちの物語を、私生活に踏み込んでオムニバス形式で描いている。原題は“The Imperfectionists”、直訳すれば「不完全な人々」か。僕が「変人」と呼びたくなる愛おしい人々が次々に姿を現す。
 
 おもしろさを倍加しているのは、一話が終わるごとの幕間に、この新聞社の社史もどきが人間臭い筆致で断片的に差し挟まれていることだ。こちらは時間軸が長めで、1953年を起点とする。サイラス・オットという米アトランタを本拠に事業を繰り広げる富豪が、かつて心を寄せた女性とローマで再会する。彼女は当地在住のジャーナリスト、そばには同業の夫がいた。オットは、この地で英語の国際紙を創刊することを夫妻に提案する。
 
 こうして、一人の男のロマンティシズムが一つの新聞を生んだ。だがそれは、社主がサイラスの子や孫に代わるうちに苦難に直面する。社史もどき2004年のくだりには「新聞の地位は、錐揉(きりも)み状態で降下していった」とある。「即座に更新されるインターネット上のニュースは、インク刷りの一日遅れの見出しへの不満を育んだ」「ネット上では、料金を支払うかどうかは見る側が決めた」。それは、今の新聞業界の苦境そのものだ。
 
 本編の物語に目を移すと、僕が共感を禁じ得ないのは、報道部長クレイグ・メンジーズが夜遅く帰宅する場面だ。「最終版を校了にすると、ほかの全員が退社し、メンジーズが編集室を寝つかせる」「バスの中で、メンジーズの脳裡を、ニュース受信テープのように、延々と続く見出しの文字列が横切っていく」。中東の国のミサイル試射、海洋生物の絶滅予測、宗教指導者のスキャンダル……。
 
 ニュースの想念は、マンションに入っても追いかけてくる。ところがドアを開け、妻に迎えられ、台所で料理の味見をして、彼女が語る身辺雑事に耳を傾けていると「一分前までの関心事が、すべて関心事ではなくなる」。毎夜毎夜、そんな瞬間が僕にもあった。
 
 新聞の内情もいろいろと明かされる。これは世間の常識からみれば失礼極まりない行為なのだが、新聞社では、有名人の生涯を評伝ふうに綴った原稿を予め用意しておく慣習がある。突然の訃報でも即応するためだ。訃報記者アーサー・ゴパールは、その取材で高齢病身のフェミニズム系女性知識人を訪ねる。名士録の更新を理由にしたのだが、「わたくしの死亡記事をお書きになるためだと考えてよろしいのね?」と見抜かれる。
 
 さもありなんと思わせるのは、先方から「できあがった記事に、わたくしはいつ目を通せるの?」と聞かれるくだりだ。新聞には、取材相手に原稿を見せないという原則がある。批判者の視点が損なわれないようにするための伝統だ。アーサーが断ると、先方が心にグサリと刺さることを言う。「残念。自分がどんな形で人の記憶にとどまるのか、知ることができたらさぞ楽しいでしょうに」。どんな有名人も、自分の死亡記事は読めないという逆説。
 
 パリ駐在のロイド・バーコウの話は、ベテラン記者の行く手に待ち受ける魔の手を見せつける。パソコンが使えないこともあって活躍の場がなくなり、自称外務省勤めの息子を呼びだして特ダネをとろうとする。「何かあるとすれば、ガザへの進駐かな」と息子。「誰がガザに進駐するんだ?」「細かいことまではわからないよ」「いや、それで構わん。とにかく、省内でガザ進駐の話が出てるんだな?」「小耳にはさんだ気がする」――こんな具合だ。
 
 手練れのロイドには、これだけで「フランスが国連平和維持軍のガザ進駐を画策」と書くのに十分だった。「ただひとつの源泉から物語の流れを引き出し、背景となる素材でふくらませ」「架空の情報源には、“匿名という条件で”“近い筋では”“この分野に詳しい専門家によると”などの但し書きをつける」。だが、いまは新聞社も虚報リスクに敏感だ。編集主幹が「情報源の扱いをきちんとする必要がある」と注文をつけ、化けの皮ははがされる。
 
 老記者がいれば、老読者もいる。圧倒されるのは、編集主幹キャスリーン・ソルソンの元カレの母親、オルネラ・デ・モンテレッキ。新聞を隅から隅まで几帳面に読むので、1日分を1日で読み切れず、2007年のいま、1994年4月23日付で足踏みしている。翌24日は亡夫との間に辛い出来事があった日なので、先へ進めないのだ。それでも勇気を奮い立たせて息子に収納棚を探させると、その日の新聞だけがない。
 
 新聞社に出向いて旧知のキャスリーンに1部分けてほしいと頼むが、「うちは何年も前に、保管してたバックナンバーを廃棄したんです。全部デジタル化して」。彼女の思い出話から「24日付」が欠けた理由もわかる。そういうことか! 家で自ら脚立に昇り、収納棚から既読紙も未読紙も放り投げる。下りるときに新聞の山で足を滑らせ、「どすんと尻もちをつく」。滑降して止まったとたん、笑いがこみあげる。「何やってるのかしら!」
 
 元新聞記者には、紙の新聞へのこだわりがある。新聞紙が鍋敷きに使われると、ムッとしたりもする。だがもはや、そんな思いは断たねばなるまい。奇しくも日経系の出版社が出した小説がそれを教えてくれた。オルネラのように僕も言おう。「何やってきたのか!」
(執筆撮影・尾関章、通算275回)
 
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『ジャーナリストの生理学』
(オノレ・ド・バルザック著、鹿島茂訳、講談社学術文庫)


 新年早々、フランスから衝撃のニュースが飛び込んできた。風刺週刊紙の発行元が銃撃され、流血の事態となったのだ。年末以来、米国の風刺映画に対するサイバー攻撃も国際緊張を呼び起こしている。批評精神を尊ぶジャーナリストにとっては暗雲の漂う年明けだ。
 
 ジャーナリズムに関係する話では、暮れに見つけた「警視庁捜査2課、贈収賄摘発ゼロ/今年濃厚 過去30年で初」(朝日新聞12月30日付朝刊)という記事も興味をそそる。時代の潮目を感じさせるからだ。捜査陣のなかにあるらしい「中央省庁の法令順守が厳しくなるなか、公務員の規律意識も高まった」という見方は腑に落ちる。もう一歩踏み込んで推察すれば、帳簿が電子化され、昔ながらの不正が難しい時代となったのだろう。
 
 エリート官僚と悪徳企業人がこそこそと悪事を働く。それを警察や検察が嗅ぎつけて、とことん調べあげる。その情報を記者たちが聞きだして白日の下にさらす――この不正暴露の構図は、ジャーナリズムの原型と考えられてきた。僕が新聞社に入ったころ、事件記者のキホンのキは刑事を早朝から夜中まで追い回して捜査の進展を見逃さないこと、と叩き込まれたものだ。だが今、そういう職人気質は万能ではなくなった。
 
 この時代、コンピューターはネットメディアを生みだしてジャーナリズムを大きく変えつつある。だが、同時に取材対象の人々の生き方や世の中のありようを一変させて、ジャーナリストの行動様式をも塗りかえようとしている。そもそも、ジャーナリズムとは何なのか。
 
 で、今週は『ジャーナリストの生理学』(オノレ・ド・バルザック著、鹿島茂訳、講談社学術文庫)。文豪バルザックが1843年に世に出したジャーナリズム風刺の書である。原題は「パリ・ジャーナリズムのモノグラフィー」。この邦訳は1986年に『ジャーナリズム博物誌』(新評論)の邦題で出て、97年に『ジャーナリズム性悪説』(ちくま文庫)と書名が変わり、去年暮れの再文庫化で三たび改題された。
 
 原題の「モノグラフィー」は、生物分類学で一つの領域、範囲の種を総覧する論文を指す言葉だ。巻頭には「目:文士」を表題とする分類図が載っており、本文では、当時のフランスメディア界にうごめいていた諸種ジャーナリストを皮肉たっぷりに描きだしている。
 
 風刺が要約されたのが「結論」の章だ。「ジャーナリストにとって、ありそうなことはすべて真実である」「もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない」といった「公理」が挙げられている。前者は、僕の古巣である朝日新聞が最近浴びた批判の嵐を連想させるなと思っていたら、学術文庫版のあとがきで訳者の鹿島さんがこのことに触れていた。その意味では、きわめてタイムリーな今回の刊行である。
 
 この本は、冒頭から1ページずつ繰っていくのが結構しんどい。19世紀半ば、フランス国内の政情がどうであり、メディア事情がどんなふうだったかを熟知していないと、だれがどのように風刺されているかがピンとこないからだ。巻末に収められた長文の鹿島解説を読んで、はじめてわかってくることもある。この本に限っては、解説を一読してから本文に移るという読み方のほうが賢明かもしれない。
 
 その解説でおもしろいのは、バルザックその人がジャーナリズムに野心を抱いていたという個人史だ。この小説家には時代の流れを読みとるビジネス感覚があった。出版業や新聞発行業に手を染めたり、個人雑誌を出したりした。糊口をしのぐために新聞や雑誌に雑文めいたものを書きまくったこともある。「史上初」の新聞小説を書いた人でもあった。その彼が、自らの戯曲が酷評されるなかで復讐心を込めて執筆したのが、この本だという。
 
 「ジャーナリズムに対するバルザックの憎しみのかなりの部分は、自分がジャーナリズムで成功しなかったこと、そこで『金と権力』を手に入れることができなかったことからきているようである」(訳者)。彼には、愛憎こもごものジャーナリズム観があったらしい。
 
 本文を読んで驚くのは、そのころすでに新聞づくりの骨格ができていたことだ。今ならば編集長や編集部門のデスクといった立場にある人が「〈割り付け〉を監視する」(〈 〉部分に傍点、以下も)というくだり。「なかでも面白いのは、大小の記事が、すべて、深夜の零時から一時の間に行われる〈割り付け〉の出来いかんにかかってくることである。この時間帯は、新聞にとって運命を決する時間である」。これは、今とほとんど変わらない。
 
 それは、記者にとって魔の時間帯でもある。著者は記者の思いを汲みとって、こう書く。「諸君は、てっきり自分の記事が翌日の新聞に載るものと確信して眠りにつくだろう。ところが、〈国会関係〉の記事が予定の枚数をオーバーして、あと二段分の紙面が必要になる。そうなると、すでに組版に入っていた諸君の記事はふたたび組み置きに回され、またの機会をまつことになるが、このまたの機会というのは永遠にやって来はしない」
 
 新聞のジレンマを見抜いているのは、「雑報はどの新聞でもまったく、似たりよったりである」という一文。社説を除けばどれも同じ、というのだ。「両陣営の新聞が、毎日のように同じ事実から出発して正反対の結論を引きだし、どちらも必ず不条理へと達するのはまさにこのためであり、この違いがなければそもそも新聞は存在しえない」と書く。ここで「両陣営」とは、当時のフランス各紙を特徴づける与党系、野党系の色分けのことである。
 
 新聞報道は事実に即しているので、どうしても記事そのものは似る。そのことは、ボヤ騒ぎの短信を思い浮かべればわかるだろう。それでは個性がないと咎められるので独自色を出そうとすると、今度はこじつけの論理に走りかねない。ここに欠陥記事の温床がある。
 
 社説批判も痛烈だ。たとえば、「語り口はじつに誇らしげだが、これは、自分がヨーロッパ中に語りかけ、ヨーロッパも自分の話を傾聴していると勝手に思い込んでいるためにほかならない」という指摘。この自意識過剰は、僕も論説委員時代に自覚した。社説で何を訴えるかを議論していると、その主張がすぐにも世の中を動かすかのような錯覚に陥ることがある。社説の論調に敏感な一部の政治家や官僚を、世間全体と取り違えてしまう愚だ。
 
 その一方で著者は、社説が大衆心理に迎合しがちなことも見落としていない。そこには「何かの事件が起こるたびに、予約購読者はなにがしかの意見を抱くが、『これについては、明日、〈私の新聞〉が言うことを読めばいいだろう』と言って眠りこんでしまう」という分析がある。社説は読み手のこういう生活パターンに応えなければならないのだから、「予約購読者たちの思想をたえず先取りすることによってのみ存在する」と言い切るのである。
 
 これは、僕が現役時代に体験した昨今の新聞の病弊と重なりあう。世の中を動かそうと大上段に構えるあまり「上から目線」が強まると、その反動で、今度は大衆心理に寄り添うべく「下から目線」を装う。振り子が極端から極端に触れるのだ。賢明な提言は決して大上段から振り下ろすものではないし、大衆心理は実体があるのかどうかもわからない。両極端の間にこそ発信すべきメッセージは多いのだが、それをなかなか打ちだせない。
 
 「小新聞記者」をとりあげた章は、ネット時代のメディア状況を予感させる。小新聞とは今の日本にあてはめれば週刊誌に近い中身の媒体だが、その記者のなかで第二の変種とされた「お調子者」は「からかうためにからかい、世論の尻馬にのって見当違いな誹謗中傷を行う」とある。この変種が、だれでも発信可能なネットというインフラを手にしたときに炎上現象が起こるのだ、とも言えよう。
 
 文豪の文豪たるゆえんは、たとえうらみつらみを書き綴ってもそれが駄文に終わらないことだ。この本があぶり出すジャーナリズムの生理と病理は、170年余を経た今も乗り越えられずにいるメディアの現実にほかならない。見方を変えれば、これはジャーナリズムに身を置いたことのある著者がジャーナリストのありようを自省した本としても読める。フランスジャーナリズムの風刺精神は自らも風刺してしまうほどにしたたかなのである。
 
写真》朝日新聞は今年から、紙面を双方向に近づけようと「Re:」というアイコンの欄を展開するようになった。ここにもジャーナリズムの曲がり角が見てとれる。
(文と写真・尾関章/通算246回)
 
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『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(松田美佐著、中公新書)

 風評被害のニュースを頻繁に見かける。最近も、漫画作品の表現が被害を招くということで、地元自治体などが出版社に抗議している。僕のようにマスメディアで生きてきた人間には無関心でいられない話だ。
 
 新聞記者だったころ、心に戒めていたことを文字にすればこうなる。社会不安の引きがねになりそうな出来事があったとき、その影響を小さめに見積もるのはリスクの放置につながるので避けるべきだ。逆に過大にとらえると、こんどは避けなくてもよいことまで避けようという動きが出てきて負の効果をもたらすので要注意――。この「負の効果」こそ、世に言う「風評被害」である。
 
 これは、3・11福島第一原発事故の放射能をめぐる話ばかりではない。記憶をたどれば、コレラや病原性大腸菌や重油流出やダイオキシンの不安も同様のことを引き起こしている。人の安全、健康にかかわるリスクが一つの地域に結びつけて語られるとき、その地域の一次産品生産者や観光業者は影響を受ける。それが根拠に乏しいものならば、良からぬ風評が立てられたということになる。
 
 こうしてみると、メディア人は過小視と過大視という二つの落とし穴のはざまでいつも悩んでいる。それに対する優等生的な答えは、過不足のない正しい情報を伝えればよいということだ。だがそれが難しい、というよりも無理なことが多い。科学データには多かれ少なかれ誤差がつきまとう。科学者同士が、そのデータをどうみるかで対立していることもある。「正しい情報」とはいったい何なのか。報道の担い手も当惑することになる。
 
 ジャーナリストが事実を扱っている、というのは実は幻想だ。事実と言える部分をすくい取ろうと、事実かどうかわからない情報を相手に悪戦苦闘しているのである。だから、情報の本質を知ろうというなら、裏打ちがない曖昧な部分も見過ごすわけにはいかない。
 
 で、今週の一冊は、4月に刊行されたばかりの『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(松田美佐著、中公新書)。著者は東京大学の文学部と大学院で社会心理学や社会情報学を学んだ研究者で、中央大学教授。このタイミングで「うわさ」の本を出した最大の意義は、副題にあるように古来、口から耳へ伝えられていた「うわさ」という情報の広まり方がメールやネットによってどう変わったかを探るところにあるのだろう。
 
 その本題に入る前にまず、あとがきの冒頭に織り込まれた話に触れてみたい。著者は東日本大震災の半年後、被災地で取材しているジャーナリストから、こんなうわさを聞いたという。「千葉のほうに記憶喪失で流れ着いて、暮らしている人がいるらしい」。それは、津波によって大勢の人々の「不在」と向き合うことになった地域社会で「生きているなら、なぜ帰ってこないのか」を説明づける「物語」になっていた。
 
 これを受けて著者は書く。「このような、ある意味で典型的な『物語』に一縷(いちる)の望みを託しながら、うわさを語り合うような親しい“つながり”=関係性のなかで、大切な人の喪失を受け入れていきつつあること、受け入れていかざるをえないことに、ひどく胸が締め付けられる思いがした」。うわさというと不快な側面を思い浮かべることが多いが、心優しい一面もある。人はうわさなしに生きられない。
 
 この本は、うわさを一応、「人から人へとパーソナルな関係性を通じて広まる情報」と定義づけながら、今日では「この定義があいまいになっている」とことわる。たとえば、うわさがネットで広まるときは、もはや「パーソナルな関係性」を必要としていない。
 
 うわさには、もう一つ、ホントでないか、あるいはホントかウソかはっきりしないという特徴がある。それが広まっている途上ではホントと思われていることもあるが、「事後的に『事実』ではなかったとわかると『うわさ』と呼ばれるようになり、『事実』であったとなると『口コミ』とされる」。つまるところ、事実にしっかりと紐づけられておらず、糸の切れた凧のようにふんわりと浮いた情報がうわさである。
 
 同様に事実から浮きあがった情報には、デマ、流言、ゴシップ、風評、都市伝説の類がある。それらも広くうわさというくくりでとらえ、事実とは切り離された情報が実空間だけでなくネット空間をも駆けめぐる状況に迫ろうとしたのが、この本だ。
 
 うわさには、有名な「公式」がある。うわさの強さや規模は、問題の重要度と根拠の曖昧さを掛け合わせた積に比例する、というものだ。米国の心理学者ゴードン・W・オルポートとレオ・ポストマンが『デマの心理学』という本で披歴した。僕は1970年代に新聞記者になったころ、これさえ頭に入れておけばデマに振り回されることはないと思ったものだが、著者は、それを「古典」の一つと位置づけてその限界に言及している。
 
 古典の限界は二つある、という。一つは、コミュニケーションとはニュースやお知らせ、関心事を扱うもの、という見方から抜け出していないことだ。マスメディアの報道はこの枠に収まるが、うわさには伝達に意義を見いだせないものもある。「井の頭公園でボートに乗ったカップルは別れる」のように情報価値の乏しい都市伝説がそうだ。「うわさというコミュニケーションを行うこと自体が目的となるような場合も多い」
 
 二つめは、メディアを「メッセージを伝える伝送路であって、中立的な媒体にすぎない」とみて、情報の中身ばかりに関心を寄せてきたことだ。「口伝えで広まるうわさとマスメディアやインターネット上で広まるうわさは同じなのであろうか」と著者は問いかける。
 
 古典の限界を裏返せば、これからのうわさ論はコンテンツだけでなく、それを載せる道具立ても視野に入れて論じなくてはならない、ということになろう。そのときは、道具ごとに異なる人間の心理も大きな要素になる。
 
 この視点に立って、著者はネット社会ならではのうわさを論ずる。もっとも怖いなと感じたのは、米国の法学者キャス・サンスティーンの見解を踏まえた「集団分極化」の考察だ。インターネットは「多種多様な大量の情報のなかから、自分の見たいもの、聞きたいものを選んで接触する」のに適している。それは「同じような考え方の人間を集めやすいため、そのなかでの議論を通じて、人びとはより過激な立場をとるようになる」。
 
 このとき、飛び交う情報は支持者を雪だるま式にふやし、ますます信じられやすくなる。そこに現れやすいうわさが、荒唐無稽な陰謀論だ。著者は「インターネット・コミュニケーションの特徴によって流行しているものの一つであろう」とみる。
 
 ネット社会のうわさには「残り続ける」怖さもある。「若いときの悪ふざけや酒を飲んだときの失敗」などは、かつては「記録されず、忘れ去られていくものであった」。ところが、「インターネットのある社会においては記録され、共有され、いつでも検索されて甦る」。このくだりでは、欧州連合(EU)に「忘れられる権利」法制化の動きがあるという話が出てくる。権利が認められても、それを担保するしくみを築くのは難しいだろう。
 
 その一方で、「記録」は発信者を突きとめる手がかりにもなる。「インターネットの匿名性は完全なものではなく、対面でのコミュニケーションと異なり必ず記録が残る」。これは、悪質なうわさをまき散らすことに対する一定の抑止力かもしれない。
 
 この本は、ネットの質問サイトがお役立ち情報の互酬の場になっている現実や、ネット系都市伝説に「いい話」が多い傾向も話題にとりあげている。ネットは誹謗中傷の巣、と決めつけるのは短絡に過ぎるのだろう。
 
 ネットにふんわり浮かぶうわさとつきあうことが避けられなくなった今、僕たちはしたたかさをもって情報と接する習慣を身に着けたほうがよいのかもしれない。なにごとも真に受けるばかりが真摯なのではない。人の世はホントばかりではない。ウソもある。
 
写真》事実から浮きあがった情報がパニックを起こした例では、米国で1938年に放送されたラジオドラマ『宇宙戦争』の騒動が有名だ。火星人が来襲するという筋書きを本気にして逃げだす人が大勢いたという。うわさが「パーソナルな関係性」から離れるハシリだったのかもしれない=尾関章撮影
(通算212回)
 
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『事件記者』(島田一男著、徳間文庫)

 ジャジャジャジャーンという擬音語を聞いて「事件記者」の斜体文字が思い浮かぶ人は、ほとんど60超だろう。NHKが1958年から66年まで放映したテレビドラマだ。警視庁記者クラブに詰める記者群像が主人公。冒頭に流れる映像では伝書鳩が飛び、輪転機が回り、車のフロントグラス越しに新聞社の社旗がはためく。そこにかぶさるのがジャジャジャジャーンのテーマ曲であり、躍動感のあるタイトル文字だった。
 
 レトロと言えばレトロだ。かつて新聞社の屋上で飼われていた伝書鳩はもういない。未現像フィルムを取材現場から本社へ届けたというのだが、画像をメールで送れる今日では想像がつかないことだ。記者が乗るハイヤーも、今はふつう旗を翻したりしない。僕がいた会社が車の旗をやめたのは記者に対する銃撃事件があってまもなくだったが、報道機関が偉そうに旗を立てて街を走り回ることが大時代的に見えはじめたころでもあった。
 
 鳩は消えた。車の旗も消えた。残るのは新聞を刷る輪転機だけだ。こればかりはなおしばらく働きつづけるに違いないが、それもしだいにデジタル配信に席を譲っていくことになるだろう。だから、あのドラマは新聞人にとって文化遺産と言えるものだ。
 
 ところが、NHKアーカイブスのサイトで検索すると、当時の映像は数回の放映分しか残っていない。はじめはぶっつけ本番の生放送だったが、途中から録画も採り入れたらしい。ただ、テープに残す習慣はなかったのだろう。ビデオテープそのものが高価な時代で、何度も上書きして使っていたようだ、とテレビ界の友人が教えてくれた。そうだとすると、僕の脳裏に焼きついた記憶はとても愛おしく、大切に思えてくる。
 
 僕にとって「事件記者」との関係は奇縁と言ってよい。小学校高学年から中学生にかけては、このドラマのヘビーな視聴者だった。警察庁舎の一隅にあるらしい記者クラブというところで大のおとなが軽口をたたき合いながら、抜いた、抜かれた、の特ダネ合戦を繰り広げる様子がおもしろかったからだ。ところが思いもよらないことに、十余年たって僕自身が彼らと同じ立場に置かれるようになったのである。
 
 ウィキペディア情報によると、売れっ子ジャーナリストの池上彰さんは、この番組を見て記者を志したという。僕は、同じようにブラウン管の記者たちに心を躍らせながら自分が記者になろうとはつゆほども思わなかった。それが就職のとき、第一志望でもないのに新聞社に入り、支局に赴任してすぐ県警記者クラブにほうり込まれた。警察のクラブに出入りしたのは、二つめの支局時代と合わせると通算3年ほどになる。
 
 警察の記者クラブとは奇妙な空間だ。机を並べただけのところもあるし、メディア各社が小部屋をもっているところもある。「事件記者」のスタジオセットでは、新聞社ごとに仕切りで区分けされたブースが背後に並び、手前に共用ソファが置かれていた。これだと、1台のカメラで各社の動きが一望できる。僕自身の経験を言えば、一つめの福井県警は机方式、二つめの京都府警はドラマと同じ仕切り方式だった。
 
 記者たちはソファでは仲良くテレビに見入ったり、囲碁将棋に興じたりする。和気あいあいだ。ところが、いったんブースに戻ると、ヒソヒソ話を始めたり、ダンボ耳で他社の動きを探ったりする。僕の上司にあたるキャップは、取材で仕入れた極秘情報は決して口に出さず、たばこの内箱に書いて教えてくれたものだ。同業者同士のギルド的友愛と、それと裏腹な化かし合いの情報戦。この二つが同居しているのが記者クラブである。
 
 で、今週の一冊は『事件記者』(島田一男著、徳間文庫)。著者は戦前戦中に「満州日報」で従軍記者をしていたことがある作家で、「事件記者」の原作者として知られる。ただ、ここに収められた2作品はドラマ放映が終わってからのもので、うち1編は終了直後に発表された。だからドラマの原作というよりも、ドラマの小説化に近い。徳間文庫版のもとになる本が青樹社から出たのは77年3月。奇しくも僕が新聞記者になるひと月前だった。
 
 2作品に出てくる新聞社と登場人物はドラマとほぼ同じだ。出番が多いのは、東京日報の相沢キャップ、ベーさん、ヤマさん、イナちゃん、八田老人、タイムスではキャップのクマさん、アラさん、ヤジさん、セイカイドン、日日はキャップのウラさん、ガンさん、シロさんといったところか。それに、事件報道では影が薄い毎朝新聞の面々、村チョウ、山チョウといった刑事たち、飲み屋「ひさご」のお近さんも喫茶店「アポニー」の田川店主もいる。
 
 ちょっと補足すると、八田老人は白髪の嘱託記者、もはや一線には出ないが、後輩に言うひとことふたことに含蓄がある。セイカイドンは青海記者。「古人曰(いわく)く、――因果はめぐる小車……であるナア」といった口調は、ドラマと変わらない。
 
 収められている2編は「犯罪乱流」と「空白の夜」。前者ではアラさんが主役格。後者はヤマさん中心の筋書きだが、それに絡むのがヤジさんだ。ここで触れざるを得ないのが、不幸な事件でつながったタイムスのアラさんヤジさんの関係だ。66年、アラさんを演じる清村耕次さんが突然自殺、急きょ代役のようなかたちで出演することになったのが藤岡琢也さん。大阪から転勤してきたコテコテ関西弁のヤジさん、という設定だった。
 
 この本を読んでいて痛感するのは、記者たちの振る舞いが今とはだいぶ違うことだ。よく言えば自由闊達、悪く言えば傍若無人。もちろん、小説だから現実がその通りだったわけではあるまい。だが、コンプライアンス至上の時代にいる今の記者像と、僕たちが駆け出しのころの記者像を直線で結んでそのまま延ばしていくと、1950年代、60年代にはこんな記者たちがいてもおかしくないな、とは思われる。
 
 「犯罪乱流」では殺人の捜査本部が置かれた所轄署の場面がある。記者がたむろするのは、署員が日常業務をこなす刑事部屋。臨戦態勢を反映してピリピリしている。スリの女につらくあたる刑事を見て「主任警部の席で、悠々とライスカレーを食っていた日日の国分が、傍らに立って肉マンを食っている毎朝の亀田を見上げた――」。そして「長さん、ちょいと荒れてンなア」。警部席を我がもの顔で占拠していて「荒れてンなア」もないものだ。
 
 本拠の警視庁記者クラブでは午前中、各社のブースから矢継ぎ早に声が飛ぶ。「――光ちゃん! お茶! しぶーいやつ……」「――光ちゃんよッ、五階の昼飯一丁……」「――お光坊! 当方は美容食だ! トーストと牛乳、頼むッ……」。ここで「光っちゃん」「お光坊」はクラブ担当の職員だ。部外者をあたかも自分の助手のように呼んで、食事の調達まで言いつけている。今ならば批判を受けることは必至だ。
 
 だが、あのころも記者は新聞の未来を考えていた。「どこで、誰が、何をしたか……。それだけがニュースじゃとすると、とてもじゃないが、テレビ、ラジオのニュースには勝てん。従ってじゃね、新聞の特色をいかすために、事件の背景を調査して書く」。田舎町で車のガス爆発があったならば同様の事故が都心で起こったときのことまで考える。「新聞記者はそこまで突ッ込んで、調べあげて記事にする。これは立派なニュースじゃよ」。
 
 日報の長老、八田老人の言葉だ。「どこで、誰が」式の特ダネをとって得意げな日日キャップのウラさんをたしなめて言う。他社の記者であろうとも後輩を諭す姿に、僕は新聞人が受け継ぐべき良質の同業者精神をみる。
 
 僕たちは自らの職業集団の軌跡を記憶記録して後世代に伝えていく義務がある。そこには誇れる話もあるが、胸を張れない話もある。だから、ノンフィクションよりフィクションのほうが過去の実相に正直なところがある。僕にとって「事件記者」はそんな作品だ。
 
写真》僕が記者になったころ、事件事故の原稿は「ザラ紙」と呼ばれる手のひらサイズのわら半紙に3B鉛筆で書いた。記事1行がちょうど1枚。この写真を撮るためにわら半紙を探し求めたが、今はほとんど売っていない。しかたがないので茶色がかったノートの紙で代用した=尾関章撮影
(通算210回)
 
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『僕らのニュースルーム革命――僕がテレビを変える、僕らがニュースを変える』
(堀潤著、幻冬舎)

 むかし、僕はマスコミ人だった。それが、新聞記者を36年間続けて会社をやめたころにはメディア人になっていた。農協がJAと呼ばれ、職安がハローワークの看板を掲げるようになったのは、漢字がアルファベットやカタカナに化けるというよくあるパターンだ。ところが、マスコミはもともとカタカナなのにいつのまにか古い語感を漂わせている。なぜだろう。そう考えて、やっぱり業態そのものが変わったんだ、と気づく。
 
 マスコミという言葉で真っ先に思い浮かぶのは、新聞やテレビ、ラジオだ。見落とせないのは、この「マス」が情報を受ける側の状況を指していることだ。情報伝達の構図でとらえれば、少数の送り手が多数の受け手とつながっているのがマスコミである。
 
 ネットメディアはどうか。情報はだれでも発することができるし、だれもが受けとれる。発信も受信も「だれでも」なのだから、マスコミよりもマスではある。だが実際は、マスであってマスでない。受け手からみれば送り手が多すぎて、いちいち付き合っていられない。その結果、送り手が無数の受け手を思い描いて放つ情報も、学校新聞や学級新聞の読み手くらいの人数にしか届かないことが多い。マスに広がるのはごくごくまれのことだろう。
 
 ここが、昔からあるミニコミとは違うところだ。タウン誌やローカルFMは、はじめから受け手の大枠が定まっている。だからこそ、小さなコミュニティーの共有知――たとえば、その街に行くにはどんな乗り物が便利で、駅前にはどんな店があるかというような――を前提にした情報のやりとりが成立する。ところが、ネットは、そうはいかない。相手は、どこにいるかもわからない不特定の人たちである。
 
 マスでもなくミニでもない不定形さ。そんなコミュニケーションのありようが一気に広まったのが今の時代だ。マスコミという言葉が古びたのも当然だろう。新聞もテレビもラジオも、メディア国にあるマスメディア県の住人となったのである。
 
 「本読み by chance」を書くのが楽しいのは、この不定形の醍醐味があるからだ。日本語で書いているのだから世界中に発信しているとは言いにくいが、海外にいる日本語スピーカーは読み手に想定している。いまこのときも旧友の顔を思い浮かべつつ、遠方の一見さんが検索エンジンに乗っかって迷い込んでくれることに期待をかけていたりする。そう、あなたはどなたですか! 
 
 で、今週は、そんなメディア状況を考えさせてくれる一冊『僕らのニュースルーム革命――僕がテレビを変える、僕らがニュースを変える』(堀潤著、幻冬舎)。著者は1977年生まれのジャーナリスト。元NHKアナウンサーで「ニュースウオッチ9」や「Bizスポ」に出ていた。3・11の原発事故を受けてツイッター発信を大展開、いまはNHKを去ってNPO法人8bitNewsの代表を務めている。
 
 8bitNewsは「市民投稿型ニュースサイト」だ。2012年にβ版(試作版)をつくって以来の活動が、この本では報告されている。首相官邸前で大飯原発再稼働反対デモが始まったころは、その動画がYouTube経由でサイトにアップされた。撮ったのは「都内の会社で事務などをして働いている会社員の女性」だ。「テレビ局のハイビジョンカメラに比べるとやや粗い画質の動画だったが、人々の表情や声をしっかりと記録していた」
 
 大手メディアは当初、この一連のデモにおしなべて冷淡だった。ところが動画がソーシャルメディアなどを通じて世界に広まり、再生回数を伸ばすと「翌週のデモから、新聞、テレビ各社が取材に来るようになった」。僕がいた朝日新聞は、草の根色が強いこのデモの意味の大きさに早めに気づいたほうだが、ネットに背中を押された感は拭えない。著者は「現場の当事者が自分の力で事実を報道することが可能になった――」と実感したという。
 
 福島第一原発の事故処理作業をめぐる発信もあった。映像を実名で投稿してきたのは「テレビや新聞を見ていても、現場の実態がよくわからない」と感じて作業員の募集に応じた、という人だ。SDカードには「高線量現場での作業を依頼されている様子などが生々しく記録されていた」。8bitNewsは「事実の確認や、映像のチェック」に意を払ったうえで、非正規労働者労組の支援もとりつけて発信に踏み切ったという。
 
 一方で、批判の矢面に立った発信もあった。放射能汚染の影響を危惧する福島県出身者が子どもたちの県外疎開を求めて演説する様子をとらえた動画だ。その話のなかには「福島のものを食べないでください。皆さんが福島のものを食べると、福島は安全だという認識が広がり、子供たちが避難できなくなります」という言葉があった。これが「風評被害を煽る」と非難されたのだ。
 
 著者自身も、この動画ではだいぶ悩んだらしい。「サイトの規定に照らし合わせて削除することも考えた」が、「議論の中で、偏った意見に対しては是正を求め、様々な客観的情報が集まり、よりフラットに状況を捉える環境ができれば」と削らなかった。その判断が「フィルタリングをしないメディアにジャーナリズムはない」と酷評されることになった。この顛末については「深く反省させられた」と率直に非を認めている。
 
 8bitNewsが体験した現象は、ネットメディアの特徴を見事に浮かびあがらせている。スイートスポットに当たれば爆発的発信となり、旧来の大手メディアをしのぐ力を発揮するが、その分、大手メディア同様の責任も引き受けなくてはならないということだ。ネットメディア人は、ネットの「だれでも」送受信という気軽な様態を守りながら、それがごくまれにマス化するときの怖さも頭の片隅に入れておかなくてはならない。
 
 この本で僕がおもしろいなと感じたのは、8bitNewsの名前の由来を1980年代半ばにさかのぼって述べたくだりだ。テレビでは人気番組「8時だヨ!全員集合」が幕を閉じ、著者と同世代の子どもたちは、テレビ画面につないだファミコンソフトに熱中するようになった。「少年少女は8bitのマイコンチップで構築されたゲームの世界に、一方的に与えられるだけのテレビ番組にはない新鮮な驚きを感じて夢中になった」
 
 「あれから約30年。あの時子供だったファミコン世代は、社会の中核を支える存在になった。インターネットが発達し、ウェブ上では思想・信条や趣味や関心によって結びつけられた小さなコミュニティが各所で形成されるようになった」
 
 そうか。僕たち大人がマスコミから天下るニュースやエンタメの受け口だと信じて疑わなかったテレビ受像機を、あの子たちは遊び道具に取り込んでいたのである。「マスコミ」が古色蒼然としてきた理由がわかる気がした。
 
写真》新しいメディアは昔ながらのメディアと入れものが変わっただけではない=尾関章撮影
(通算209回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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