『クリスマス・キャロル』(チャールズ・ディケンズ著、村岡花子訳、新潮文庫)

写真》メリー・クリスマス

 日本社会のクリスマスほど、奇妙な祝祭はない。当日、街を歩けばツリーやリースの類が飾られているものの、多くの人の気分はすでに1週間後の新年に向かっている。すべては前夜に終わった、というように。もちろん、キリスト教徒はそうではない。行事本来の趣旨を尊ぶ人もそうではないだろう。だが、暮れの風物詩とだけとらえている人々にとって、盛りあがりの頂点は12月24日のイブ。一夜明ければ、どこか白けている。

 

 10月の当欄では、国内で近年顕著なハロウィーン隆盛を論じて「夏休み気分が薄れてクリスマスまで間がある時季に、もう一つヤマ場を設けよう。そんな思惑が商戦を仕掛ける側にも、それに乗っかる側にも見てとれる」と書いた(2016年10月28日付「アガサ、ハロウィーンの世相考」)。裏を返せば、クリスマスは日本の風土にとうに根づいているということだ。新しい年を新しい気持ちで迎えるのに先だって、その前奏曲となる祝祭。

 

 と、ここまで書き進んで、以前にも似たような感想を漏らしたことがあるな、と思った。それで当欄の前身コラムに検索をかけたら、ずばり「いつのまにか日本社会に根を張った『イブがクリスマス』という倒錯した感覚のことも書いておきたい」という記述に出会った(文理悠々2012年12月25日付「クリスマスと新春、非日常のチカラ」)。その後段には、僕が3年ほど過ごしたロンドンでのクリスマス体験が綴られてあった。

 

 1990年代、現地在住のころの12月25日を思い起こして、こう書いている。「地下鉄は止まる。バスも止まる。店はどこもシャッターを下ろす。僕自身、その日買いそびれたものがあって近所を歩き回ったことを思い出す。ただ一つ開いていたのは、アジア人がレジで働くコンビニだった」。そこでは厳然として、クリスマス当日が特別な日だった。しかも人々は、賑やかさではなく静かさのなかで、その日を過ごすのである。

 

 ここで気づくのは、人は1年ひと巡りの循環に生きていて、その途中に1度は静寂へ立ち戻ろうとする性向があるのではないか、ということだ。英国では、それが12月25日だ。日本では、1週遅れの元日になる。電車まで止まるか、逆に初詣のために夜を徹して走るかは大きな違いだが、多くの人が仕事を控えて、家族がいればできる限り家庭に戻る、という共通項がある。だから、欧米のクリスマスと日本の元日はよく似ている。

 

 で、今週は『クリスマス・キャロル』(チャールズ・ディケンズ著、村岡花子訳、新潮文庫)。英文豪の名作で1843年に発表された。産業革命をまっしぐらに進む英国社会の只中でクリスマスがどう祝われ、どんな意味があったかをうかがい知れる一冊。村岡の訳は1952年に出たが、「古風な文体」を読みやすくするために「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」が原訳の雰囲気や語感をとどめるかたちで手を入れている、という。

 

 主人公のスクルージはロンドンの商人。「スクルージ・マーレイ商会」を営んでいたが、相方のマーレイが死んだので店名だけ残して主の座に収まっている。その人物描写は苛烈だ。「彼はひきうすを掴(つか)んだら放さないようなけちな男」(「掴」は旧字、「けち」に傍点)「貪欲(どんよく)な、がりがり爺(じじい)」「秘密を好み、交際を嫌(きら)い、かきの殻(から)のように孤独(こどく)な老人」(「かき」に傍点)とある。

 

 話の歯車が回りだすのはクリスマス前日。「市中の時計台は今しがた三時を打ち出したばかりなのに、もうすっかり暗くなっていた」「霧はどんな隙間(すきま)からも鍵穴(かぎあな)からも流れ込んで来た。外の小路は実に狭(せま)いのだが、それでも向う側の家々がぼんやりとまぼろしのようにしか見えないほどに霧は深かった」。日差しが乏しく、霧が立ち込め、日没も早いロンドンの冬。そんなどん底の季節に祝祭の日が迫ってくる。

 

 その日、主人公の甥フレッドが商会の事務所をふらりと訪れる。「クリスマスおめでとう、伯父さん!」。そう言われて、スクルージが繰り返すのが「ばかばかしい!」のひと言だ。フレッドから「親切な気持になって人を赦(ゆる)してやり、情ぶかくなる楽しい季節」「みんなが同じ墓場への旅の道づれだと思って、行先のちがう赤の他人だとは思わない」と諭され、翌日に自宅で催すクリスマスの食事会に招かれるが、強く拒む。

 

 次いで事務所に現れるのは、寄付を求める紳士たちだ。「貧しい人々に肉や飲みものや燃料を贈(おく)る資金」を集めているという。だが、スクルージには取りつく島がない。「私はクリスマスを祝いはしない。なまけ者が浮かれ騒ぐためにびた一文出しはしない」

 

 商会の従業員――この作品では「書記」とされている――とのやりとりにも、スクルージの吝嗇ぶりが反映されている。「明日は一日休みたいんだろうね?」「御都合(ごつごう)がよろしければ」「都合はよくないよ」。クリスマス1日を休みにするのはやむを得ない、ただその分の給与を減らせば不満が噴出するに違いない――そんな計算をして「次の朝はそのぶん早く出て来るんだぞ」と言い捨てる。これではまるで、ブラック企業ではないか。

 

 ここまでの導入部でわかるのは、当時の英国社会では何事もお金に換算する資本主義が町の片隅にも出現していたということだ。その冷たさを埋め合わせたのがクリスマスの温かさだったと言えよう。スクルージとその周辺の人々の対比が、この構図を見せつける。

 

 この作品の読みどころは、実はここからだ。スクルージが家に帰ると、なにものかがドアを通り抜けて立ち現れる。マーレイの幽霊ではないか。「めぐりゆく一年の中で、今のこの季節に私は一番苦しむ」「なぜ私は気の毒な人たちをかまわずに通り過ぎたのだろう?」「お前さんには、まだ私のような運命から逃(のが)れるチャンスと希望がある」。そう語りかけて、「チャンスと希望」をもたらすために別の幽霊3人が来訪すると予告した。

 

 幽霊3人は実際に来る。幽霊だから時空間を自在に移動できる。その能力をフル回転させてスクルージを連れ回し、さまざまな場面に立ちあわせてくれる。一人目の幽霊が連れていくのは過去の世界。二人目は現在、三人目は未来のそれぞれ案内役となる。

 

 たとえば、幽霊1はスクルージに少年のころの自分を見せつける。街では人々がクリスマスの挨拶を交わしている。ところが大通りから外れて赤煉瓦の古い建物に入り、奥の部屋の暗がりをのぞいたときのことだ。「一つの机にしょんぼりとたった一人で、ほたるのような火にあたって、男の子が本を読んでいた」。こうして大人の彼は「今の今までまったく忘れ果てていた遠い昔の、いじらしい自分の姿を眺(なが)めて泣いた」のである。

 

 幽霊2に連れられてスクルージが垣間見たのは、書記宅のクリスマス風景だ。妻や子が力を合わせて鵞鳥や馬鈴薯の料理をつくり、できあがると家族で食卓を囲む。食後に書記が神の恵みを乞う言葉を述べて「スクルージさんの御健康を祝します」と言い添えると、妻が痛烈な皮肉を口にする。「あんないやな、けちな、冷酷(れいこく)な、薄情(はくじょう)な人の健康を祝ってやるんですから、たしかにクリスマスにはちがいありませんわね」

 

 そして幽霊3は未来に入り込み、取引所で実業家が交わしている会話をスクルージに聞かせる。「いつ死んだのですか?」「昨夜らしいですね」「あの男ばかりは不死身だと思ってましたがね」。葬式の話になると「弁当が出るなら行ってもいいですがね」。別の場所では、もっと辛辣な悪罵も耳にした。「とうとうあの悪魔(あくま)め、くたばったじゃありませんか、ねえ?」。ここには「あの男」が生前、面と向かって言われなかった言葉がある。

 

 スクルージが幽霊に導かれたツアーによって、どう変わったかをここに記すのは控えよう。ただ、この体験が自らの姿を第三者の目でとらえ直し、生き方を改めるきっかけになったことだけは間違いない。幽霊は自己客体化の媒介だったと言えるのである。

 

 最近思うのは、人々が面と向かって批判をしあわなくなったということだ。世間に波風を立てないという意味では好ましいことなのだろうが、それによって自分を変える機会を逸してもいる。空想の幽霊を飛ばして、自らを省みる。そんなクリスマスもあっていい。

(執筆撮影・尾関章、通算348回)

 

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『カンガルー日和』(村上春樹著、講談社文庫)

写真》ハルキとヨシオ

 ノーベル賞の発表が来週は続く。10月3日月曜が医学生理学賞、4日火曜が物理学賞、5日水曜が化学賞。文学賞のみは日程を直前まで明かさないが、たいていはこの週の木曜(*末尾に注)。そして金曜に平和賞があり、経済学賞は翌週月曜ということになっている。

 

 当欄は毎年、この時季に合わせて村上春樹の本をとりあげてきた。ノーベル文学賞談議では不偏不党などと言わず、ムラカミハルキ党員であることを旗幟鮮明にしてきたことになる。理由は、折にふれて書いている。彼は日本の候補には珍しく、世の中のバルク部分と共鳴する作家なのではないか、ということだ。バルクには「大部分」の意味がある。語弊を恐れずに言えば、中間層の代表選手ということだ。エリートのそれではない。

 

 共鳴の度合いは、とりわけ僕の世代、すなわち団塊のしっぽや、その後続世代に強い。村上春樹自身は1949年生まれ。団塊の範囲内だ。それがなぜ、年下の年齢層と相性が良いのか。たぶん、同世代の典型から外れていたからではないか、と僕は思う。たとえば、学生運動の泥沼にはまり込んだりはしなかった。それをするりと抜けて、ひと足先に次の時代に進んでいた。作品世界にある軽快さをみれば、そのことがよくわかる。

 

 これは、ムラカミハルキ党員にとっては分が悪い話でもある。バルク部分との共鳴といっても、自身の世代とすらずれがある。自らが先行して導いた世代とのみ響きあったということではないのか。もしかしたら、世代限定のバルク代表なのかもしれない。たしかに彼を国民的な作家と呼ぶのは適切でない。だが、そこにこそ魅力があるとも言える。ある時代、ある社会の位相を同時代人の感覚で切りだしたという意味で、敬愛すべき作家なのだ。

 

 切りだされた位相のなかでなによりも目を引くのは、男女の関係性だ。村上春樹以前の文学では、それは情念や性愛のかたちをとって描かれがちだった。もちろん、対極には純愛小説の流れもあったが、純愛讃美が成り立つのも情念や性愛のドロドロが反面教師としてあったからだろう。ところが、彼の作品は違う。セックスの話はよく出てくるのだが、そこにはこだわらず、軽々とスキップしていく例が目立つように思う。

 

 村上春樹の情念性愛スキップは、まずは女性ファンを惹きつけたように思う。作中でストーカーやセクハラ男のような不快な人物に出くわすリスクが低いからだ。それは、男性の心をも動かした。彼が作家として飛躍したのは1980年代。雇用機会均等法の施行が86年だから、女性の社会進出と同期している。男子として女子とどう向きあうか。そんな問いが切実になったころだ。それにヒントを与えてくれる男女のありようが、そこにはあった。

 

 で、今週の1冊は『カンガルー日和』(村上春樹著、講談社文庫)という短編集。1981〜83年に百貨店の顧客サービス媒体だった雑誌に連載され、その直後、平凡社刊の単行本となった後、86年に文庫化された。佐々木マキのアメリカンな雰囲気の絵がところどころに差し挟まれている。消費文化の土壌で生まれた作品群なので、どの一編も時代の空気に敏感だ。ニューファミリーという言葉が広まったころの女と男を巧く切りだしている。

 

 冒頭に置かれた表題作は、若い男女が電車に乗って動物園へカンガルーを見にいく話。「我々は一月前の新聞の地方版でカンガルーの赤ん坊の誕生を知った。そして一ヵ月間、カンガルーの赤ん坊を見物するに相応(ふさわ)しい朝の到来を待ち続けていたのである」

 

 俗な興味では、ここで「我々」という二人の関係が訝しく感じられる。一月遅れになった理由が「ある朝には彼女の虫歯が痛み、ある朝には僕が区役所に出かけねばならなかった」とあるから、共同生活者らしいと推察される。ただ読み進むと、男が女の言葉に「女の子というのは実にいろんな可能性を思いつくものだと僕は感心する」と感慨を抱くくだりに出会うので、所帯じみてはいない。恋人とも夫婦とも言えない曖昧な関係がここにはある。

 

 電車での二人の会話を要約しよう。女「なんだか、この機会を逃すと二度とカンガルーの赤ちゃんを見られないような気がするのよ」。男「僕はキリンのお産だって見たことないし、鯨が泳いでいるところだって見たことがない。なぜそれなのにカンガルーの赤ちゃんだけがいま問題になるのだろう」。女が「カンガルーの赤ちゃんだからよ」と答えると、男は反論せずに「これまで女の子と議論して勝ったことなんて一度もない」と内心つぶやく。

 

 ここには、1980年代初頭の日本社会でふつうになった男女の描像が凝縮されている。一つは、女子と男子が議論に興じる光景だ。戦後民主主義の帰結、児童会や生徒会の延長とも言える。これに違和感はない。もう一つは、男子は論理にこだわるが、女子は感性でぶっ飛ぶというイメージ。こちらは、ちょっと気になる。女子は感性本位、と決めつけているようで今なら批判必至だが、あのころはそこまでフェミニズムが深化していなかった。

 

 それにしても、この短編は巧妙にできている。動物園にはカンガルーが4匹いて、雌が2匹、雄が1匹、もう1匹は赤ちゃんという構成。雌は「体つき」も「体色」も「顔つき」もほとんど変わらず、「どちらが母親だとしてもおかしくはない」。男「でも、どちらかが母親で、どちらかが母親じゃないんだ」。女「うん」。男「とすると、母親じゃない方のカンガルーはいったいなんだ?」。夫婦に縛られない関係が柵の向こう側にも鏡映されている。

 

 「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という長い題名の一編では、「僕」が街で「100パーセントの女の子とすれ違う」。顔立ちの印象は薄く、それほど美人でもないのに「僕の胸は不規則に震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう」。異性の魅力は直感されるもの、ということか。満点評価は、あくまで「僕にとって」だ。作中には「私にとって100パーセントの男の子」という表現も出てくる。

 

 この作品で「僕」は、もし彼女にナンパしたらどうなるか、というイフを妄想する。互いの身の上を明かして「すれ違うに至った運命の経緯のようなもの」を探る。「どこかで昼食をとり、ウディー・アレンの映画でも観て、ホテルのバーに寄ってカクテルか何かを飲む」。そして「うまくいけば、そのあとで彼女と寝ることになるかもしれない」。この「寝る」の使い方がいい。情念や性愛とは距離のある、男女関係の一つの到達点としてのセックス。

 

 「バート・バカラックはお好き?」という一編の「僕」は22歳のころ、アルバイトで「相手の心に響く手紙」の書き方を伝授する通信教育の添削をしていた。女性会員には男性が、男性会員には女性が指南する、というからちょっとあやしげなビジネスだ。実際、「僕」が担当していた32歳の女性がハンバーグ・ステーキの話を手紙に書いてきたとき、添削指導の返信で強い興味を示すと、バイトを辞めるときに自宅の昼食へ招かれる。

 

 「僕」は規則違反を承知で、それに応じる。「彼女のマンションは小田急の沿線にあった。子供のいない夫婦にふさわしく、さっぱりとした部屋だった」。二人はハンバーグを食べ、バカラックを聴く。5時を回ったので辞去を申し出ると、意外な言葉が返ってくる。「主人はとてもとても遅いの」「私たちの仲はあまりうまく行ってないの」。答えに窮していると「でもいいの」「長いあいだ手紙をありがとう」と、彼女のほうが踏みとどまった。

 

 後段では、「十年たった今でも小田急に乗って彼女のマンションの近所を通るたびに、彼女とあのかりっとしたハンバーグ・ステーキのことを思い出す」(「かりっ」に傍点)「僕はあの時彼女と寝るべきだったんだろうか?」という回顧がある。ここでも「寝る」のひと言が効いている。なにも起こらなかった。でも、なにかが起こってもよかった。人はいつも、そんな状況をくぐり抜けている。そのことを乾いた言葉でさらっと言ってのけたのだ。

 

 この作品の描写に触れていたとき、僕は片岡義男の短編を読んでいる錯覚に陥った。危うさを感じさせつつも日常感を忘れないというあたりは、ご両人がともに好んで描く男女のありようのように思われる。興味深いのは、二人とも芥川賞や直木賞を受けていないということだ。たぶん、往時の大御所世代にはピンと来なかったのではないか。前述の「世代限定のバルク代表」という括り方は、もしかしたら僕の好きな作家の共通項なのかもしれない。

*今年の文学賞は、この週木曜10月6日に発表されなかった(2016年10月7日記)。

(執筆撮影・尾関章、通算336回)

 

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『コーヒーと恋愛』(獅子文六著、ちくま文庫)

写真》気軽にドリップ

 コーヒーは微妙な飲みものだ。酒のようには法律で大人専用と決まっていない。だが、子どもはあまり飲まないほうがいいね、と言われている。だから、なにかの事情でそれを口にした子どもは、自分も大人になったのかな、とちょっとうれしく感じる。

 

 半世紀余り前、僕が子どものころはどうだったか。コーヒーは少年少女に縁遠い飲みものだっただけではない。大人からみても敷居の高い嗜好品だった。ひとことで言えば、喫茶店で味わうもの、という感じ。もちろん、富裕層や知識人層、洋風志向が強いハイカラな人々の間では日用飲料の一つだっただろう。だが、圧倒的に多くの家庭ではコーヒーの香りが漂うことがほとんどなかった。僕も、そんな多数派の環境下で育った一人だ。

 

 例外と言える思い出はある。ある日突然、コーヒー沸かしの装置がわが家に出現したのである。親がどこかから貰ってきたものではなかったかと思う。「パーコレーター」と呼んでいたが、僕の脳裏に残るイメージは、その典型例から外れている。どちらかと言えば「サイフォン」に近い。複数のガラス容器から成る器具一式で、水を電熱器で沸かすこと、お湯がコーヒーの粉の載った網目を通って落ちてくること……そんな光景だけは覚えている。

 

 ただ、これは厄介ものでもあった。かさばるので、ふだんは戸棚にしまわなくてはならない。来客や祝いごとがあるときだけ、引っぱり出して使っていたような気がする。わが家の朝食はパンとバターだったが、飲みものはいつも、茶漉し一つで事が足りる紅茶と決まっていた。コーヒーが食卓デビューを果たしたのは、瓶入りインスタントが広まってからだ。本格レギュラーの味は、学生時代に喫茶店通いを始めるまで憧れの的でしかなかった。  

 

 いま、僕の日課はコーヒーなしにありえない。午前中パソコンに向かうときはいつも、そばにマグが置かれている。口内に残る苦味が頭の働きを刺激してくれる、というのは気のせいかもしれない。だが、心地よく思考をめぐらす助けになっているようには感じる。いれ方は、ペーパードリップ方式。粉とフィルターの買い置きさえあれば、湯を沸かすだけで済む。昔はなぜ、あんなに重装備の装置をありがたがったのか、と思ってしまう。

 

 で、今週は小説『コーヒーと恋愛』(獅子文六著、ちくま文庫)。著者は1893年生まれの作家。若いころにフランスへ渡って演劇を学んだので、劇作や演出の仕事も多い。1969年没。僕は子ども時代、テレビドラマの原作者にその名があるのをしばしば目にした。

 

 この本は先日、初秋の当欄にはコーヒーの話でも、と思って中古本ショップで買い込んだのだが、ぱらぱらめくっただけで懐かしさがこみあげてきた。既読感に近い。だが、読んだ覚えはない。巻末の書誌に目を通して納得した。ちくま文庫版は2013年に初版が出たが、大もとをたどると「『可否道(かひどう)』という書名で一九六二年十一月から一九六三年五月まで読売新聞に連載され、一九六三年八月に新潮社より刊行されました」とある。

 

 僕の実家は、もともと読売新聞をとっていた。ところが、小学校高学年のころに朝日新聞に切りかえる。私事の余談だが、後年の勤め先とのつきあいは、ここに起点がある。「可否道」連載は、その直前に始まったらしい。僕は新聞小説を読むほどませていなかったが、この題名に引っかかったことははっきり覚えている。おそらくは親を質問攻めにして、「可否」がコーヒーのことであり、同様に「珈琲」などの当て字もあることを知ったのである。

 

 挿し絵のいくつかには、カップから立ちのぼる湯気が描かれていたように思う。読みもしないのに、ゆったりした空気感だけは感じとった。それが、既読感もどきとなったのだ。この文庫版では、シンガーソングライターの曽我部恵一があとがきにこう書いている。

 

 「どのページからも、昭和のある時期の風景からのみ立ちのぼる洗練が顔をのぞかせています。進歩的でどこか柔和な、協調性をもったクールなライフスタイルというようなものです」。当欄で書こうとしていることを先に言われてしまったような的確な洞察だ。ただ曽我部さんは、公式サイトによれば1971年生まれだから、この「昭和のある時期」をリアルタイムでは知らない。僕がその時代を皮膚感覚でなぞるのも無駄ではないだろう。

 

 この小説の主人公、坂井モエ子43歳は新劇出身のテレビ女優で、脇役だが「好人物のオバサン」を演じて一世を風靡している。共同生活者の塔之本勉は8歳年下の舞台装置家で、劇団の報酬は少なく「半扶養家族」状態。一応は夫婦だ。二人の縁は、勉がモエ子のいれるコーヒーに魅せられたことに始まる。「綿ネルのコシ袋一つが、彼女の道具」ともあるから、ネルドリップ派か。ペーパー同様に軽装備だが、湯の注ぎ方などに技があるのだろう。

 

 モエ子の気がかりは、勉と新人女優丹野アンナとの仲。ある朝、夫婦水入らずの食卓でコーヒーが「まずい!」と言われて当惑する。「そんなこといわれるの、初めてよ」。だが、自ら確かめてもその通りだ。どうしてだろうか。と、そのとき勉の声。「君は丹野アンナのことを、考えてたな」。図星だった。コーヒーには「いれ手の気持まで、味を支配する」という法則があるらしい。こうして、男女の確執とコーヒーのあれこれが絡む小説の幕が開く。

 

 この小説には、もう一つの流れがある。コーヒー好きの集まり「日本可否会」の動静だ。総勢5人。主宰の菅(すが)貫一は妻と死別して独身、地代収入で優雅に暮らしている。そこに画伯、教授、噺家とモエ子が加わる。菅がめざすのが可否道の創始。「茶道は、立派なものだが、いかんせん、もう古い」との理由からだ。「緑色の発泡液体を、黒褐色の香り高い液体に変えたら、どんなもんか」「近代洋室に、シックリするじゃありませんか」

 

 曽我部さんの言う「昭和のある時期」は1960年代初め、コーヒーの歴史でみればインスタント台頭期だ。著者は、その動きを巧妙に筋立てに組み込む。即席ラーメンの会社が、コーヒーのインスタント化にも乗りだす。新商品の名は、外国ブランド「メス・カフェ」に対抗して「オス・カフェ」。そのCMにモエ子を登用する話がもちあがるのである。標的は、どこにでもある家庭。そこで、庶民派人気女優に白羽の矢が立ったというわけだ。

 

 インスタントは可否会でも論争のタネになる。画伯は、即席でもコーヒー党がふえれば「ほんとのコーヒー」への欲求も高まる、と前向きだ。教授も同調する。戦後民主主義は「一夜漬け」で「インスタント」だったが、それでは物足りなくて「真の民主主義とは何物であるかという疑問と、要求とが、起りつつある」というのだ。60年安保の世相を想起させる理屈ではある。だが、菅は突っぱねる。「コーヒーも、民主主義も、即製はいかん!」

 

 この場にはモエ子は居合わせない。画伯によって彼女のCM出演の噂が明かされるが、未確認情報の域を出ない。ところがまもなく、新聞の朝刊にモエ子登場の「オス・カフェ」全面広告が載って、菅の怒りは頂点に達する。彼女を喫茶店に呼びだして「ぼくは、どれだけほんとのコーヒーというものを、愛してるか」と思いのたけを語る。「インスタントで間に合うことも、ずいぶんありますよ」という現実論の言い訳はまったく受けつけない。

 

 それもそのはず、可否道構想でモエ子は欠かせない存在だからだ。菅は自分が初代家元に就くと打ち明けた後、彼女に言う。「やがて、可否道家元第二世として、ぼくの跡目を継ぐ人になって……」。この思惑は男女間の機微にも投影されて、小説の歯車を回していく。

 

 この作品にはコーヒーと並んでもう一つ、愛着の向かう先がある。芝居だ。勉は新劇信仰に凝り固まっていて、モエ子のテレビ出演を苦々しく思う。テレビドラマを「チャチ」と決めつけているので、その演技は「芸の切り売りをしてるような醜態」にしか見えない。モエ子自身にも古巣の新劇に対する郷愁があり、それが、演劇青年勉への愛を強めていた。この新劇愛は、インスタントに「ほんと」を対置させるコーヒー愛と通じ合っている。

 

 今は本物志向の時代だが、インスタント志向も共存する。スーパーの棚を埋め尽す即席食品群をみれば、それはわかる。「ほんと」に敬意を払いつつも「ほんと」をしのぐ勢いの文化が「昭和のある時期」に現れた。著者は、その萌芽にいち早く気づいたのだろう。

(執筆撮影・尾関章、通算333回)

 

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『ジャックはここで飲んでいる』(片岡義男著、文藝春秋社)

写真》バーボン

 この欄を続けていて楽しいことの一つに、「人気記事ランキング」の上がり下がりがある。スマートフォン版に限られるようだが、トップページを繰っていくと最後のほうで当欄拙稿1位から10位までの表題を見ることができる。それぞれの閲覧数は表示されず、僕にも知らされていない。ただ閲覧総数は筆者に開示されているので、それから察するに「人気」というほど多くはなさそうだ。興味深いのは、順位が日々動くことである。

 

 順位付けは、どんなしくみなのか。勧進元のGMOペパボに尋ねると、「過去3カ月分のアクセス数」をもとにしているとのことだった。トップページを開いただけではダメで、その回のページに入った時点で数えるという。ランキングを見ていて僕がうれしいのは、半年以上も前の拙稿がたまに顔をのぞかせることだ。「過去3カ月」の実績だから、公表直後のアクセスは勘定外。古い回を掘り起こしてくれる人が少なからずいることになる。

 

 最近では「片岡義男的な空気が吸いたい」。2014年4月、当欄が今の看板を掲げて再出発したときの最初の回である。それがこの7月、上位の常連となり、トップの座を占めたこともある。なぜ、こんな珍事が起こったのか。きっとあれだ、と思い浮かんだのが6月、朝日新聞読書面に載った片岡本の書評である。評者は、作家の大竹昭子さん。片岡義男論としてとても秀逸で、読んで「空気が吸いたい」と思った人もいたに違いない。

 

 大竹書評は、近刊の短編集2冊をとりあげている。合わせて15編のうちの1編で登場人物がこう言った、とある。「人生は、じつは自分の外にある」。いい言葉だ。それを大竹さんは「人生とは『関係の作りかたとその維持のしかた』にほかならず、自分を外から観察しようとする意志と行動によってのみ、新たな局面が訪れる」と読み解く(朝日新聞2016年6月26日朝刊)。ここに、「片岡義男的」の核心が要約されている。

 

 僕が片岡義男の小説を初めて読んだのは1970年代半ば、彼が『野性時代』という新感覚の文芸誌で活躍していたころだ。それまで僕の嗜好は、文学であれ音楽であれ、すべて内向きだった。思考と認識のありようだけで自分の世界が変わると本気で考えていたのだ。まさに、人生は自分の内にある派。そこに風穴を開けてくれたのが片岡義男的な空気だ。「僕」の実体は外気に触れることで成り立っているのかもしれない。そう思えるようになった。

 

 で今週の一冊は、至言「人生は、じつは自分の外にある」に出会える『ジャックはここで飲んでいる』(片岡義男著、文藝春秋社)。著者は、大竹書評のもう一冊『と、彼女は言った』(講談社)を今年4月に出し、息つく暇なく5月にこちらも世に問うた。

 

 収められた8編には、ありふれた町で淡々とした日々を過ごしている男や女が登場する。そこに大それたドラマがあるわけではない。ただそれを、平凡な日常を描いていると言い切ったら言い過ぎだ。心のときめきがあり、危ういと思わせる瞬間もある。一線を踏み越えることも排除していない。だが、読ませどころはあくまでもその一歩手前だ。時空間で粒子が二つ、ときには三つ以上、引きあい斥けあうというようなおもしろさ。

 

 ただのリアリズムではない。冒頭の「アイスクリーム・ソーダ」では、小説家の男43歳が駅ナカのカフェにいるとき、同年輩の女に気をとられる。後ろ姿がいい。「考えごとを続けながらも、彼は彼女の動きを見た」。店を出ると、その女が声を掛けてくる。近刊を読んだという。有名作家にはこんなこともあるのか。だが、初対面の男女がこのあとクリームソーダの材料を買い、そのまま女の部屋へ吸い込まれるという展開には嘘っぽさがある。

 

 部屋で二人はそれなりに盛りあがるが、「危うい」にはあと一歩。男が「現実にあるようなストーリー」の執筆を急かされていることを告げると、女は「私たちの、今日のここまでは?」と提案する。カフェから部屋までの出来事のあれこれだ。「妙にドラマを作らないで。ずっとそうだったでしょう。だから私は、書店で買って読むのよ」。現実味はないが「現実にあるような」感じ。片岡義男流の極意をさりげなく登場人物の女に語らせている。

 

 続く「ごく普通の恋愛小説」も ありそうにないがあるかもしれない話。主人公は、東京・世田谷の一戸建てに独りで住む男性翻訳家37歳。かつて地元の美容院で母の髪を切ってくれていた女性美容師34歳と、ある日再会する。十余年ぶりに隣県から近所に戻ってくるという。二階を貸そうかと申し出ると、彼女も乗ってきてとんとん拍子で話がまとまる。男女二人、同じ玄関のシェアだ。互いに好感を抱いているにしても大胆ではないか。

 

 この作品は表題通りにだんだんとラブストーリーっぽくなるのだが、やはり別のところで読み手の心をとらえる。少なくとも、僕はそうだった。それは、町をそっくり時間軸に置いてとらえる感性だ。美容師はこれから借りようという二階の窓辺で言う。「以前、私が住んでいたアパートは、あのあたりでした」「アパートの二階の部屋から、おなじ景色が見えていました」。そこには今も銭湯の煙突が立っている。「懐かしい。毎日いきました」

 

 後段でも、二人は同じ窓の景色を眺める。ミニ開発が進んで、アパートはすでにない。それなのに「その部屋がここへ移動したような錯覚」に襲われる、と彼女は打ち明ける。窓が時間を止め、昔を再現してくれているように思える、というのだ。「過去は現在へと延長されています」「あの過去は最高に良かったの」。この物語には男女二人のつながりがあるだけではない。それぞれの過去と現在も愛おしさをともなって接続されていくのである。

 

 表題作は、「ジャック」の愛称で呼ばれる男が主人公。お気に入りのバーボンの銘柄に由来する。遠い町のバーで二度飲んで三度めに訪ねたとき、そこに店はない。「更地だけが横たわる景色を、彼はしばらく眺めた」。この茫然自失は、前述の美容師の思いと響きあう。作品の筋には、濃密だが希薄、希薄に見えて実は濃密な人のつながりが隠されているのだが、そんな切ない関係も人が時間軸のなかで地層を積み重ねているからこそ生まれてくる。

 

 「人生は自分の外」のひと言が出てくるのは「ゆくゆくは幸せに暮らす」という作品。男優とその共演女優、男優と大学で同期だった写真家の3人が、同じ大学出身の年長の作家と夕食の卓を囲む。その場面に先だって、読者には写真家の不安定な家庭事情が明かされている。別居中の妻子がいて、子どもが大きくなるまで「とにかくいっしょに住もう」ともちかけているという。「夫婦ではなくてもいい、俺は同居人になる」と申し出たのだ。

 

 そもそも会食は3人の側に、作家にドラマを書いてほしいという思惑があって企画されたのだが、逆に先制パンチを食らう。「面白いねえ」。作家はそう言って、同席者を肴に「関係の物語」を紡ぎはじめる。「たとえば」と切りだしたのは、男優女優の二人が写真家の幼い息子の養父母になるという筋書きだ。その結果、写真家夫妻は「ひとりひとりへと解体される」。ところが、いつのまにか「妻は俳優と出来て、写真家は女優と出来る」……。

 

 男優は荒唐無稽な発想にあきれるが、作家は「要するに人生とは、関係の作りかたとその維持のしかた」と断ずる。だから「自分の外」なのだ。人と人の関係は不変ではないので、いくつもの可能世界が展開しうる。その洞察に同席者は霧が晴れるような気分を味わう。

 

 この短編集を読み終えてつくづく思うのは、その作品世界にべったり感がないことだ。登場人物は、たとえ愛を交わす間柄になっても一定の距離感を保っている。そんなつながり方は著者のような70代、僕のような60代の年齢層には、すんなりと受け入れられる。僕たちは年々、周りの人々との別れを繰り返していく。だが肉体が消滅し、離ればなれになったとしても、自分と他者の関係はいつまでも残る。それこそが僕たちの実体なのだ。

 

 それにしてもすごいのは、著者の心はそんな達観に届いているのに、綴られる文章には年寄り臭さが微塵もないことだ。嘘だと思ったら、最後の一編「なんのために生きるの」の前半部を一読してほしい。ガラス張りのコーヒーショップで男が女に自分の友との結婚を勧めるが、女はそれを巧妙にかわしていく。そこにあるのは、一切のべたつきを排した切れ味のよい会話だ。この軽快感だけは老いても身につけていたい。つくづくそう思う。

(執筆撮影・尾関章、通算327回)

 

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『南の島のティオ』(池澤夏樹著、文春文庫)

写真》南の果実

 梅雨が明ければ夏本番だ。だれもが、海へ行こう、島に渡ろう、という気分になる。その例に僕も漏れないが、ではそれを行動に移しているかと言えば、さほどの体験は積んでいない。正直に言えば、島は島でもリゾート向きの南の島は大いに苦手なのである。

 

 理由は、蛇がいっぱいいることだ。路面には、クルマに轢かれたらしい死骸が残っている。藪に入れば、すぐにも草むらから飛びだしてきそうだ。島全体でいったい何匹が隠れ住んでいるのかと思うと、背筋が凍る。それだけではない。海に潜れば、ウツボやアメフラシのような不気味な生きものがいるだろう。宿に戻れば、特大のゴキブリが床を走り抜けているのではないか。生態系の豊饒は理念として素晴らしいが、感性がそれについていけない。

 

 そんな僕にも島体験はある。1983年の秋が深まるころだった。正月紙面の企画で野生動物がらみの取材をすることになり、沖縄県の西表島に数日間滞在したのである。「ヤマネコに会ってこい」。上司は気軽に送りだしたが、遭遇はそんなに簡単ではない。それは早々と諦めて、人に焦点をあてる作戦に切りかえた。都会の大学生だったころから西表島に通い、ついには近隣の島に就職先を見つけた青年の話をじっくり聞いて、記事にした。

 

 青年はイリオモテヤマネコの観察を続けるうちに、よく見かける一匹に親しみを覚えるようになった。愛称は「ノリ」。自分を見分けてもらうため、「服装は、いつも『青いツナギ』に決めた」。友だちになりたかったのだ。だが、ノリが自分への警戒心を弱めていく様子に疑問を抱きはじめる。「どうしたんだ。まるで飼いネコのようになって……」。そう思って、青いツナギをやめる――そんな話だった。(朝日新聞1984年1月1日新年特集)

 

 西表島で驚いたのは、「この島には警官がいない。信号機も一つだけ」と聞いたことである。今の状況をネット検索すると駐在所も信号も複数あるとの記述を見かけるので、当時は違ったということか。それとも世間話に誇張があったのか。ただ、警察力が希薄だったのは間違いない。もう一つ新鮮な体験は、「医介補」という人に会えたことだ。医療行為を限定付きで許された人である。返還前の沖縄にあった医師不足を補う制度がまだ残っていた。

 

 南の海の彼方に、中央の統治や制度が完全には及ばない島がある。それは、あのころ世の中のすべてがコンピューターによる管理システムに組み込まれていこうとしているのとは対照的だった。蛇もウツボもゴキブリも嫌いだが、南の島には魅力がある。

 

 で今週は、『南の島のティオ』(池澤夏樹著、文春文庫)。10の短編から成るが、それらは同じ一つの島を舞台としており、いずれもティオという少年の目を通して語られる。児童文学誌『飛ぶ教室』などに載ったものが1992年に単行本(楡出版)となり、96年に文庫化された。僕は巻末にある神沢利子の解説を開くまでは、児童文学として世に出たとは思わなかった。大人の小説としても読みごたえのある作品ばかりということだろう。

 

 この一冊に食指が動いた理由は、巻頭に見開きで載った手描き風の地図にある。その島は四弁の花のようなかたちをしており、周りを珊瑚礁に囲まれている。真ん中にムイ山、半島部にクランポク山。四つの川が海に注ぐ。海沿いには一つの町と四つの村が散在している。海の描き方も丁寧で、珊瑚礁の内側は礁湖と呼ばれるように穏やかだが、外界は波立っている。これを見ただけで、島に渡ってみたくなるではないか。

 

 そんな旅心を増幅させてくれるのが、最初の一編「絵はがき屋さん」の書きだしだ。「飛行機は週に三度、月曜と水曜と日曜に島にやってくる」。ティオはホテルを営む父の手伝いをしており、発着便がある日は空港まで客の送り迎えに出向いている。ターミナルの建物は「パンダナスの葉」を葺いた南国風だが、夕空から聞こえてくるのは着陸機の「爆音」。そこが文明から隔絶した孤島ではなく、僕たちと回路を通じさせていることがわかる。

 

 この本の楽しみ方の一つは、島が地球のどこにあるかの詮索だ。常識的には南太平洋かカリブ海かということだろうが、読み進むとカリブ説はしぼんでいく。「道路工事を専門にやる日本の会社の人」が来島したようだし、農業技術センターには「タケモト先生」がいる。医師がマニラの病院で研修したらしいし、看護師がハワイの学校で学んだという話もあるから太平洋か。役所を「政庁」と呼んでいるので、統治領、自治領といった感じもある。

 

 日本とのつながりは過去にさかのぼる。その生き証人は、「昔、天を支えていた木」という一編に登場するヘーハチロという名の島民。日本人ではない。「この島が日本の領土だったころに生まれたから、父親が日本の偉い人の名前を付けた」のだ。さらに「ホセさんの尋ね人」を読むと、戦時中、日本軍の守備隊が駐留していたこともわかる。日本から開拓団も来ていたが、敗戦が迫ると内地へ引き揚げたという。

 

 その一方で、米国がもたらしたと思われるものもある。少年たちは野球が大好きだ。「十字路に埋めた宝物」でティムは13歳。「島で一番強い野球チームであるドルフィンズのファーストを守っていた」。チームは、近くの島から遠征してきたパイレーツを相手に接戦を繰り広げる。このとき、バットやグローブを運ぶのは農業技術センターに勤めるバムさんの「ピックアップ」。中型や小型のトラックをこう呼ぶのもアメリカ流だ。

 

 どこの島かの種明かしは「解説」のなかにある。著者が足繁く訪れた実在の島がモデルになっているらしいのだ。だが、その答えを事前に見ないことをお勧めする。いや、事後もここだけは読み飛ばしたほうがよいかもしれない。この島ではいろんな文化が交ざりあい、無国籍感を醸しだしている。政庁の政治権力も緩めで、人々の心は海と空と山とだけに向きあっている。ティオの島は、ただティオの島として存在する。それでいいではないか。

 

 この島が実在のように感じられ、それでいて虚構とも思えるのは、合理を超えたなにかが宿っているからだ。魔術と言えなくもないが、透明感があるのでおとぎ話に近い。

 

 「絵はがき屋さん」では、セールスマン兼写真家が商品のはがきを売り込んで、その効能を説く。買った人がだれかに郵送したとしよう。「そうすると受け取った人は、どうしてもこの島に来て、その絵はがきに写っている景色を見たくなるんです」。ティオがまず乗り気になり、父も最後には説き伏せられて商談がまとまる。ホテルで売りはじめると、実際に客が増えた。写真の魅力が魔力の域に達していれば、そんなこともあるということか。

 

 これには蛇足のようにして、ちょっといい話がある。セールスマンはティオを被写体にして写真を撮り、それも絵はがきにすると言う。「きみが大人になった時にどうしても好きな人ができて、来てほしいと思ったら、投函(とうかん)すればいい」。12歳の少年に「それはあまりに遠い日のように思われた」が、いやすぐにそんな時機はやってくる。大人の目で見れば十代の頃のほほえましい記憶を呼び起こす楽しさが、この小説にはある。

 

 「星が透けて見える大きな身体」では、文字通りのシャーマンが出てきて、天界と交信する。医師の娘で4歳のアコちゃんが原因不明の高熱にうなされ、ティムは医師宅の家事を手伝うヨランダという少女とともにカムイ婆に会いにゆく。婆は「わしが天の者を呼び出してやる」と頼みを聞き入れつつ、二人にこう問いかける。「その子供を取っていかないでくれと談判してみるか。正しい理屈をならべて、話ができるか」

 

 シャーマンが論理立てた交渉を促すという逆説。天は、透明な体をして二人の前に現れる。幼い子を天に連れていく理由として「地面の上の世界にはいろいろと辛いことがある」「天はかぎりない幸福の場所だ」と言う。ティムは「アコちゃんは人の子として地面の上に生まれた。人の子の幸福と不幸を身に受けるように生まれた」と反論する。この場面からは、地上の生は幸せ一色でないからこそ意味がある、という「理屈」が見えてくる。

 

 生の本質に触れるには、おとぎ話が要る。そのための想像力を膨らますには、海にも空にも山にも開かれ、異文化が交ざりあう小さな島が最適なのかもしれない。

(執筆撮影・尾関章、通算323回)

 

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『パノラマ島奇談』
(江戸川乱歩著、同名の中短編集〈春陽堂江戸川乱歩文庫〉所収)
写真》多島海サミット(NHK2016年5月26日)
 
 サミットという言葉が、こんなふうに広まろうとは思ってもみなかった。1975年、西側先進国のトップが一堂に会して以来の年1回の国際行事。日本の新聞は「先進国首脳会議」「主要国首脳会議」などと書いてきたが、しだいに英語のサミット・ミーティングを略して呼ぶのが大勢となった。今では、ありとあらゆるサミットがある。知事が集まってもサミット、市長同士でもサミットだ。
 
 「主要国」のリーダーが顔をそろえ、「お互い、大変だよね」と愚痴をこぼしつつ打ち解ける。なるほど結構なことだ。ただそれだけなら、今の民主主義社会で40年余も続くことはなかったように思う。そこには、たぶん国連の諸会議など平場の議論ではなかなか収束しない難題に、えいやっと答えを出してくれるのではないか、という期待がある。だから周りも首脳たちを支え、盛りあげてきたのである。
 
 打ち解けた雰囲気をつくるには、それなりの舞台設定が必要になる。だから、サミットの開催地は隠れ家的な場所が好まれる。第1回は、フランス大統領の別荘でもあるパリ郊外のランブイエ城だった。フランスは第8回にベルサイユ、第15回にアルシュ、第22回にリヨン、第29回にエビアン、第37回にドーヴィルと、パリ中心を避けてきた。初回からの参加国では、米国やイタリアも首都回避路線だ。
 
 日本は、東京で3回続けたあと、ようやくそこから離れるようになった。九州・沖縄サミットと北海道洞爺湖サミットだ。そして今回は伊勢志摩。南と北を回ったので、今度は本州のど真ん中ということか。隠れ家性という点では良い選択かもしれない。
 
 で、今週は『パノラマ島奇談』(江戸川乱歩著、同名の中短編集〈春陽堂江戸川乱歩文庫〉所収)。乱歩(1894〜1965)と言えば大正・昭和戦前の東京の風景が思い浮かぶが、本人は三重県出身だった。『パノラマ島…』は1926年から翌年にかけて「新青年」誌に連載。ちなみに雑誌では「奇談」ではなく「奇譚」。土地勘を生かして郷里の風土を取り込み、作中に現実と空想のあわいにある人造世界を出現させている。
 
 書きだしには「同じМ県に住んでいる人でも、多くは気づかないでいるかも知れません。I湾が太平洋へ出ようとする、S郡の南端に、ほかの島々から飛び離れて、ちょうど緑色の饅頭(まんじゅう)をふせたような、直径二里たらずの小島が浮かんでいるのです」とある。それは事実上の無人島で、地元では「沖の島」の名で呼ばれている。地主は「M県随一の富豪」とされる菰田(こもだ)家だ。
 
 そこへ渡るには、鉄道の終点「T駅」で下車して「モーター船にのり、荒波をけって又一時間」。ミキモト真珠島真珠博物館・松月清郎館長のウェブコラムによれば、「M県」は三重県、「I湾」は伊勢湾、「S郡」は志摩郡(当時)、「T駅」は鳥羽駅とみてよいという。三重県には島が多い。サミット会場のある英虞湾は多島海ともいわれる。沖の島は架空らしいのでどこにあるかはわからないが、島という小世界が散在する海原が目に浮かんでくる。
 
 主人公の人見広介は大学を出たあと安定収入がなく、「下積み三文文士」として東京の学生街で下宿生活を送っていた。「何をする気にもなれない」「人生のことがすべて、ただ頭の中で想像しただけで充分」といった暮らしぶりで「極端な夢想家」以外のなにものでもなかった。原稿執筆の合間に「夢想郷の見取図だとか、そこへ建てる建築物の設計図だとかを、何枚となく書いては破り、書いては破り」していたのである。
 
 彼は「芸術というものは、見方によっては自然に対する人間の反抗、あるがままに満足せず、それに人間各個の個性を附与したいという欲求の表われにほかならぬ」と考える。造園術や建築術は「ある程度まで自然そのものを駆使し、変改し、美化しつつある」として「それをもういっそう芸術的に、もういっそう大がかりに、実行すること」を夢見る。大金が入れば「地上の楽園、美の国を作り出して見せるのだがなあ」というわけだ。
 
 その広介が、ひょんなことから菰田家の当主、源三郎として生きることになる。どんないきさつで、どのような手管を弄して、なりすましに成功したのか。その筋は小説の読みどころなので、深入りするのは控えておこう。ただここでは、「極端な夢想家」が俄か富豪となって何をしたか、という一点に焦点をあてる。それはまさに、自らが手にした自然資源を「変改」「美化」して「地上の楽園」を生みだすことだった。
 
 まずは人材の確保。「新しく雇いいれた画家、彫刻家、建築技師、土木技師、造園家などが、毎日彼の邸につめかけ、彼の指図に従って世にも不思議な設計の仕事が始められました」。肉体労働の要員も集められ、そのなかには「電気職工だとか、潜水夫だとか、舟大工などもまじっていた」。さらには「小間使とも女中ともつかぬ若い女どもが、日ごとに新しく雇い入れられ、しばらくすると、彼女らの部屋にも困るほど」だった。
 
 この陣容からなんとなくわかるのは、「楽園」は快楽志向の強いものらしいということだ。どちらかといえばテーマパーク、ディズニーランドもどきではないか。著者はここでは「理想郷建設」という言葉も使っているが、白樺派風の理想主義は匂ってこない。佐藤春夫著『美しき町』にみてとれるエコロジー感覚もなさそうだ(当欄2015年3月6日付「大正の幻、『いけいけ』でない知性」)。読み進むと、その予想は的中する。
 
 源三郎こと広介が、「妻」千代子に完成間近の島を見せにゆくくだり。島から数十メートルのところにブイが浮いていて、そこで下船する。ブイの下部から島までは「上下左右とも海底を見通すことの出来る、ガラス張りのトンネル」があった。
 
 「猛悪な形相の猫鮫(ねこざめ)、虎鮫(とらざめ)は血の気の失せた粘膜の白い腹を見せて、通り魔のようにす早く眼界を横ぎり、時には深讐(しんしゅう)の目をいからせてガラス壁に突進し、それを食い破ろうとさえします」。今どきの水族館にいるような気分になるではないか。強靭な透明素材をフルに生かして海洋生態系そのものを見せようという展示手法の先取りである。
 
 島にあがって人工の谿谷に出ると、岸辺に白鳥がいて「さあ、どうぞお乗り下さいませ」と呼びかけてくる。その背に乗って千代子が感じるのは「人間の肉体」だ。着ぐるみが泳いでいるらしい。「ムクムクと動くやわらかな肩やお尻の肉のぐあい、着物を通して伝わる肌のぬくみ、それらはすべて人間の、若い女性のものらしく感じられるのです」。お客さま対応の声もエロティックな動きも、今ならロボットに置き換えられるだろう。
 
 広介は、着想の源泉は自分が子どものころに体験したパノラマという見世物にあったと千代子に言う。「パノラマ館の外には、たしかに、日頃見慣れた市街があった。それがパノラマ館の中では、どの方角を見渡しても影さえなく、満洲の平野がはるかに地平線の彼方まで打続いているのだ」。建物の内と外に別の世界があり、「それぞれ異なった土と空と地平線とを持っている」。これが広介の「楽園」であり、「理想郷」だった。
 
 「つまり私はこの島の上にいくつかのそれぞれ独立したパノラマを作ったのだ」「私の作ったパノラマは、普通のパノラマ館のように壁にえがいた絵ではない。自然を歪める丘陵の曲線と注意深い曲線の按配(あんばい)と、草木岩石の配置とによって、たくみに人工の跡をかくして、思うがままに自然の距離を伸縮したのだ」。エッシャーのだまし絵のような世界を具現化したということだろう。
 
 乱歩世界の主人公は、仮想の「楽園」を現実世界に巧妙に組み込んだ。ただ、できあがったものは、自然保護という面でもジェンダーの観点からも大いに難ありだった。今の時代、人間にとって本当の楽園とは何なのか。サミットを機に、そう問うてみる。
(執筆撮影・尾関章、通算318回)
 
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『ボヴァリー夫人』(ギュスターヴ・フローベール著、芳川泰久訳、新潮文庫)
写真》ノルマンディーの風味、カマンベール
 
 「1週1冊」の醍醐味は、本と本とがまるで人間同士のようにつながりをもち、ネットワークをつくりだすことだ。6年も続けていると、互いに「やあやあ」と声を掛けあう書物たちがいる。うれしいことに、それで語り部役の僕の世界は広がっていく。
 
 こうして広がった世界の一つが、フランスの近代史だ。たとえば先々週のヴォルテール『寛容論』(中川信訳、中公文庫)では、1789年市民革命前の社会状況が「冤罪」裁判という切り口を通して見えてきた。このころはまだ、カトリックとプロテスタントの対立がこんなにも過酷だったんだ、と思い知らされる。その一方で、裁判制度がとりあえずは整い、冤罪を晴らそうという支援活動が成り立っていたことへの驚きもある。
 
 去年暮れには、カール・マルクス『フランスの内乱』(木下半治訳、岩波文庫)をとりあげた(2015年12月11日付「パリ・コミューンの読み方を変える」)。こちらは、1871年の首都に現れた自治政府パリ・コミューンの実録だった。
 
 2冊の本の間、すなわち市民革命からパリ・コミューンまでの80年余にフランスの政治は激動した。革命後の共和政は帝政に移り、そして王政へ戻った。王政の間にも革命が起こる。このあともう一度、共和政と帝政を繰り返し、三度目の共和政となる。僕たちにとって、こうした経緯は西洋史の教科書などを通して学んだ無味乾燥な知識でしかなかったが、2冊を熟読することで、それが有機的に肉付けされる。これこそが書物の効用だろう。
 
 本読みは、意外なネットワーキングももたらす。たとえば、ルイ・オーギュスト・ブランキにまつわる話。この人は、前述の『フランスの…』では自治政府が獄中から奪還しようとした革命家として登場する。だが当欄の前身コラムでとりあげたように、量子力学の多世界解釈に似た宇宙観の持ち主でもあった(文理悠々2012年11月12日付「革命家のトンデモでない宇宙」)。文理の壁を超えるつながりが、当時のフランスにはあったのだ。
 
 で今週は、パリ・コミューン前夜のフランスで人々の暮らしぶりがどんなだったかを教えてくれる長編小説。『ボヴァリー夫人』(ギュスターヴ・フローベール著、芳川泰久訳、新潮文庫)だ。『フランスの…』でマルクスは、「地方議会」が「パリにおける全国代議員会に代議士を送る」というボトムアップの社会設計を提示している。では、その「地方」の実態はどうだったのか。そんな疑問に答えてくれるのが、この作品だ。
 
 本の話に入る前にちょっと道草。最近、レンタルDVDで観たフランス映画「ボヴァリー夫人とパン屋」(アンヌ・フォンテーヌ監督、2014年製作、15年日本公開)がおもしろかった。時代は現代。ノルマンディー地方のパン屋さんがフローベール『ボヴァリー…』の作中世界を下敷きに、妄想を目いっぱいに膨らませるというコメディータッチの筋書きだ。この小説が、フランス人にとってどれほど愛されているかを痛感した。
 
 『ボヴァリー…』の連載が雑誌に載ったのは1856年。今回手にとった文庫版は去年6月に出たばかりの新訳本だ。読んでいて、一つひとつの文が長く、しかも融通無碍に展開することに辟易となるが、怒ってはいけない。巻末解説で訳者は言う。「できるかぎり原文を忠実に訳そうと思いました」「原文を勝手に切ったり、つなげたりしない、と決めたのです」。そこに、著者の息づかいがあるということだろう。
 
 この小説は、フランスの片田舎で暮らす町医者シャルル・ボヴァリーの妻エンマの物語だ。夫への失望が募り、不倫を重ね、破滅の匂いが漂ってくるあたりが読みどころだが、当欄では筋を追うことを控える。夫妻を包む時代の空気を感じとることに専念しよう。
 
 物語の主舞台は、夫妻が移り住んだノルマンディーのヨンヴィル=ラベイという村。古都ルーアンから約30kmのところにある。村とは言っても、中心部の広場に瓦屋根の市場が建っている。その周りに「木でできた丸天井」の教会、「ギリシャ神殿風」の役場、料理屋を兼ねる「金獅子(リヨン・ドール)」旅館、そして「金文字」で書かれた看板を掲げる派手な店構えの薬局……町の最小限の要素が揃っている。
 
 興味深いのは、この田舎町とも呼べる村が大きな町とつながっていたことだ。かつては「ヨンヴィルに行くのに楽に通れる道は一本もなかった」が、1835年ごろから「地方道」が整うようになった。そこを、「ツバメ」という名の馬車便が走る。
 
 ツバメは3頭立て。「黄色い大きな箱で、車輪が幌(ほろ)の高さまであるので、乗客は外の景色も見えず、肩までハネで汚れた」。金獅子を起点に、道端で待つ客を乗せていっただけではない。御者は、町で「靴屋には巻いた革を」「蹄鉄工(かじや)には古鉄を」「床屋にはカツラを」というように頼まれものを買い込み、帰路、発注元の「庭の柵越し」に投げ入れた。バスの役目を果たしながら、宅配便の役割まで請け負っていたことになる。
 
 では、大きな町はどんなだったか。エンマが愛人レオン・デュピュイに会いにゆくルーアンは、川沿いの港町で工業化が進んでいる。「錨(いかり)を下ろした船は川の隅にかたまり、川は緑の丘のふもとを蛇行し」「工場のいくつもの煙突は巨大な褐色の羽根飾り(けむり)を吐き」「鋳造所のうなりが聞こえ、そこに霧のなかにそびえる教会の鐘の音(カリヨン)の音が混じる」(「カリヨン」の訳注は省く)
 
 ツバメがこの町に入ると、エンマの心は騒ぐ。「密集した人びとの生活から、自分のほうに何か眩暈(めまい)を誘うようなものが発散してきて、まるでそこに息づく十二万人もの人間がみないっせいにこちらに情熱の息吹(いぶき)を放ってくるかのようで、彼女はそんな息吹を想像した」。さらには「こうした広がりを目の前にして、彼女の恋心は強くなった」ともある。家庭の束縛を解き放つなにかが、地方の工業都市の光景にはあった。
 
 ヨンヴィルに暮らす人々のうちで、準主役級なのは薬局店主オメーだ。薬剤師という仕事柄か、当時の理系知識に通じていて、それをひけらかす。この人物の言動から、19世紀半ばのフランスで近代の精神がどんなかたちで市井に広まっていたかがわかる。
 
 たとえば、農学について一説ぶつところ。「農学者になるには、自ら土を耕したり鶏を飼う必要があると思ってはいませんかな? ところがむしろ知らなければならないのは、問題となる物質の組成であり、地質学的にみた鉱脈であり、大気の作用であり、土壌や鉱物や水の質であり、さまざまな物体の比重や毛細管現象なのです!」。今日の理系人の発言かと錯覚しそうなほどに、農の営みを物理に、化学に、地球科学に結びつけている。 
 
 彼の科学一辺倒は当時の思潮を反映している。村の聖職者との談論はいつも論争になる。ある日は「ヴォルテールの悲劇を見てください、そのほとんどに啓蒙(けいもう)思想の考えが巧みにちりばめられていて、民衆にとって、彼の悲劇は道徳と人事万端の知恵を教える本当の学校となっています」。別の日には「ヴォルテールをお読みなさい! ドルバックをお読みなさい! 『百科全書』をお読みなさい!」(ドルバックの訳注は略す)。
 
 「私の信じているのは至高存在であり、造物主」というあたりは、まさに理神論者だ。自分が死んだら科学のために献体したいという高邁な意向も口にする。だが、このオメーを、著者は尊敬すべき人物としては描いていない。ニセ医者行為に手を出す。シャルルをそそのかして怪しげな手術に挑ませ、それを科学記事にして新聞社に売り込む。そんな軽薄な上昇志向を冷笑することで、現代の技術至上主義批判を先取りしているようにも見える。
 
 訳者解説によると、この小説では「自由間接話法」が多用されている。「階段に足音が聞こえた、レオンだわ。彼女は立ち上がり…(後略)…」とある箇所の「レオンだわ」だ。そこには、視点のとり方の自在さがあるという。すべてを俯瞰する「神の視点」からの離脱である。これも近代精神を背景に生まれた書き手の技だろう。不倫の物語も時代の思想と無縁ではない。そう思ってにやりとするのも、本読みの楽しみだ。
(執筆撮影・尾関章、通算312回)
 
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『蹴りたい背中』(綿矢りさ著、河出文庫)
写真》背中に背表紙
 
 この夏の参院選は、18歳でも19歳でも投票できるようになった。去年、公職選挙法が改められたからだ。10代最後の2年間は、アルバイトも含め労働にかかわっている人が多い。格差社会のひずみをもろに受けている人もいる。性的な活動期に入る年齢も昔と比べれば格段に下がった。だったら参政権も大人扱いすべきではないか。そんな考え方が背景にあるようだ。これには僕も反対しない。
 
 ただ気になるのは、飲酒解禁年齢が20歳のまま据え置かれる方向にあることだ。喫煙は害があることがはっきりしているので、その機会を減らす政策がとられるべきで、解禁を早める必要はない。だが酒は、適量なら悪いことばかりではないだろう。硬い話では大人扱いしながら、軟い話になると子ども扱いというのはちぐはぐではないか。飲酒を許すくらいの大らかさはあってよいと僕は思う。
 
 ともあれ10代後半から20代前半にかけては、大人なのか子どもなのか不分明な時期にあると言えよう。僕自身の過去からそんな位相を切りだせば、しばしば、ひとりで散歩に出た記憶が思い浮かぶ。近所をぶらつくだけではない。用がないのに電車にも乗った。夜、川にほど近い駅で降り、堤防に登って暗い水面を見つめていたこともある。こんな大人はいない。こんな子どももいない。どちらでもないから、そんなことをしたのだ。
 
 最近、そのデジャビュに襲われた。日が暮れてから家を出て、夜風の匂いを嗅いだ一瞬のことだ。ひとり川へ出かけた夜もこんなだったなあ、という思いが頭をかすめた。違うのは、あのころは「用がないのに」だったのに今は用事がある、ということだ。
 
 あのころと今とでは、僕自身の立ち位置が大きく異なっている。今は、後ろを振り向くと数十年のカイシャ生活がどんと居座っているが、前方の未来は量感に乏しく、ただただ現在を愛おしむ気持ちが募るばかりだ。ところがあのころは、自分がこれから何者になるかが皆目わからず、行く手には大きな雲が立ちはだかっていた。不確定な未来という重圧の前で、ひとりさまようよりほかなかったのである。
 
 で、今週は『蹴りたい背中』(綿矢りさ著、河出文庫)。2003年、雑誌に発表され、単行本も出た。著者は当時19歳、この作品で芥川賞の最年少受賞者となった。自分を「余り者」と感じている高1女子の日常を描いた小説。明示的な筋書きとしては、恋もセックスもいじめもない。あえて言えば、自覚的、自律的な孤立の物語。だからこそ、かえって鋭くとがった感触がある。
 
 書きだしの一文は「さびしさは鳴る」。生物の授業で級友は顕微鏡を覗いているのに、主人公のハツ、長谷川初実は白けた気分で教材プリントを千切っている。このあとに「紙を裂(さ)く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる」とあるのをとらえて、斎藤美奈子の巻末解説は「彼女の五感、とりわけ聴覚と視覚が異様に研ぎ澄まされている」と言う。その五感が身の回りの細部を一つひとつ紡ぎだしていく。
 
 文体も新鮮だ。「葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス」「ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス」。日本語っていうのはこんな表現も生みだせるんだ、と思わせてくれる。
 
 著者は、大人でもなく子どもでもない世代の特徴を的確に切りとっている。「夏休みが近づくにつれ、暑い教室で、男子は半袖(はんそで)をまくり上げ靴に靴下まで脱いで裸足(はだし)で、女子は下敷きでスカートの中をあおぎながら、億劫(おっくう)そうに授業を受けるようになった」。夏場の校内風景をさりげなく描いているのだが、そこから性の自覚がまだ中途半端な男女の姿が見てとれる。
 
 5時間目に同学年の生徒が体育館に集められて、遠足写真のスライド上映を観る場面。「もう大人の身体つきをした男子高校生たちも、あの見慣れた小さい形になって縦に並んでいる。陰惨(いんさん)な、高校生になっても三角座りをさせられるなんて。三角座りの形、大小はさまざまで、でもどれも使いさしの消しゴムみたいに不格好」。あの座らされ方は、大人になりかけの世代が子ども扱いされていることを正直に物語っている。
 
 早めにことわっておくと、ハツの「余り者」としての自意識は、引きこもり型の性格からくるものではない。中学校では友だちの輪に入っていたが、高校生になってそれが「不毛」に思えてきたのだ。中学生の自分を振り返ったこんな述懐がある。「話に詰まって目を泳がせて、つまらない話題にしがみついて、そしてなんとか盛り上げようと、けたたましく笑い声をあげている時なんかは、授業の中休みの十分間が永遠にも思えた」
 
 ここで思いあたるのは、いまどきの居酒屋でよく見かける光景だ。若い世代の飲み会を見ていると静寂の隙間がない。一つの笑いが収まりそうになると、次の笑いを生みだすためにだれかがツッコミを入れてブーストする。昔のコンパでは場を白けさせるヤツが一人や二人いて、不穏な空気が歓談を中断させることがしばしばあったが、今の若者にはそれを先回りして抑え込もうという強迫観念があるように見える。よく疲れないものだと思う。
 
 この小説でも、ハツは中学校時代の仲間づきあいを「話のネタのために毎日を生きているみたいだった。とにかく“しーん”が怖くて、ボートに浸水してくる冷たい沈黙の水を、つまらない日常の報告で埋めるのに死に物狂いだった」と思い返している。
 
 この小説の筋は、ハツが自分のほかにも「余り者」を見いだすことから始まる。「にな川」という男子生徒。「『にな』の漢字は、私の知らない、虫偏の難しい漢字で、なんとなくかたつむりを連想させる字だ」という主人公目線に従って、この表記が全編で使われる。
 
 顕微鏡観察の授業で、にな川が何をしていたかといえば「先生に見つからないように膝(ひざ)の上で雑誌を読んで時間を潰(つぶ)していた」。正確には「暗い表情で、どこも見ていない虚(うつ)ろな目で、ひたすら同じページに目を落としている」という感じ。しかも、それはファッション系女性誌だ。表紙を飾るのは「片眉(かたまゆ)を上げてこちらを見据(みす)えている女モデル」の決めポーズだった。
 
 ハツは、開かれたページの写真をのぞき見て驚く。「駅前の無印良品で、この人に会ったことがある」。そう口走ると、すぐさま反応があった。佐々木オリビアという売れっ子モデル。にな川が「オリチャン」と呼んであがめる女性だったのだ。ハツは放課後、彼の家に連れていかれ、「あの店のどこで、つまり何階の何売り場のどこらへんで彼女に会ったのかを、地図に描いて教えてほしいんだ」とせがまれる。こうして二人の交流は始まった。
 
 にな川のオリチャンへの入れ込みぶりは不気味だ。勉強机の下にプラスチックケースを押し込んでいて、そこに彼女の載った雑誌や彼女関連のグッズを蓄えている。別の日に再訪したときは、「あ、オリチャンのラジオが始まる時間だ」と言って、ひとりイヤホンで番組にのめり込む。ハツはふいに「この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴(け)りたい」と思った。それは行動に移され、足裏に背骨の「感触」が残る。
 
 どうして蹴ったのか。巻末解説で斎藤は「一種の性的な衝動」との解釈を示している。そうとも読めるが、そればかりではないと僕は思う。人が人と関係を結ぶときは、それが性的なものであろうとなかろうと、なんらかの「感触」を伴うはずだ。ところが学校の仲間づきあいは「“しーん”が怖くて」の静寂恐怖だけで成り立っている。ハツは、その虚構を見抜いたからこそ自らが「余り者」となり、同じ「余り者」に触れたのではないか。
 
 居酒屋に集う若者たちよ、笑いを波状につなぐのはもうやめよう。ときには“しーん”の気まずさもあっていい。それもまた、人と人が接しあう「感触」にほかならないからだ。
(執筆撮影・尾関章、通算309回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『事件』(大岡昇平著、新潮文庫)
写真》判決の後、大写しの文字
 
 ニュースを見ていて、本筋から外れたところで感情が動かされることがある。たとえば去年春、関電高浜原発3、4号機の再稼働に差し止めの決定が出たとき、そして暮れにそれが取り消されたとき。僕の目を釘づけにしたのは、背後に見えた裁判所の建物だ。
 
 福井市中心部の角地に聳える福井地方裁判所。正面の一角が塔をなし、そこからくの字形に両翼が延びる。僕は1977年、支局の新人記者として、ここで初めて裁判取材を経験した。今回、そのたたずまいをテレビで見て当時の記憶が甦った。私事だが、祖父の死を知った日のこと。実家から訃報を受けた支局が裁判所に電話を入れ、所員が傍聴席にいる僕を見つけて肩をつついてくれた。法廷は聖域なので、ポケットベルを切っていたのである。

 裁判所は不思議な空間だ。傍聴は不特定の人々に人数を限って許されるが、メディアは中継できない。公開なのに公開感が乏しい。重大判決が出た後、弁護団関係者が所外に躍り出て「勝訴」「不当判決」と大書した紙を掲げるのも、そんな状況を物語る。
 
 2009年、裁判員制度が始まった。だがそれでも、裁判には外から見通せない部分が多く残されている。法廷の背後に何があるのだろうか――。今週の一冊は、裁判の深部に光をあてた長編小説『事件』(大岡昇平著、新潮文庫)。もともとは1961年〜62年に朝日新聞夕刊に連載された作品だ。題名は『若草物語』だった。77年に新潮社から単行本が出るにあたって改題され、80年に文庫本となった。
 
 あとがきによれば、著者は連載を続けるうちに、世の人々が裁判について正しく知らされていないことに気づき、「その実状を伝えたい」という思いが芽生えた。主題を変更して「毎日殆んど手探り」で書き進めたため、本にするときに中身を整理したという。
 
 作中で裁かれるのは、神奈川県高座郡金田町に住む坂井ハツ子(23)が町内の丘陵で刺され、死んだという事件だ。妹ヨシ子(19)の恋人で自動車修理工の上田宏(19)が殺人、死体遺棄の罪で起訴される。ハツ子は、妹が妊娠して宏と家出同棲しようとしているのを知っていた。そのことを親たちに言いつけられ、阻まれるのを恐れたというのが、起訴状に記された動機だった。ヨシ子は被害者も被告人も身内という状況に置かれたのである。
 
 ハツ子は新宿の歓楽街で働いた後、地元に戻り、飲み屋を開いた。ヨシ子は洋品店に勤め、宏という小学校の同級生と交際している。対照的な姉妹だ。1978年にNHKでテレビドラマ化されたとき、姉をいしだあゆみ、妹を大竹しのぶが演じた。
 
 本題に入る前にちょっと寄り道すると、この小説は地形の描写がいい。事件直後と思われる夕方、宏が自転車を押して歩いていた現場近くの山裾。「サラシ沢と呼ばれ、段をなして丘へ食い込んでいる田圃(たんぼ)に沿って、その道はそれから東へ五キロ、ゴルフ場を建設中の丘の起伏を越えて、小田急江ノ島線に出る近道だった」。著者の名作『武蔵野夫人』を連想させる段丘が出てくる。関東ローム層の赤土が匂ってくるようだ。
 
 そんな東京近郊は1960年代初め、どんなだったか。「金田」は相模川流域の架空の町で、住人は5000人ほどだが「電話を持つ家は百軒もない」。ところがこのころ、「工場がやたらにふえて来た」。鋳物、陶器、トランジスタ、計器、ガラス……「付近一帯の農家で飼われる豚をお目当てに、罐詰(かんづめ)工場を建てる計画もあった」。農村が軽工業地帯に変わる過渡期と言える。数キロ先には厚木や座間の米軍基地も控えていた。
 
 こうした地域社会の戦後事情は若者の心に影を落とした。宏の父は農地1.8haの大半を罐詰工場の用地として売り払った。宏は学校の成績が良く、職場でも真面目だったが、「急に金が入った親」に対しては「反抗的態度」を見せていたようだ。一方、ハツ子は17歳のころ、米軍基地で売店の売り子をしていたときに辛い経験をした。「夜おそく、洋服を泥まみれにして、髪を乱して帰って来た」のである。
 
 この作品の裁判小説としての妙は、こうした宏やハツ子の現実とは別次元で裁判官たちが彼ら自身の日常を送る様子に光をあてたことだ。「三人の黒い法服を着た異様な人物」は閉廷すると「法廷全員の起立のうちに」「一段高い裁判官席の背後のドアから消える」。その向こう側でとる昼食は、裁判長の判事が蕎麦なら陪席の判事補も蕎麦。「同じものを、注文しなければならない、と諦(あきら)めている」。部下が上司に気づかう職場風景だ。
 
 あるいは「宅調」制度。この地裁の裁判官は週3日、「自宅で裁判記録を調べたり、判決を書いたりする」のが習わしだった。裁きの場の空気が私的空間に及んで、家族団欒の話題となることもあろう。この小説では判事補が初公判の日、朝食の席につくと妻が裁判の話をもちだす。検察側が、宏のナイフ購入を「殺人の予備」と位置づけているのが納得できないというのだ。「その日ハツ子に会ったのは偶然だったんでしょう」
 
 いまは、どの分野でも家庭での仕事談義が控えられる傾向にある。夫婦が職業人として利害関係に置かれることがままあるからか。ただ家庭が、裁判官にとって市民感情に触れる場であることには変わりないだろう。

 この小説は、単行本が出た翌春に日本推理作家協会賞を受けている。ミステリーとしての質の高さが認められたのである。だから、筋はあまり追わないほうがよいだろう。一つ言えるのは、弁護人菊地大三郎の尋問の巧みさと立論の鮮やかさが際立つということだ。起訴状や冒頭陳述の弱点をあぶり出し、その真実味を薄れさせていく。この老練な弁護士をNHKドラマでは若山富三郎が好演した。
 
 もう一人、捨てがたい持ち味の人物が裁判長の谷本一夫だ。判事補二人を相手に「公正なる判断」や「判決の“こつ”」について語る場面がある。「一瞬の事実」にこだわることを戒め、「現場はあくまでも事案全体の流れにおける現場として捉(とら)えなければならない」と言う。そこで口にする言葉が「事案の“すわり”」だ。判決は“すわり”のよいものでなくてはならないというのである。平衡感覚を重んじていることがわかる。
 
 検察の筋書きを菊地がどう切り崩し、平衡点の落としどころを谷本がどう見いだしていくか。この小説の法廷劇としての醍醐味は、そこにある。
 
 ただ、そんな裁判のありようにも変化の兆しがあった。その象徴が、刑事裁判の「集中審理方式」だ。この小説が新聞に連載されていたころ、すでに「最高裁が裁判のスピードアップのため奨励する」という流れにあった。裁判官、検察官、弁護人が事前に審理の進め方を話し合って公判の間隔を縮める方式。裁判員裁判は、一般市民の出廷の負担を小さくする必要もあって、この手順で進められている。
 
 菊地も谷本も、そんな効率主義に消極的だ。菊地は繁忙を理由に事前準備に応じなかった。谷本も内心、「日程を促進することは、被告側に不利だ」とみている。これを補うように、著者自身も地の文で集中審理方式の短所を解説する。弁護士は捜査権がなく「自ら証拠を収集する力」をもたない。「専ら検察側の提出した証拠を攻撃し、その証明力を失わせるほかに手はないので、そのためには次の公判までの間に時間がいる」というのだ。
 
 これは私見だが、裁判員制度は市井の人に量刑判断まで強いる点に難がある、と僕は考えている。個々の裁判員にとっては自らの信条に背く結論が合議の末に出されることも予想されるからだ。もちろん利点を挙げれば、裁判官の平衡感覚と世間の日常感覚のズレを埋めてくれそうだということがある。ただ、そのために審理を急いで真相を見逃したら元も子もない。司法改革は、もっとよい制度を探す途上にあるというべきだろう。
 
 読み終えると、たとえ法廷が聖域でも裁判は人間の営みにほかならないことがわかる。この小説は、著者が裁判そのものの情と理を見抜いた「大岡裁き」と言えよう。
(執筆撮影・尾関章、通算301回)
 
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『我らが隣人の犯罪』(宮部みゆき著、文春文庫)
写真》愛すべき友、ときに紛争の種
 
 師走の声を聞いて、幼いころのご近所が思いだされる。僕は、私鉄沿線の小さな町の商店街で育った。年の暮れは歳末商戦で町に活気があふれる。ジングルベルが流れ、福引きのがらがらという音が聞こえた。そんなこの季節の、あの町が恋しい。
 
 この感覚も、勤め人時代は希薄だった。意識が職場ばかりに向かい、足もとの暮らしなど眼中にない状態だったからだろう。幼少期を過ごした町の風景をいとおしむ気持ちもどこかに置き忘れていた。
 
 勤めを辞め、自宅中心の生活に戻って改めて気づくのは、人はご近所のある存在だということだ。と同時に、自分はこれまでずいぶん近所迷惑を重ねてきたのではないかという疑念が膨らむ。今更ながら気になるのが騒音だ。集合住宅では天井や床、壁の仕切り一つを隔てて人がいた。足音、水音、テレビの音。それらのすべてが騒がしかったことだろう。転勤転居を繰り返してきた身には胸の痛むことが多い。
 
 マンション暮らしがこれほどに広まった今、隣人にうるさがれているのではないかと疑心暗鬼な人は多いに違いない。その裏返しで、実際にうるさいと感じている人も少なくないだろう。そうなると、近隣トラブルがあちこちで起こっても不思議ではないのだが、たいがいは壁をたたいて警告するくらいで済ませている。世間の人々には自制や寛容の心がそれなりに備わっているということか。
 
 一方に、隣人の耳を気にする人がいる。もう一方で、怒鳴り込む一歩手前で踏みとどまる人がいる。たぶん人間社会は、この二つの作用があるから安定持続しているのだろう。どちらかが弱まったときに事件が起こる。ということで、今週は『我らが隣人の犯罪』(宮部みゆき著、文春文庫)という短編集の表題作。1987年に小説誌「オール讀物」に載った作品だ。文字通り、近隣関係の危うさをうまく切りだしている。
 
 隣近所のミステリーと言えば、僕は今春、『墓苑とノーベル賞 岩中女史の生活記録』佐野洋著、光文社文庫)という連作短編集を紹介したことがあった(当欄2015年3月20日付「佐野洋アラウンド80のコージー感覚」)。その作品群には成熟した住宅街の長閑な雰囲気が漂っていたので、「コージー(心地よい)ミステリーと呼ばれるもののなかでも、もっともコージーな部類に入るだろう」と読後感を書きとめた。
 
 今回とりあげる『我らが……』という短編もコージーな筆致だ。たとえば、最初のページに出てくる主人公の自己紹介。「僕の名は三田村誠。中学一年生だ。成績も身長も中ぐらいだけれど、成績の方は後ろから、身長の方は前から数えた方が早い」。だが、そのつもりで読み進むと裏切られる。コージーであってもコージーで終わらない。だからと言って残虐ということはない。そこに、この小説の微妙なおもしろさがある。
 
 誠と父母、妹の4人が住むのは「東京都心から電車で三十分ほどのところにある『ラ・コーポ大町台』」。父が自嘲気味に「要するに西洋棟割長屋」と言う分譲タウンハウスが6棟並び、1棟を3世帯が分け合う。三田村家は3号棟の真ん中にいる。
 
 この舞台設定は、作品が書かれた1980年代の住宅状況を反映している。首都圏で言えば、渋谷に出やすい田園都市線沿いに代表されるニュータウンが、「金妻(キンツマ)」文化ともいえるおしゃれな生活様式を発信していた。「大町台」がどの沿線にあるかはわからないが、「窓からながめると、山のロッジのようにすっぽりと緑に囲まれた感じ」とある。丘陵造成地に出現した新興住宅街とみてよいだろう。
 
 しかも、あのころはバブル経済の全盛期。売り手市場で買い手の側に競争があった。3号棟中央は、前の住人が「新築で入居して半年でここを手放した」という物件だったが、誠の両親はじっくりと吟味はしなかった。「すぐに手付金を払って」「翌日には本契約を結んでしまった」。苦い経験のせいで、身にしみて「不動産を手にするには一にも二にもスピードが肝心」と心得ていた、というのである。
 
 つまりは、この小説の近隣摩擦は、生まれてまもない新しい町に互いに見知らぬ人々が集まってくるという過程のなかで起こる。三田村家の人々は後から割り込んだかたちなので、突然、その渦中に投げ込まれたとも言えよう。
 
 摩擦を引き起こすのは、右側の隣人――どっちを向いて右かは判然としないが――だ。「橋本美沙子という三十歳ぐらいの女の人」で、引っ越し直後、挨拶に訪ねたときから詮索の的ではあった。「独身の女性が自力で買うなんて、いくらローンにしても大したもんだな」と父。「そんなことありっこないでしょう」と母。中年男がときどき訪れるのを見かけるようになって、母の直感が正解らしいとわかった。
 
 その隣人の飼い犬ミリーが、三田村家の人々を悩ませる。白のスピッツ。「吠(ほ)え始めると、僕はいつも古い戦争映画に出てくる機関銃を思い出す」「飼っている本人だってうるさいだろうに」。誠は呆れながらも「橋本さんはひょっとして耳が不自由で、用心のために番犬を置いているのかも」と慮ったりもした。ところがある夜、CDを聴いていると、彼女のほうが壁の向こうから「うるさい!」と怒鳴ってきた。
 
 こんなとき、現代人はすぐには直接行動に出ない。両親は「まず管理規約をちゃんと確かめて」「『ペットの飼育は原則として禁止』というくだりを見つけた」。ところが、これは「原則として」の5文字でザル抜けだった。管理人に訴えると、入居前から飼っているものについては許しているとの返事が戻ってくる。「常識と良識で判断して隣どうしで円満に解決して」と諭される始末だ。それで本人に苦情を言いにいったが、埒はあかない。
 
 ペットをめぐるトラブルが難しいのは、飼っている人にも飼われている動物にも権利があるということだ。この作品では著者が、飼われる側の飼われ方に目を向けて、飼う側の飼い方に疑問符を投げかける。ミリーはトリマーの店へ行くときのほかは家に閉じ込められたままなのでストレスがたまっている、というわけだ。三田村家の橋本さんに対する反撃に、ミリーの解放というもう一つの大義が付け加わる。
 
 例によって小説なので、ここから先の展開は詳らかにはしない。誠の叔父がなかなかの知恵者で、巧妙にして大胆な作戦に乗りだし、甥や姪もそれに一役買う、ということまでは明かしておこう。今の社会感覚から言うと、娯楽作品の虚構とはいえコンプライアンスの点で抵抗感がある。だが1980年代には、痛快な冒険譚として読めたような気もする。そして最後の最後には、どんでん返しも用意されている。
 
 一つだけ触れておきたいのは、その作戦で天井裏が使われることだ。思い浮かぶのは、江戸川乱歩の短編『屋根裏の散歩者』。それを当欄の前身でとりあげたとき、大正の東京では「個人として別々に生きる都市生活者が多く現れ、そういう生き方にふさわしい空間の区切り方が集合住宅のかたちで実現していた」と書いた(文理悠々2012年12月3日付「乱歩『屋根裏』をネット時代に読む」)。そんな個別空間の抜け穴が屋根裏だった。
 
 今は、集合住宅の天井裏でも仕切りを設けるよう建築基準法が定めている。この作品にも、叔父がそれを指摘して、誠が「じゃ、ここは手抜き工事されているわけ?」と応じる場面がある。著者は、違法建築を登場させることで乱歩的な都市観をもちこんだ。
 
 町に暮らせば、多かれ少なかれ隣人とつながる。たとえ天井裏に壁があっても、いや、住まいが戸建てであっても、同じ空気を分かち合うという関係は絶てない。音が聞こえてくるのも、そのせいだ。だからこそ僕たちには、自制と寛容が必要なのである。
(執筆撮影・尾関章、通算293回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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