『ゲノム編集とは何か――「DNAのメス」クリスパーの衝撃』

(小林雅一著、講談社現代新書)

写真》配列の編集

 木曽川が日本ラインと呼ばれる辺りに愛知県犬山市がある。国宝犬山城では天守閣がいにしえの姿を残している。犬山モンキーセンターや京都大学の霊長類研究所があってサル類に親しむ町でもある。だが、それだけではない。「犬山宣言」をご存じですか?

 

 1990年、この地で国際医学団体協議会(CIOMS)の国際会議が開かれた。テーマは「遺伝子」「倫理」「人間の価値」。そこで採択されたのが犬山宣言だ。ヒトゲノム(人の全遺伝情報)解読の本格始動に先だって、遺伝子を扱う医療の方向性を関連学界が示した。僕は記者として犬山に赴いたものの、百家争鳴の論争を科学面にまとめるくらいの心積もりだった。ところが配られた宣言を見て、これは第1面のニュースだと直感する。

 

 このときのバタバタは、拙著『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)に書いた。「ノートに走り書きした原稿を電話で『吹き込む』という昔ながらの送稿をしたように思う」とある。「吹き込む」とは、字解きしながら読みあげることだ。こうして記事は1面に出た。宣言は「遺伝子治療を容認」したが、当面は「生殖細胞除外」などを条件に挙げている、という内容だった(朝日新聞1990年7月28日朝刊)。

 

 こんな思い出に浸ったのも、最近耳にする「ゲノム編集」の議論に犬山宣言の方向性が見てとれるからだ。この技術は、遺伝子の操作を旧来の組み換えよりも効率的にやってのける。その研究をどう進め、どう規制すべきかを考えるときにも「生殖細胞」が別扱いされている。人の細胞を二分して、臓器や組織に分化した体細胞と精子や卵子などの生殖細胞の間に一線を引く思想である。違いは、改変遺伝子が後続世代に受け継がれるかどうかにある。

 

 政府の総合科学技術・イノベーション会議生命倫理専門調査会が昨春公表した「ヒト受精胚へのゲノム編集技術を用いる研究」をめぐる「中間まとめ」がそうだ。そもそも調査会は、ゲノム編集について「ヒト受精胚への適用に限って、現時点での考え方の整理を行う」としている。その理由らしき記述も見つかる。「ヒト受精胚」に使えば「適用を受けた世代のみならず、次世代以降にも影響を与える可能性がある」と書いているのだ。

 

 受精胚は、生物学の厳密な定義では生殖細胞ではない。だが、精子や卵子も受精胚から分化するので、そのゲノム編集は子孫への影響が心配される。だから、この問題では生殖細胞扱いされることになる。犬山宣言に倣って、安易に容認できないという考え方が出てくる。

 

 で今週は、その新技術について。『ゲノム編集とは何か――「DNAのメス」クリスパーの衝撃』(小林雅一著、講談社現代新書)。去年8月に出た本だ。著者は1963年生まれ、東京大学で物理学を学び、日米のメディアなどで働いた後、通信大手の研究所に移ったという多彩な経歴の持ち主。その強みが、この本では存分に発揮されている。生命技術の最先端を、クラウドなど情報技術(IT)とも結びつけて活写しているのである。

 

 この本が焦点をあてるのは、ゲノム編集のなかでも「クリスパー・キャス9」、略称「クリスパー」という技術だ。「2012年頃、欧米の大学や研究機関を中心に開発された」ので、登場からまだ日が浅い。まず教えられるのは、従来の遺伝子組み換えとの違いだ。従来方式は「ほとんど偶然(運)に頼ったような確率的手法」だが、クリスパーなら「DNA上の狙った遺伝子をピンポイントで切断したり、改変することができる」としている。

 

 従来方式はどうして「確率的」なのか。遺伝子組み換えは1970年代前半に開発されて以来、DNAをハサミ役の制限酵素などで切り貼りする技術と説明されてきたが、それは面倒な手順を省いた話だった。たとえば、DNAから「狙った遺伝子」部分を切りだす作業。制限酵素は「特定の塩基配列」があるところを「どこでも切断してしまう」ので、出てきた数多くの断片から、その遺伝子を含むものだけを選り分けなくてはならない。

 

 切りだした遺伝子を生物のDNAに組み込むのも大仕事だ。ここで頼りにするのは、生殖細胞ができるときの減数分裂などで起こる「相同組み換え」という自然現象。父や母が遺伝子を子に伝えるとき、自分の父母、すなわち子にとっては祖父母のものをランダムに混ぜる過程だ。この生体に備わるしくみを生かして、導入したい遺伝子を含むDNA断片を取り込ませる。これも確率頼み。もともとの遺伝子と巧く入れ替わる頻度は「極めて低い」。

 

 従来方式の遺伝子組み換えの成功率はひとくちに言えないようだが、この本によれば、相同組み換えだけで「100万分の1」ということもある。ところが、クリスパーによる編集が達成される確率は「数十パーセント」という。ゲノム編集がもてはやされるわけだ。

 

 クリスパーは、細菌の免疫機構を生かす。そのしくみはこうだ。細菌のDNAには、先祖伝来の情報遺産として外敵ウイルスの塩基配列を取り込んだ部分がある。これで敵を見分けて相手の当該配列を壊す。このときに活躍するたんぱく質がキャス9。クリスパーでは、切りたい配列を人工合成してキャス9と結びつける。この複合体が標的の配列を切断するのだ。そこに導入する遺伝子の塩基配列を混ぜておくと、それがすっぽり入るという。

 

 この技術は、なによりも医療への応用が期待されている。がん治療では、免疫を担うリンパ球のT細胞にクリスパーを施し、対がん細胞攻撃力を維持する研究が進んでいるという。安全面の不安が除かれれば広がる可能性がある。この場合は、T細胞を体外に取りだして塩基配列を変える。一方、体内で変える例としては網膜の病気をクリスパーで治す計画もある。いずれも体細胞が相手なので1世代限りの遺伝子改変であり、抵抗感は小さい。

 

 踏みとどまるかどうかで悩むのは、やはり受精胚などのゲノム編集だ。犬山宣言に沿えば、後続世代のことを考えて慎重であるべきだ。ただこの本は、重い遺伝病が子孫に伝わる確率の高い人が子をもつときの苦悩にも言及している。着床前診断で病が伝わっていないのを確かめてから産む方法もあるが、それはそれで生命選択の是非論に直面することになろう。こんな現実を突きつけられると、受精胚編集の道も一概に断てないように思えてくる。

 

 ただ、受精胚のゲノム編集が始まると次に起こるかもしれない展開を著者は危惧する。はじめは病気の治療に限られても「ふと気が付いたときには『(生まれてくる赤ちゃんの)知的能力に関する遺伝子を可能な範囲で改良することは、親が果たすべき最低限の義務である』といった時代になっていることもあり得る」。身体能力しかり、姿かたちしかり。新しい技術が、人の倫理のものさしを一変させることは十分にありうるとみるべきだろう。

 

 留意すべき問題は、人以外のゲノム編集でもある。一例は「遺伝子ドライブ」だ。人類の視点に立って「都合の悪い遺伝子」を追い払ったり、「都合のいい遺伝子」を増殖させたりする。アフリカ・サハラ以南の蚊のゲノムをクリスパーで変え、マラリアの媒介蚊を一掃する構想もあるという。「食物連鎖の末端」にいる生物でも、「工学的に駆逐」すれば「長期的に見て地球の生態系に思わぬダメージを与える恐れがある」と、著者は指摘する。

 

 人を含むすべての生物のゲノムは自然界の一部だ。それを改変する技術を病苦からの解放のために用いる企ては、弱者を支援して社会の不平等をなくそうという現代リベラリズムの精神には適っている。だが他方で、歯止めなしに使えば生体や生態系のバランスを乱しかねないから環境保護思想のエコロジーと対立する。ゲノム編集の時代、リベラリズムとエコロジーの間のどこに最適解があるかを探らなくてはならない、と僕は思う。

 

 この本は、学界の知的財産権争いにも触れている。IT企業がゲノム情報のビッグデータ管理に乗りだした状況も描かれている。そして、クリスパー開発の中心にいた「2人の女性科学者」が賞の授賞式で「ほとんどセレブ並みの扱いを受けている」とする記述もある。

 

 ゲノム編集は生々しくも華やかな科学劇を僕たちに見せつけている。だが忘れてならないのは、そこに二つの現代思想がかかわる人類史的な葛藤が内在していることだ。

(執筆撮影・尾関章、通算369回)

 

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『重力波は歌う——アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』

(ジャンナ・レヴィン著、田沢恭子、松井信彦訳、早川書房)

写真》Lの快挙

 今年のノーベル賞予想は、物理学賞について言えば易しいようで難しかった。科学ファンならだれもが思い浮かべたのが、米国の重力波アンテナLIGOが成し遂げた重力波の初観測だ。ちょうど100年前、アルバート・アインシュタインの一般相対論が完成して、その帰結の一つとして予想されたのが重力場の波だった。ごくごく微小の時空の伸び縮み、という人類未体感の現象。それを突きとめたのだから無論、最大級の称賛に値する。

 

 だが、今年の授賞があるかどうかは微妙だった。物理学賞の推薦状受理は1月末で締め切られるが、LIGOの重力波報告は2月に入ってから。締め切り後、選考にあたる委員会が独自に候補を加える可能性はあるようだが、その手続きをとったのかどうか。

 

 もう一つ、LIGOグループのだれを選ぶべきかという問題もあった。初観測第1報の論文を見れば、著者数はザクッと1000人。物理の巨大実験では、それをアルファベット順で並べるのが常で、今回もB・P・Abbottさんに始まり、J・Zweizigさんで終わっている。物理学賞に団体受賞はなく、しかも授与される人は3人に限られる。だれにも文句を言われないように3人以下に絞り込むのは、それほどたやすいことではない。

 

 こんなとき、常識では組織論で考える。ただ、統括責任者は実験の元締めではあるが、それは学術とは別次元とも言える。装置の提案、準備、稼働のどの段階を重くみるかも考えどころだ。重力波初観測が大偉業でも、だからハイ、賞をどうぞとはいかないのだ。

 

 発表された結果は、別分野への授賞だった。賞を受けるのは、いずれも英国生まれで米国に渡ったデイビッド・サウレス、ダンカン・ホールデン、マイケル・コステリッツの3人。物質中の量子現象をトポロジー(位相幾何学)で理論づけた。一例は、測定値に整数性が現れる量子ホール効果だ。今日のエレクトロニクスの壁を破るには数学知が役立つことを示唆する仕事だった。重力波は先送りなのか、それともノーベル賞には馴染まないのか。

 

 来年の発表を占うために、重力波で受賞が有望な人々の足跡をたどってみよう。一冊のノンフィクションがある。『重力波は歌う——アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』(ジャンナ・レヴィン著、田沢恭子、松井信彦訳、早川書房)。著作権の表示によれば原著は2016年刊で、邦訳も6月に出ている。重力波初観測に合わせたタイムリーな刊行だ。だがもちろん、取材はそれに先立っている。執筆も大方は初観測前だったのだろう。

 

 本の後半では、LIGO構想創始者の一人であるライナー(レイ)・ワイスの決意が繰り返し出てくる。「二〇一六年までに検出を達成するには働き続けなければなりません」。重力波をめぐるアインシュタインの初論文から100年の節目に間に合わせようと考えていたのだ。それがダメなら1918年の論文の100年後でも「まあいいでしょう」。そして最後の最後に初観測の事実が書き込まれる。急いで加筆したのだろうが、かえって劇的だ。

 

 著者は、物理天文が専門の米コロンビア大学教授。4次元を超える宇宙の理論研究などに携わっているようだが、一般向けの著作活動でも才能を発揮している。この本でも取材相手から聞きにくいことを聞きだし、科学者間の確執を大胆な筆致で綴っている。書き手が女性ということに意味を見いだして視点の性差を論ずるつもりは毛頭ないが、登場人物の多くが男性なので「嫉妬」の2文字が女偏であることの不当さにも気づかされる。

 

 描きだされた人間ドラマにはヤマ場が二つある。一つは1983年、重力波観測をめざしてマサチューセッツ工科大学(MIT)とカリフォルニア工科大学(カルテク)が協力体制をとりはじめたころだ。主要人物はMIT側がワイス、カルテク側がキップ・ソーン、ロナルド(ロン)・ドレーヴァー。国立科学財団(NSF)に予算を出させ、1辺がキロメートル単位のL字形アンテナを2カ所に造るという構想は、このトロイカ体制で動きだした。

 

 ソーンは理論家だが、ワイスとドレーヴァーはともに実験家だ。この本は、著者自身の取材録やカルテク当局の口述歴史資料にある二人の肉声を拾って、両者の摩擦を浮かびあがらせる。たとえば、ワイスは「ロン・ドレーヴァーがキップによって無理やり引き込まれていました」と同情気味。一方のドレーヴァーは、当時のワイスの印象を「この話に無理やり割り込んできて別なやり方を試して実行したがっているような感じ」と振り返っている。

 

 ワイスは、この推移の背後にノーベル賞の影を見る。「関係者の大勢がノーベル賞のことを考えていました」「あれはこの分野の罪悪です」。それが、ドレーヴァーの「扱いづらいふるまい」の一因になった、との見方だ。さらに、その賞狙いの思惑こそがNSFを動かしたとも指摘する。「検出がうまくいけば新しい分野ができ、ひいては彼らがノーベル物理学賞に一役買うことになる」「これは一政府機関にとってとても大事なことです」

 

 ノーベル賞の力学で予算面の恩恵を受ける科学者が、そこに「罪」を見ていることは記憶にとどめたい。賞への野心が研究費を生む一方で、仲間の和も乱す。その現実を率直に打ち明けているのは潔い。この賞は善いことばかりではないのである。ただ、どんなに不快な軋轢があっても、ワイスは協力体制の維持にこだわった。この事業が「一機関だけでは無理」と悟っていたからだという。ここに、巨費を投じて進める巨大研究の宿命がある。

 

 もう一つのヤマ場は、ロフス(ロビー)・E・ヴォートの登場だ。1987年にトロイカ体制を継ぐかたちで統括責任者になった。科学者であり、カルテク学務部長も務めた人物。したたかな政治力で議会対策などに腕をふるった。ただ対人関係には難ありで、ロン・ドレーヴァーとそりが合わなかった。真偽不明の話が多いので、ここでは紹介しない。このくだりの章題は黒澤明映画の“Rashomon”、邦訳は「藪の中」となっている。

 

 興味深いのは、そこにもノーベル賞が作用したという見方があることだ。この本は、学者仲間の推察をカルテクの口述歴史資料から引いている。「ロビーが何よりも許しがたかったのは、自分が前進の大きな原動力としてプロジェクトを仕切っていたのに…(中略)…ロンの手柄になりそうで、ひょっとしたらノーベル賞ももらってしまうかもしれないということだったのでしょう」。人の内心はわからないが、そんな嫉妬があっても不思議はない。

 

 この本は科学者の人間模様を赤裸々に曝す一方で、その一人ひとりの科学者精神、とりわけ実験家魂も見事に描きだしている。ワイスはもともとラジオ少年で、実験志向が強かったのに、MITの新米教授として一般相対論の講義を受けもたされる。「ダメ教師だとわかっていました」。それで「実験に重点を置く」という方針を思いつく。学生に思考実験の課題として示したのが「物体間で光線を往復させて、重力波を測定する」という着想だった。

 

 一つの光を二つに分け、直交する方向に行き来させてその位相のずれで時空の伸び縮みを見分ける。ワイスは、そんな実験を大学構内の木造棟に置いた1辺1.5mのL字形装置で始める。その経験から、雑音をしのぐ重力波信号を得るには「長さ数キロ規模の装置だけが現実的な選択肢」とわかる。こうして誕生したのが、LIGOが2カ所に置く1辺4kmのアンテナだ。「ビッグサイエンスは嫌いでした」「科学があれを要請したのです」

 

 ドレーヴァーの実験家魂もすごい。英スコットランド出身で、やはりラジオの修理に興じ、テレビさえも自作する少年だった。地元にいたころ、原子核の慣性質量が宇宙の物質分布に影響されるかどうかの検証を自宅の菜園で試みたという。「自動車のバッテリーをいくつかとワイヤーをいくらか使っただけ」の装置で溶液中のリチウムの核磁気共鳴を調べるという仕掛けだった。結果は、影響を検出できず。今でも精度の高い実験と評価されている。

 

 痛感するのは、今の科学者は昔ながらの科学者と同じ境遇にないという事実だ。創意や探究心にあふれていても合従連衡や政治工作と無縁ではいられない。僕たち部外者はただノーベル賞受賞者を礼讃するのではなく、そんな現実も認識しておくべきだろう。

(執筆撮影・尾関章、通算337回)

 

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『枝分かれ――自然が創り出す美しいパターン3』

(フィリップ・ボール著、桃井緑美子訳、ハヤカワ文庫NF)

写真》木のかたち

 かたちから入る。この言葉には、あまり良いイメージがない。中身よりも先に格好だけを整える、という生活態度を指していうことが多いからだ。ピアノはある、ギターも買った、だけど楽譜は読めない、コード進行も知らない。そんな状況である。

 

 では、世界のとらえ方としてはどうか。そこまで考えを巡らせてみると、イメージは逆転気味になる。ギリシャ哲学の代名詞とも言えるプラトンの「イデア」、アリストテレスの「形相(けいそう=エイドス)」には、日本語にすれば「かたち」の意味合いがある。彼らに先立ってピタゴラスも幾何に入れ込んでいる。先哲たちは、中身にごまかされてはいけない、中身を除いてもなお残るものにこそ目を向けよ、と言っているように思える。

 

 ところが、近現代の科学は中身志向が強かった。モノにこだわり、それを小分けにして最小の単位を突きとめよう、と躍起になっていた。要素還元主義という。物理学には、分子から原子へ、原子核から陽子中性子へ、さらに究極の素粒子クォークへと向かう探索があった。生物学も、個体から細胞へ、染色体へ、そして遺伝子本体のDNAへと突き進んだ。1970年代から80年代にかけては素粒子と遺伝子が科学の主役だった。

 

 僕が科学記者になったのは1980年代半ば。要素還元主義が熟し切り、曲がり角にさしかかったころだ。物理学では、加速器実験による粒子発見ラッシュが一段落して素粒子探しの先行きに翳りが見えていた。そんななかで、小分けではない手法で世界を読み解く試みが散見されるようになった。なかでも僕の心をとらえたのが「形の科学」だ。この看板を掲げる一群の研究者に出会って話を聴くと、そのどれもが新鮮だった。

 

 例をひとつ挙げよう。樹木の枝分かれに目を向けた探究だ。大阪勤務の頃だったので関西の研究者に取材して、新聞の科学面に大きなイラスト付きで紹介した。前書きには、こうある。「勝手気ままに伸びたような樹木の姿にも秘密が隠されている。日差しを浴びやすい、釣り合いもいい、といった枝分かれの妙が鐘紡ガン研究所(大阪市)の本多久夫主任研究員らの研究から、浮かび上がってきた」(朝日新聞1985年11月12日夕刊)。

 

 ヒッグス粒子や重力波の発見のように派手ではない。それは、樹木という存在が素粒子の微小さとも宇宙の巨大さとも縁遠いからか。だが逆に日常生活の尺度に収まり、見慣れたものだからこそ、そこに見いだされる法則は僕たちの世界観に響いてくる。

 

 で、今週は『枝分かれ――自然が創り出す美しいパターン3』(フィリップ・ボール著、桃井緑美子訳、ハヤカワ文庫NF)。著者は、英科学誌ニュー・サイエンティストや米紙ニューヨーク・タイムズなどで活躍するフリーランスの科学ライター。この本は、2012年に早川書房から単行本が出て今年6月に文庫化された。副題にあるようにシリーズの第3部で、1は『かたち』、2は『流れ』。この3で完結するかたちになっている。

 

 1と2が未読なのに3だけをとりあげるのは邪道だと思う。だが今回は、あえてそうする。「かたち」「流れ」よりも狭い概念の「枝分かれ」に1冊をまるまる割りあてた著者の心意気に共感して、書店で思わず3のみを買い入れた。ページを開くと期待通りだったので、一気に読み進んだ。せっかくだから一刻も早く報告したい。そんな気持ちからだ。途中、前述した本多さんの名前も出てきて、活字を通しての再会にうれしくなったこともある。

 

 今回はかたちから入るという話なので、本の中身に踏み込む前にそのつくりから見ておこう。巻末の「参考文献」からもわかるように、著者は古今東西の文献を漁っている。知の森を一歩退いたところから眺める、という感じだ。テーマごとにこれはという研究をいくつか拾いあげ、重ね合わせていく。そこで見えてくるものに出会って、読み手は得をした気分になる。科学ジャーナリズムは、専門家の話を伝達するだけでは終わらないのである。

 

 テーマの選び方も縦横無尽だ。第1章で雪の結晶を語ったあと、第2章からは枝分かれパターンのあれこれを雑食ふうにとりあげていく。たとえば都市域の広がり、あるいは川の流れ。樹木の分岐を真正面から扱っているのは第5章だけだ。第6章では、枝同士がつながる網目模様に話を広げてネットワーク論も展開する。こうした本の組み立て方からは、かたちという共通語で分野横断の法則を探りあてよう、という野心が感じとれる。

 

 ここではもっとも文系色が強いものを選んで、それに焦点を絞ろう。街のかたちだ。著者は、米国の論客二人の先見性に触れるところから、この論題を説き起こす。1930年代、ルイス・マンフォードは大都市が成長する姿を「アメーバ」にたとえ、第二次大戦後にはジェイン・ジェイコブズが「都市はそれ自体の代謝作用と成長の形式をもつ生命体」と見抜いたという。その卓見を支える理論が80年代以降、理系領域に現れたのである。

 

 一つは、空気中の埃がくっついて塊をつくる様子を定式化した「拡散律速凝集(DLA)」というモデル。1980年代初め、トム・ウィッテン、レン・サンダーという二人の物理学者が考えだした。「表面にたまたまできた出っ張りは周囲よりも突出しているので、ランダムに拡散する粒子がぶつかる確率が高い」「出っ張りは大きくなればなるほど新しい粒子がぶつかってくっつく確率が高まる」。そこには「正のフィードバック」がある。

 

 もう一つは、「絶縁破壊モデル」(DBM)。絶縁体に電圧を加えたときの放電パターンを説明する。大気中の稲妻もその一つだ。1980年代、スイス・ブラウンボベリ研究所のグループが見いだした。この枝分かれでは「先端周辺の電場が分岐部分の電場よりも強い」ので、ここでも「正のフィードバック」が働く。DLAとの違いは、枝が外からの「付着」によって伸びるのではなく「中心から外へ押し進んでいって成長する」ところにある。

 

 地理学者のマイケル・バッティとポール・ロングリーは、この二つのモデルで近現代都市の発展を考察できるのではないかとにらんだ。彼らの共同研究で得られた結論は「DLAとDBMをもとにしたごく単純な概念が、工業化時代の初期に雨後(うご)の筍(たけのこ)のように出現した都市の形状をじつにうまく説明してくれる」というものだった。都市はときに埃の塊のように、ときに大空の稲妻のように広がっていくということか。

 

 ただ著者は、DLAやDBMの限界も書き添える。これらは「脱工業化」が進み、「新しい通信技術」も登場した「中央集中化の弱い都市風景」にはそぐわないというのだ。この本は、そんな時代に適した「相関パーコレーション」というモデルも紹介している。その考案者がボストン大学の物理学者たちだったという事実は見落とせない。物理の思考で都市発展の変容を理論化する。「かたちから入る」科学には、こうした学際の醍醐味がある。

 

 バッティらの研究に戻ると、そこにはフラクタルという言葉が出てくる。これは、幹の分岐が大枝の枝ぶりにそっくりで、それはまた小枝の枝ぶりに似ている、というような「スケール不変」の「自己相似」を言う。この模様のごちゃごちゃ具合は、フラクタル次元という尺度で数値化される。バッティらによれば1945年のベルリンは1.69、62年のロンドンが1.77、90年のピッツバーグが1.78、DLAモデルは1.71だという。

 

 フラクタルでは、線が入り組んで面に近づく。だからこそ1次元でもなく2次元でもなく、その間の値をとるのだ。それは、余白を埋めていく過程を表していると言ってもよいだろう。近郊農地が開発によって侵食されていく様子に似るのは、当然と言えば当然のことだ。

 

 著者は樹木の枝分かれについて、生態学者ブライアン・エンキストや物理学者ジェフリー・ウェストらの共同研究を引く。そこでわかったのは、「空間に行きわたりながら、空間を埋めつくすことがない」というフラクタルの賢さだ。そのかたちは植物体の隅々に水分や養分を分配するのに適していて、しかも隙間が成長の伸びしろになる。効率とゆとりのバランスが大事ということか。世の中のありようを考えるときも、この自然知を見習いたい。

(執筆撮影・尾関章、通算330回)              

 

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『いのちの旅――「水俣学」への軌跡』(原田正純著、岩波現代文庫)
写真》水俣病60年(朝日新聞2016年4月30日朝刊

 水俣病の「公式確認」から60年という話がメディアに載っていて愕然とした。60年前といえば1956(昭和31)年だ。その年の5月1日、原因の定まらない中枢神経障害の発生が熊本県の水俣保健所に届けられたのだという。ではなぜ、「愕然」なのか。
 
 1956年と言えば、僕がちょうど幼稚園に入ったころだ。だから、この出来事は当然のことながら知らない。問題は、その無知がさらに10年近くも続いたことだ。発生地域の範囲が限られた病が不知火海沿岸で多発していると知ったのは中学校に入ってからではなかったか。それは、同じ地域で同じ病魔に侵された猫がわが身の制御を失ってクルクルと回るニュース映像の記憶とともにある。
 
 僕たちの小学生時代は、社会科の授業で白地図をよく使ったものだ。日本列島の輪郭のなかにさまざまな要素を描き入れる。まずは山脈や山地、平野や盆地、河川や湖沼などの地形。そして都市や鉄道のように人がつくったもの。工業拠点もその一つだった。京浜、阪神、中京、北九州は四大工業地帯と呼ばれて別格だったが、ほかの地域にも印をつけた。水俣もそのなかに含まれていたように思う。だが、公害禍の分布はノーマークだった。
 
 水俣病報道で大手メディアが出遅れたことについては、自己批判を含む多くの検証がすでになされている。要約すれば、当初は地方紙しか記事にせず、大手紙が報じるようになっても全国版には載らず、全国ニュースになっても一地域の騒動という扱いを受けた、という流れだ。1960年代に入っても中央には工場廃水の有機水銀原因説に対する懐疑論が根強くあり、政府が公害病と認めたのは68年。報道は、その公式見解を映していた。
 
 僕が水俣病を「公害」という言葉と結びつけて強く意識したのも1960年代後半、高校生のころだ。工業化の大罪にそれまで気づかずにいた背景には報道の乏しさがあった。いま熊本地震の様子が刻々と伝えられ、被災地支援の動きがリアルタイムで高まったことを思うと、その落差に言葉を失う。この違いは通信・放送技術の進展によるところが大きいが、それだけではない。メディアの鈍感があったのは否めないと僕は思う。
 
 で、今週は『いのちの旅――「水俣学」への軌跡』(原田正純著、岩波現代文庫)。著者は1934年生まれの医師・医学者で、専門は神経精神医学。熊本大学に長く在籍して、水俣病と向きあってきた。2012年没。この本は2002年春から夏にかけて中日新聞、東京新聞、西日本新聞に連載された寄稿をもとにしたもので、東京新聞出版局から出ていた単行本が今年4月、文庫化された。
 
 まず目を引くのは、副題にある「水俣学」という言葉だ。著者は既刊の自著を引きながら、それを「発生から今日までの水俣病との付き合いのすべての過程」「水俣病事件に映し出された社会現象のすべて」「水俣病に触発されたすべての学問」……と広く定義する。「専門家と素人の壁を超え、学閥や専門分野を超え、国境を超えたバリアフリーの自由な学問」と扉を外へ開き、「既存のパラダイムを破壊し、再構築する革新的な学問」と宣言する。
 
 この着想は、著者自身の体験をなぞっている。若いころに研究したのは胎児性水俣病。当初は「脳性小児まひ」など周辺環境と結びつかない病名で診断されていたらしいが、それに抗して「胎内でおこったメチル水銀中毒」と主張した。「当時の医学的常識は『胎盤は毒を通さない』」だったのですぐには受け入れられなかったものの、1962年、6歳の患者が亡くなり、その解剖によって認められたという。これが、学究としての出発点だ。
 
 だが著者の関心は、この研究テーマだけでは完結しなかった。「胎盤経由」が疑われるとして提示したものには、患者の症状や疫学統計の分析結果だけでなく、家族の健康状況や妊婦の食生活についての聞きとりデータが含まれていたからだ。そこには「患者の家を一軒一軒回る」という方法論があった。その営みこそが「すべての過程」「社会現象のすべて」に目を向ける必要を著者の心に刻んだのだろう。
 
 これは、たやすい仕事ではない。「わたしの原風景」と題された一編に描かれた漁村の様子はこうだ。「家々はスチール写真のように風景が停止していた」「まさに、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』であった」「朽ちかけた患者の家々は貝のように雨戸を閉めて開けてくれなかった」。拒否感の表れだ。「大学病院の医師」の巡回は風評被害を呼び起こす。これまでも診察を受けたが治らなかったではないか――そんな声も聞いたという。
 
 この方法論は、水俣病の核心を見抜くことになった。それは、高度経済成長へ邁進する大企業の生産至上主義に接するように大昔から続く地産地消型の食生活があったということだ。たとえば、「からいもとイワシ」という一編に出てくる漁村。「イワシが獲れた日はみんなイワシを食べたし、タチウオが獲れればタチウオであった。明日になれば美味(うま)くなくなる、もったいないと言って魚を配ってまわった」
 
 別の一編では、結婚してよその土地から移ってきた女性が新婚時代をこう振り返る。「魚はどこで買うんですかと聞いたら、魚は買うもんじゃなか、貰(もら)うもんたいと言われて驚いた。漁船が帰ってくる頃、浜に籠(かご)もって立っとけばよかと言われた」
 
 著者は「からいもと…」の後段で、「このような共同体であるから、ここから一人でも水俣病患者が出たとすれば、村中のみんなが水俣病になってもおかしくなかったのである」と断じる。「そのような当時の事情や、どのような村かを知らなければ正しい診断もできないのが公害病である」とも書く。これは二次産業の通貨経済が奢りたかぶっていた時代に、そこに残る一次産業の互酬社会を間近に見ていた人だからこそ言える言葉だ。
 
 ここからは、公害は時代の位相とともにあるという教訓が得られる。水俣病は、一つの工場に起因する害悪がその足もとで増幅された。今はグローバル経済のもと、一つの企業の怠慢や過誤、不正が全世界に被害を広げる拡散リスクに取り囲まれている。
 
 もう一つ、この本で教えられたことがある。それは、水俣病を世界の座標でとらえることの大切さだ。第3章「地球を蝕む水銀汚染」によると、あのころ、水俣と同様に生態系の食物連鎖で人々の頭髪水銀値が高まったとみられる地域はあちこちにあった。被害を見極めるためにも有機水銀の「低濃度長期汚染」をどうみるかが関心事となる。「最もミニマムな影響」をつきとめて「安全基準の見直し」を進めようという動きもあったという。
 
 ところが、日本政府はこの見直しには消極的だったという。「最もミニマムな影響」は「水俣病裁判で争われてきたことの一つ」であったので「影響が及ぶことを恐れたのだろうか」と著者は推察する。
 
 たしかに水俣では、垂れ流された害毒が地産地消社会の増幅効果で人々に重篤な健康被害をもたらした。その結果、僕たちも重症患者の姿を見て、それを「水俣病」と思ってしまったきらいがある。著者によれば、それは世界に誤ったメッセージを発信したことになる。「北欧やカナダでは水俣での初期の重症の水俣病を手本にしたために軽症、不全型例などの非典型の水俣病を否定し、軽微な影響を見落としてしまった」という。
 
 このくだりにある次の記述は至言だ。「非典型例とか不全型例とか言うが、本当は多数例が典型例である。むしろ初期の重症例が非典型例であった」。僕はここに、科学者本来の姿を見る。世間の人々は重症患者の不自由な暮らしぶりをみて心を痛めるばかりだが、科学者はその背後に大勢の軽症患者がいることを感じとる。その鋭さ、冷静さは、一人の被害者も見捨てない優しさと響きあうものだ。
 
 著者は、水俣病対策の遅れを「仕出し弁当で食中毒になったというのに、原因が弁当の中の唐揚げか卵焼きか分からないと言って売り続けている」ことにたとえる。僕たちも、「唐揚げか卵焼きか」の判定だけが科学だと勘違いしていないだろうか。
(執筆撮影・尾関章、通算317回)
 
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『活断層とは何か』(池田安隆、島崎邦彦、山崎晴雄著、東京大学出版会)
写真》熊本地震(朝日新聞2016年4月15日、17日朝刊)
 
 熊本県を中心に九州を襲った一連の地震には驚かされた。4月14日夜の大きな揺れが本震とされ、翌日には「2016年熊本地震」と名づけられた。マグニチュード(M)6.5。ところがM7.3の後続地震が16日未明にあり、気象庁はこちらが本震と改めた。ともに最大震度7。震度最大級の直撃が間を置かずに襲いかかり、一度ならず人命を奪い、なお予断を許さない日々が続く。これまでの地震災害とは異なる様相がそこにはある。
 
 NHKテレビは14日夜から、被災地のリアルタイム報道を番組表を自在に変えながら展開している。観ていると、最新のニュースが伝えられているときに、余震の一報がどんどん飛び込んでくる。それだけではない。まもなく強い揺れがあるという「緊急地震速報」のアナウンスが割り込んでくることもしばしばあった。ニュースを発信する人とそれを受けとる人が直近未来の出来事に身構える、という不気味な瞬間だった。
 
 相次ぐ揺れのどれが本震か、というのは定義によって決まる話だ。僕たちがそれにこだわる必要はないだろう。むしろ得るべき教訓は、地震を大地の一度きりの震えとみてはいけないということである。足もとの安定が崩れ、次の瞬間にどうなっているのか確信がもてなくなる状況――それが地震活動の本質だ。そんなことを、被災地から遠く離れたところにいてもひしひしと感じた。
 
 日本列島を揺らす地震は、大きく分けて三つある。周辺で海のプレート(岩板)が陸のプレートと出会い、その下に潜り込むという動きがあり、そのどこが震源になるかの違いだ。一つは、プレート境界部の地震。東日本大震災はこれだった。もう一つは、海のプレートが潜った先で起こる。残る一つが、今回のように陸のプレート内で発生するもの。浅いのでマグニチュードの割に揺れが大きい。このときの主犯と目されるのが「活断層」である。
  
 で、今週は活断層について学ぶことにしよう。僕たちの足もとの安定がどう失われるかを知り、そのときに備えておくことにもつながる。選んだ一冊は、文字通り『活断層とは何か』(池田安隆、島崎邦彦、山崎晴雄著、東京大学出版会)。刊行は1996年1月。陸のプレート内の地震だった阪神・淡路大震災から、ちょうど1年が過ぎたころだ。僕たちが活断層列島の真上にいることを伝え、防災の心構えを促す本となっている。
 
 著者の3人はいずれも地球科学の研究者で、専門は地震学、地形学、地震地質学など。地震学者の島崎さんは3・11の東京電力福島第一原発事故後、原子力規制委員会の委員長代理を務めた。科学者の良心を貫く姿勢を覚えている人も多いだろう。
 
 冒頭に阪神の大震災後、「神戸に地震があるとは思ってもみなかった」「なぜ教えてくれなかったのか」という「非難」を受けた話が出てくる。学界では、六甲活断層系や淡路島の野島断層が地震を起こすおそれは認識されていたが、世の中には行き渡っていなかった。「研究成果を世に問うことは、専門書を書いて出すことだとしか考えていなかった自分たちにとって、これは脳天をぶち割られるような出来事だった」
 
 そう言えば、知っているようでいてよく知らない言葉が「活断層」だ。この本によると、この用語に社会の関心が集まったのは1970年代の半ばからだ。「東海地震の危険性が指摘されたり、伊豆半島で直下型地震が発生したこと」が背景にある、という。後者は74年にあった伊豆半島沖地震(M6.9)で、「存在が指摘されていた活断層(石廊崎断層)が実際に活動して地震を起こし、地表地震断層が出現した最初の例」だった。
 
 では、活断層の定義は何か。著者は戦前の文献にある「今後も尚(なお)活動す可(べ)き可能性の大いなる断層」という見方を踏襲する。そして、その可能性を見極めるのが「極めて近き時代迄(まで)地殻運動を繰返した断層」かどうかの判定だという。そこにあるのは、「地殻内での歪みの集中によって最近まで活動を繰り返していた断層は、地殻の応力状態が変わらない限り今後も活動するはず」という考え方がある。
 
 ここで論点は「極めて近き時代」の時間幅をどうとるかだ。この本によれば、僕たちが今いる第四紀に入ってからというのが一つの見方。これは刊行当時、約180万年前だったが、最近の見直しで約260万年前に改められた。ただ、第四紀前半だけで活動をやめた断層もあることがわかり、約12万年前の最終間氷期から現在までに絞って「活動を繰り返してきた証拠」の有無をみる判別法もある、という。
 
 地震は、地下の断層運動で起こる。「破断面(断層面)を介して接する二つの岩体が、急激にずれて食い違う」のだ。このずれは地震によってどっと進み、そのあと次の地震までの間は止まっていることが多い。一つの活断層について、地震の発生間隔Rと地震1回当たりのずれd、ずれの平均進行速度SはR=d/Sの関係にある、という話には目を見開かされる。断層を過去にさかのぼって調べれば、未来の動きをザクッとつかめるのだ。
 
 日本列島では、活断層の向きやずれ方に地域差があるが、大きく言えば「東西方向の圧縮」が見てとれるという。原因を探ると、ここでもプレートが顔を出す。海のプレートの圧力説が有力だが、陸のプレート同士の衝突説もあるらしい。
 
 いま読んで目をひかれるのは、例外として「九州中部」が挙がっていることだ。熊本地震の地震域も含まれるとみてよいだろう。ここには、全国的な「圧縮」傾向とは違って「局地的な展張場」があり、引き伸ばす力が働いているので、破断面の片側がずり下がる「正断層」が多いという。ただ今回は、断層が水平方向に動く横ずれが起こったと伝えられている。どういうしくみでそうなったのかが知りたいところだ。
 
 もう一つ、ずしんとこたえたことがある。いま九州の人々が抱く不安が、地震学者が頭を悩ませている未解決の難題と重なっているようなのだ。地震規模を見積もるには、地震1回当たりで壊れる断層面の面積を知らなくてはならないが、それを難しくしているものに「グルーピング問題」がある。「地表では独立した断層に見えるものが複数同時に動いて地震を発生する」という現象の予測がなかなかつかないらしい。
 
 こうした場合、「地表で途切れ途切れに見える断層が地下では一つの連続した断層面を成している」ことも「本当に別々の断層が連鎖的に破壊する」ことも、どちらもあるらしい。今回、九州中部の地下で震源が動きさまよう不気味さの核心はここにある。
 
 日本列島にはどれだけの活断層があるのだろうか。この本は、ずれの平均進行速度が1年当たり1mm以上のA級が100本、0.1mm以上1mm未満のB級が760本、0.1mm未満のC級は450本という公表数字を紹介しながら、「まだわれわれの知らないC級活断層」がたくさんある可能性を指摘している。僕たちはひびだらけの瓦のような陸のプレートに乗っかっていると表現してよいのかもしれない。
 
 だが、活断層はよくも悪くも僕たちとともにある。そのずれは、山と平地の境目や谷間の地形をかたちづくるのに一役買ってきたという。それは「人間が生活できる平坦な場所や、山越え道として利用できる起伏の少ない直線的な谷などをつくる重要な存在」なのだ。
 
 著者は「日本の陸域の活断層の地震発生間隔は一〇〇〇年ないしそれ以上」とみる。裏を返せば、有史時代に記録がなければ地震はいつあってもおかしくないわけだ。ただ断層のそばに住む人に対して、たとえ平均発生間隔の満期であっても「あわてて」「引っ越す」のは「過剰な反応」と諭している。数百年ほどの幅はつきものだからだという。心がけるべきは、むしろ「断層が動いた場合に備えて十分な防災対策を施すこと」と強調する。

 
 一方で著者は、原発は「活断層を絶対に避けることが必要」と断じる。「いったん破壊されると地域的、社会的に多くの方面に影響のあるもの」だからだ。このことは3・11で痛感した。エネルギー政策は、未知の隠れた活断層にももっと意を払うべきだと僕は思う。
(執筆撮影・尾関章、通算313回)
 
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『ブラックホール・膨張宇宙・重力波――一般相対性理論の100年と展開』
(真貝寿明著、光文社新書)
写真》純粋科学の1面トップ(朝日新聞2016年2月12日朝刊)
 
 新聞の1面に「重力波」という大見出しを見て、なにこれ、と思った人も大勢いただろう。身過ぎ世過ぎには縁がない。不正追及でも醜聞暴露でもない。そんな事情があるのだろう。時空のさざなみと呼ばれるこの新種の波を、米国の観測装置LIGO(ライゴ)が初めて捕らえたという話は、一般紙やテレビニュースでは大きく扱われたものの、軟派系の情報番組では国会議員不倫騒動の煽りを食って影が薄かった。
 
 だがこれは、僕のように新聞社で科学取材を続けてきた者にとっては、生きているうちにあるかどうかと疑っていたほどの大発見だった。その証文は10年前、科学医療部長を退くときに執筆したコラム記事。「『新聞の一面トップになるかもしれない科学ニュース』の候補を、部内で募ったことがある。私のイチオシは、『重力波の検出』だった」(朝日新聞2006年11月28日夕刊科学面「記者席」)。今回、それが現実になった。
 
 このコラムで光をあてたのは、重力波があるという予想がアルバート・アインシュタインという一人の物理学者の思考に拠っていることである。「重力波が実際にあれば、物理学者が数式で考えた通りに宇宙がふるまい、波立ったことになる。たかだか20センチほどの頭脳が、億光年規模の世界をつかみとったことに等しい」「やるもんだね、人間て。その驚きを科学記者が一面トップで伝える日は、そう遠くないのだろうか」と書いていた。
 
 LIGOの快挙は、日本科学界の立場でみれば、飛騨市神岡の地下でまもなく動きはじめる東大の観測装置KAGRAが出鼻をくじかれてしまったことを意味する。ただ僕は、この発見競争は1位でなくてもいい、と論じてきた。今回も改めてWEBRONZAに寄稿したので、ここでは繰り返さない。ただ一つ言っておきたいのは、重力波観測が盛んになることで宇宙の見え方が変わるだろうという予感があることだ。
 
 LIGOの発表によれば、見つかった重力波の発生源はブラックホールの合体だった。ブラックホールは名前通りに真っ黒で、可視光ではまったく見えない。その重力は猛烈なので、周りの物質をどんどん吸い込む。このときに出るX線が捕らえられた結果、実在することは確実視されている。今回は、この奇妙な天体二つが近づいて一つになる現象を、可視光やX線のような電磁波ではなく、まったく別種の波によって「観測」したことになる。
 
 重力波観測は数年後、日米欧の高感度装置がすべて第一線に出揃う。これらは人類の新しい「眼」となって、ふだん見慣れた夜空からは想像もつかない天空の動静を教えてくれるだろう。僕たちは、宇宙観一新の節目に立っている。
 
 で、今週の一冊は『ブラックホール・膨張宇宙・重力波――一般相対性理論の100年と展開』(真貝寿明著・光文社新書)。著者は1966年生まれの物理学者。一般相対論の根幹にある重力場のアインシュタイン方程式と向きあい、数値シミュレーションによる理論研究(数値相対論)に取り組んできた。重力波が現実空間に姿を現わすよりも早く、仮想空間のなかでそれと格闘してきた人である。
 
 この本は特殊相対論、一般相対論、ブラックホール、宇宙論、重力波の五つの柱を立て、それぞれに一つの章を充てて研究史を概説している。とりあげたい話には事欠かないが、ここでは「重力波」の章に焦点を当てる。
 
 章の冒頭には「2015年、いよいよ世界で(第二世代の)重力波レーザー干渉計が稼働を始める」とあり、初観測は「研究者の予測どおりであれば」「数年以内」と予想している。この本の刊行日は去年9月20日。LIGOの正式稼働は9月18日だったので、抜群のタイミングだ。ところが重力波の感知は、装置を試し運転中の9月15日。本が出たときには、すでに過去の出来事になっていた。探究の急展開に出し抜かれたかたちだ。
 
 ここで「重力波レーザー干渉計」は、レーザー光を「く」の字形に置いた2本の光路で往復させて、それらの位相のずれから空間の伸び縮みを見いだす装置。「第二世代」は現時点で最新鋭のものを指している。LIGOも改良工事をして感度を高めたばかりだった。
 
 重力波の概念は1910年代半ば、一般相対論という重力理論がアインシュタインによって生みだされたとき、その副産物としてこぼれ出てきた。それは「理論の完成後、数ヶ月後」のことで、「重力の情報は波として光速で伝わることを方程式中に発見したのだ」という。著者は「電磁放射(電磁波)のアナロジーとしての重力波の考えは、ごく自然に帰結される現象だった」とみる。
 
 「電磁放射(電磁波)のアナロジー」は一つの要点だ。物理学者は、物事の背後に普遍のしくみを求めたがる。統一志向と言ってもよいだろう。電磁気学は19世紀にまとめあげられた理論体系で、電磁波の概念が生まれ、その一つが光であることがわかった。20世紀に入るとアインシュタインの特殊相対論で「あらゆるものの速度の上限は光の速さ」ということになり、それなら重力作用も「光速で伝わる」のが「自然」となったのだ。
 
 この本の魅力は、重力波が時空を震わす様子がなんとなくわかることだ。助けとなるのは、重力波の波形。「連星中性子星の合体」で出る波の予想図が載っている。中性子星は星の最期の姿の一つで、密度が高く重力が強い。連星系では、この天体二つがダンスのペアのように回りながら近づき、衝突して一つのブラックホールになる。重力波の振幅をたどると、接近時にしだいに大きくなり、合体で最高値をとり、その後、急速に減衰する。
 
 図の説明文で見落とせないのが「この減衰部分が観測されれば、ブラックホールを直接観測したことになる」という一文だ。本文に目を転じれば「時空のゆがみはすぐにブラックホールに飲み込まれて、重力波は突然止まることになるだろう」とある。なるほど。ブラックホールは、光どころか重力波をも吸い込むことがあるのか。そのさざなみの消滅によって、X線観測よりも確かな実在の証拠が手に入るというのだ。
 
 では、今回はどうだったのか。観測した現象は中性子星ではなくブラックホールの合体とされるが、連星系は同様に振る舞い、衝突後は一つのブラックホールが残ると予測されてきた。発表論文を見ると、観測波形は中性子星合体の予想図に似ていて、最後にしぼむところも見てとれる。LIGOチームは本文で、一般相対論の予測にぴったり合う波形が得られ、合体ブラックホールの減衰重力波もとらえた、との見方を示している。
 
 そうか、LIGOは、重力波をじかに見たと主張できるだけではない。ブラックホールを「直接観測」したと言ってもよいのである。超弩級の科学成果は、一つの発見だけでなく、付随していくつものことを新たに見せてくれるものなのかもしれない。
 
 この本を読んで痛感するのは、重力波探究は精密な装置さえあればよい、というものではないことだ。データから浮かびあがった波形から何を見たかを判定する鑑識眼が必要になってくる。そこでは、コンピューターを駆使した数値シミュレーションが力を発揮する。著者自身も1990年代半ば、米国の大学で研究中に連星ブラックホール合体の波形を計算するための土台づくりに貢献したことが、本文の記述からうかがえる。
 
 2005年には陰の大ニュースがあった。カリフォルニア工科大学の研究者フランス・プレトリアス(現プリンストン大学教授)が「連星ブラックホールの合体計算に成功した、と報告した」のである。その後、「世界のあちこち」で同様の計算が続いたという。それら仮想空間に生まれた重力波が、実在の波の発生源を見定める下敷きになった。プレトリアスの仕事は今回の論文でも言及され、「数値相対論の突破口」と位置づけられている。
 
 重力波の発見は、人間の頭脳のみならず、それが生みだした人工の頭脳の可能性までも見せつけることになった。僕はそう思うのだが、どうだろうか。
(執筆撮影・尾関章、通算304回)
 
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『ファインマンさんの流儀――量子世界を生きた天才物理学者』
(ローレンス・M・クラウス著、吉田三知世訳、ハヤカワ文庫NF)
写真》ダイアグラム

 「後悔先に立たず」ということわざは、新聞記者のためにあるのかもしれない。あのとき、あの人に、あのことをどうして聞かなかったのか。そんな悔いが、どの記者にも一つや二つはあると思われるからだ。ジャーナリズムは、サイエンスと違ってデータの再現性に執着しない。1回性の事実をありがたがる。だから、「あのとき」を逃したことで失うものは、あまりにも大きい。
 
 僕にも、そんな体験がある。忘れられないのは、戦後物理学の巨人リチャード・ファインマン(1918〜1988)との接近遭遇だ。米国ニューヨーク州育ち、コーネル大学やカリフォルニア工科大学で教授を務めた。理論家として第一級の仕事を残しただけでなく、生き方も垢ぬけていた。著書『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(上下、大貫昌子訳、岩波現代文庫)はロングセラーだ。その人に数十センチに迫りながら言葉を交わせなかった。
 
 1985年夏、京都で物理学の国際会議があったときのことだ。僕はすでに科学部員だったので、取材に赴いた。会場はスライド映写のために薄暗がりだったが、僕の1列前に座る人が年長の外国人らしいことはわかった。と、そこへ若い男が近づいてきた。こちらは日本人。科学者という感じではない。記者でもなさそうだ。学生とも言い切れない。その口から飛び出した小声のひとことを聞いて眠気が吹き飛んだ。
 
 「プロフェッサー・ファインマン、プリーズ・ギブ・ミー・ユア・サイン」。そんな拙い英語だったと思う。「無礼なヤツだな」と呆れ返った。「サイン」という言葉に違和感もあった。「ほんとに、ファインマン?」と一瞬疑ったが、横顔からみて人違いではなさそうだ。その人はリクエストにこそ応じなかったが、怒りもせず丁寧に応対していた。僕は、そう記憶している。覚えていますか、ファインマンさん。
 

 せっかく、こんな出来事を現認しながら、次の休み時間に本人に声をかけて冗談の一つも聞きだせなかったことが心残りだ。僕は科学記者になって3年が過ぎたばかり。量子力学や素粒子論について至言を引き出したくても、その準備がまだできていなかった。だが、「サイン」をねだった男は日本に大勢いる物理ファンの一人であろうと告げて、肉声の感想をもらうだけでもよかったと悔やまれるのである。
 
 で、今週は『ファインマンさんの流儀――量子世界を生きた天才物理学者』(ローレンス・M・クラウス著、吉田三知世訳、ハヤカワ文庫NF)。著者は1954年生まれの理論物理学者だが、一般向け科学本の書き手でもある。同じ文庫に収められた『物理学者はマルがお好き』(青木薫訳)は、物理学者のものの考え方をすくい取った好著だ。この『ファインマンさんの流儀』にも、同様の美点がある。
 
 ということで、ここでは物理の話に焦点を絞る。ファインマンの私生活、すなわち最初の妻に対する純愛、彼女との死別後の奔放な女性関係、そしてストリップ劇場を仕事場にしていたという逸話などは、別の機会に譲る。ちなみにストリップ話を補足すれば、「計算がうまくいかなくなったら、いつでも女の子たちを見つめることができる」というのが、その理由だった。それらを差っ引いても、物理学の「流儀」から彼の人間像は見てとれる。
 
 物理学者ファインマンの仕事として、最初に挙がるのは1948年の論文で発表された「経路積分」だろう。それは1920代にW・ハイゼンベルク、E・シュレーディンガー、P・ディラックらによって完成した量子力学の再定式化に過ぎない。だが、その「物理的プロセス」の描き方は斬新で「量子宇宙について『心理的に』まったく新しい理解をもたらす」ものだった、と著者は言う。
 
 この方式では、粒子が地点Aから地点Bへ動くとき、「多数の異なる経路がゼロでない確率振幅を持ちうる」ということに注目する。どんな道筋もアリ、ということだ。ただし、道筋ごとに重みが異なる。その効果を足し合わせることで、粒子が一定時間にAからBへ移る確率がはじき出せるというものだ。しかも、道筋ごとの重みはプラスマイナスいずれにもなるので相殺される部分も多く、古典物理が通用する世界ではルートが一つに決まる。
 
 この再定式化でわかるのは、ファインマンの粒子へのこだわりだ。量子力学は、電子は粒でもあり波でもあると唱えたり、粒子を場の励起ととらえたりするが、彼は「量子的な場を考えるのではなく、運動している粒子について考えるという姿勢」に固執したのである。
 
 ファインマン・ダイアグラムという図示手法も、その産物と言えるだろう。電子であれ光子であれ、粒子は時空間の点で表され、その動きが線で描かれる(写真参照)。電子とその反粒子の陽電子が出会って対消滅して光となる様子も一目瞭然だ。そこで僕たちは時間不可逆の束縛から解放される。たとえば陽電子が地点aから地点bへ進む動きは、電子が時間を遡ってbからaへ動くというふうに解釈してよいというのである。

 もう一つの大仕事は「繰り込み理論」だ。量子力学を電磁気学に取り込んだ量子電磁力学(QED)には、一つの大きな難題があった。理論計算では、物理量に無限大が現れてしまうということだ。たとえば電子の質量は、電子がそれ自身の生みだす仮想光子と働き合うことで無限大に発散する。だがもちろん、観測値は有限だ。物理学者は、そのズレを埋め合わせる理屈を見いだす必要に迫られた。
 
 これに成功したのが、朝永振一郎、J・シュウィンガー、そしてファインマンだった。1965年、ノーベル物理学賞を共同受賞する。独立の仕事だったが、「等価であることを示した」のがF・ダイソンだ。枠が3人でなければ彼も受賞したはず、と言われる人である。
 
 ファインマンの繰り込みは、こう要約される。「粒子が取りうる可能な経路を調整して」「無限大になってしまう項を」「計算に入ってくる仮想粒子の最大エネルギーを効果的に制限することによって、押さえ込む」。ここにも「粒子」と「経路」の世界像がある。
 
 ファインマン自身は繰り込みの成功を「単に便利なだけで、深さはない」「無限大の問題をじゅうたんの下に掃きいれて隠すだけの手段であり、本質的な解決ではない」と自己採点していたという。だが、著者は、それを過小評価と断ずる。その根拠は「すべての物理理論は、ある尺度範囲において自然を記述する有効理論に過ぎない」(「すべて」に傍点)という考え方だ。繰り込み操作は、範囲外を切り捨て「無視する」手段だというのである。
 
 この本を読んで痛感するのは、ファインマンは現代物理を日常生活の実在論に必死でつなぎとめようとしていたのではないか、ということだ。
 
 20世紀の物理学、とりわけ量子力学は欧州の物理学者群像が生みだした。粒であり波であるという両義性。状態が重なりあうという重畳性。それらは、米国流のプラグマティズムからはかけ離れていた。
 
 ファインマンはどこまでもアメリカ人らしいアメリカ人だった。その実践感覚を物語るのが「世界初の並行処理人間コンピュータ」の話だ。第2次大戦中、マンハッタン計画で計算チームを率いたとき、「複雑な計算をたくさんの単純な計算に分割して」メンバーの一人ひとりにあてがう、ということをやってのけた。やがて自ら提案することになる量子計算を人間社会で先取りしていたとも言えるだろう。
 
 ファインマンには、ノーベル賞を受けてもなお満たされない思いがあったと著者はみる。「ほんとうの望み――経路積分によって、自然の根底についてわれわれが持っている理解が刷新されて、相対論的量子力学が抱えてきた病が治癒されるという望み――は叶わなかった」というのだ。量子力学から雲を払いのけ、それをカリフォルニアの空のような明快さで語る。この聡明なアメリカ人は、そんな夢を抱いていたのではないか。
(執筆撮影・尾関章、通算292回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『火山噴火――予知と減災を考える』(鎌田浩毅著、岩波新書)
写真》阿蘇が噴いた(朝日新聞2015年9月14日付夕刊)
 
 こんどは火山か。9月14日の阿蘇中岳噴火を見て背筋が寒くなった人は大勢いただろう。阿蘇は文字通りの活火山で、中岳の小噴火は去年から続いていた。だが今回は、36年ぶりの規模という。もくもくと立ちあがる黒煙には不気味さが漂った。
 
 「こんどは」と言うのは、そのころ日本列島で自然が猛威をふるっていたからだ。北関東と東北が線状降水帯の直撃を受け、川の堤防決壊が相次いで流域が水浸しになった。東京湾の直下では地震が起こり、調布市で震度5弱を記録した。ちなみに後者は、拙宅でも平積みの本が瓦解した。首都圏を襲うかもしれない大地震への警告となったのである。自然災害の見本市とも言える9月だった。
 
 火山について言えば、「またもや」とも思う。昨秋の御嶽山大惨事から1年ほどしかたっていないのに、今年は阿蘇だけでなく口永良部島、浅間山、箱根山でも、気になる噴火や降灰が報じられてきたからだ。桜島は日常的に噴いている火山だが、8月には山体の膨張が観測されて緊張が走った。周辺の人々に避難勧告が出され、まもなく解除されるということもあった。火山に対する警戒態勢は列島のあちこちで、もぐら叩きのように続いている。
 
 ここでどうしても頭に浮かぶのは、一連の火山活動と4年前の東日本大震災とのかかわりである。もちろん、二つの事象がほとんど時を隔てずに起こったというだけで、そこに因果関係があると決めつけてはならない。ただ、その二つが共通の根っこをもっているということはありうる。とりわけ地震と火山については、地球を覆う岩板、すなわちプレートの動きがそのどちらにもかかわっているらしいからだ。
 
 その一方で、火山活動が強まったという実感は誇張されているようにも思う。それは、僕たちが遠方の出来事でも即座に生々しく感知できるようになったことによる。今回の阿蘇噴火は午前9時43分ごろの発生だが、僕の記憶では10時のニュースで映像が流れていた。昔なら、遠隔地の人は昼のニュースや新聞の夕刊で知るくらいだっただろう。「これからどうなるの?」というリアルタイムの不安感をもって印象づけられることはなかった。
 
 実際、国立天文台編『理科年表』(丸善)を開くと、今年、ニュースを賑わせた火山のうち、浅間、阿蘇、桜島、口永良部は最近数十年だけをみても噴火を繰り返しており、そのなかにはまったく覚えていないものも多い。列島の噴火は、ほぼ切れ目なく続いてきた。
 
 ということで、今週の一冊は『火山噴火――予知と減災を考える』(鎌田浩毅著、岩波新書)。いつだったか火山のニュースがあったときに本屋で買ってあったものを、今回、阿蘇の噴煙に突き動かされるように一気に読んだ。
 
 著者は1955年生まれの火山学者。いまは京都大学大学院人間・環境学研究科の教授で、関心の裾野を科学教育や科学者のアウトリーチ活動に広げている。この本も、火山のしくみを語りながら火山とのつきあい方に多くのページを割いている。そこでは、天災多発列島の住人に必須の覚悟のようなものが示されている。刊行は2007年。東日本大震災よりも前に書かれたことを思うと、説得力はいっそう高まる。
 
 ページを繰って最初に強く感じる著者の印象は、火山が好きなんだなあ、ということだ。たとえば、第1章「火山噴火とはどんな現象か」で、米ハワイ島のキラウエア火山に触れたくだり。現地では、噴火中に溶岩の流れを間近に見る「とろとろツアー」という観光企画が用意されているという。もちろん、近づける溶岩流は「人が歩く速さよりもゆっくり」のものに限られるらしいが、その細密描写には愛がある。
 
 特筆されているのは、「ポッピング」という現象。「溶岩流の表面は空気で冷やされるとすぐに固まる。このときに、いちばん外側の表面だけが急冷されるのでガラス質になる」「このガラスが冷えるにつれて、ピンピンと跳(は)ねるのだ。そのときかすかに音を発するのだが、耳を澄ますとガラスが弾(はじ)ける軽やかな音を聞くことができる」。その音色を思い起こしながら「一度耳にすると忘れられない」と書くのである。
 
 「地中海の灯台」と呼ばれるイタリア・ストロンボリ島の描き方も詩的だ。その火山は幾千年もの間、マグマを間欠的に噴きあげている。「噴き出した赤いしぶきは、しばらく周囲に漂う水蒸気のつくる雲を照らしている。そのあと空は再び数十分のあいだ暗闇となる。漆黒(しっこく)の闇夜に断続的に光を発するようすは、幻想的ですらある」。火山は怖いばかりではないんだよ、という著者の思いが伝わってくる。
 
 僕は現役時代、科学記者として地震や火山の科学者ともつきあいがあった。そこで痛感したのは、彼らがみな地球のダイナミズムに魅せられているということだ。ただ、地震は災厄そのものなので、地震学者はそれを好きとは言わない。これに対して、火山は災いをもたらすだけではない。ときに動的な自然美を見せつけ、さらに湯けむりの悦楽ももたらす。この本が著者の火山愛を素直ににじませているのも、そうした二面性があるからだ。
 
 この視点からみると、著者のメッセージが凝縮されているのは「火山の災害は短く、その恵みは長い」という言葉だろう。同じ趣旨の記述は随所に繰り返し出てくる。それを敷衍すれば「火山噴火のあとには美しい地形が残り、観光資源となる」「災害を科学の力で予知し、事前に回避することができれば、むしろ火山の恩恵を享受できる期間のほうがはるかに長い」ということになる。
 
 この本が訴えているのは、「恵み」をひたすら貪れ、ということではない。むしろ、「恵み」の位相にあるときに次の「災害」に備えよ、ということだ。火山とうまくつきあうには、それを動と静のリズムでとらえる発想が求められているとも言えよう。
 
 例に挙がるのが有珠山だ。2000年に噴いたときは犠牲者がゼロだった。「噴火前に緊急火山情報が出され、噴火予知に成功した数少ない事例」とされている。1977年の噴火後に住人の火山に対する理解が深まったことが背景にある、と著者はみる。そのうえで紹介される現在進行形の地元話が興味深い。「防災教育用の副読本」が「次の噴火のときには大人になっている子どもたち」のためにつくられ、小中学校で使われているという。
 
 「次の噴火はおそらく二〇〜五〇年も先のことだ。日常生活の時間に比べて噴火の休止期はあまりにも長い。何もせずにいたのでは、貴重な体験を継承してゆくことははなはだ困難」。有珠山周辺の学校の先生たちは、そんな認識にたどり着いた。その結晶が副読本だったという。ここには、火山活動の息の長いリズムを見据えて、それに人間社会のリズムを合わせようという姿勢がみてとれる。
 
 著者は噴火予知に一つの章を充て、さまざまな手法を詳述している。地震、地殻変動、地磁気、地電流、火山ガス……。結論として、噴火予知の5要素である「時期」「場所」「様式」「規模」「推移」のうち、最初の二つ、いつどこから噴くかは「十分な実用段階に達したといってもよいだろう」と言う。ここが、地震とは違うところだ。ただ、そうであっても僕たちが忘れてはならないのは、それぞれの火山に個性があるということではなかろうか。
 
 この本を読んでタメになったのは、噴火の様式を4種に分けて解説してくれていることだ。噴煙柱の高いほうからプリニー式、ブルカノ式、ストロンボリ式、ハワイ式と呼ばれる。プリニーの名は、ヴェスヴィオ火山の噴火で救援に向かい、自らも犠牲となったローマの博物学者プリニウスに因む。後の三つはいずれも地名からの命名だ。4種の違いはマグマの粘り気によるもので、粘性の高さもプリニー、ブルカノ……の順だという。
 
 災いを最小にするにも、恵みを最大にするにも、大切なのは火山を知ることだ。その活動を左右するマグマの特徴がサラサラかネバネバか。それくらいは僕たちも頭に入れておきたいと思う。
(執筆撮影・尾関章、通算284回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『生命とは何か――物理的にみた生細胞』
(シュレーディンガー著、岡小天、鎮目恭夫訳、岩波文庫)
写真》シュレーディンガーといえば猫か?
 
 カタモノ、ヤワラカモノ。そんな業界用語が僕の職場にはあった。科学ジャーナリズム界にあまねく通じる符牒ではなく、一つの新聞社の科学記者にだけ通用してきた言葉なのかもしれない。カタモノは物理、化学、工学系、ヤワラカモノは医学、生物学系。記者の持ち場を大きく区分けする概念だった。担当替えのとき、上司から「キミにはヤワラカモノのキャップをやってもらうよ」などと言われたりしたものだ。
 
 今では、この区分けは実態にそぐわない。たとえば、脳の科学。ひと昔前ならば、これは間違いなくヤワラカモノだった。実験室をのぞけば、動物の神経細胞に電極をつけて信号伝達の様子を探る研究者がいた。もちろん、この流れは脈々と続いている。だがその一方で、神経回路を数式に模してコンピューターで再現する試みがある。ヒト型のロボットをつくって、その数理を体現させたりもしている。これは、カタモノ領域に踏み込んでいる。
 
 だから今ならば、科学記者の取材分野は別のくくりで分けるのが良いだろう。一案は、知的探究をめざす基礎系と技術志向の応用系に大別する方法だ。そんな持論もあって、僕は科学担当部の部長時代、「基礎科学ユニット」という区分を設けた。脳やゲノムの研究を、素粒子物理や天文学などと合わせて知的挑戦ととらえたいと思ったのだが、僕を含めて記者一人ひとりの意識は旧来の硬軟二分法からなかなか抜けきれなかった。
 
 これは、理系世界の習いを映している。物質は分子、原子と切り分けられ、素粒子に至る。生きものは個体があり、器官があり、細胞があり、そのなかに遺伝子が潜む。どちらの探究も近現代は要素還元主義に則って突き進み、しかも互いに不干渉だった。
 
 それではいけないとの見方が強まったのは20世紀半ばのことだろう。記念碑的な成果を挙げれば、1953年のDNA(デオキシリボ核酸)立体構造の発見がある。これが、生物学畑のジェームズ・ワトソンと物理学出身のフランシス・クリックの共同研究だったという事実が、そのことを物語っている。僕が物理を学んだ1970年前後には「生物物理学」「分子生物学」が新しい知の地平として現われ、新鮮な語感をもって語られていた。
 
 で、今週は、DNA構造の発見よりも早く、カタモノとヤワラカモノの壁を乗り越えようとした先駆者の名著『生命とは何か――物理的にみた生細胞』(シュレーディンガー著、岡小天、鎮目恭夫訳、岩波文庫)。著者はオーストリアの理論物理学者。姓名の名はエルウィンだ。1920年代半ば、ドイツのウェルナー・ハイゼンベルクとほぼ同着で量子力学を築いた。電子は波でもあるとみる方程式には彼の名が冠されている。
 
 この本の刊行は、第二次大戦中の1944年。著者はナチス体制下の祖国を離れてアイルランドのダブリンで研究生活を送っていた。そのころの連続講演をもとにした著作である。邦訳は1951年に岩波新書として刊行され、2008年に文庫版が出た。
 
 どうして物理学者が生物を語ろうとしたのか。そこには、20世紀科学に対する鋭い批判意識があった。まえがきの冒頭にこうある。「そもそも科学者というものは、或る一定の問題については、完全な徹底した知識を身につけているものだと考えられています。したがって、科学者は自分が十分に通暁していない問題については、ものを書かないものだと世間では思っています」。そして自分は、その「掟」を破ると宣言する。
 
 続けて、人類はすべてを包み込む「統一的な知識」を求めてきたが、「過ぐる一〇〇年余」に「学問の多種多様の分岐」が進行して矛盾に行きあたったと分析したあと、こう言う。「われわれは、今までに知られてきたことの総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、今ようやく獲得されはじめたばかりであることを、はっきりと感じます」。カタモノ、ヤワラカモノの再会が近いという見立てだ。
 
 物理学は、原子や電子の世界に分け入り、量子力学という根底の理論を見いだした。生物学ではメンデルの法則で遺伝子の影が浮かびあがったが、まだその実体をつかめずにいる。だが早晩、それも見えてくるに違いない。当時は、そんな局面にあった。現実に、この本が世に出て9年後、DNA立体構造の発見で遺伝子の正体が二重螺旋の分子に沿った塩基4種の並びであることが突きとめられるのである。
 
 この著作がおもしろいのは、DNAのDの字も出てこないのに遺伝子のしくみに迫っていることだ。「受精卵の核というこのちっぽけな物質のかけらが、その生物体の将来の生長のすべてを内蔵するこみいった暗号文を如何にして含んでいるか」という問いで始まる一節。鍵を握るのは「原子配列」だとして、「原子の個数は必ずしもはなはだ多数でなくても、ほとんど無数の可能な配列状態をつくり出すことができます」と指摘する。
 
 たとえに挙がるのはモールス信号。トン、ツー2種の符号を最大4個まで使えるとすれば、4個未満のものも含め、その並び方でAからZのすべてを表せる。今では、たんぱく質のもととなるアミノ酸は、DNAの塩基3個の配列で暗号化された遺伝子によってつくられることがわかっている。4種の塩基3個の並びは64通りもあるので、主だったアミノ酸20種に遺伝子を割り当てるには十分だ。著者は、DNAのしくみを予感していたのか。
 
 著者には、生命は「いままでに知られていない『物理学の別の法則』を含んでいるらしい」という推察がある。既知の物理学では「ものごとは放っておけば自然に無秩序な状態へ変わってゆく傾向がある」。熱力学第二法則のエントロピーの増大がこれにあたる。ところが、生きものの不思議さは「急速に崩壊してもはや自分の力では動けない『平衡』の状態になることを免れている」ことだ。
 
 ここで登場するのが負のエントロピーだ。著者は「生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負エントロピーを絶えずとり入れること」とみる。「生物体が生きるために食べるのは負エントロピー」という言い方もしている。
 
 この概念に対しては、今では否定論が強まっているようだ。負のエントロピーをどのようにとり込むかを説明するくだりで、高等動物が「食料としている秩序の高いもの」は「複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った状態の物質」だとして、「それは動物に利用されると、もっとずっと秩序の下落した形に変わります」と言う。そうだとしても、こんなやり方で秩序の受け渡しがなされるとは僕には思えない。
 
 ただ、「『秩序の流れ』を自分自身に集中させることによって、崩壊して原子的な混沌状態になってゆくのを免れる」と見てとった著者の生命観は、今でも魅力的だ。それは、ネットワーク論などで関心を集める自己組織化の科学にもつながってくる。
 
 この本で展開される思考にあえて注文をつければ、まだまだモノにこだわり過ぎている感があることだ。著者は、生物体の「秩序を吸い込む」という本質は「『非周期性固体』と呼ぶべき染色体分子の存在と切り離せない」とにらむ。「染色体分子」とは、遺伝子本体のこと。染色体内に折り畳まれたDNAの暗号がまだ見えていなかったころは、こう呼ぶしかなかったのだろう。
 
 その「非周期性固体」は、「秩序の整った原子結合体の中でもわれわれの知る限り最も高度のもの」で「あらゆる原子やあらゆる化学基がそれぞれ独自の役割を演じている」と推理する。DNAは、そこに「秩序」があり、「化学基」が文字の役目を担う情報の塊だ。ここまでは見事な予言である。だが、生物の分化した細胞で、なぜDNAの一部だけが都合よく読み出されるのか、といったコトの妙への言及はない。
 
 人のDNAすべての塩基配列、すなわちヒトゲノムが読みとられた今こそ、シュレーディンガーを超えて生命のコトを深く探るべき時代が到来したと言えるのだろう。
(執筆撮影・尾関章、通算270回)
 
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『ネットワーク科学――つながりが解き明かす世界のかたち』
(グイド・カルダレリ、ミケーレ・カタンツァロ著、高口太朗訳、増田直紀監訳)
=丸善出版サイエンス・パレット
写真》ネットはおいしい

 友だちが自分よりも先に逝くことはあっても、その逆はない。これは、法則というより定理と呼ぶべきだろう。もし自分が友だちよりも早く死ぬのだとしたら、その死の時点で自身の現世は消滅してしまうはずだからだ。自分が先立って友だちが生き残るという体験はありえない。逆に自分が残って友だちを見送ることは論理として成り立つ。この非対称の掟を思うと、とても悲しくなる。
 
 これは必ずしも、友だちが減っていくことを意味しない。彼ら彼女らが長生きしてくれれば同数を保てる。たとえ、それが叶わず古い友の幾人かを失っても、新しい友を得ることがあるので、生きている限り、友だちの数はふやしていくことができる。
 
 ただ、僕のように60歳超の年代になると、友だちの数がこれから飛躍的に伸びるということは考えにくい。たしかに、地元飲みで立ち寄る近所の店で新しい友を得ることはある。もう少し老いてデイケアにでも連れていかれるようになれば、そこにも友情の種がありうる。それでも、若かったころに進級や進学、あるいは就職や異動のたびに新しい友だちの輪が生まれたようなダイナミズムは望めないだろう。
 
 新聞記者だったころ、僕はいつも人間関係を広げようという強迫観念にとりつかれていたように思う。初めての人に会えば、名刺を交換することに躍起となった。年末になると、年賀状を前年より1通でも多く出そうと心がけた。取材力の指標として、貰った名刺や届いた賀状の枚数を競う気持ちが心のどこかにあったからだ。だが、退職した今、そうした心理に囚われつづける必要はもはやない。
 
 人間関係、とりわけ互いに友人と呼びあう間柄は、多ければ多いほどよいというわけではないのだろう。そこには適量がある。質ということもある。友人つながりの理想形はどんなものか。今週は、そのことを考えさせる一冊を選んだ。『ネットワーク科学――つながりが解き明かす世界のかたち』(グイド・カルダレリ、ミケーレ・カタンツァロ著、高口太朗訳、増田直紀監訳、丸善出版サイエンス・パレット)
 
 新書判。昨春に出た。カルダレリはネットワーク現象の数理解析にあたるイタリアの科学者、カタンツァロはスペインを拠点とする科学ジャーナリスト、訳者はともにネットワーク科学の専門家だ。副題の通り、「つながり」に視点を置く世界像を要約した本である。
 
 ネットワークというと、ビジネスのハウツーに結びつけて論じられがちだ。ヒット商品を生みだすにはどうすればよいか。ヒットなしでも儲けるにはどうすればよいか。インターネット時代の今、商いをするにはネットのしくみを知ることが必須になった。この本にも、そのヒントは満ちている。だが読みようを変えれば、60歳超の安定した友人関係を築く手引きにもなる。僕がすくい取りたいのは、どちらかと言えばそっちのほうだ。
 
 この本を読むには、メートルやキロメートルで測る距離をいったん忘れたほうがよい。それは、難しいことではあるまい。「ニューヨークから送られた電子メールがロンドンのとあるオフィスに届くまでの時間は、その隣のオフィスから送られたメールが届くまでの時間と同じ」という状況に日々さらされているからだ。「ネットワークの考え方は、複雑な対象を頂点と枝による骨組み構造に単純化する」。そこでの遠近は、介在する頂点の数だ。
 
 骨組み構造で、ひと昔前まで科学者が慣れ親しんでいたのは「格子」だ。そこでは頂点が「隣り合う4つのマスとだけつながるチェス盤上の駒のように、規則的なつながりのパターンに沿って配置される」。これに対して、今流のネットワークはデタラメ度が高い。
 
 典型はランダム・グラフ。「枝を結びうるすべての頂点のペア」ごとにコイン投げをして「表が出たら」「枝で結ぶ」という方式で描く。ただこれも、つくり方がある意味で「規則的」だ。現実世界でネットワークができるときには、もっと複雑な要因が働く。たとえば片思い。枝には「一方向にはたどれるが逆行はできない」ものがある。あるいは愛の深さ。その度合いに応じて枝に「重み」が付与されることもある。
 
 網目模様がランダム・グラフほど均一でないものもよく見かける。「少数の頂点がネットワークの枝の大部分を引きつけ、それ以外の多くの頂点は残りの枝を分け合う」というような枝ぶりだ。枝がたくさん出た頂点は「ハブ」と言われたり、「スーパーコネクター」と呼ばれたりする。この本は、そんな頂点の例として「航空網における大空港」や「性的関係ネットワーク」に組み込まれた「性産業に関わる人々」などを挙げている。
 
 興味深いのは、この不均一が「トップダウンの設計図」ではなく「ボトムアップな成長の仕組み」でも生まれることだ。ネットワークに頂点が新しく加わるとき、枝の多い仲間とつながりたがる習性をもたせると、頂点の枝数に最初は小さなばらつきしかなくても最後は大きな格差が生じるという。物理学が専門のA・バラバシとR・アルバートが数値実験で確かめた。こうして富める者はより富み、人気者はますます人気を高める。
 
 ネットワークの落とし穴はここにある。商品であれ作品であれ、ネットに出せば反響がある、あわよくばヒットする、と見込むのは大きな勘違いだ。実相は、ちょっとした違いで雪だるま式に注目を集めるものがたまにある、ということだ。
 
 60歳超は、そんな野望を捨てたほうがよい。パソコンの向こうのネットワークは、それとは別の可能性もはらんでいる。むやみに友だちをつくるのではない。深い親交を求めるのとも違う。もう少し穏やかな人間関係の広げ方がそこにはある。参考になるのは、物理学出身の社会学者D・ワッツと数学者のS・ストロガッツが提示した「スモールワールド」の網目模様だ。それは、規則的な格子にちょっと手を加えるだけで現れる。
 
 頂点を村にたとえよう。用意するのは、一つの村が隣村やそのまた隣の村とだけつきあうという格子構造だ。ここで、1本の枝だけ規則を破って勝手に選んだ村につないでみる。「こうすると突然、村は隣ではなく以前は遠くはなれていた地域と物品を交換できるようになる」。疎遠な村と「近道」が通じたのだ。この作業をさまざまな村の枝で繰り返すと、地元の産物がいくつの村を経て先方に届くかというステップ数の平均値が「劇的に減る」。
 
 世間は、その不規則性ゆえに意外と狭いということだ。友だちの友だち……とたどっていけば、6人ほど先で地球上のどの人物にも行き着けるという「6次の隔たり」の根拠が示されたのである。ワッツが、その狭さを電子メールの転送実験で確かめたこともここに書き添えておこう。村を人に置き換えて考えれば、僕たちは外国人の友だちが一人、二人できるだけで友だちの友だち……を海外にたくさんもてることになる。
 
 著者によると、この小さな世界を生みだす近道は、社会学者のM・グラノベッターが言う「弱い紐帯」とも重なる。「偶然」や「共通の友人」などがもたらす「薄い関係」は侮れず、「新たな社会グループとつながる可能性」を秘めているという。60歳超に必要なのは、そんな緩い紐づけなのかもしれない。僕が当欄を書きつづけるのも、ネットの向こうにそれを期待しているからだ。
 
 最後にとっておきの話。この本は語彙のネットワークもとりあげている。英単語の“pupil”は「生徒」と同時に「瞳」を意味しており、「教育」と「視覚」という「2つの意味的領域をつなぐ」と著者はみる。これも、「近道」の一種というのだ。一つの言葉を聞いて違うことを思い浮かべる人たちがいる。そんな二人が語りあえば、それぞれの世界は不定形に広がっていく。これこそが友だちをもつことの最大の効用かもしれないと僕は思う。
(執筆撮影・尾関章、通算264回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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