『その街の今は』(柴崎友香著、新潮文庫)

 この夏から、読もう読もうと思っていた作家がいる。今年上半期の芥川賞を受けた柴崎友香だ。受賞を伝える新聞やテレビの報道を見ていて、心が通じ合える人だなと直感したからだ。そんなことを勝手に思ってしまうのは読む側の特権である。
 
 受賞作は「春の庭」。新聞の記事によれば「東京都世田谷区にある取り壊しが決まったアパートに住む青年を主人公に、日常に起こる思いがけない出来事を写実的にとらえた。隣接する水色の洋館にこだわる女性との出会い、洋館の住人との交流、別れ、姉との再会などを通じ、移りゆく時と取り戻せない時間を描いた」(朝日新聞2014年7月18日付朝刊)とある。住宅街の日常というところがなによりも心に響く。
 
 とりわけ僕の琴線をふるわせたのは、彼女がテレビのインタビューで語っていた緑道の話だ。東京西郊には、昔は農家のための用水路であった小さな川が暗渠の下水となり、そのうえに木々が植えられて散歩道になっているところが多い。そんな緑道である。僕が育ち、今も住んでいる町にもあって、そこを歩いていると昭和戦後の都市スプロール化を象徴するようなドブ川の記憶がよみがえってくる。
 
 このインタビューの録画は手もとにないので、同趣旨の話を新聞紙面から引こう。彼女自身が寄せた言葉だ。「九年前から住んでいる世田谷区には、『緑道』が何本かある」「周辺の地名を見る。『谷』『沢』『原』『坂』に、『橋』『宿』『寺』『町』……。自然の地形に、そこで生きてきた人間の暮らしが重なっている」。こうして「緑道で聞こえない川の流れに耳を澄ませながら」受賞作を綴ったのだという(朝日新聞2014年7月23日付朝刊)。
 
 いいなあ、この感覚。これは、僕が当欄で大事にしてきた思いと同じものである。去年秋、『世田谷代官が見た幕末の江戸――日記が語るもう一つの維新』(安藤優一郎著、角川SSC新書)という本をとりあげたときは、秋祭りの話題に結びつけて「足もとのアスファルトを一皮むけばそこに農道がある、という史実にも気づかされる」と書いた(〈文理悠々〉2013年10月28日付「幕末セタガヤにみる現代風ストレス」)。
 
 『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(今尾恵介著、朝日新書)を紹介した回では、消えた川のことに触れて自身の体験を披歴した。「自転車で駆け回っているうちに下り勾配の道が数本、並行しているのを見つけたとする。それらを下りきった地点をつないでいくと、昔はそこが小川だったのだろう、と察しがつく。こうして僕にとっての町空間は時間次元での重層性を帯びてくる」(〈本読み by chance2014年5月30日付「街に感じる大地の起伏」)。

 同じ志の人がいる。今回の芥川賞は僕にとって、そんなうれしい発見だった。で、書店で見つけた一冊は『その街の今は』(柴崎友香著、新潮文庫)。単行本が2006年に出た中編小説。書名を見て、これも東京西郊の話かなと手にとった。
 
 ところが作品の冒頭に出てくるのは、主人公の「歌ちゃん」を含む女子4人が合コンの帰り、相方となった男たちを腐しながら街を歩く場面。店からなかなか出てこなかった女子側幹事が「レジで領収書、しかも男四人分で割ってとかややこしいこと言い出してん」と報告すると「まじで? おごってくれたんやったらまだ許すけど、千円しか差つけへんかったくせに」「親にしつけられてんちゃう、必ず領収書」。
 
 なんや、コテコテの関西話やないか。出てくる地名も道頓堀、心斎橋筋、鰻谷……という具合でナニワの空気が横溢している。だが、それは当然のことだ。著者は大阪出身。生まれ育った町を愛おしんでいたからこそ、移り住んだ町でも、聞こえない川の音を聞こうとしたのだ。前述の朝日新聞紙面では、受賞作を書くときに「離れた大阪の街」も心の内にあったことを打ち明けている。
 
 大阪を愛する大阪人は東京も愛する。これは自然のことだと僕は思う。なぜなら、東京を愛する東京人の僕が大阪をこよなく愛しているからだ。僕の関西暮らしは著者の世田谷住まいとほぼ同じ年数なので、ちょうど対称の関係にある。
 
 たとえば、歌ちゃんがアルバイトをするカフェは、僕がかつてごく短い間、大阪本社で経済記者をしていたときにウロウロしていたあたりだ。「本町(ほんまち)と堺筋本町と心斎橋のどの駅からも中途半端な距離」にあり、「中小の会社や問屋が大方を占めているけれど、繁華街も近いので飲食店やお店も途切れずにあって」「ずっと先には、阪神高速道路とその下の船場センタービルが見えている」。
 
 建設会社の社長が「会社の名前の入った薄緑の作業着」を着てカフェに来るという状況が、納得できる。常連の女性客が「いつもミックスジュースを注文する」というのも、うなずける。店内の壁が若手アーティストのミニギャラリーになっていて、そこに「アメリカの漫画みたいな感じ」の作品が掲げられていたというのも、なるほどだ。作業着、ミックスジュース、アメコミ――どれもこれも僕が知っているディープな大阪である。
 
 おもしろいのは、歌ちゃんの関心事が大阪の過去にあることだ。たとえば大学時代、地理学の課題で昔の航空写真を見て、その虜になったという話。1947〜48年に米軍が空撮した心斎橋周辺を見ると、爆弾で「クレーターのように凹(くぼ)んだ部分」があちこちにあった。その瞬間、「時代劇みたいな別の世界のようにしか思えなかったのが、急に、今自分のいる世界とつながって、穴だらけだった地面の上を歩いているのだと感じられた」。
 
 だから店でも、好んで年配の客と町の話をする。「問屋のおじさん」が子どものころ、道頓堀川で泳いだと言うと、水をつぎ足すついでに「あの、ずっとそのへんに住んではったんですか?」と尋ねてしまう。「そうやねえ、二回引っ越したんやけど、そこから今のアメリカ村言うんかな、あのあたりと、中学になってからは新町で」「アメリカ村」「そうそう。こないだ通ったんやけど、もうなーんにも残ってませんでしたわ」
 
 年長者が「おれらのころはあのへんにはなにがあって」と話しはじめると、「そのときのその場所に行ってみたいと思う」。そんな歌ちゃんの趣味は、大阪の過去写真を古本屋などで集めることだった。
 
 歌ちゃんは、失恋の痛みを感じながらも新しい恋の糸口を見つける。カレシ一歩手前の良太郎もレトロ好き。小遣い稼ぎにもなるので、縁日などで古いものを手に入れてくる。故あって街に出回る無名の人の家族写真や8ミリだ。テレビに戦前から高度成長期までの大阪が映しだされたときは、こんなメールを送ってきた。「こういう映像を見てるとどこぞで同じ時間を父母が生きとるんや、とか思う。自分の死後を見ているかのような気分にもなる」
 
 歌ちゃんは良太郎から、半世紀も前の心斎橋界隈の写真をもらう。百貨店の前で白い帽子にワンピース姿の女性が笑顔を見せている。歌ちゃんは、その写真をまえにこう言う。「自分が今歩いてるここを、昔も歩いてた人がおるってことを実感したいねん」
 
 川が埋められていった話がある。建物が解体されていく話もある。この作品は、風景が移ろうことにためらいがない日本の町で、過去を現在になんとかつなぎとめようとする人々の物語だ。地面の記憶を掘り起こし、時間軸に思いを馳せる。その健気さが心に残る。
 
写真》近所の公園に落ちていたどんぐり。大きな広葉樹にも、その土地の記憶が蓄えられている=尾関章撮影
(通算235回)
 
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鉄道でゆく凸凹地形の旅』(今尾恵介著、朝日新書)

 平日の昼下がり、自転車で自宅近くを「散歩」する。1年前、会社勤めをしていたときには縁がなかった至福のひとときだ。なぜ、そんなに幸せを感じるのか。オフィスにいてはわからない町の日常を町びとの目で眺められるというのが、最大の理由であることは間違いない。だが、それだけではない。思わぬ副産物があることがわかってきた。自転車をこいでいるからこそ実感できることがある。
 
 地面の起伏である。見た目、平らとばかり思っていた道でも、自転車で走っているとペダルが重くなったり軽くなったりする。勾配の微妙な変化を自分自身の筋肉で検知できるというのはうれしい。
 
 おもしろいのは、日々違う経路を通っているうちに勾配情報が面の広がりをもってくることだ。わが町や隣町、その向こう側くらいまでの範囲で地形図がなんとなくイメージできるようになる。地域スケールの空間感覚が豊かになるのである。
 
 時間感覚も同様だ。大都市周辺の町は、ほとんどが建物やアスファルトに覆われ、地肌が見えるのは家々の庭や集合住宅の緑地、そしてわずかな公園くらいだ。水の流れも多くはふたをされ、暗渠となっている。だが、もとをたどれば、どこも手つかずの自然が存在した場所だった。その原風景は数十年前、田畑が広がっていたころには名残があったのだろうが、今は面影もない。辛うじて痕跡を残しているのが標高差ということになる。
 
 たとえば、自転車で駆け回っているうちに下り勾配の道が数本、並行しているのを見つけたとする。それらを下りきった地点をつないでいくと、昔はそこが小川だったのだろう、と察しがつく。こうして僕にとっての町空間は時間次元での重層性を帯びてくる。
 
 町の楽しみ方の一つが歴史探訪にあるのなら、見落とせない必須アイテムが足もとの起伏だ。かつて川があったと思われる窪地を通りかかって、田んぼがあったころのことを思い浮かべたとしよう。すると、近くの高台に佇む小さな神社にどんな願いが託されていたのかがわかってきて町が愛おしくなる。ガイドブックの名所旧跡を訪ねることだけが歴史散歩ではない。
 
 で、今週の一冊は『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(今尾恵介著、朝日新書)。「凸凹」には「でこぼこ」とふりがなが付されている。歩くのでもなく、自転車にまたがるのでもなく、電車に乗って大地の起伏を味わおう、という本だ。
 
 著者は、1959年生まれの「地図研究家」。音楽出版社に勤めていたが、執筆業に転じた。地図が好き、鉄道も好き、という人らしい。鉄道写真が好きな人が「撮り鉄」なら、地図を片手に鉄道を楽しむ著者は「地図鉄」ということになる。
 
 まえがきの書き出しは、だれもが知っている唱歌「汽車」についての考察だ。「今は山中、今は浜という歌詞も、日本の鉄道が『地形の見本市』のような土地の上に敷かれているがゆえの着想なのだろう」。これがもし、オーストラリアの大平原をまっすぐ走り抜ける列車ならば「今は広野原、今も広野原、今は広野原を渡るぞと……(字余りが甚だしいけれど)である」とも書く。
 
 ということで著者がとりあげる鉄道路線は、北海道から九州まで列島の津々浦々に及ぶ。ただ僕がここで語りたいのは、「実は山あり谷ありの山手線(第2章)」「神出鬼没 東京メトロ丸ノ内線凸凹の旅(第4章)」「知られざるジェットコースター・メトロ 都営地下鉄大江戸線(第5章)」「東京23区内 私鉄沿線地形散歩(第7章)」。これらは『太陽の地図帖/東京凸凹地形案内1〜3』(平凡社)に載せた原稿をもとにしている、という。
 
 これらに焦点を絞ったわけは、東京は都心部でも坂が多く、起伏に恵まれているにもかかわらず、それを僕たちが見過ごしがちだということにある。団子坂(文京区)、一口坂(千代田区)、道玄坂(渋谷区)……というように一つひとつの坂は頭に浮かんでも、それらを結んで地形の全体像が描けない。だから、僕が「自転車散歩」でローカルに体験していることを、本の手を借りて東京全体に広げたいと思うのだ。
 
 ではまず、山手線を著者に案内してもらおう。ふだん気づかないのは、渋谷と新宿の標高差だ。渋谷は文字通り、谷である。1916年の地形図によれば、今の「ヒカリエ」付近では渋谷川の水車が回っていたという。外回りの電車が渋谷駅(標高19.6m)を離れると、線路は「代々木公園の半島状の台地へ切り込みを入れつつ、10パーミルで着実に高度を稼いでいく」。ここで「10パーミル」とは、1000m走って10m登る勾配である。
 
 原宿駅は標高が27.8mと高くなるが、竹下口近辺は谷で、もともと明治神宮南池の水が渋谷川に向かう流路だった。「江戸時代の新田で、谷間にはブティックではなく棚田が並んでおり、行き交っていたのはギャルではなく早乙女であった」。電車は「原宿からもうひと息緩い勾配を上がれば左手の明治神宮の森も尽き、渋谷川の支流代々木川の谷を築堤で渡る」。こうして着いた代々木駅は、ホームの標高としては山手線最高の38.7m。
 
 新宿駅があるのは淀橋台。東京山の手には、かつて海底だった「下末吉(しもすえよし)面」でできた台地があり、そのうちの一つだ。「新南口あたりがこの台地の『尾根』にあたる。このため武蔵野台地で最も高いところを選んで流れてきた江戸時代開削(かいさく)の玉川上水も、甲州街道の陸橋のすぐ南側を東流して終点の四谷大木戸へ向かっていた」。駅の地盤は標高37.1m。ホームでは代々木に負けるが、地形でみると山手線トップだ。
 
 車窓からの風景を眺めながら昔の様子を思い描けば、たった4駅をたどっただけで谷あり川あり尾根ありの自然がある。
 
 次は、東京メトロ丸ノ内線。起伏に富んだ道筋をとるのに、古い地下鉄なので浅い。その結果、電車は全区間で4回も地上に姿を見せる。なかでも印象的なのは、JR御茶ノ水駅近くで神田川を渡る姿だ。なぜ、川の下を通らないのか。「その先に控える本郷台地のことを考えると、神田川をくぐってしまうと後が大変だからである」。池袋行き電車は手前の淡路町駅を過ぎてから、川の上に出るために「33パーミルの急登に挑む」のだという。
 
 一方、後発組の都営地下鉄大江戸線は地下深くでジェットコースターのように上がり下がりして立体交差を繰り返す。本郷三丁目駅を出て上野御徒町駅を過ぎるあたりまでに東京メトロ千代田線、銀座線の下を通り、東北新幹線地下部をかすめるようにまたぎ、再び東京メトロ日比谷線をくぐる。この間、45パーミルの下り坂も。次の新御徒町駅は、並走するつくばエクスプレスの駅の上に乗っかるかたちになる。地下に現れた人工の起伏だ。
 
 再び渋谷に戻って、私鉄京王井の頭線。「起点の渋谷駅を発車するとすぐトンネルが出迎えてくれるが、渋谷の地形を実感するのには最もふさわしい『演出』だ」。次は神泉の地表駅。「踏切から見上げるとトンネルの上にもぎっしり家が建て込み、高級住宅地・松濤の最寄り駅でありながら、同時に連れ込み旅館街・円山(まるやま)町の裏手を仰ぎ見るアングルというのが、他にはない景観だ」
 
 神泉駅のホームは次のトンネルに続いている。「2番目のトンネルを抜けると水系が変わり、目黒川の支流の谷に出る」。しばらく走って駒場東大前駅。「線路の北側は東京大学駒場キャンパスで、南は線路に並行する谷に家が密集しており、大正時代の地形図によればこの東西に細長い谷はすべて水田であった」。うれしいことに今もその一部が駒場野公園として残る。渋谷、神泉、駒場東大前は、起伏とともに聖と俗が入り交じる区間である。
 
 この本を読んで、僕は「淀橋台」とか「下末吉面」とかいう地学用語になじんだ。水系というゾーン分けもぼんやりと意識するようになった。そして今、東京の町を載せた絨毯のしわのような起伏が、だんだん脳裏に浮かんでくる気がする。
 
写真》「今は山中……」は東京でだって体験できる=尾関章撮影
(通算214回)
 
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●『洋食屋から歩いて5分』(片岡義男著、東京書籍)

 「1週1冊」という僕の気長な大事業は、新しいステージに入った。古巣の新聞社を離れて完全自立したのである。月並みなたとえで言えば、大型ショッピングモールのテナント店舗を引き払って地元商店街に小さな店を出したことになる。
 
 店名は「本読み by chance」。本を偶然のなすままに読みたい、という思いを込めた。二つの意味がある。一つは文字どおり、偶然の出会いを大事にしたいという気持ち。積ん読本の山が崩れ、はじき飛ばされた1冊を開くと未知の世界が見えてくる、なんていうことが人生にはままある。もう一つは、本選びを自分自身の気まぐれに委ねたいという気持ち。読みたいものを読みたいときに読む。そんな読み手の特権をフルに行使しようと思うのだ。
 
 と、ここまで書いて、だったら一人で読書日記をつければいいじゃないかと自問する内心の声が聞こえてくる。ブログの開店にあえて意義を見いだせば、それは、僕の気まぐれが世間の関心事とかなり重なり合っていることにあるのだろう。新聞記者という仕事を36年間も続けたためか、意識の底に世情が伏流水のように流れている。そうならば、店を開いてなにかを書けば、ときに来店客の思いと共振することもあるのではないか。
 
 世間の関心事と言っても、新聞紙面に居並ぶニュースばかりではない。一つひとつのニュースをつないで見えてくるかたち、理系用語で言えば「包絡線」のようなものこそ時代を映している。そんなメタニュース志向で本の話を語っていこうと思う。
 

 で、今回は『洋食屋から歩いて5分』(片岡義男著、東京書籍)。2月のことだったか、いい本があるよ、と友人が貸してくれた。その時点で、文理悠々の店仕舞いやby chanceの店開きを伝えていたわけではないので、本好きの厚意の域を出るものではなかったのだろう。それが、めぐり合わせの妙で、はなむけの一冊となった。しかも、このエッセイ集には今の世の中にあってほしい空気が詰まっている。この偶然を生かさない手はない。

 

  僕は、かつて朝日新聞読書面の書評で『白い指先の小説』(片岡義男著、毎日新聞社)をとりあげたことがある。『スローなブギにしてくれ』が忘れられない世代を代弁して「この短編集は晩夏の夕暮れの白ワインか。もはや『強いジン』ではない」「静かで、しかもキリッとした女たちが登場する」と書いた。『洋食屋から……』の33編も「夕暮れの白ワイン」の趣だ。そしてやはり、「静かで、しかもキリッとした女たち」が折々顔を出す。
 
 冒頭の「いつもなにか書いていた人」がそうだ。「僕」、すなわち著者が交差点を渡っていると、同年代の女性が「カタオカさん」と声をかけてくる。「今日も喫茶店?」。彼女は「僕」がまだ二十代で雑誌のライターだったころ、原稿書きに入る喫茶店でウェイトレスをしていた人だった。「僕のテーブルにコーヒーを置いて、配膳のカウンターへと戻っていくときのうしろ姿が、素敵だった」「あらまあ、すっかり小説のなかの台詞ねえ」
 
 彼女には「妙齢」の娘がいて、小説が好きだという。「ほんのしばらく私とつきあって。まず、書店へいきましょう。あなたの本を買いましょう」と、僕の手をとった。遠い昔に「お母さん」が働いていた店では、後に小説家となる人が「いつも雑誌の原稿を書いてたのよ」。そのことを娘に立証するためだ。彼女と「僕」は手をつないだまま書店へ向かう。「僕」の本を2冊買って「ひと言、添えて。娘が完全に信じるように」。
 
 「僕」は「素敵なお母さんとそのお嬢さんへ」と書こうとしたが、「嬢」の字がすぐに出てこない。試しにレシートの裏に書いてみると「そうよ、それでいいのよ」――ここまで読んで僕は、成熟した男女の関係っていいな、と思った。
 
 「僕」と彼女は、恋人同士だったわけではなさそうだ。今もこれからも、夫婦や愛人関係になりそうにはない。かと言って、老境の茶飲み友だちというほど枯れてもいない。ほどよい距離感で性を意識する大人の男女だ。最近、性愛のねじれがもたらす事件のニュースを目にするたびに思うのは、そんな男女のありようが世の中に欠乏していることである。「僕」と彼女の再会は、成熟男女が輝きを放つ一瞬を巧く切りとっている。
 
 もう一つ、この本で印象深いのは、著者のコトバへのこだわりだ。片岡作品には、題名から入る、という作法があるらしい。以下は、「栗きんとんと蒲鉾のあいだ」という一編に出てくるエピソード。夏至の日、女性編集者を交えて鰻を食べた後、彼女とふたり喫茶店に入ってコーヒーを飲む。代金を別々に払って店を出るときにひらめいたのが「割り勘の夏至の日」。約2週間後、実際に「割り勘で夏至の日」という短編を書いたという。
 
 そうかと思えば、イタリア料理店のメニューに「三種類の桃のデザート」を見つけて「これはいい、題名に使える」と感じる。居酒屋でも、壁に貼られた短冊の品書き1枚1枚に目をやる。「僕がいまもっとも好いている品書きは、塩らっきょう、とだけ書かれた短冊だ」「これを部分品に使って、塩らっきょうの右隣り、というフレーズをひねり出すと、そこには物語がすでにある」
 
 次の一編「こうして居酒屋は秋になる」では、隣駅の町にある居酒屋の名物「わさび」という飲み物の話がいい。焼酎ソーダ割りのジョッキに胡瓜の細切りを入れ、わさびを落としてかき回し、飲むというものだ。
 
 ここから著者の想像が広がる。ウールのシャツを着てバーボンを飲む男の横に「秋の服にたおやかにその身を包んだ妙齢の女性がいる」とする。そんな彼女に勧めたいのが「わさび」だ。「端正な手つきでわさびを完成させた彼女が、それをひと口飲む。暑かった夏の日を思い出します、とでも彼女が美しい笑顔で言うなら、そのときからその居酒屋は秋になる」。そうか、片岡義男の小説はこんなふうに組み立てられていくんだ、と僕は思った。
 
 「鮎並の句を詠む」では、著者のコトバへのこだわりが俳句趣味に及んでいることがわかる。電車に吊るされた酒の広告に鮎並(あいなめ)の句を見つけて、同乗の編集者と「せっかくだから自分たちも鮎並の句を作ってみようか、ということになった」。著者は1駅ごとに1句ずつ詠む。小田急の代々木八幡、参宮橋、南新宿、新宿。そのとき、日常性の象徴である各駅停車は至福の乗り物に変わっていたことだろう。
 
 コーヒーや桃のデザートや俳句や町や電車があり、「静かで、しかもキリッとした女たち」もいてコトバと想像力を触発する。僕が今、若いころとは違う意味で片岡義男を好きな理由はそこにある。このブログで愛おしみたいと思うのは、そんな世界の「たおやか」な空気だ。


写真》片岡義男的な空気は1杯のコーヒーから=尾関章撮影
(通算207回)

■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。

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