『蝉しぐれ』(藤沢周平著、文春文庫)
*題名で「せみ」の漢字は正字だが、技術上の理由で略字を用いる。
写真》鶴岡の思い出
 
 「裏日本」という言葉がかつてあった。日本列島の日本海側を総称したものだ。なんとも失礼千万な呼び名だが、僕たちが育ったころは、世間に違和感なく受け入れられていたように思う。ちょうど高度成長期で、京浜や中京、阪神といった太平洋岸、瀬戸内海沿岸の工業地帯が日本経済の牽引車だった。その構図が、誤ったイメージを定着させたのだろう。そもそも「く」の字形の列島に表も裏もない。
 
 1977年、僕が駆けだしの新聞記者として越前福井に赴任したころには、そのことへの反省気運が強まっていた。紙面では「裏日本」がタブーで、代わりに「日本海側」と書いた。あのころ盛んだった言葉狩りの一つだったのかもしれない。だが僕にとっては、日々の取材で日本海側のイメージが塗りかえられつつあったので、この言い換えが当然に思えた。一例を挙げれば、三国町(現・坂井市)という港町の明るさである。
 
 三国は、今でこそズワイガニ漁の水揚げ港として有名だが、江戸時代は北前船という商船の寄港地だった。港町に開放感が漂うのは横浜や神戸をみればわかる。三国にも、似たような雰囲気があった。「かぐら建て」と呼ばれる建築様式が残る町並み。お雇い外国人が建てた小学校校舎の復元構想。そんな話題を取材しているうちに、この町の人々は本人も気づかないまま心のどこかで遠い世界とつながっているのではないか、と思えてきた。
 
 北前船は、大坂(大阪)から北海道まで、瀬戸内海と日本海沿岸の港を結んでいた。幕藩体制下で諸藩の名産特産が取引されるためのインフラだったと言えよう。そうした交易は、港町に異文化との接触をもたらした。三国の明るさは、きっとそのせいだ。同じことは当然、ほかの寄港地にもあるに違いない。そんな思いもあって、ずっと行ってみたいところが僕にはあった。主要港の一つ、山形県の酒田である。
 
 その念願が今秋、叶った。そこには、三国よりもひとまわり大きな近世コミュニティーの面影があった。江戸時代、豪商たちが商港都市の自治に乗りだし、武家社会にも影響を及ぼしていた。中心にいたのは本間家。絶大な資金力で庄内藩の政治に関与して、侍の身分も得た。本間家旧本邸を訪ねて驚いたのは、家が二分されていたことだ。片方は武家屋敷、もう一方は商家づくり。封建制度が資本主義に移り変わる現場を見た感じだった。
 
 そのころ、武士社会にも変化があった。僕は今回、庄内藩の城下町鶴岡で、藩校の到道館を見学した。驚いたのは、藩が緻密なカリキュラムで知的人材を育てようとしていたことだ。教えられていたのは、個性尊重の徂徠学だ。幕府が朱子学に肩入れして道徳偏重の教育をしているときに、藩主の酒井家は譜代大名であるにもかかわらず、リベラル路線をとった。この背景にも、藩内の商都酒田の資本主義があったのではないだろうか。
 
 で、今週は、その鶴岡と深くかかわる長編時代小説。『蝉しぐれ』(藤沢周平著、文春文庫)。著者は鶴岡市の出身。1927年生まれ、97年に亡くなった。米国の作家ウィリアム・フォークナーが「ジェファソン」という町を仮想したように、庄内を思わせる架空の藩を置いて、いくつもの作品の舞台にしている。その城下を流れる「五間川」は鶴岡の内川に、藩校の「三省館」は致道館にそれぞれ対応することを、僕は今回の旅行で確かめた。
 
 『蝉……』は、その代表作。書きだしはこうだ。「海坂(うなさか)藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷には見られない特色がひとつあった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていることである」。ここで「普請組」は今流に言えば建設行政をつかさどる役所、「組屋敷」はその職員官舎である。藩を実業界とみれば、ゼネコンとその社宅をイメージしてもよいかもしれない。
 
 実際、この小説には現代社会に置き換え可能な描写がいくつもある。主人公牧文四郎の父親、助左衛門の日課はこうだ。「朝食が済んでから間もなく、登城する父が家を出て行った」。今のサラリーマンと変わらない。未成年も同様だ。「文四郎は昼前は居駒(いこま)礼助の私塾に行って経書(けいしょ)をまなび、昼過ぎからは鍛冶(かじ)町にある空鈍流の石栗(いしぐり)道場に行く」。授業と部活に明け暮れる少年少女と重なる。
 
 武士は帯刀していた。だが、刀はめったに使わない。塾仲間がいじめに遭って、文四郎たちが救出にかけつけるくだり。このとき、親友の逸平が口走ったひと言は「抜くなよ。刀を抜くとあとがめんどうになる」だった。別の箇所では、文四郎もいさかいの止め男になり、片方を羽交い絞めにしながら、もう一方に「刀をおさめて早々に立ち去られてはいかがかな。ぐずぐずしていると、あとの責任までは持ちかねますぞ」と諭すのだ。
 
 「あとがめんどう」「あとの責任までは」といったもの言いには、よく言えば法と秩序、悪く言えば官僚主義の匂いがする。こんな言葉が飛びだすのは現代作家の小説だからで、当時の実態は違うという見方もできるだろう。だが今回、僕が酒田の商家や鶴岡の藩校で感じとったのは、江戸時代、商人にも武士にもホワイトカラーの感覚が芽生えていたらしいということだ。藤沢作品は、そこを巧く切りだしている。
 
 もちろん、封建武士の「ホワイト」は血に染まることもある。この作品では藩内の権力闘争が、その残酷な一面を浮かびあがらせる。文四郎が道場の帰りに不穏な空気を察知する場面。川沿いの道に「襷はちまきに抜身の槍を光らせた一隊」が次々に現れる。「城下に異変が起きたときは、物頭(ものがしら)のひきいる御槍組、御弓組が動いて四方の木戸を固める」と言われていた時代だ。なにかが起こったのは間違いない。
 
 それは、藩上層部の派閥争いが招いた政変だった。藩主の世継ぎ問題で側室派が正室派を追い落としたのだ。助左衛門は後者だったので、同士とともに切腹となる。反逆の罪だった。文四郎は正式の沙汰が出る前日、拘置所となった龍興寺という寺へ接見に赴く。「何事が起きたのかお聞かせください」と問うと、父は言った。「私の欲ではなく、義のためにやったことだ」「文四郎はわしを恥じてはならん」
 
 寺を出ると、逸平がいた。二人は、蝉しぐれのなかを歩く。文四郎は、父に「尊敬している」と言えなかったことを悔いて泣いた。このとき、「ぞっとするようなつめたい風」が吹き、「大粒の雨」とともに「腹にひびく雷鳴」が轟く。「その日城下を襲った嵐は、龍興寺に死を待つ人びとがいるのを憤るかのように、夜半まで風と雨が城下の家々を打ち叩いた」。当時の派閥抗争は、今とは違ってポストの争奪にとどまらなかったのである。
 
 この小説には、切ないが美しい縦糸も織り込まれている。組屋敷で隣同士だった文四郎とふくの物語だ。それぞれ15歳と12歳だったころの朝、洗面台や流し場代わりにしている裏の小川で顔を合わせる。ふくは、文四郎の挨拶に「そっけない態度」で応じるが、指を蛇に噛まれて傷口を吸ってもらうと「小さな泣き声をたてた」。異性を意識しているが子どもでもある。これが、数十年に及ぶ静かな恋の出発点だった。
 
 だが、ふくは運命のいたずらで、文四郎の手の届かない身分に引きあげられてしまう。背景に血筋による家の存続を第一に考える側室制度があった。これもまた血にまつわる話と言えるだろう。
 
 この点で僕が興味をそそられるのは、著者が、文四郎を助左衛門の養子としていることだ。助左衛門の妻、すなわち母が実の叔母という関係。だから父子は血がつながっていない。だが、そこには父を慕い、敬う子の姿がある。理由の一つは、父がどこまでも民衆の側に立つ武士だったことだ。大水で五間川上流の土手を切らざるを得なくなったとき、田んぼの被害を小さくするよう切り場所を変えさせたのも父だった。
 
 近代の条件の一つが人々を血の呪縛から遠のかせることにあるのだとしたら、この親子関係にも近代がある。僕はそう思うが、これは深読みに過ぎるだろうか。
(執筆撮影・尾関章、通算288回)
 
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『パン屋再襲撃』(村上春樹著、文春文庫)
写真》ノーベル物理学賞の発表資料
 
 今年のノーベルウィーク、僕は受賞者の気分を何万分の一のレベルで味わうという奇異な体験をした。「素粒子ニュートリノに質量あり」の梶田隆章さんに物理学賞が贈られることが発表された夜、祝電めいたメールや電話をいくつか受けたからだ。
 
 振り返れば、僕の科学記者生活はニュートリノとともにあった。最初のヤマ場は1987年、小柴昌俊さんのグループが神岡鉱山地下の観測装置カミオカンデで、宇宙の彼方の超新星が放つニュートリノを捕まえたときの取材だった。そのころから、この謎めいた素粒子を追いかけてきた。笑ったこともある。泣いたこともある。困らされたこともある。ニュートリノは可愛くもあるが、獅子身中の虫でもあった。

 そんなこともあって、小柴さんが率いるニュートリノ人脈とは深いおつきあいをしてきた。梶田さんもその一人だ。最近はよく、サイエンストークでご一緒している。「お祝い」の言葉をくれたのは、こうした事情をよく知っている友人知人たちだった。
 
 梶田さんたちが成し遂げた仕事は、カミオカンデの後継スーパーカミオカンデで地球大気から飛んでくるニュートリノを調べて、それが一つのタイプから別のタイプへ変わるのを確かめたというものである。今日の理論は、この変身現象が質量をもっていることの証しにほかならない、と結論づける。ただ、これらのことを説明するには僕たちが小中学校で習う古典物理学では足りない。そこには、量子力学という常識外れの物理が介在する。
 
 こんな話をしていていつも出てくる質問は「ニュートリノの変身って、なにかの役に立つの?」「ニュートリノに重さがあるとわかって、私たちの生活はどう変わるの?」というものだ。それに対して、科学者が答えるのは――そして僕のような科学記者が書いてきたのも――「知の地平を広げる」「世界観を豊かにする」ということだった。だが、いま現役を退いた身で自問してみると、正直、これもピンとこないな、と思う。
 
 ニュートリノ探究の意義は、別の言い表し方をしたほうがよい。その成果は、見えない世界に現実感を与えてくれる。スーパーカミオカンデの公式サイトによれば、この粒子は太陽が放つものだけで1平方センチ当たり毎秒660億個も人体を突き抜けているが、僕たちはまったく気づかない。ところが精妙な装置を通してみると、それはたしかに存在し、しかも人知の導く理論の通りに振る舞うことがわかった。そのことに僕は圧倒される。

 で今週の本は、ことしも残念ながら文学賞が来なかった村上春樹の小説。彼の作品を語るのは、当欄にとってノーベル賞シーズンの恒例だからだが、今回はもう一つ理由がある。見えない現実を見ようとするところが、ニュートリノ物理とつながるように感じるからだ。
 
 手にとったのは、『パン屋再襲撃』(村上春樹著、文春文庫)。表題作など6編を収めた短編集だ。1980年代半ばに女性誌や文芸誌に出たものが、86年に単行本となり、のちに文庫本となった。これを選んだ理由の一つは、そこに仕込まれたムラカミハルキ的な世界の展開に魅せられたからだ。80年代というのは、バブルがふわふわ浮かんだような時代だったが、その日常が絶妙の技で非日常に結びつけられる。
 
 まずは、冒頭の表題作。登場するのは、法律事務所で働く「僕」とデザイン・スクール事務員の妻。20代後半の新婚夫婦だ。ある夜、夕食を軽くとって床に就き、眠り込んだが、午前2時前に示し合わせたように目を覚ます。二人とも、おなかがペコペコだった。
 
 ちょうど、世の中で共稼ぎが当たり前になりだしたころだ。「我々の生活はひどく忙しく、立体的な洞窟のようにごたごたと混みいっており、とても予備の食料のことまでは気がまわらなかった」。冷蔵庫にはドレッシング、缶ビール6本、ひからびた玉葱2個、バターと脱臭剤があるだけで、「僕」は「フレンチ・ドレッシングの脱臭剤炒めは?」と冗談を飛ばしてみたりする。
 
 妻に外食を提案すると、深夜12時すぎに食べに出るのは「どこか間違ってるわ」と言う。二人で缶ビールを開け、棚から見つけだしたクッキーの残りを食べきってしまうと、いよいよ策が尽きる。そこで「僕」の口を衝いて出た言葉が「パン屋襲撃」だった。
 
 「パン屋襲撃って何のこと?」「ずっと昔にパン屋を襲撃したことがあるんだ」。そんなやりとりがあって、日常は非日常の色合いを帯びてくる。貧乏暮らしをしていたころ、「相棒」とともにパン屋を襲った、店主は大のクラシック好きで、ワグナーのレコードをお終いまで聴き通したらパンをいくらでもくれる、と言った――「僕」が打ち明けたのは、そんなおとぎ話のような武勇談だった。
 
 ホントなの、それとも……。読者は、ここで戸惑う。ところが著者は、僕たちをリアリズムの世界に巧妙につなぎとめる。妻の「それで、そのあなたの相棒は今どうしているの?」というひと言を差し挟ませるのだ。そう言えば、思い出話に相棒の性別はなかった。「僕」が「別れた」「今何をしているかもわからない」と答えると「妻はしばらく黙っていた」。この短時間の沈黙こそが、村上春樹の真骨頂のように思える。
 
 ここから先、どんな筋が待ち受けているかについては書くのを控えよう。ただひとつ、「レミントンのオートマティック式の散弾銃」が小道具として現われることだけは言っておこう。その非日常が日常の延長線上にある。
 
 「象の消滅」という作品も秀逸だ。それは「町の象舎から象が消えてしまったことを、僕は新聞で知った」という一文で始まる。いかにもおとぎ話のような書きだしだが、読み進むと、どこの町にもありそうな俗事が描かれていて妙にもっともらしい。
 
 町はずれの動物園が閉園した。経営が苦しくなったのだという。動物は、各地の同種施設に散らばったが、象は高齢で引きとり手がなかった。園も町も頭を抱える。「動物園側は既に宅地業者に動物園の跡地を売却していたし、業者はそこに高層マンションを建てるつもりだったし、町はその業者に開発許可を与えていた。象の処理が長びけば長びくほど金利がかさんでいった。かといってまさか象を殺してしまうわけにもいかない」
 
 そこで、象は町が引き受け、宅地業者が収容施設を無償提供し、動物園側が飼育の人件費を受けもつということで合意する。いかにも現実的な問題解決法ではないか。ところが、その新体制で1年が過ぎたころ、新聞ネタとなる事件が起こったのである。
 
 記事には「象が脱走した」とあったが、それは「消滅」にほかならないと「僕」は読みとる。象の足には、鎖で土台につながれた鉄輪がはめられていたのだが、象舎には、その抜け殻が施錠されたまま残っていたからだ。鍵は二つあったが、警察と消防の金庫に保管されていて飼育係はもっていない。その人物も姿を消している。常識では絶対に起こりえないことだ。量子力学の世界さながらで古典物理学を超えているように見える。
 
 ところが町では、警察官や自衛隊員や消防団員や猟友会メンバーの山狩りが始まる。町長は記者会見で警備の不備を詫びつつ、元凶は「悪意に充ちた危険かつ無意味な反社会的行為」と決めつけて批判をそらそうとする。一方、野党は町長の責任追及に躍起だ。そして新聞は「しばらくは安心して子供を外に遊びに出せませんね」という母親の声を拾う。社会現象のステレオタイプな継起は、古典物理学が1カ所で破れたくらいでは揺るがない。
 
 村上春樹は、現実に非現実を忍び込ませるのが巧い。その思考実験から見えてくるのは、日常の呪縛に一喜一憂していることのばかばかしさだ。現実は、もしかしたら非現実と境目なしにつながる混沌宇宙にぽっかり浮かんだ孤島なのかもしれない。そう思うと、僕たちの心は解放される。見えない世界を見せつけるのは、科学者の専売商品ではない。火曜発表の物理学賞と木曜発表の文学賞はどこかで通じ合っている。
(執筆撮影・尾関章、通算285回)
 
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『失われた時のカフェで』(パトリック・モディアノ著、平中悠一訳、作品社)
写真》ある日、12桁の数字が……
 
 マイナンバーがもうすぐやって来る。この秋、くまなく日本列島の家々のポストに簡易書留で届くらしい。住む人一人ひとりに割り振られた12桁の数字だ。この動きに僕たちの世代は身構えてしまう。「あっ、いよいよだな」。
 
 ピンとくるのは「国民総背番号制」という言葉だ。僕たちが若かったころ、管理社会の象徴として嫌われていた制度である。だからコンピューター社会になっても、行政官庁が個人に番号を振りたがる風潮にずっと神経をとがらせてきた。この警戒感は、IT(情報技術)とともに育った世代には不可解なのだろう。僕が新聞社の論説委員室にいたときも、議論がなんらかの番号制に及ぶと老若の年齢層で見方が分かれたものだ。
 
 たしかに、もろもろの公的な手続きがITの統一管理のもとに置かれれば無駄は激減する。朝日新聞の記事「教えて!マイナンバー」(連載第1回目、2015年5月13日付朝刊)には、こんな記述がある。「それぞれの役所で管理されていた個人の情報が、12桁のマイナンバーで結びつけられ、役所同士で情報を共有できるようになる」「子育て中の人が児童手当を継続して受けるための手続きでも、添付書類が減り、手間が省ける」
 
 もう一つ、マイナンバー積極導入論には強力な応援団がある。それは、公正で透明な社会を求める世論だ。「教えて!」の記事にも「役所にとっては、年金の不正受給や脱税といった不正行為を防ぎやすくなるというメリットがある」と書かれている。
 
 一方、いまマイナンバーにブレーキをかけるものがあるとすれば、それは「情報漏れ」の心配だ。先ごろ日本年金機構が抱え込む個人情報がサイバー攻撃に遭い、流出したことで現実味を帯びた。そこにあるのは、プライバシー保護に敏感になった民意である。
 
 こう見てくると、マイナンバー制度は、公正の追求とプライバシーの尊重という二つの気運の綱引きで揺れ動いている。だが、論ずべきはほんとうにそれだけなのか。マイナンバーがはらむ最大の問題はもっと深いところにある、と僕は思う。それは、僕たちが識別番号を付与されることで鉄壁の官製アイデンティティーを手にする代わりに逃げ場を失うことにある。人間は、それに耐えられるのか。
 
 なにも、犯罪者、あるいは革命家のことを考えているわけではない。ふつうに市井に生きるふつうの人々にも逃げ場は欠かせない――今週は、そんなことに思いを巡らせてしまう小説。『失われた時のカフェで』(パトリック・モディアノ著、平中悠一訳、作品社)。著者は1945年生まれのフランスの作家。去年、「記憶の芸術」を授賞理由にノーベル文学賞を贈られた。
 
 この本では巻末に、自身も作家である訳者が、注を含めると50ページを超える文章を載せており、思い入れの深さが伝わってくる。そこで僕が共感したのは、著者と米国のポール・オースター、日本の村上春樹を「1940年代後半生まれの作家」として括り、「彼らは世界で同時多発的に何を行っているのか」と問いかけていることだ。三人の作品世界はそれぞれ独自のものだが、いずれも僕の世代にしっくりくる感性を宿しているように思われる。
 
 『失われた時の……』は、五つの章から成る。一つひとつが小品の趣を漂わせているが、それらを貫く縦糸となるのが、若いのに謎めく女性ルキ。四つめの章までは語り手が次々に入れ代わるが、その人々はパリ・セーヌ左岸の一角にあるカフェ、ル・コンデを接点につながっている。カフェという一つの空間に居合わせたことで生まれる緩い面識が、五つの小品を束ね、一つの物語を紡ぎだすのである。
 
 冒頭はこうだ。「カフェのふたつの入口の狭いほう、陰の扉と呼ばれていたほうから、いつも彼女は入ってきた。そして小さなカフェの奥、いつも同じ席に座った。最初のうち、だれとも口をきかなかったが、やがてみんなとうちとけた。そのカフェ、ル・コンデの常連と」――町のたまり場という社交の培地で人々のつながりが芽生える様子をコマ落としの映像で見ている気になる。
 
 この最初の章の語り手は、後段で「国立高等鉱業学校」に通っていることが明かされるエリート学生。ルキに心惹かれているらしく、彼女に向けられた観察眼は鋭い。「ルキ」はこの店で呼ばれるようになったあだ名だが、「この新しい名前で彼女は気が楽になった」とみてとる。「彼女はここに、コンデに、避難しにきていたのだ。まるで何かから逃げようと、なにか、危険からのがれたいというように……」
 
 その裏づけとなるのは、ルキ自身が語り手となる章。「私が15のとき、人は私を19といった。はたちとさえ。私の名前はジャクリーヌ、ルキじゃない」で始まる。少女時代、母が仕事でいない夜、街をさまよい歩いていて補導されたときのことだ。警官に聴かれて、家族史の情けなくなるような詳細を語っていると「私は重石(おもし)を取り除かれていくようだった。もうそれは私とは関係ない、私は、だれかほかのひとのことを話してた」
 
 「私の人生の一部が、いま終わった。私に押しつけられていた人生が。これからは、私が自分の運命を決めるんだ。全ては今日からはじまる」。自分の一切を吐きだすことによって、そこから遊離するような感覚か。
 
 自分自身から逃げようとするルキの心情は、僕たちがマイナンバー時代に襲われるかもしれない心のありようを予感させる。人はときに自らの正体を打ち消したくなる。だれかれとなく訪れ、後腐れなく去っていくル・コンデは、それを実現してくれる場所だった。
 
 この小説は、語り手が長い時間幅の過去を振り返る形式で叙述されるので、ル・コンデは永続して存在しない。1番目の章に「何年もあとになって、界隈(カルティエ)の通りに高級ブティックのショーウインドウばかりが並び、皮革品店がコンデのあとに置きかわった頃」という記述がある。最終章では、その店を見た登場人物が「パリはずいぶん変わったね。ここ何年かで」と感嘆する。逃げ場もまた逃げてゆく。それが都会なのかもしれない。
 
 ル・コンデには、人の「逃げよう」という衝動に対抗する因子もあった。それを具現するのは、最初の章に出てくる店の常連、ボーイングという男がつけていたノート。「そこにはコンデの客たちが、毎日毎日、3年間、一覧となっていた」。たとえば、ある年の3月18日。「14時。ルキ、16番地、フェルマ通り、14区」。名前や住所をなんとか聞きだし、来店時刻とともに書きとめる。歩く国勢調査ともいえる人物が店にはいた。
 
 そのボーイングに近づいてきたのが、自称「美術出版者」。ル・コンデの写真集を出したいので、と言ってノートを一晩借りるのに成功した。あくる日に返却されると、なんと「ルキの名前に全て青鉛筆でアンダーラインが引かれていた」のである。
 
 「美術出版者」は、実は私立探偵だった。二番目の章は、そのケスレィという探偵が語り手になる。不動産会社に勤める依頼人の命を受けて、その失踪妻ジャクリーヌ、すなわちルキの行方を追う話だ。彼女の人物像の輪郭が見えてきたあと、依頼人にどう伝えるかで心を決める。「僕はあとなんどか彼の電話に答え、漠然とした情報を与える――ぜんぶ嘘のだ、いうまでもなく。パリは大きな街で、だれかをそこで見失うのは簡単だ……」
 
 探偵が「見失う」ことに価値を見いだすという逆説は、僕たちが管理社会を生きていくうえで何が求められているかを示唆していないだろうか。
 
 人々が個人情報に敏感な昨今、ルキのようにあだ名で呼ばれる自由は失われまい。ネットにはハンドルネームが溢れつづけることだろう。だが、たとえ表面で匿名が保たれても、根っこにお仕着せの「キミは何番」がある。それこそがマイナンバーの怖さだと僕は思う。
(執筆撮影・尾関章、通算273回)
 
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『海を見ていたジョニー』(五木寛之著、講談社)
写真》マルの「レフト・アローン」
 
 いまではPTSDと言えば、ああ、あのことかと思う人がほとんどだろう。心的外傷後ストレス障害。なにかのトラウマで心の安寧が脅かされる。そんな心の病があることは、だいぶ世間に知れわたった。
 
 だが、この言葉がメディアに広まったのは、1995年、阪神・淡路大震災後のことだ。朝日新聞のデータベースでは、「PTSD」という用語を含む記事が1984年から94年末までにわずか8件だ。ちょっと自慢めくが、そのなかに僕が書いた記事が2件含まれている。一つは、旧ソ連チェルノブイリ原発事故の健康被害にかかわる連載(91年)、もう一つは、バルト海であった大型フェリー・エストニア号沈没事故のルポ(94年)だった。
 
 後者については、ひとこと言い添えよう。これは、欧州駐在時代に同僚とともに執筆した。僕が取材に出向いたのは、フェリーの行き先だったストックホルム。スウェーデンには惨事に見舞われた人やその家族のPTSDを防ごうという社会運動があり、このときも港でボランティアや医師、牧師、ソーシャルワーカーらが活動していた(朝日新聞1994年9月30日付朝刊「時時刻刻」)。この直後、震災後の神戸で同じ動きが起こったのである。
 
 世にトラウマとなる災いは多い。ただ、見落としてならないのは、朝日新聞が1984〜94年に載せたPTSD記事のうち残る6件が「帰還兵」をめぐるニュースや話題だったことだ。86年12月23日付夕刊には、米国駐在の科学記者がフロリダ州にある復員軍人庁の診療所を訪ねた報告が載っている。悪夢や幻覚に悩まされるベトナム帰還兵や彼らの支援をする医師、ソーシャルワーカーの肉声を聞いた先駆的な記事だった。
 
 帰還兵のPTSDは、ベトナム戦争に起因するものとは限らない。6件のなかには、湾岸戦争で英国社会も同様の問題を抱えていることを伝えた記事もある。どうやら、PTSDという概念が根づいたきっかけは天変地異ではなく、巨大事故でもなく、戦争だったらしい。戦場には、もっとも強烈なトラウマのタネがあるということだ。それが引き起こすのと同種の病が現代社会のさまざまな局面で見つかってきたのだとも言える。
 
 で、今週は『海を見ていたジョニー』(五木寛之著、講談社文庫)。単行本が1967年に出た短編集。その表題作をとりあげる。この作品を選んだ理由は、それが先週紹介したJ・Jこと植草甚一の『ぼくの東京案内』(晶文社)で激賞されていたからだ。
 
 「ぼくには忘れられない作品で、これを思いだすたびに、いつもきまってジェイムズ・ボールドウィンの短編『ソニーへのブルース』が浮かんでくる」「ぼくはこれこそ日本で最初のジャズ小説だと考えている」(「五木寛之のよくスイングする文章」=初出は『青年は荒野をめざす』〈文藝春秋社刊・五木寛之作品集3〉解説)。既読の気もするが、今回、まず図書館で借り、つづいてネット通販で中古本も買って味読した。
 
 ボールドウィンら米国の「黒人」作家は、日本では1960〜70年代に注目を集め、書店には早川書房の「黒人文学全集」が並んでいた。その真っ黒な装丁は今も忘れられない。なかを開くと、ジャズっぽい文体が満載だった。それと似ているということか。
 
 『海を見ていた……』の書きだしはこうだ。「少年の目の前に、ぬっと褐色の手がさしだされた。/『やあ(ハーイ)、ジュンイチ』/喉からでなく、胸の奥からひびく柔かい低音(バス)だった」。リズムはあるが、スイングというには端正すぎる。だから僕は、J・Jほどにはジャズっぽさを感じない。むしろ改めて気づかされるのは、自分は戦争と無縁と信じる人が大半だった1960年代の日本社会に戦場のキナ臭さが紛れ込んでいたことだ。
 
 舞台は港町。登場人物が「ラジオ関東」を聴いているので、おそらく横浜か横須賀だろう。淳一は母を早くに亡くし、父も入院中なので高校へ進まず、姉の由紀が開くスナック「ピアノ・バー」で働いている。米軍座間キャンプの一等兵ジョニーは馴染みの客だったが、ベトナムの戦地に送られ、一時帰休で日本へ戻ってくる。こうして久しぶりに店を訪れたのが冒頭のくだりだった。このあと小説は、ジョニーと淳一の出会いに立ち戻る。
 
 淳一が熱中しているのはジャズ。「小遣いは全部、レコードとモダン・ジャズ喫茶に」という日々で自分もトランペットをやる。海沿いの道から石段を降りて、水際で2〜3曲吹いていると、「ブラボー!」と言いながら大男が近づいてくる。それがジョニーだった。
 
 あだ名は「野牛(バッファロー)」らしいが、音楽を語らせると思想家のようになる。「悲しい歌がブルースだと思ってる奴がいる」「だが、それは違うな」と言って、「絶望的でありながら、同時に希望を感じさせるもの、淋しいくせに明るいもの、悲しいくせに陽気なもの、悲しいくせにふてぶてしいもの、俗っぽくって、そして高貴なもの。それがブルースなんだ」と説く。「学校の先生か、それとも牧師」というのが、淳一が受けた印象だった。
 
 それからしばらくしてのことだ。深夜の店内で、由紀が客の一人に突然、背中のファスナーを引きおろされる、という出来事があった。その客は、「蜘蛛(スパイダー)のハーマン」の異名をとる元プロボクサーの米兵。由紀の恋人マイクがビール瓶を割って先を尖らせ、それを手に歯向かおうとするが、ハーマンは動じないどころか逆に脅しにかかる。そこにたまたま現われたのが、ジョニーだった。「やあ、ジュンイチ。ここがあんたの店かね」
 
 マイクをかばったり、ハーマンをたしなめたりはしない。ピアノを見つけると「何とも無造作に〈レフト・アローン〉を弾きだした」。マル・ウォルドロンのピアノ、ジャッキー・マクリーンのサックスで知られるあの名曲だ。ジョニーはジャズピアニストで、しかもかつてはハーマンをリングで倒したことのあるボクサーだったのだ。「もう誰も荒っぽい大声を出さなかった。ジョニーのピアノの音は、新鮮な血液のように客たちの間に流れていた」
 
 ジョニーは戦地から「新しいピアノを買って」と送金してくる。由紀はそれをマイクの借金返済に充てたので、一時帰休時にピアノは古いままだった。だが、彼は怒らない。「わたしにはもうピアノなんか必要ないんだ」「もう弾けなくなってしまったのさ」
 
 圧巻は、それでも周りに請われてピアノを演奏する場面だ。「少年はその時はじめて本当のブルースを聞いたような気がした。ピアノが息づいて、人間のように呻いたり、嘆息したりするのを、少年は目をつぶって聞いていた」。淳一は、べた褒めする。「最高だ。何も言うことないよ。何か言うと嘘になる。素晴らしいブルースだったよ」。これに対するジョニーの反応は、「なんだって?」という予想外のひとことだった。
 
 ジョニーは、戦闘を振り返って言う。「罪のない人間を殺せない奴は、生きて帰れない。わたしは自分が信じられない人間になった事を知っている」「汚れた卑劣な人間が、どうして人を感動させるジャズがやれるだろう」「もし今のわたしのピアノが他人を感動させる良い演奏だったとしたら、わたしはもうジャズさえも信じられないことになる」。そして、小説は劇的な結末に突き進む。
 
 ナイーブと言えばナイーブに過ぎるジャズ論かもしれない。ジョニーと淳一を軸に織りなされるストーリーはおとぎ話のようでもある。だが、ここで今、半世紀後の視点に立つと、そのあと米国でベトナム帰還兵のPTSDが多発した事実が重みをもってくる。殺戮の現場に身を置いて心に傷が残るのは、レフト・アローンを奏でるジョニーだけではなかった。戦争は、無数の「ジョニー」を産み落としたのである。
 
 いま日本では「安全保障法制」の関連法案が国会にかけられ、若者たちと戦場を隔てる距離が縮まりそうな気配だ。そこで傷つく可能性があるのは、身体だけではない。ときに心も痛手を負う。「安全保障」を語るとき、ジョニーのことを忘れてはなるまい。
《おことわり》引用は、文庫版の記述を採用しました。ジョニーがブルースを語るくだり、単行本では「ふてぶてしい」の前に「弱々しいくせに」とあります。
(執筆撮影・尾関章、通算266回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『掏摸』(中村文則著、河出文庫)
写真》スリに狙われるのは、まず財布
 

 犯罪はかかわりたくないものの一つである。心がけ次第で自らは手を染めずに済む。だが、他人の罪の巻き添えになるかどうかは運に大きく左右される。犯罪や犯罪もどきの被害者になることは、だれもが生涯に一度や二度はあるに違いない。
 
 振り返ってみて、ああ、あれはそうだったな、という経験が僕にもある。20年ほど前、北欧での出来事である。記憶はぼやけてきているが、ノルウェーのオスロ中心街にあるホテルだったと思う。
 
 そのころ僕はロンドンに駐在していて、欧州の各地へ短い出張を繰り返していた。あの日も予約したホテルに入り、受付でかばんを足もとに置いた。意識はチェックインの手続きに向かっている。そのとき突然、男性スタッフの一人がカウンターを跳び越える姿が横目に見てとれた。大声をあげながら玄関の外へ走って出ていく。一瞬戸惑ったが、視線を下に落として気づいた。「あっ、やられた」
 
 後を追うように、僕も外へ出た。日差しがまぶしい。公園の緑がきらめいていた。その逆光のなかで、逃走する若者がなにかをほうり投げた。宙に舞う黒かばん。その情景だけは、僕の脳裏に今も焼きついている。若者は雑踏のなかへ消え、スタッフは捕まえそこなったことを悔しがった。かばんは戻り、実害はなかった。ただ、あれ以来、床置きした荷物にはいつも足で触れていることが僕の習慣になった。
 
 この回想は、苦い思いを伴わない。あのとき僕はたしかにヒヤリとしたが、犯罪につきもののイヤな感じはあまり残らなかった。たとえて言えば、映画の1シーンを実空間で見せられた感じ。ホテルのロビーでそれとなく獲物を探していた若者A、その不審な目つきに気づいて発進態勢をとっていたスタッフB、Aが行為に及ぶとBはただちに飛び出す。見事なほどに整った行動様式の構図である。
 
 ひとくちに犯罪といっても、罪深さには違いがある。生命を奪ったり、身体を傷つけたりするのは凶悪だ。これに対して空き巣、コソ泥の類は暴力の色合いが薄い分、罪の度合いは小さいと言えよう。僕が遭遇した置き引きも後者に入る。
 
 凶悪な犯罪は「職業」になりにくい。たとえば「殺し屋」。小説や映画の世界ではありえても、いまの日本社会のように量刑が厳罰化するなかでは成り立たない。いったん捕まって刑に服すれば、なかなか塀の外へ出られないからだ。ところが、こっそりものを盗んだだけなら刑期が短いので、すぐ「職場」に戻れる。こうして年季の入った手練れの集団ができあがる。泥棒で生計を立てる輩があとを絶たないのは、こうした事情があるからだろう。
 
 今週の一冊は、『掏摸』(中村文則著、河出文庫)。表題には「スリ」のルビがふってある。著者は1977年生まれの芥川賞作家。この小説は単行本が2009年に出て、翌年に大江健三郎賞を受けた。翻訳が広がっており、海外でもよく売れているらしい。
 
 書きだしの1行は「まだ僕が小さかった頃、行為の途中、よく失敗をした」。このあと「混んでいる店内や、他人の家で、密(ひそ)かに手につかんだものをよく落とした。他人のものは、僕の手の中で、馴染(なじ)むことのない異物としてあった」と続く。ここで読者は、この作品で「行為」という秘密めいた言葉は盗みを指し、それは「異物」を手にすることにほかならないのだと気づかされる。巧い導入ではないか。
 
 スリの場面は、作品中になんども描かれる。最初は新幹線ホーム。主人公は、狙いを定めた男の財布がどのポケットにあるかを事前に券売機のところで見定めている。ホームに備え付けの防犯カメラの場所は知り尽くしていた。「背中で右側の人間達の視界を防ぎ、新聞を折りながら左手に持ちかえゆっくり下げ、陰をつくり、右手の人差し指と中指を、彼のポケットに入れる」。まさに職人技だ。
 
 それは、恐怖感と陶酔感が同居する行為らしい。財布を抜き取った瞬間、「指先から肩へ震えが伝い、暖かな温度が、少しずつ身体に広がるのを感じる。周囲のあらゆる人間、その無数に交差する視線が、この部分だけは空白に、向けられていないとわかるように思う」。取った財布を自分のポケットに仕舞い込んでも「指には、まだ異物にふれた緊張が、他人の領域に入り込んだ痺(しび)れの跡が残っている」という。
 
 この迫真の描写は、まさか著者の体験にもとづくものではあるまい。巻末には、ちゃんと参考文献のリストがある。『スリ その技術と生活』(アレクサンダー・アドリオン著、赤根洋子訳、青弓社)など3冊の本と1本の映像作品だ。
 
 こうした資料の反映か、主人公がスリ史の薀蓄を傾けるくだりもある。「バリントンというやつ。……昔のイギリスにいた、アイルランド人。芝居の一座にいて、貴族のパーティーに呼ばれて、金持ちから散々スった」「……自分がスった財布に署名入りのカードを入れて返した、変わり者もいた。……ドーソンというアメリカの有名なスリだ」。こうした伝説に触れると、スリにはスリの美学があるのだな、と思えてくる。
 
 主人公の美学も、標的の選び方に表われている。たとえば、あの新幹線ホームの男。「コートはブルネロ、スーツも同様だった。恐らくオーダーもののベルルッティの革靴は、少しもすり減っていない」という身なりだ。「この周囲の乗客の中で、最も裕福な男であると僕は思った」。別の箇所では、クラシックの演奏会帰りの「最も身なりのいい、老人の夫婦」に狙いをつけ、夫のコートから現金22万円入りの財布をかすめ取るくだりもある。
 
 この小説がおもしろいのは、スリという小物感のある犯罪者に対置するかたちで、大物の犯罪者を登場させていることだ。木崎という謎めいた男が、主人公をさまざまな犯罪に巻き込んでいく。
 
 そこに出てくるのは「お前は俺の管理下にある」という脅し文句だ。そのころ、主人公は一人の少年に慕われていた。スーパーで母親に言われるまま万引きをさせられていた子だ。そんな強要をやめるよう母親に働きかけるうちに、彼女とも男女の関係になる。木崎は主人公の身辺を調べあげ、その母子を人質として突きつける。「お前は断れない。……あの親子が無残に死ぬからだ。それが、お前の運命だ」
 
 木崎は、むかしフランスの貴族が一人の少年を見て「こいつの人生を、自分が完全に規定してやろう」と企んだ物語を聞かせる。貴族は、少年が大人になると自分の愛人と深い仲になるように仕組んだ。少年は30歳になって、貴族から文書を見せられる。「そこには、自分のこれまでの人生が書いてある」「最後、少年は愛人に手を出した罪で、それはもちろん貴族が仕込んだことだが、その罪で、貴族の目の前で殺されることになっていた」
 
 「……お前が、考えた話だろう?」と主人公。「違うな」と木崎は笑う。酒に酔った部下がアドリブで語ったつくり話だという。「……お前をモデルに?」「そうだ。飲み込みがいい。つまり、お前のこれからの人生は、私次第というわけだ」
 
 こうして主人公の小ぶりの犯罪は、木崎の大ぶりな犯罪の部品になっていく。スリの論理が世の中に通用するわけはないが、そこには彼らなりの矜持があった。職人技しかり。美学しかり。ところが、それらを吹き飛ばしてしまうのが、他人の持ち物ではなく人生そのものを盗み取る悪だ。果たして大は小をのみ込むのか、それとも小は小なりに生き延びるのか。この作品の小説としてのおもしろさはそこにある。
 
 読み終えて僕は、大企業の下請け仕事をする町工場を連想してしまった。この類推は、正業を営む人々に対して失礼千万な話だろうが、小なる存在の自負という一点では重なる。あるいはそれが、この小説が人気を呼ぶ秘密なのかもしれない。
(執筆撮影・尾関章、通算262回)
 
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『翼』(白石一文著、鉄筆文庫)

 この季節、芥川賞と直木賞の発表が伝えられると新年が平常モードで動きだしたなと感じる。1月15日に決まった芥川賞受賞者は小野正嗣さん、直木賞は西加奈子さん。それぞれ40代、30代の新進作家だ。今回、とりわけ強い印象を受けたのは、新聞などに載った二人のツーショット。ともに屈託のない笑みを満面に浮かべている。それを見て、受賞者たちと僕との間にある年齢にして20歳前後の距離を思った。
 
 その6日後、中国を舞台とする歴史小説を多く手がけた陳舜臣さんが90歳で世を去った。1969年1月に『青玉獅子香炉』で直木賞作家の仲間入りをした人だ。受賞会見で、陳さんはどんな表情を見せたのだろうか。ふとそう思う。この年の7月には、庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞受賞作の一つになっている。自分と同じ世代が小説の主人公になったのは新鮮だった。あのころから芥川賞、直木賞が僕の関心事になった。
 
 日本の文壇では年に2回ずつ、純文学と大衆文学の両部門で先輩たちの選考という関門をくぐり抜けた作家が一般メディアに躍り出る。該当者なしのこともあるが、複数の同時受賞もある。だから、有名作家のリストは次から次へ追加されていく。僕のように文学界の外にいて文芸記者でもない小説ファンは、二つの賞に関心を抱きつづけていても、すべての作家の名前はとても覚えきれない。
 
 去年の夏、中部地方の山深い町でサイエンスカフェに出たときのことだ。地元の少年少女が科学者と語り合うイベント。半ば司会、半ば発言者の役回りで談論に加わった。そこで、僕の友人でもある物理学者が「どんな本が好きですか」という質問を受けて「小説なら白石一文」と言い切った。それを聞いて、僕はたじろいだ。恥ずかしいことに、その作家のことを知らなかったのである。
 
 で先日、都内で理系大学の近くにある中古本ショップに入り、書棚にずらりと並ぶ文庫本の背表紙に視線をスキャンさせていると、あるところで脳内の記憶が鋭く反応した。「白石一文」。と同時に、僕の手がその一冊に伸びていた。

 当欄は、看板に“by chance”という言葉を掲げている。本との偶然の出会いを大切にしたいという思いがあるからだ。白石本を手にしたとき、これこそがそんな出会いではないか、と僕は思った。しかも、科学者が好む作家の小説を理系大学周辺で掘りだしたことにも、めぐり合せの妙がある。略歴欄を見ると、白石さんも2010年に『ほかならぬ人へ』で直木賞を受けていた。

 
 ということで、今週の一冊は『翼』(白石一文著、鉄筆文庫)。著者は1958年生まれ、出版社勤務を経て2000年に作家デビューしている。この作品は2011年に「鉄筆」誌に掲載され、同じ年に単行本が光文社から出た。去年、渡辺浩章さんという出版人が興した「株式会社 鉄筆」が新しい文庫を創刊すると、その第1号本として刊行された。僕にとっては、新しい革袋に盛られた新しい酒を飲むかたちになった。
 
 この作品は、三つの側面をもっている。一つは企業小説、もう一つは男女の物語、そして最後は今日的な死生観の提起だ。それらが互いに絡み合いながら、読み手の意表をつくストーリーが展開されていく。
 
 冒頭は、企業小説っぽい。それは、1ページ目の「東京本社に移ってからの半年、今回の商談に全精力を傾けてきた」という一文からもわかる。僕はあるところまで、主人公は男だとばかり思い込んでいた。次ページにある「パフやマスカラを持つ手がかすかに震える」といった描写を読み過ごしていたからだが、ほかにはほとんど性差が見あたらない。それを「男」と勝手に解釈したのは、企業社会に対する古びた固定観念に囚われていたからか。
 
 主人公の「私」――田宮里江子が勤める「浜松光学」は浜松と東京に本社がある。主力商品がフォトダイオードという弱電メーカーだ。「私」は光半導体営業部の課長代理。企業小説にはお定まりの善玉と悪玉の上司が登場する。
 
 悪玉は、部長の坂巻英介。「私」は、センサーの共同開発をめぐる取引先とのゴタゴタに巻き込まれ、坂巻から担当替えを命じられる。詰め腹を切らされたかたちだ。おもしろいのは、それを通告されるときの二人の位置関係。「光を背負って相手と面と向かうのは、上司が部下に何かを押しつける際の常套手段だ。なるほど窓外には、二日ぶりに晴れ上がった真っ青な空が広がっていた」。いかにもありそうな会社の情景ではある。
 
 一方、善玉は42歳で役員に抜擢されながら突然退社した城山信吾。有能であるだけでなく人望があり、取り巻きは「城山組」を名乗る。「私」も「側近中の側近」だった。ただ、この善玉悪玉の構図に引きずられると、読者はあとで戸惑うことになる。
 
 「私」の男女関係では、二人の男が現われる。一人は小学校時代の同級生、矢作典弘。東京で再会して同棲する。二人を結びつけていたのは、少年少女期の共通体験。ともに家庭がDVで荒れていたのだ。典弘の隣で寝ていて、「私」は暴れる父を包丁で刺す夢を見る。血の海に「これからどうすればいいの?」と尋ねると「消えてくれよ」。夢のなかで母が言ったはずなのに男の声。夢だとしても典弘の本心に思えた。こうして二人は別れる。
 
 もう一人は、大学時代の親友の恋人であり、その夫となった医師の長谷川岳志。長く会っていなかったが、「私」が高熱を出して職場近くのクリニックに駆け込んだとき、患者と医師の立場で再会する。二人の間柄は訳ありらしいのだが、それは読者になかなか明かされない。一つだけ言っておけば、僕たちがふつうに思い描く元カノ、元カレというわけではないことだ。それは、この小説の第三の側面にもかかわってくる。
 
 その死生観が凝縮されているのは、「私」が社を去る前の城山とバーのカウンターで飲んだときの会話だ。城山は、夜も更けてきてから「田宮は、人は死んだらどうなると思う?」と、突然聞いてきた。「完全な無なんだろうと思います」「完全な無ってどんな無なのかな」「何にも覚えていない状態なんじゃないですか。すべての記憶が消去されてしまうっていうか」「要するにメモリーがゼロの状態に戻るってわけか」
 
 ここには、人の記憶をコンピューターのメモリーと重ね合わせて類推する視点がある。さすが、弱電業界だ。「共有されたデータっていうか送信済みのデータっていうか、そういう記憶は当然他のメモリーにも残るので、その意味では、人の死は関係者全員の死をもって完全な無になるのかもしれないですね」「つまり私は、私自身と私の関係者全員が亡くなった瞬間に完全に死んでしまうんだと思います」と、「私」はたたみかける。
 
 このくだりでは、「私」が発した言葉だけでなく地の文でも死生観の披歴がある。それは、自分よりも自分を知っている人がいる可能性についてだ。「もしもその人が消滅すれば、『自分というデータ』のまさに中枢部分が失われる」「それは自分自身の死よりもさらに“致命的な死”とは言えないだろうか?」――ときに自己よりも自己の生を支える他者がいるということか。そこには、人は互いの関係性のなかで生きているという人間観がある。
 
 ここで僕が思いだしたのは、『クォンタム・ファミリーズ』(東浩紀著、新潮社)という小説だ。主人公が並行世界に移ったとき、「もうひとりのぼくを敷き写すために」「メーラやスケジューラのログ、どこかに投げ込まれているはずの私的な写真や動画、ネットにばら撒かれた無数の噂話といった無数の個人情報が必要だった」とある。僕は書評で「IT社会が、自分の再構築に一役買う」と書いた(朝日新聞2010年2月21日付)。
 
 『翼』は、人と人との愛をIT時代の深層意識でとらえ直した作品とも言えよう。見えてくるのは、生の本質は細胞というモノではなく記憶というコトだとみる生命観だ。もしそれが科学者の琴線に触れたのだとしたら、科学が変わりつつあることの証左のように思う。
 
写真》新しい文庫の新しい試みか。本のカバーは裏返しても使える。
(文と写真・尾関章/通算249回)
 
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『行人』(夏目漱石著、岩波文庫)

 新春恒例の漱石である。1週1冊を心に決めて看板を代えながら続けてきた当欄では2012年以来、新年1回目には夏目漱石の本をとりあげてきた。どことなく、波長が合うからだ。「正月は、整ったたたずまいの文学が読みたくなる」「読んでいて陽だまりにいるように感じる作風が、新春気分にぴったりということだろうか」(「正月は漱石が読みたくなる」=「文理悠々」2012年1月6日付
 
 だが今年漱石を手にとりたくなるのは、そんな気分からばかりではない。もっと深いところから突きあげてくる衝動がある。漱石作品からは、明治、大正の日本社会に芽生えた近代の自我を強く感じとることができる。そこでは人ひとりひとりが個人の自覚をもち始めた時代の様相が、登場人物の心理や振る舞い、人間関係を通じて活写されている。リベラリズムが揺らぐ今、「個」の源流をもう一度掘り起こしたいという思いが僕にはある。
 
 おととし、「年の初めはシャイな漱石」「文理悠々」2013年1月7日付で紹介した短編「趣味の遺伝」(『倫敦塔・幻影の盾』〈夏目漱石著、新潮文庫〉所収)にも、群衆のなかに「個」が顔を出す瞬間があった。主人公が、新橋停車場で日露戦争帰還兵の凱旋に出くわしたときのことだ。将軍が姿を見せると、どこからともなく「万歳」の声があがり、自分も同調しかける。だが、日焼けした将軍の胡麻塩ひげを見て、その言葉をのみ込む。
 
 主人公は、老将の顔から「戦(いくさ)は人を殺すかさなくば人を老いしむるもの」と見抜いたのだ。戦勝の熱狂という抗いがたい渦のなかにあっても、「個」の思いを群衆の感情に優先させる意識がすでに成立していたのである。
 
 ここで僕は、「個」をことさら国家と対立させようとは思わない。当時の日本に国家意識が台頭していたのは間違いないが、人々の深層心理に浸透していたのは明治以前の忠孝思想だったかもしれない。漱石は、そこに頭をもたげた「個」を切りとったとも言える。
 
 近代の自我とは、右とか左とかいう政治の座標軸とは別次元にある。洋の東西を問わず、近代市民社会の成熟とともに人々の心に芽生えたものだ。昨今、それが置き忘れられているように見えるのは僕だけか。旧来メディアはもちろんネットメディアも含めて飛び交う声が大勢に流されている現実をみると、そんな危機感を抱いてしまう。群衆の歓呼のなかであえて「万歳」を踏みとどまる人が少なすぎる。
 
 で、今年は『行人』(夏目漱石著、岩波文庫)。1912(大正元)年暮れから翌年11月まで朝日新聞に連載された長編だ。ただ、著者の胃病悪化で途中5カ月間も休載された。中断後の展開は、中断前のそれと風合いを異にしている。
 
 ここに描かれるのは、東京・山の手に住むホワイトカラーの家庭。独身青年の二郎の目を通した物語で、その中心に学者である兄一郎とその妻直(なお)がいる。中断前は、この三人が織りなすスリリングな構図が一つのヤマ場をかたちづくるが、中断後は、兄の心のうちが彼の友人の観察によって深掘りされる。その内面の葛藤こそが最大の主題なのかもしれないが、小説としてのおもしろさは中断前にある。
 
 とりわけ、僕の心をとらえるのは直という女性だ。この作品に登場する男女は恋愛を経ないままに結婚したり、そういう結婚を当たり前のことと受けとめていたりする。僕たちが思い描く見合いではなく、相手をあてがわれるという感じの婚姻である。一郎と直も例外ではなかったようだ。だが直の心には、そうして結ばれた関係を無批判に受け入れず、距離を置いてみる感覚がある。ここでは、そこに焦点をあてたい。
 
 この作品は、二郎が「梅田(うめだ)の停車場(ステーション)」に降り立つところから始まる。梅田とは大阪駅のことだ。友人と大阪を起点に高野詣でなどをしようという旅行。あえて関西を書きだしの舞台に選んだあたりは、この連載小説が大阪朝日新聞にも載ることを意識していたのかもしれない。ただ、それは旅情を醸しだす一方で、二郎のいる中流家庭の日常に非日常をもたらす効果もあった。
 
 友人が急病になるという不測の事態で大阪滞在が長引いているところに、なんと母と兄夫婦が連れだってやって来る。「機会があったら京大阪を見たい」という母の念願が叶う旅ではあった。思わぬ合流で、一家は和歌山市郊外の和歌の浦観光に出向くことになる。
 
 和歌山に向かう汽車の車中。「母と嫂(あによめ)は物珍らしそうに窓の外を眺めて、田舎めいた景色を賞し合った」。ところが兄はそれに応じず、「何か考え込んでいた」。このときに始まったことではない。学究肌の気難しい性格。「何か癪(しゃく)に障った時でも、六(む)ずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をする」のである。その一郎が、和歌の浦の宿で二郎を外に呼びだして、爆弾発言をする。
 
 「実は直(なお)の事だがね」「直は御前に惚(ほれ)てるんじゃないか」。そして翌日になると、さらに衝撃的な頼みごとをしてくる。「実は直(なお)の節操を御前に試してもらいたいのだ」「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」
 
 二郎はしぶしぶ、直とともに日帰りで不自然な和歌山市中見物をするのを受け入れる。ここで著者は、小説の妙を生かして彼を窮地に追い込む。電車を降りると「不規則に濃淡を乱した雲が幾重(いくえ)にも二人の頭の上を蔽(おお)って」「何時(いつ)驟雨(しゅうう)が来るか解らないほどに、空の一部分が既に黒ずんでいた」。やがて、暴風雨のせいで帰りの電車がとまったことを知る。二人はしかたなく同じ宿で一夜を過ごすことになる。
 
 この日、二郎は直に苦言を呈する。兄に冷淡すぎるというのだ。直は「これでも出来るだけの事は兄さんにして上(あげ)てるつもりよ」「冷淡に見えるのは、全く私が腑抜(ふぬけ)のせい」と反論する。自身のことを「魂の抜殻(ぬけがら)」と言って憚らない。
 
 宿は停電で暗かった。「姉さん宿帳はどう付けたら好いでしょう」「どうでも。好い加減に願います」。蝋燭の灯のもと、二郎は嫂の名に「一郎妻(さい)」、自分の名に「一郎弟(おとと)」と律儀に書き添える。夕食前、電灯が一瞬明るみ、また消えた。「自分は電気燈がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、何時(いつ)の間にか薄く化粧を施したという艶(なまめ)かしい事実を見て取った」。一線を守りながら、危うさが顔をのぞかせる場面である。
 
 和歌の浦に戻った二郎は、一郎夫婦の関係を気遣う。だが「兄の頭に一種の旋風(せんぷう)が起(おこ)る徴候」は、直と十数分ほど言葉を交わすだけで収まったようだ。「自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠(はりねずみ)のように尖(とが)ってるあの兄を、僅(わず)かの間(あいだ)に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した」。そして直は、その「手腕」を思いのままに出したり引っ込めたりしているのではないかと疑う。
 
 日ごろの直は、一郎が帰宅すれば幼い娘を伴い、着替えの普段着を手に迎えるのが常だった。同居の義父母とも、それなりにうまく折り合っていた。明治の中流家庭が求める良妻賢母の枠をはみ出ていない。だが、二郎は違う側面をみてとる。
 
 「囚(とら)われない自由な女」、そして「凡(すべ)てを胸のうちに畳み込んで、容易に己(おのれ)を露出しないいわゆるしっかりもの」のイメージだ。「あの落付(おちつき)、あの品位、あの寡黙(かもく)、誰(だれ)が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々(ずうずう)しいものでもあった」。ここには、どこまでも学究として自らの生のありようを突き詰める夫とは別の近代の自我がある。
 
 2015年の今、夫婦の風景は大きく変わった。「魂の抜殻」が兆しただけで離婚を考える人も少なくないだろう。だが、そんな時代になったにもかかわらず、僕たちは本当の意味で自身と他者の自我を大事にしていると言えるだろうか。
 
写真》年のはじめに今年も漱石
(文と写真・尾関章/通算245回)
 
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『冬の夢』(F・スコット・フィッツジェラルド著、佐伯泰樹訳)
=ポプラ社百年文庫『湖』所収

 師走の総選挙が終わって吹っ飛んだものの一つに「分厚い中間層」がある。今回、野党第一党はアベノミクスに対抗して「『厚く、豊かな中間層』を復活させる」をマニフェストに掲げたが、空振りに終わってしまった。
 
 ここで思うのは、中間層のイメージが変わったことだ。かつて、そう呼ばれることは「プチブル」の烙印を押されるのと紙一重で、ムッとする人もいた。メディアも「一億総中流」を幻想ととらえるのがふつうで、中間層は実体のないものという印象があった。
 
 だが僕は、そのころからこの言葉が結構好きだった。本当に中間層があるかないかは別にして、多くの人が自分は真ん中にいると感じる状態がいい。もちろん、これが「自分より『下』にも人がいる」という後ろ向きの優越感につながるなら困ったことだ。それがないとは言い切れないが、全体としては人々の心のありようが好転するように思える。見えてくるのは、過半の人が「上」だとか「下」だとかいうことを忘れてしまう世の中だ。
 
 別の言い方をすると、人々の上昇志向が過剰にならない社会が好ましいのではないか、と僕は思う。ヒーローになる。富豪になる。トップに立つ。そういう人は、もちろんいてくれていい。いや、役回りとして欠かせない。だが、だれもが上昇気流に乗れないのもまた世の常だ。達成感や幸福感や自尊心のありかを上下の「上」とは別のところに見いだす人がたくさんいることこそ望ましい。
 
 ところが、今の風潮はそうではない。若者だれもが自らの創意と工夫と努力でのし上がろうと思う社会を称揚する空気が広がっている。
 
 で今週は、そんな上昇志向が横溢していた世の中を舞台にした物語。第一次大戦前後、米国経済が上り坂にあったころの短編小説『冬の夢』(F・スコット・フィッツジェラルド著、佐伯泰樹訳=ポプラ社百年文庫『湖』所収)。この作品はもうちょっとメジャーな文庫でも読めるが、今回は中古本ショップで見つけたこの一冊をにとった。百年文庫は「湖」のように漢字一字を選び、それにまつわる内外の短編を集めるというユニークな企画だ。
 
 『冬の……』の主人公は、米国中西部ミネソタ州ブラック・ベア湖畔の田舎町で育った青年デクスター・グリーン。物語は彼が14歳のとき、地元のゴルフ場でキャディのアルバイトをしていたころに始まる。
 
 彼は秋から冬にかけて、ゴルフシーズンの夏を思い出して夢想を膨らます。「空想のフェアウェイで、デクスターはゴルフ界の第一人者となり」「時にはあほらしいほどの楽勝、時にはみごとな大逆転勝ち」。ヒーローとなって「モーティマー・ジョーンズ氏よろしく」高級車を乗り回すことも思い描く。ジョーンズ氏は、大邸宅を構える地元の富豪。食料雑貨店主の息子であるデクスターが上を見あげたとき、そこにいる人物だった。
 
 ある日、ゴルフ場に一人の女の子が現われる。11歳だが、小さめのクラブを差し込んだバッグを乳母に運ばせて、プレーをする気満々だ。「いまは不器量(ぶきりょう)を絵に描(か)いたようだが、それは年端(としは)もいかぬ少女のつねで、あと数年もすればとてつもなく美しい女となり、数知れぬ男どもの心をとろかさずにはおかないだろう」。この少女こそがジョーンズ氏の娘、ジューディだった。
 
 それから数年後のデクスター。「当然のことながら、冬の夢は時の移ろいにしたがってその趣(おもむ)きを異(こと)にしていったが、本質だけは残った」。州立大学を中退して「伝統を誇る東部の有名大学」に入り直す。卒業後、地元に戻ると、周りに「いまどき珍しい好青年」と称賛する有力者が集まった。「学士号と自信満々の口ぶりを担保にして一千ドルを借り、とあるクリーニング店の共同経営権を買い取った」
 
 店は、ゴルファーが履くウールの靴下を巧く洗うことが評判を呼び、やがてはゴルファーの妻たちのランジェリーも引き受けるようになって繁盛する。「二十七歳にならぬうちに、地区最大のチェーンを所有するまでにのし上がった」のである。
 
 上り調子だった23歳のころ、デクスターはゴルフ場でジューディを見かける。「十一歳の頃は妙にアンバランスでやせていたため、両端の垂れさがった唇も情熱的な眼差しも滑稽(こっけい)としか映らなかったが、もうそんな欠点はあとかたもなかった。見る者の視線を釘(くぎ)づけにしてしまう美しさ。その頬(ほお)にうかぶ色ときたら絵に描いたようにあざやかだった」
 
 その夜、湖面の浮き台で寝そべっていると、モーターボートに乗ったジューディが声をかけてくる。「運転お願いしたいの、あたしはうしろでサーフボードに乗るから」。デクスターはボートに移る。ジューディは水に入り、サーフボードを取りにクロールで泳ぐ。
 
 その描写が美しい。「ジューディの姿を追うのにしいて眼をこらす必要はなかった。風にそよぐ木の枝や飛翔(ひしょう)するカモメを見るのにひとしかった。薄い黄褐色(おうかっしょく)に灼けたジューディの腕はプラチナ色に鈍く光るさざ波をぬってしなやかに動く。まず肱(ひじ)が先にあらわれ、はねかかる水滴のカデンツァにのって前腕が後方に突き出され、それからぐいと伸びて水に没し、前方に通り道をうがつのだ」
 
 そう、ここはクロールでなければならない。平泳ぎでは穏やかに過ぎるし、バタフライでは騒がしい。アメリカの若さ、強さ、あくなき挑戦を体現する泳法はクロールだ。アメリカンドリームの上昇志向を描くこの作品には欠かせない一場面となっている。
 
 それから、二人のつきあいが始まる。ジューディは「欲しいものがあると」「おのれの魅力を総動員して探し求める」というタイプだった。初めてのデートで、その彼女は「最初からはっきりさせておきましょうよ」「あなたはどういう人なの?」と問い、デクスターは「いまのところ、海のものとも山のものとも知れないな」「ぼくの輝かしい経歴はこれからはじまるわけだから」と答える。
 
 この小説の筋は、二人の恋の駆け引きにある。ここで、その細部をなぞることはやめておく。一つ言えるのは、デクスターの心に二つの願望があったことだ。「東部のニューヨークへ行く」、そのときには「ジューディ・ジョーンズを連れていきたい」という思いだ。前者は現実のものとなるが、後者は果たせなかったことまでは明かしておこう。それこそが、この作品がただのアメリカンドリーム小説ではないことの証しだからだ。
 
 大戦が終わり、デクスターは32歳。ニューヨークに出て手がけた事業は「飛ぶ鳥を落とすいきおい」で「のりこえられない障碍(しょうがい)はなかった」。そのころ、商談に訪れた男が、デトロイト在住の「親友の細君」がデクスターと同じ町の出身だという話をする。旧姓ジューディ・ジョーンズ! 彼女の近況を聞いてデクスターが受けた衝撃とはどんなものだったのか。その意外さにこの短編の妙がある。
 
 この一編を読み終えて感じるのは、若者は創意と工夫と努力でのし上がっても、たどり着いた到達点が温めていた夢と同じとは限らないということだ。世界には思いもよらぬことが満ち満ちている。
 
 ここでふと思い出すのは、『偶然の科学』(ダンカン・ワッツ著、青木創訳、ハヤカワ文庫)という本だ(「文理悠々」2014年2月17日付「『偶然』の科学、リベラルの論拠」)。著者は、政治哲学者ジョン・ロールズの主張を踏まえて「不平等が起こる仕組みは本質が偶然の産物であるのだから、公正な社会とはこうした偶然の不利な効果が最小化される社会」という見方を示していた。上昇志向だけで幸福はつかめない。
 
 クリスマス、ひとときの夢に浸るのはいいことだ。だが、夢のとおりにはならない現実に思いをめぐらすのも、この静寂の夜にふさわしい。

☆百年文庫『湖』には、この作品のほかに木々高太郎『新月』、小沼丹『白孔雀のいるホテル』が収められています。


写真》クリスマス、静寂の夜に思うこと=尾関章撮影
(通算243回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『TVピープル』(村上春樹著、文春文庫)

 ノーベル賞シーズンには村上春樹本のことを書く。それが僕の年中行事になっている。この作家に賞をとってほしいという期待が毎年膨らみ、毎年裏切られてきたということだ。今年もまたそうだった。科学記者の本拠地とも言える物理学賞で日本人研究者3人の受賞が決まったばかりなので、本来ならばそのことを語るべきだろう。だがこの欄で優先すべきは、やっぱり村上春樹だ。
 
 どうして僕のイチオシが村上春樹なのか。その理由は去年、打ち明けた。それは「普通がいい」のひと言に尽きる。「科学記者としてノーベル賞に向き合ってきた。そこで見たのは偉大なる知である」「だが、村上春樹はちょっと違う。誤解を恐れずに言えば、受賞すれば日本初の『普通の人』のノーベル賞ということになる」(「文理悠々」2013年10月15日付「残念、でも村上春樹の『普通』がいい」)
 
 「なにを不遜な」という信奉者がいるかもしれない。だが、「普通」の感覚をもって「普通」の人々を描くということは「普通」の力量ではできない。「普通」の人でありながら「普通」でない力量を発揮してきたのが、この人のスゴイところではないか。
 
 該博な知をもとに知識人の目で世事を見渡す作家はいる。今風に言えば「上から目線」だ。一方、地を這う目で権力をにらむ作家もいる。あえて言えば「下から目線」か。「上から」「下から」の立ち位置は作家の個人史にしたがっておのずと決まることもあるが、意図してどちらかが選ばれることもある。いずれにしても、針は振り切れがちだ。作家にとって「普通目線」でいることはとても難しいに違いない。
 
 で、今年僕が選んだのは『TVピープル』(村上春樹著、文春文庫)という短編集。雑誌表題作など6編が収められている。初出は1989年に雑誌に載ったものが4編、書き下ろしが2編。単行本が90年に文藝春秋社から出て、93年に文庫化された。過半の所収作品が、超常的もしくはそれと紙一重の奇想天外な出来事をはらんでいる。だが、そうでありながら、イントロに「普通」が用意されているものが多い。
 
 表題作は、電機会社の広報宣伝部に勤めるサラリーマンの話。題名にある「TVピープル」は、不可解な集団だ。主人公が家にひとりでいるとき、頼みもしないのにテレビを運び込み、据えつけていく。主人公の存在などまったく意に介さず、黙々と働き、作業を終えると消え去った。おもしろいことに、出かけていた妻が帰ってきても、そのテレビについて何も言わない。彼らは部屋のものを勝手に動かしていったが、そのことにも無反応だ。
 
 彼らの体格は「まるで縮小コピーをとって作ったみたいに、何もかもが実に機械的に規則的に小さい」。このあたりの描写を読むと、テレビの向こう側の世界が僕たちの意識にしみ込み、もう一つの現実をつくりだしていることの寓意かな、ともとれるが、この作品をどう読むかは読み手の感性に委ねられている。それよりも僕を惹きつけるのは「TVピープルが僕の部屋にやってきたのは日曜日の夕方だった」という冒頭の一文だ。
 
 主人公は「重要なのはそれが日曜日の夕方であったということだ」「僕は日曜日の夕方という時刻を好まない。というか、それに付随するあらゆるもの――要するに日曜日の夕方的状況というものを好まない」と打ち明け、TVピープルはそこを狙って襲来したとみる。
 
 主人公の日曜日はこうだ。「朝には何もかもがうまくいきそうに感じられる。今日はこの本を読んで、このレコードを聴いて、手紙の返事を書こうと思う。今日こそ机の引き出しをかたづけて、必要な買い物をして、久し振りに車を洗おうと思う。でも時計が二時をまわり三時をまわり、だんだん夕方が近づくにつれて、何もかもが駄目になっていく」。勤め人の休日の心理を見事に言い当てているではないか。著者の「普通」感覚がここにある。
 
 『眠り』という作品は、17日間も眠らないでいる女性の話だ。夫は歯科医、車で約10分のところに診療所があるので、昼休みは家で過ごし、診療後もふつうは7時前に帰ってくる。夕食は息子を交えて3人でとり、会話もはずむ。「トラブルの影ひとつない」家庭である。それなのに、彼女はどうして覚醒の日々を送ることになったのか。その本筋に入るまえのところで、おもしろい話がはめ込まれている。
 
 それは夫の顔をめぐる考察だ。「彼の顔の不思議さを、私はうまく言葉で説明することができない。もちろんハンサムではないが、かといって醜男(ぶおとこ)というのでもない。いわゆる味のある顔というのでもない。正直に言って、ただ〈不思議〉としか表現のしようがないのだ」。そして彼女は「夫の顔を捉えがたくしている何かの要素」を「把握できていない」ことに気づく。
 
 彼女は、かつて夫の顔を描こうとしたことがあった。だが、「鉛筆を手にして紙に向かうと、夫がどういう顔をしていたかまったく思い出せなかった」という。朝も昼も夜も同じ時間を共有しながら、それでも互いの顔の本質をつかめないという夫婦間の深淵がのぞく。
 
 それなのに、この夫婦には二人だけに通じる冗談があった。診療所が繁盛していることが話題になったとき、妻が「たぶんあなたがハンサムだから患者が押し寄せてくるんじゃないかしら」と言い、夫が「僕がハンサムなのは僕の罪じゃない」と返すやりとりだ。
 
 「私たちはそんな冗談をかわすことによって、いわば事実を確認しあっているのだ。私たちもこうして何とか生き残ったのだという事実を。そしてそれは私たちにとってはけっこう重要な儀式なのだ」。ここにも、「普通」の夫婦の「普通」の日常がある。
 
 この短編集で、一つだけ異質なのは「我らの時代のフォークロア――高度資本主義前史」だ。書き出しに「これは実話であり、それと同時に寓話である」とあり、本文中でも「実在の人物に迷惑がかからないように意図的に(でも話の筋にまったく支障のない程度に)事実を作りかえた部分もある」とことわっている。個別の話としてはフィクションとみてほしいが、同様のことはたしかにリアルにあった、ということだろう。
 
 登場するのは1960年代、高校、大学時代を通じて4年ほどつきあい、セックスの一歩手前で踏みとどまっていた優等生男女。その男の告白を元同級生の「僕」が聞くという筋立てになっている。この作品では、導入部にある時代状況の分析が興味深い。
 
 「今になって思うのだけれど、僕らの世代の女の子の多く(中間派と言ってもいいだろう)は、結果的に処女であったにせよなかったにせよ、内心あれこれと迷っていたのではないかと思う。今更処女性が大事だという風にも思えないし、かといってそんなもの意味ないわよ、バカみたい、とも断言できなかったのだと思う。だからあとは要するに――ありていに言ってしまえば――成り行きの問題だったのだ」
 
 と、ここまでは同世代の異性の心のうちを過去にさかのぼって推し量っているだけだ。だがこのあとに出てくる言葉は、ずしんと心に響く。「いつの時代でもそうなのだけれど、いろんな人間がいて、いろんな価値観があった。でも一九六〇年代が近接する他の年代と異なっているところは、このまま時代をうまく進行させていけば、そういう価値観の違いをいつか埋めることができるだろうと我々が確信していたことだった」
 
 そうだ、あのころ僕たちは、既成の価値観は塗りかえられると信じていた。それが「普通」の若者の「普通」の感じ方だった。その後、男女の関係性に対する人々の意識はたしかに変わったが、それ以外はどうだろう。村上春樹を読みながら、そう問いたくなる。
 
写真》今年のノーベル文学賞受賞者はフランスのパトリック・モディアノ。この作家の作品も近々、当欄でとりあげてみたい。手前の紙面は、朝日新聞2014年10月10日付朝刊=尾関章撮影
(通算233回)
 
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『闇の中の男』(ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮社)

 今年の9・11を僕は米国で体験した。前夜、オバマ大統領が過激派組織「イスラム国」を封じ込めるためのシリア空爆を発表、翌朝にはニューヨークで同時多発テロから満13年の式典があった。対「イスラム国」の軍事行動拡大は最近の米国人ジャーナリスト殺害を受けたものだから、発表と式典の間に直接の因果関係はない。だが、米国の21世紀が9・11から始まったことを思い起こさせるめぐり合わせではあった。
 
 大統領のテレビ演説を聴き、一夜明けてテロ現場「グラウンド・ゼロ」で黙祷する人々を粛然とした思いで見る。CNN漬けは日本でも可能だが、同じ国にいて視聴するとやはり違う。対岸の出来事ではない緊迫感と切実感があった。
 
 その週の日曜、僕自身もマンハッタン島南端にあるグラウンド・ゼロを訪ねていた。そこには巨大な池が造られ、水が滝のように落ち、それを犠牲者の名を刻んだ銘板が取り囲む。そばに新しいワールドトレードセンター(WTC)がすでにそびえ、足もとには「9・11追悼博物館」がある。館内では双子の超高層ビル、旧WTCの崩壊跡に残った柱や壁、エレベーターのモーター、ぐしゃぐしゃになった消防車などが生々しい姿をさらしていた。
 
 博物館で僕の印象に残ったのは、テロが起こった直後のテレビ報道を見せるコーナーだった。最初の一撃があったのは現地時間午前8時46分。朝の生番組に一報が届いても事態を把握できない時間があったことがわかる。そう言えば、あのとき、日本は夜の10時前後。テレビのニュースに飛行機がビルに突き刺さっている映像が飛び込んできた。職場の同僚に「きっと、素人の小型機だね」という見当はずれの一言を漏らした記憶がある。
 
 まもなく、もう一つのビルで同じことが起こった。事故ではないことがはっきりする。さらに超高層ビルが一瞬のうちに瓦解する衝撃映像。米国の豊かさの象徴がテロリストの一刺しで崩れ落ちた。しかも、民間人を大勢乗せた旅客機を使って――。これは、ベトナム戦争で民衆の抵抗が米国を打ち砕いたのとは様相が異なる。むしろ、現代社会の心臓部が少数の人間の企てでかすめとられてしまう怖さを見せつけたのである。
 
 日本の3・11が想定外だったとするならば、米国の9・11は想像外だった。それが米国をイラク戦争の泥沼に引きずり込み、後遺症は今に至るまで続いている。その流れのなかに今回のオバマ大統領の決断もある。
 
 で、今週の一冊は『闇の中の男』(ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮社)。僕が好きな米国人作家の小説だ。邦訳は今年5月だが、原著は2008年に出た。ジョージ・W・ブッシュ政権末期の社会背景を意識して執筆されたことがうかがわれるが、それは2014年の状況をも暗示している。今回、僕は渡米の飛行機のなかで読み、直後に米国の空気を吸ったので、その思いをいっそう強くした。
 
 主人公のオーガスト・ブリルは、こんな人物だ。「元書評家で七十二歳」「四十七歳の娘、二十三歳の孫娘と暮らしている。妻は去年亡くなった。娘の夫は五年前に出ていった。孫娘の恋人は殺害された」。孫のカレシだったタイタスに何が起こったのかは終盤まで伏せられる。「私はしばしばタイタスの死を想う。その死をめぐる恐ろしい物語を、その死を伝える映像を、その死が私の孫にもたらした壊滅的影響を」
 
 この一件は心の中で「極力遠くへ押しやらねばならない」。だからブリルは夜、ベッドで自分のために物語をつくる。オーエン・ブリックという男の奇妙な体験記。それは劇中劇(作中作と言うべきかもしれないが)にとどまらず、この小説のもう一つの柱となっている。
 
 ブリックが迷い込んだのは、内戦真っただ中の米国だ。南北戦争の時代ではない。今、すなわち2000年代の米本土だ。そこで街の食堂に入って、ウェイトレスに「〈九月十一日〉と聞いたら、その言葉は君にとって何か特別な意味を持つかな?」と尋ねると「べつに、何も」という答えが返ってくる(〈 〉で挟んだ箇所に傍点)。9・11のない世界。どうやらここでは2000年の大統領選挙のころから別の歴史が始まったらしい。
 
 僕が補足すると、あの大統領選は共和党ブッシュ、民主党アル・ゴア両候補の大接戦となった。僅差のフロリダ州で票の再集計をめぐって大もめにもめた末、最後は連邦最高裁の判決で共和党の勝利が決まる。ブリックのいる世界では、この判決後、「抗議……大都市で暴動……」という流れになり、東部諸州などが「アメリカ独立合州国」を、西海岸諸州が「共和国パシフィカ」を立国、合衆国に残る諸州の「連邦軍」と戦闘が始まった。
 
 4年ごとの米大統領選で開票状況をみていると、東部と西海岸が民主党、米本土の真ん中は共和党という色分けになることが多い。リベラル対保守の勢力図とも言える。ブリックが見た世界では、それが国を分かってしまったというわけだ。ちなみに「独立合州国」が掲げる国内政策は「国民皆健康保険」「脱石油」「厳しい銃規制」「貧困層対象の無償教育と職業訓練」などだ。リベラル派にとって、そうあってほしい政府像がここにはある。
 
 著者は、劇中劇が巧い作家だ。2002年に原著が出た『幻影の書』でも、それはみてとれる。ただ『闇の中……』がおもしろいのは、入れ子構造になった二つの物語が、ある時点で枝分かれした二つの世界に対応していることだ。
 
 世界が分岐していくという筋立ては、僕のような科学記者にとっては量子力学の解釈の一つとしてある多世界論を感じさせる。ただ著者は、量子力学には触れない。代わりにもちだすのが、16世紀の哲学者ジョルダーノ・ブルーノだ。
 
 内戦に巻き込まれたブリックに任務を授ける男は、この「神が無限であるなら、そして神の力が無限であるなら、世界の数も無限であるはずだと唱えた人物」の思想を踏まえて、こう言う。「単一の世界というものはない。世界はいくつもあって、たがいに並行して流れている」「それぞれが、別の世界にいる誰かによって夢見られるか想像されるか書かれるかしている。世界一つひとつが、人間の精神の産物なんだ」

 ブルーノの『無限、宇宙および諸世界について』(清水純一訳、岩波文庫)という本は、このブログの前身でとりあげたことがある(「文理悠々」2011年12月2日付)。多世界論が、地動説と同じころに芽生えていたことに感慨を覚えたのである。ブルーノを参照しながら、世界は「別の世界にいる誰かによって夢見られる」というひと言は、オースター作品がなぜ劇中劇を多用するかを解く鍵になるかもしれない。


 そして、この『闇の中……』にあっては、ブリックの物語に出現するもう一つの世界が、主人公ブリルのいるこの世界の重さを照らしだす役目を担っているのである。
 
 この小説はブリックの物語が一応の結末を迎えるまでがとてもおもしろく、それが終わってからはやや退屈な展開となる。だがそれを補って余りあるのが、中盤でブリルが小津安二郎の映画『東京物語』を思い返す箇所だ。著者の小津への強い思い入れがうかがわれる。
 
 ブリルの世界とブリックの世界、さらに小津映画の世界という重層の妙に触れ、僕は改めて「世界一つひとつが、人間の精神の産物」を実感したのである。
 
写真》2014年9月、僕のニューヨーク。新しい世界貿易センタービルをグラウンド・ゼロの銘板越しにとらえた写真、遊覧船の窓越しに眺めた写真、そして9・11追悼博物館のリーフレット=尾関章撮影
(通算230回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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