鉄道でゆく凸凹地形の旅』(今尾恵介著、朝日新書)

 平日の昼下がり、自転車で自宅近くを「散歩」する。1年前、会社勤めをしていたときには縁がなかった至福のひとときだ。なぜ、そんなに幸せを感じるのか。オフィスにいてはわからない町の日常を町びとの目で眺められるというのが、最大の理由であることは間違いない。だが、それだけではない。思わぬ副産物があることがわかってきた。自転車をこいでいるからこそ実感できることがある。
 
 地面の起伏である。見た目、平らとばかり思っていた道でも、自転車で走っているとペダルが重くなったり軽くなったりする。勾配の微妙な変化を自分自身の筋肉で検知できるというのはうれしい。
 
 おもしろいのは、日々違う経路を通っているうちに勾配情報が面の広がりをもってくることだ。わが町や隣町、その向こう側くらいまでの範囲で地形図がなんとなくイメージできるようになる。地域スケールの空間感覚が豊かになるのである。
 
 時間感覚も同様だ。大都市周辺の町は、ほとんどが建物やアスファルトに覆われ、地肌が見えるのは家々の庭や集合住宅の緑地、そしてわずかな公園くらいだ。水の流れも多くはふたをされ、暗渠となっている。だが、もとをたどれば、どこも手つかずの自然が存在した場所だった。その原風景は数十年前、田畑が広がっていたころには名残があったのだろうが、今は面影もない。辛うじて痕跡を残しているのが標高差ということになる。
 
 たとえば、自転車で駆け回っているうちに下り勾配の道が数本、並行しているのを見つけたとする。それらを下りきった地点をつないでいくと、昔はそこが小川だったのだろう、と察しがつく。こうして僕にとっての町空間は時間次元での重層性を帯びてくる。
 
 町の楽しみ方の一つが歴史探訪にあるのなら、見落とせない必須アイテムが足もとの起伏だ。かつて川があったと思われる窪地を通りかかって、田んぼがあったころのことを思い浮かべたとしよう。すると、近くの高台に佇む小さな神社にどんな願いが託されていたのかがわかってきて町が愛おしくなる。ガイドブックの名所旧跡を訪ねることだけが歴史散歩ではない。
 
 で、今週の一冊は『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(今尾恵介著、朝日新書)。「凸凹」には「でこぼこ」とふりがなが付されている。歩くのでもなく、自転車にまたがるのでもなく、電車に乗って大地の起伏を味わおう、という本だ。
 
 著者は、1959年生まれの「地図研究家」。音楽出版社に勤めていたが、執筆業に転じた。地図が好き、鉄道も好き、という人らしい。鉄道写真が好きな人が「撮り鉄」なら、地図を片手に鉄道を楽しむ著者は「地図鉄」ということになる。
 
 まえがきの書き出しは、だれもが知っている唱歌「汽車」についての考察だ。「今は山中、今は浜という歌詞も、日本の鉄道が『地形の見本市』のような土地の上に敷かれているがゆえの着想なのだろう」。これがもし、オーストラリアの大平原をまっすぐ走り抜ける列車ならば「今は広野原、今も広野原、今は広野原を渡るぞと……(字余りが甚だしいけれど)である」とも書く。
 
 ということで著者がとりあげる鉄道路線は、北海道から九州まで列島の津々浦々に及ぶ。ただ僕がここで語りたいのは、「実は山あり谷ありの山手線(第2章)」「神出鬼没 東京メトロ丸ノ内線凸凹の旅(第4章)」「知られざるジェットコースター・メトロ 都営地下鉄大江戸線(第5章)」「東京23区内 私鉄沿線地形散歩(第7章)」。これらは『太陽の地図帖/東京凸凹地形案内1〜3』(平凡社)に載せた原稿をもとにしている、という。
 
 これらに焦点を絞ったわけは、東京は都心部でも坂が多く、起伏に恵まれているにもかかわらず、それを僕たちが見過ごしがちだということにある。団子坂(文京区)、一口坂(千代田区)、道玄坂(渋谷区)……というように一つひとつの坂は頭に浮かんでも、それらを結んで地形の全体像が描けない。だから、僕が「自転車散歩」でローカルに体験していることを、本の手を借りて東京全体に広げたいと思うのだ。
 
 ではまず、山手線を著者に案内してもらおう。ふだん気づかないのは、渋谷と新宿の標高差だ。渋谷は文字通り、谷である。1916年の地形図によれば、今の「ヒカリエ」付近では渋谷川の水車が回っていたという。外回りの電車が渋谷駅(標高19.6m)を離れると、線路は「代々木公園の半島状の台地へ切り込みを入れつつ、10パーミルで着実に高度を稼いでいく」。ここで「10パーミル」とは、1000m走って10m登る勾配である。
 
 原宿駅は標高が27.8mと高くなるが、竹下口近辺は谷で、もともと明治神宮南池の水が渋谷川に向かう流路だった。「江戸時代の新田で、谷間にはブティックではなく棚田が並んでおり、行き交っていたのはギャルではなく早乙女であった」。電車は「原宿からもうひと息緩い勾配を上がれば左手の明治神宮の森も尽き、渋谷川の支流代々木川の谷を築堤で渡る」。こうして着いた代々木駅は、ホームの標高としては山手線最高の38.7m。
 
 新宿駅があるのは淀橋台。東京山の手には、かつて海底だった「下末吉(しもすえよし)面」でできた台地があり、そのうちの一つだ。「新南口あたりがこの台地の『尾根』にあたる。このため武蔵野台地で最も高いところを選んで流れてきた江戸時代開削(かいさく)の玉川上水も、甲州街道の陸橋のすぐ南側を東流して終点の四谷大木戸へ向かっていた」。駅の地盤は標高37.1m。ホームでは代々木に負けるが、地形でみると山手線トップだ。
 
 車窓からの風景を眺めながら昔の様子を思い描けば、たった4駅をたどっただけで谷あり川あり尾根ありの自然がある。
 
 次は、東京メトロ丸ノ内線。起伏に富んだ道筋をとるのに、古い地下鉄なので浅い。その結果、電車は全区間で4回も地上に姿を見せる。なかでも印象的なのは、JR御茶ノ水駅近くで神田川を渡る姿だ。なぜ、川の下を通らないのか。「その先に控える本郷台地のことを考えると、神田川をくぐってしまうと後が大変だからである」。池袋行き電車は手前の淡路町駅を過ぎてから、川の上に出るために「33パーミルの急登に挑む」のだという。
 
 一方、後発組の都営地下鉄大江戸線は地下深くでジェットコースターのように上がり下がりして立体交差を繰り返す。本郷三丁目駅を出て上野御徒町駅を過ぎるあたりまでに東京メトロ千代田線、銀座線の下を通り、東北新幹線地下部をかすめるようにまたぎ、再び東京メトロ日比谷線をくぐる。この間、45パーミルの下り坂も。次の新御徒町駅は、並走するつくばエクスプレスの駅の上に乗っかるかたちになる。地下に現れた人工の起伏だ。
 
 再び渋谷に戻って、私鉄京王井の頭線。「起点の渋谷駅を発車するとすぐトンネルが出迎えてくれるが、渋谷の地形を実感するのには最もふさわしい『演出』だ」。次は神泉の地表駅。「踏切から見上げるとトンネルの上にもぎっしり家が建て込み、高級住宅地・松濤の最寄り駅でありながら、同時に連れ込み旅館街・円山(まるやま)町の裏手を仰ぎ見るアングルというのが、他にはない景観だ」
 
 神泉駅のホームは次のトンネルに続いている。「2番目のトンネルを抜けると水系が変わり、目黒川の支流の谷に出る」。しばらく走って駒場東大前駅。「線路の北側は東京大学駒場キャンパスで、南は線路に並行する谷に家が密集しており、大正時代の地形図によればこの東西に細長い谷はすべて水田であった」。うれしいことに今もその一部が駒場野公園として残る。渋谷、神泉、駒場東大前は、起伏とともに聖と俗が入り交じる区間である。
 
 この本を読んで、僕は「淀橋台」とか「下末吉面」とかいう地学用語になじんだ。水系というゾーン分けもぼんやりと意識するようになった。そして今、東京の町を載せた絨毯のしわのような起伏が、だんだん脳裏に浮かんでくる気がする。
 
写真》「今は山中……」は東京でだって体験できる=尾関章撮影
(通算214回)
 
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『清須会議』(三谷幸喜著、幻冬舎文庫)

 電柱でござる。そんな言葉をテレビの時代劇に向かって投げつけてみたいと思うのだが、まだその経験はない。つくり手たちは、電柱の立ち姿が画面の片隅にすら紛れ込まないように細心の注意を払っている。もし1本でもあれば、江戸町民が長屋に家電一式をそろえ、大名は江戸と国もとの間に電話回線を開設しているのではないか、という妄想のタネになる。そんな興ざめはご法度というわけだ。
 
 映画であれ、テレビであれ、あるいは小説であれ、歴史ものに時代考証は欠かせない。ただ、それをとことん追い求めれば必ず行き詰まってしまうだろう。画像や映像の類が残らない時代は、人々の暮らしの細部を文献で推し量るしかないからだ。だから、時代を象徴する記号的存在の有無だけはしっかり押さえることが必須になっている。そして電柱は、近代の記号の一つだ。近代以前にあるわけはない。
 
 ほかには、どんな記号があるのか。すぐ思いあたるのはカタカナ語だ。外来語は、明治以前にも「てんぷら」や「びいどろ」など、ごく少数の例外があったが、大量に流れ込んだのは文明開化の後である。だから、時代ものに出てきたらアウト、もとい駄目だ。
 
 最近、そんな記号を完全に無視する歴史小説に出会った。「本能寺の変」後の織田家内部の権力闘争を描いた『清須会議』(三谷幸喜著、幻冬舎文庫)。去年秋に公開された映画の原作だ。映画の台詞がどうだったかは観ていないのでわからないが、原作では「現代語訳」と銘打ったうえで外来語が乱発される。「どうやら間違いなく、清須会議のキャスティング・ボートは俺が握っているようだな」。織田家幹部が、こう思ったりもするのだ。
 
 このタブー破りは昔からあった。『てなもんや三度笠』のようなコメディには、ときどき外来語が出てきたような記憶がある。江戸の世に昭和をちらつかせて、僕たちの心をくすぐったのだ。だが『清須会議』は違う。外来語が人物の思考回路に組み込まれている。
 
 戦国大名に仕える武将にも、メガバンクに勤める半沢直樹と同じような思考様式があると言いたいのか。あるいは、半沢直樹流の思考様式を省みる手だてとして戦国武将をもちだしたのか。それは、読み手のとりよう一つだろう。間違いないのは、作者三谷幸喜が時代の違いを超えて成立する人間ドラマをおいしく調理する料理人だということだ。彼にとって歴史は、厨房に蓄えられた極上の食材にほかならない。
 
 僕は、三谷幸喜が好きであり、嫌いでもある。嫌いなほうから言えば、テレビに出てきたときのわざとらしいサービス精神が気になる。ただ、これは僕たちの世代の限界かな、とも思う。作家であれ、ミュージシャンであれ、芸術にかかわる人は気難しいもの、という先入観があるからだ。眼鏡に蝶ネクタイ、コメディアンのようないでたちで現れる姿に違和感を覚えてしまうのは、そう感じるこっちのほうが悪い。
 
 そのひっくり返しが、好きな理由だ。三谷幸喜は、持ち前のサービス精神で作品の登場人物をおもしろおかしく彫りあげる。それは人間の内実を突いて、読み手や観客に「さもありなん」と膝をたたかせる。理念やイデオロギーが優先された時代の作家とは趣を異にするのだ。『清須会議』でも、羽柴秀吉や柴田勝家、丹羽長秀らの武将とその周辺の人々の思惑、打算、本音を、モノローグなどを通じてえぐり出していく。
 
 プロローグでは、知性派長秀が同僚の人となりを冷めた目で吟味する。本能寺の焼け跡で号泣する勝家を見て「いかにお館様を慕っていたか、その死に衝撃を受けているかを、私にアピールしているのであろう」「半ば無意識である以上、パフォーマンスと言ってしまっては、彼が気の毒だ」。秀吉については「苦境にあっても決して悲観せず、天性のひらめきで、それをチャンスに変えてしまう」「彼のバイタリティの原動力はすべて欲がらみだ」。
 
 こうして読むと、歴史上の人物を素描するには「アピール」「パフォーマンス」「チャンス」「バイタリティ」といったカタカナ語を用いるほうが自然のような気がしてくる。大河ドラマなどでは「訴えようとしているのであろう」「演技と言ってしまっては」のように僕たちが慣れ親しんだ日本語に置き換えるのだろうが、そういう言い回しが戦国時代に通用したかどうかの保証はないのだ。
 
 長秀の内心を言葉にした「信長死すの報せは、既に全国に広まっている。今月のうちに織田家の新体制を決めて、再スタートしたいところだ」のような表現は、政党のドタバタを伝える新聞記事にそっくりだ。この言い回しのほうが読者にビンビンと響いてくる。
 
 現代をうまく取り込んでいるのは、言葉だけではない。尾張清須城に向かう勝家は、信長の妹お市に領地越前の名物らっきょうを持ってくる。恋い焦がれる相手への手土産だ。「本当は、もう少し値の張る、例えば茶器のようなものが良かったのかもしれないが、あまり高価なものだと、逆に下心があるように思われても困るので、らっきょうにした」。この男心、僕にはよくわかる。地元の農産品をさりげなく手渡す、というのは悪い趣味じゃない。
 
 だが、それを受け取ったお市の思いは別だ。「いくらなんでも、あれはないわよ。なんで、らっきょうなの。私の気を引きたいんだったら、もう少しまともなお土産持って来なさいっていうのよ」「だいたい私、お新香が好きだなんて一言も言ってないし。私が言ったのは、香りの物。普通はお香とか香炉のことでしょう」。いかにもセレブという感じの上から目線で見下されて、真心のギフトは裏目に出てしまう。
 
 ここで気になるのは、らっきょうだ。僕は初任地が福井県だったので、三里浜と呼ばれる海沿いの産地になじみがある。今回、三里浜特産農業協同組合のサイトを開くと、「明治初期頃」に「各農家の自給用としてらっきょう栽培が普及」とある。戦国の世に出回っていたかどうかは疑問符だ。だが、それはどうでもよい。作者は勝家とお市の関係を表す格好の笑わせネタを今日の名産品事情から掘りだしたのである。
 
 この作品で僕が心惹かれたのは、事務方の責任者前田玄以の描き方だ。その役回りは、今ならばG8サミットのロジスティクス担当、略称ロジ担ということになる。清須城に諸将が着く朝、家来衆を集めて訓示する。「この乱世、とかく武将ばかりが目立っておりますが、いつの世も、本当に時代を動かしているのは、そう、我々、文官なのであります。誇りを持っていこうではありませんか」
 
 翌朝の訓示では「オフィシャルな予定とは別に、プライベートな形での個々の会合は随時行なわれると予測されます。お茶の準備、もしくは酒宴の準備は常に怠らないようにお願いします」と、事細かに指図する。三日目には、諸将参加の「第一回丹羽長秀杯夏のイノシシ狩り」も企画、イノシシが出てこないとまずいので前夜に1頭捕まえておいてそれを放つ、といったヤラセ行為までする。その頑張りは涙ぐましくもあり、微笑ましくもある。
 
 思えば、三谷作品のおもしろさは、どの人間にも宿る「普通の人」をあぶり出すことだ。『清須会議』は、ヒーロー、ヒロインの普通の人ぶりをえぐり出す一方で、ロジ担のような普通の人の普通ぶりもきちんと切りとっている。
 
写真》三谷幸喜『清須会議』に出てくる外来語のいくつか。僕たちの思考の一部に取り込まれた言葉が目立つ=尾関章撮影
(通算213回)
 
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『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(松田美佐著、中公新書)

 風評被害のニュースを頻繁に見かける。最近も、漫画作品の表現が被害を招くということで、地元自治体などが出版社に抗議している。僕のようにマスメディアで生きてきた人間には無関心でいられない話だ。
 
 新聞記者だったころ、心に戒めていたことを文字にすればこうなる。社会不安の引きがねになりそうな出来事があったとき、その影響を小さめに見積もるのはリスクの放置につながるので避けるべきだ。逆に過大にとらえると、こんどは避けなくてもよいことまで避けようという動きが出てきて負の効果をもたらすので要注意――。この「負の効果」こそ、世に言う「風評被害」である。
 
 これは、3・11福島第一原発事故の放射能をめぐる話ばかりではない。記憶をたどれば、コレラや病原性大腸菌や重油流出やダイオキシンの不安も同様のことを引き起こしている。人の安全、健康にかかわるリスクが一つの地域に結びつけて語られるとき、その地域の一次産品生産者や観光業者は影響を受ける。それが根拠に乏しいものならば、良からぬ風評が立てられたということになる。
 
 こうしてみると、メディア人は過小視と過大視という二つの落とし穴のはざまでいつも悩んでいる。それに対する優等生的な答えは、過不足のない正しい情報を伝えればよいということだ。だがそれが難しい、というよりも無理なことが多い。科学データには多かれ少なかれ誤差がつきまとう。科学者同士が、そのデータをどうみるかで対立していることもある。「正しい情報」とはいったい何なのか。報道の担い手も当惑することになる。
 
 ジャーナリストが事実を扱っている、というのは実は幻想だ。事実と言える部分をすくい取ろうと、事実かどうかわからない情報を相手に悪戦苦闘しているのである。だから、情報の本質を知ろうというなら、裏打ちがない曖昧な部分も見過ごすわけにはいかない。
 
 で、今週の一冊は、4月に刊行されたばかりの『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(松田美佐著、中公新書)。著者は東京大学の文学部と大学院で社会心理学や社会情報学を学んだ研究者で、中央大学教授。このタイミングで「うわさ」の本を出した最大の意義は、副題にあるように古来、口から耳へ伝えられていた「うわさ」という情報の広まり方がメールやネットによってどう変わったかを探るところにあるのだろう。
 
 その本題に入る前にまず、あとがきの冒頭に織り込まれた話に触れてみたい。著者は東日本大震災の半年後、被災地で取材しているジャーナリストから、こんなうわさを聞いたという。「千葉のほうに記憶喪失で流れ着いて、暮らしている人がいるらしい」。それは、津波によって大勢の人々の「不在」と向き合うことになった地域社会で「生きているなら、なぜ帰ってこないのか」を説明づける「物語」になっていた。
 
 これを受けて著者は書く。「このような、ある意味で典型的な『物語』に一縷(いちる)の望みを託しながら、うわさを語り合うような親しい“つながり”=関係性のなかで、大切な人の喪失を受け入れていきつつあること、受け入れていかざるをえないことに、ひどく胸が締め付けられる思いがした」。うわさというと不快な側面を思い浮かべることが多いが、心優しい一面もある。人はうわさなしに生きられない。
 
 この本は、うわさを一応、「人から人へとパーソナルな関係性を通じて広まる情報」と定義づけながら、今日では「この定義があいまいになっている」とことわる。たとえば、うわさがネットで広まるときは、もはや「パーソナルな関係性」を必要としていない。
 
 うわさには、もう一つ、ホントでないか、あるいはホントかウソかはっきりしないという特徴がある。それが広まっている途上ではホントと思われていることもあるが、「事後的に『事実』ではなかったとわかると『うわさ』と呼ばれるようになり、『事実』であったとなると『口コミ』とされる」。つまるところ、事実にしっかりと紐づけられておらず、糸の切れた凧のようにふんわりと浮いた情報がうわさである。
 
 同様に事実から浮きあがった情報には、デマ、流言、ゴシップ、風評、都市伝説の類がある。それらも広くうわさというくくりでとらえ、事実とは切り離された情報が実空間だけでなくネット空間をも駆けめぐる状況に迫ろうとしたのが、この本だ。
 
 うわさには、有名な「公式」がある。うわさの強さや規模は、問題の重要度と根拠の曖昧さを掛け合わせた積に比例する、というものだ。米国の心理学者ゴードン・W・オルポートとレオ・ポストマンが『デマの心理学』という本で披歴した。僕は1970年代に新聞記者になったころ、これさえ頭に入れておけばデマに振り回されることはないと思ったものだが、著者は、それを「古典」の一つと位置づけてその限界に言及している。
 
 古典の限界は二つある、という。一つは、コミュニケーションとはニュースやお知らせ、関心事を扱うもの、という見方から抜け出していないことだ。マスメディアの報道はこの枠に収まるが、うわさには伝達に意義を見いだせないものもある。「井の頭公園でボートに乗ったカップルは別れる」のように情報価値の乏しい都市伝説がそうだ。「うわさというコミュニケーションを行うこと自体が目的となるような場合も多い」
 
 二つめは、メディアを「メッセージを伝える伝送路であって、中立的な媒体にすぎない」とみて、情報の中身ばかりに関心を寄せてきたことだ。「口伝えで広まるうわさとマスメディアやインターネット上で広まるうわさは同じなのであろうか」と著者は問いかける。
 
 古典の限界を裏返せば、これからのうわさ論はコンテンツだけでなく、それを載せる道具立ても視野に入れて論じなくてはならない、ということになろう。そのときは、道具ごとに異なる人間の心理も大きな要素になる。
 
 この視点に立って、著者はネット社会ならではのうわさを論ずる。もっとも怖いなと感じたのは、米国の法学者キャス・サンスティーンの見解を踏まえた「集団分極化」の考察だ。インターネットは「多種多様な大量の情報のなかから、自分の見たいもの、聞きたいものを選んで接触する」のに適している。それは「同じような考え方の人間を集めやすいため、そのなかでの議論を通じて、人びとはより過激な立場をとるようになる」。
 
 このとき、飛び交う情報は支持者を雪だるま式にふやし、ますます信じられやすくなる。そこに現れやすいうわさが、荒唐無稽な陰謀論だ。著者は「インターネット・コミュニケーションの特徴によって流行しているものの一つであろう」とみる。
 
 ネット社会のうわさには「残り続ける」怖さもある。「若いときの悪ふざけや酒を飲んだときの失敗」などは、かつては「記録されず、忘れ去られていくものであった」。ところが、「インターネットのある社会においては記録され、共有され、いつでも検索されて甦る」。このくだりでは、欧州連合(EU)に「忘れられる権利」法制化の動きがあるという話が出てくる。権利が認められても、それを担保するしくみを築くのは難しいだろう。
 
 その一方で、「記録」は発信者を突きとめる手がかりにもなる。「インターネットの匿名性は完全なものではなく、対面でのコミュニケーションと異なり必ず記録が残る」。これは、悪質なうわさをまき散らすことに対する一定の抑止力かもしれない。
 
 この本は、ネットの質問サイトがお役立ち情報の互酬の場になっている現実や、ネット系都市伝説に「いい話」が多い傾向も話題にとりあげている。ネットは誹謗中傷の巣、と決めつけるのは短絡に過ぎるのだろう。
 
 ネットにふんわり浮かぶうわさとつきあうことが避けられなくなった今、僕たちはしたたかさをもって情報と接する習慣を身に着けたほうがよいのかもしれない。なにごとも真に受けるばかりが真摯なのではない。人の世はホントばかりではない。ウソもある。
 
写真》事実から浮きあがった情報がパニックを起こした例では、米国で1938年に放送されたラジオドラマ『宇宙戦争』の騒動が有名だ。火星人が来襲するという筋書きを本気にして逃げだす人が大勢いたという。うわさが「パーソナルな関係性」から離れるハシリだったのかもしれない=尾関章撮影
(通算212回)
 
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●『エネルギー』(オストヷルト著、山県春次訳、岩波文庫)

 ついひと月前までコートが欠かせなかったのに、もう春もののセーター1枚で暑いほどになっている。あっという間にクールビズだな。そんなことを思って苦笑いし、もはや冬でもネクタイをしなくなった脱つとめ人の現在を確認した。
 
 「クールビズ」という言葉が、官製キャンペーンで世に広まったのは2005年のことだ。あのときは地球温暖化に歯止めをかけるため、CO2排出削減をめざして冷房を控えめにしようということだった。3・11の原発事故で電力事情が厳しくなることなど、まだだれも想定していなかったが、それを予感するように日本社会はライフスタイルの次元で省エネに踏みだしていたことになる。
 
 クールビズが始まったころ、テレビの討論番組や記者会見のニュース映像に出てくる政治家たちの襟元が、どうしようもなく痛々しかったことが思いだされる。上下揃いの背広でワイシャツからネクタイをとっただけ、という姿がほとんどだったからだ。「背広にネクタイ」しか知らない、というホワイトカラー男子のファッション感覚の貧困を思い知らされた夏ではなかったか。
 
 ちょっと自慢すると、僕は若いころから、夏はボタンダウンのシャツにノーネクタイでいることが多かった。ボタンで襟をとめるので、そこにアクセントをつけられる。冬は、この襟にネクタイを通していた。だから、拙宅にはふつうのワイシャツがほとんどない。
 
 ボタンダウンのシャツは10年前まで、自分のサイズに合ったものを手に入れるのが至難だった。アイビー系アイテムのせいか、中高年向けの品ぞろえが貧弱だったからだ。それが、クールビズで急に広まった。うれしくはあるが、襟元の個性が世間標準に埋没してしまったことへの一抹の寂しさもある。ただ、それは必然の流れだ。高温多湿地帯のど真ん中で「背広にネクタイ」にこだわってきた近代日本のありようこそが異様だったのである。
 
 そこで今回、焦点をあてようと思うのは、省エネの「エネ」だ。エネルギーをつづめて「エネ」と言うようになったのは、1973年の第1次石油ショックのころからだった。総需要抑制の掛け声とともに深夜のテレビ放送がなくなると、省エネのためだからしかたがない、と納得した記憶がある。この年、霞が関には資源エネルギー庁という役所が生まれ、やがてエネ庁と略称されるようにもなった。
 
 エネルギーは理系用語だが、「エネ」と呼ばれるようになって政治、経済、社会の言葉に取り込まれたように思う。これは、生態学を意味するエコロジーが「エコ」になって、環境保護全般に含意の幅を広げたのとよく似ている。ただし、「エネ」は「エコ」と違って日本語っぽい縮め方だ。エネルギーという難解な概念を「エネ」というこなれた呼び方に消化して日常用語に変えたのは、日本文化のしたたかさなのかもしれない。
 
 で、今週の一冊は『エネルギー』(オストヷルト著、山県春次訳、岩波文庫)。初版が1938年の文庫本を、岩波書店が今年2月に「リクエスト復刊」した。新装版ではないので字体や仮名づかいは昔のまま。読みづらいが、それが科学本ではかえって長所になる。理系知は年々更新されるので過去の本には現在の理解から外れたことも書かれているのだが、装いが古ければ、おのずと昔の視点に身を置けるからだ。
 
 著者は、今の表記に改めればヴィルヘルム・オストヴァルト(1853〜1932)。ドイツの化学者で1909年、化学平衡や触媒反応の研究でノーベル化学賞を受けた。この本の原著は、初版が1908年の刊行で、エネルギー本位の世界観をうたいあげている。〈当ブログでは、この本を引用するとき、旧字体、旧仮名づかいを現代風に改める〉
 
 序章冒頭は「一つの概念の発展歴史と並びにその内容を、私はここに描いてゆきたいと思う」の一文で始まる。それこそが「エネルギー」だ。「我々が今日までに見出した概念の中で我々の智識を最も豊富に、且つ最も生に充ちて肉体化したものと称せざるを得ない」「この概念と関係付けることの出来ないような事象がこの世界に起ることを知らない」と、著者は高らかに宣言する。
 
 著者が、エネルギー本位論の原点とみなすのは「失われた運動のエネルギーが熱として現われるという考え」(「熱」に傍点)だ。この本によれば、それをはっきりと打ちだしたのはドイツの科学者ユリウス・ロバート・マイヤーの1840年代の論文だった。マイヤーは「落下力」「運動」「熱」「磁気」「電気」や物質の化学的側面を同列に並べ、それらを互いに変換可能で総量が保存される「現実なる実体」とみたのだという。
 
 マイヤーは、この「実体」を「力」と呼んだ。「エネルギー」の名を与えたのは、英国の物理学者ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)だ。俗に「活力」のことを言うのに使われていた用語を、そこに当てはめたということらしい。
 
 この本でもっとも印象に残るのは、エネルギー本位論が備えている時代変化への適応力を強調したくだりだ。「エネルギー論的理論は、後にそれの取扱う分野の科学が如何に発展しようとも、決してそれによって否定し去られるようなことがないのであって、これ恰かも科学の進歩が決して幾何学の三角形相似の法則を否認する如き事態を惹き起さないであろうというのと全く同様である」
 
 その一例は、19世紀末に発見された放射能だ。著者はエネルギー保存則に触れて、こう言う。「ラヂウムの休みなき熱発散の如き、これ迄の経験の範囲外に属する場合も、それが精密に知られなかった間は、保存法則と完全に背馳するものと思われていたのが、結局終にはそれと完き一致に持ち来らされた」。人知が原子核などの未知領域に及び、量子論や相対論といった新理論が生まれても、エネルギー論はそれに対応して生き続けるのである。
 
 この本が伸びやかなのは、最後の2章の表題を「精神的現象」「社会学的エネルギー論」にして、人文科学や社会科学の領域に果敢に踏み込んでいることだ。だが、それは決して危ういものではない。
 
 「精神的現象」の章では、「外部エネルギー」が「神経エネルギー」に変えられる、という構図を描く。ここでもちだされる比喩は「自働切符販売機」だ。当時でも券売機のたとえが通用した事実に驚くが、ここにあるのは生物をシステムとみる今日的な生命観だ。
 
 著者は、ここから人間の心にまで分け入って「自我」の本質をも考察する。「自我の基底に横わるもの」は「記憶」だとしたうえで、「自我が記憶を有する」(「を有する」に傍点)のではなく「自我が記憶である」(「である」に傍点)と言うべきだ、と主張する。さらに、自我をかたちづくるものとしては「潜在的記憶を任意に喚び返し得る能力をも考えなければならない」と言い添える。この深い人間観が化学者から発せられたことに圧倒される。
 
 こうしてみると、この本で展開されるエネルギー本位の世界観は、モノよりもコトを重んじる発想に立っている。化学者にはモノにこだわる人が多くいるが、そうでない人もいる。僕たちと同時代を生きた人で言えば、ベルギーのイリヤ・プリゴジン(1917〜2003)につながる系譜だ。カオス、フラクタル、複雑系などに関心が集まる近年の科学を読み解くとき、その根っこにある思想を探るうえで貴重な一冊だ。
 
 最終章の「社会学的エネルギー論」では、人々が手にするエネルギーに「太陽輻射」がある一方、「既往の太陽輻射が地中に化石炭の形で集積せしめたエネルギー」があるとして、僕たちが「エネ」と略して議論するエネルギー問題にも言及している。
 
 さて、エネルギー本位の世界観に立ってボタンダウンシャツに目を戻せば、ノーネクタイで冷房電力を節約することは、その分のエネルギーを産みだしていることと等価なのかもしれない。なんとなく襟元が立派なエネルギー源に思えてきた。
 
写真》ボタンダウンというモノの形に「ネクタイをしなくてもいい」というコトが宿り、それこそがエネルギーなのかもしれない=尾関章撮影
(通算211回)
 
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『事件記者』(島田一男著、徳間文庫)

 ジャジャジャジャーンという擬音語を聞いて「事件記者」の斜体文字が思い浮かぶ人は、ほとんど60超だろう。NHKが1958年から66年まで放映したテレビドラマだ。警視庁記者クラブに詰める記者群像が主人公。冒頭に流れる映像では伝書鳩が飛び、輪転機が回り、車のフロントグラス越しに新聞社の社旗がはためく。そこにかぶさるのがジャジャジャジャーンのテーマ曲であり、躍動感のあるタイトル文字だった。
 
 レトロと言えばレトロだ。かつて新聞社の屋上で飼われていた伝書鳩はもういない。未現像フィルムを取材現場から本社へ届けたというのだが、画像をメールで送れる今日では想像がつかないことだ。記者が乗るハイヤーも、今はふつう旗を翻したりしない。僕がいた会社が車の旗をやめたのは記者に対する銃撃事件があってまもなくだったが、報道機関が偉そうに旗を立てて街を走り回ることが大時代的に見えはじめたころでもあった。
 
 鳩は消えた。車の旗も消えた。残るのは新聞を刷る輪転機だけだ。こればかりはなおしばらく働きつづけるに違いないが、それもしだいにデジタル配信に席を譲っていくことになるだろう。だから、あのドラマは新聞人にとって文化遺産と言えるものだ。
 
 ところが、NHKアーカイブスのサイトで検索すると、当時の映像は数回の放映分しか残っていない。はじめはぶっつけ本番の生放送だったが、途中から録画も採り入れたらしい。ただ、テープに残す習慣はなかったのだろう。ビデオテープそのものが高価な時代で、何度も上書きして使っていたようだ、とテレビ界の友人が教えてくれた。そうだとすると、僕の脳裏に焼きついた記憶はとても愛おしく、大切に思えてくる。
 
 僕にとって「事件記者」との関係は奇縁と言ってよい。小学校高学年から中学生にかけては、このドラマのヘビーな視聴者だった。警察庁舎の一隅にあるらしい記者クラブというところで大のおとなが軽口をたたき合いながら、抜いた、抜かれた、の特ダネ合戦を繰り広げる様子がおもしろかったからだ。ところが思いもよらないことに、十余年たって僕自身が彼らと同じ立場に置かれるようになったのである。
 
 ウィキペディア情報によると、売れっ子ジャーナリストの池上彰さんは、この番組を見て記者を志したという。僕は、同じようにブラウン管の記者たちに心を躍らせながら自分が記者になろうとはつゆほども思わなかった。それが就職のとき、第一志望でもないのに新聞社に入り、支局に赴任してすぐ県警記者クラブにほうり込まれた。警察のクラブに出入りしたのは、二つめの支局時代と合わせると通算3年ほどになる。
 
 警察の記者クラブとは奇妙な空間だ。机を並べただけのところもあるし、メディア各社が小部屋をもっているところもある。「事件記者」のスタジオセットでは、新聞社ごとに仕切りで区分けされたブースが背後に並び、手前に共用ソファが置かれていた。これだと、1台のカメラで各社の動きが一望できる。僕自身の経験を言えば、一つめの福井県警は机方式、二つめの京都府警はドラマと同じ仕切り方式だった。
 
 記者たちはソファでは仲良くテレビに見入ったり、囲碁将棋に興じたりする。和気あいあいだ。ところが、いったんブースに戻ると、ヒソヒソ話を始めたり、ダンボ耳で他社の動きを探ったりする。僕の上司にあたるキャップは、取材で仕入れた極秘情報は決して口に出さず、たばこの内箱に書いて教えてくれたものだ。同業者同士のギルド的友愛と、それと裏腹な化かし合いの情報戦。この二つが同居しているのが記者クラブである。
 
 で、今週の一冊は『事件記者』(島田一男著、徳間文庫)。著者は戦前戦中に「満州日報」で従軍記者をしていたことがある作家で、「事件記者」の原作者として知られる。ただ、ここに収められた2作品はドラマ放映が終わってからのもので、うち1編は終了直後に発表された。だからドラマの原作というよりも、ドラマの小説化に近い。徳間文庫版のもとになる本が青樹社から出たのは77年3月。奇しくも僕が新聞記者になるひと月前だった。
 
 2作品に出てくる新聞社と登場人物はドラマとほぼ同じだ。出番が多いのは、東京日報の相沢キャップ、ベーさん、ヤマさん、イナちゃん、八田老人、タイムスではキャップのクマさん、アラさん、ヤジさん、セイカイドン、日日はキャップのウラさん、ガンさん、シロさんといったところか。それに、事件報道では影が薄い毎朝新聞の面々、村チョウ、山チョウといった刑事たち、飲み屋「ひさご」のお近さんも喫茶店「アポニー」の田川店主もいる。
 
 ちょっと補足すると、八田老人は白髪の嘱託記者、もはや一線には出ないが、後輩に言うひとことふたことに含蓄がある。セイカイドンは青海記者。「古人曰(いわく)く、――因果はめぐる小車……であるナア」といった口調は、ドラマと変わらない。
 
 収められている2編は「犯罪乱流」と「空白の夜」。前者ではアラさんが主役格。後者はヤマさん中心の筋書きだが、それに絡むのがヤジさんだ。ここで触れざるを得ないのが、不幸な事件でつながったタイムスのアラさんヤジさんの関係だ。66年、アラさんを演じる清村耕次さんが突然自殺、急きょ代役のようなかたちで出演することになったのが藤岡琢也さん。大阪から転勤してきたコテコテ関西弁のヤジさん、という設定だった。
 
 この本を読んでいて痛感するのは、記者たちの振る舞いが今とはだいぶ違うことだ。よく言えば自由闊達、悪く言えば傍若無人。もちろん、小説だから現実がその通りだったわけではあるまい。だが、コンプライアンス至上の時代にいる今の記者像と、僕たちが駆け出しのころの記者像を直線で結んでそのまま延ばしていくと、1950年代、60年代にはこんな記者たちがいてもおかしくないな、とは思われる。
 
 「犯罪乱流」では殺人の捜査本部が置かれた所轄署の場面がある。記者がたむろするのは、署員が日常業務をこなす刑事部屋。臨戦態勢を反映してピリピリしている。スリの女につらくあたる刑事を見て「主任警部の席で、悠々とライスカレーを食っていた日日の国分が、傍らに立って肉マンを食っている毎朝の亀田を見上げた――」。そして「長さん、ちょいと荒れてンなア」。警部席を我がもの顔で占拠していて「荒れてンなア」もないものだ。
 
 本拠の警視庁記者クラブでは午前中、各社のブースから矢継ぎ早に声が飛ぶ。「――光ちゃん! お茶! しぶーいやつ……」「――光ちゃんよッ、五階の昼飯一丁……」「――お光坊! 当方は美容食だ! トーストと牛乳、頼むッ……」。ここで「光っちゃん」「お光坊」はクラブ担当の職員だ。部外者をあたかも自分の助手のように呼んで、食事の調達まで言いつけている。今ならば批判を受けることは必至だ。
 
 だが、あのころも記者は新聞の未来を考えていた。「どこで、誰が、何をしたか……。それだけがニュースじゃとすると、とてもじゃないが、テレビ、ラジオのニュースには勝てん。従ってじゃね、新聞の特色をいかすために、事件の背景を調査して書く」。田舎町で車のガス爆発があったならば同様の事故が都心で起こったときのことまで考える。「新聞記者はそこまで突ッ込んで、調べあげて記事にする。これは立派なニュースじゃよ」。
 
 日報の長老、八田老人の言葉だ。「どこで、誰が」式の特ダネをとって得意げな日日キャップのウラさんをたしなめて言う。他社の記者であろうとも後輩を諭す姿に、僕は新聞人が受け継ぐべき良質の同業者精神をみる。
 
 僕たちは自らの職業集団の軌跡を記憶記録して後世代に伝えていく義務がある。そこには誇れる話もあるが、胸を張れない話もある。だから、ノンフィクションよりフィクションのほうが過去の実相に正直なところがある。僕にとって「事件記者」はそんな作品だ。
 
写真》僕が記者になったころ、事件事故の原稿は「ザラ紙」と呼ばれる手のひらサイズのわら半紙に3B鉛筆で書いた。記事1行がちょうど1枚。この写真を撮るためにわら半紙を探し求めたが、今はほとんど売っていない。しかたがないので茶色がかったノートの紙で代用した=尾関章撮影
(通算210回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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『僕らのニュースルーム革命――僕がテレビを変える、僕らがニュースを変える』
(堀潤著、幻冬舎)

 むかし、僕はマスコミ人だった。それが、新聞記者を36年間続けて会社をやめたころにはメディア人になっていた。農協がJAと呼ばれ、職安がハローワークの看板を掲げるようになったのは、漢字がアルファベットやカタカナに化けるというよくあるパターンだ。ところが、マスコミはもともとカタカナなのにいつのまにか古い語感を漂わせている。なぜだろう。そう考えて、やっぱり業態そのものが変わったんだ、と気づく。
 
 マスコミという言葉で真っ先に思い浮かぶのは、新聞やテレビ、ラジオだ。見落とせないのは、この「マス」が情報を受ける側の状況を指していることだ。情報伝達の構図でとらえれば、少数の送り手が多数の受け手とつながっているのがマスコミである。
 
 ネットメディアはどうか。情報はだれでも発することができるし、だれもが受けとれる。発信も受信も「だれでも」なのだから、マスコミよりもマスではある。だが実際は、マスであってマスでない。受け手からみれば送り手が多すぎて、いちいち付き合っていられない。その結果、送り手が無数の受け手を思い描いて放つ情報も、学校新聞や学級新聞の読み手くらいの人数にしか届かないことが多い。マスに広がるのはごくごくまれのことだろう。
 
 ここが、昔からあるミニコミとは違うところだ。タウン誌やローカルFMは、はじめから受け手の大枠が定まっている。だからこそ、小さなコミュニティーの共有知――たとえば、その街に行くにはどんな乗り物が便利で、駅前にはどんな店があるかというような――を前提にした情報のやりとりが成立する。ところが、ネットは、そうはいかない。相手は、どこにいるかもわからない不特定の人たちである。
 
 マスでもなくミニでもない不定形さ。そんなコミュニケーションのありようが一気に広まったのが今の時代だ。マスコミという言葉が古びたのも当然だろう。新聞もテレビもラジオも、メディア国にあるマスメディア県の住人となったのである。
 
 「本読み by chance」を書くのが楽しいのは、この不定形の醍醐味があるからだ。日本語で書いているのだから世界中に発信しているとは言いにくいが、海外にいる日本語スピーカーは読み手に想定している。いまこのときも旧友の顔を思い浮かべつつ、遠方の一見さんが検索エンジンに乗っかって迷い込んでくれることに期待をかけていたりする。そう、あなたはどなたですか! 
 
 で、今週は、そんなメディア状況を考えさせてくれる一冊『僕らのニュースルーム革命――僕がテレビを変える、僕らがニュースを変える』(堀潤著、幻冬舎)。著者は1977年生まれのジャーナリスト。元NHKアナウンサーで「ニュースウオッチ9」や「Bizスポ」に出ていた。3・11の原発事故を受けてツイッター発信を大展開、いまはNHKを去ってNPO法人8bitNewsの代表を務めている。
 
 8bitNewsは「市民投稿型ニュースサイト」だ。2012年にβ版(試作版)をつくって以来の活動が、この本では報告されている。首相官邸前で大飯原発再稼働反対デモが始まったころは、その動画がYouTube経由でサイトにアップされた。撮ったのは「都内の会社で事務などをして働いている会社員の女性」だ。「テレビ局のハイビジョンカメラに比べるとやや粗い画質の動画だったが、人々の表情や声をしっかりと記録していた」
 
 大手メディアは当初、この一連のデモにおしなべて冷淡だった。ところが動画がソーシャルメディアなどを通じて世界に広まり、再生回数を伸ばすと「翌週のデモから、新聞、テレビ各社が取材に来るようになった」。僕がいた朝日新聞は、草の根色が強いこのデモの意味の大きさに早めに気づいたほうだが、ネットに背中を押された感は拭えない。著者は「現場の当事者が自分の力で事実を報道することが可能になった――」と実感したという。
 
 福島第一原発の事故処理作業をめぐる発信もあった。映像を実名で投稿してきたのは「テレビや新聞を見ていても、現場の実態がよくわからない」と感じて作業員の募集に応じた、という人だ。SDカードには「高線量現場での作業を依頼されている様子などが生々しく記録されていた」。8bitNewsは「事実の確認や、映像のチェック」に意を払ったうえで、非正規労働者労組の支援もとりつけて発信に踏み切ったという。
 
 一方で、批判の矢面に立った発信もあった。放射能汚染の影響を危惧する福島県出身者が子どもたちの県外疎開を求めて演説する様子をとらえた動画だ。その話のなかには「福島のものを食べないでください。皆さんが福島のものを食べると、福島は安全だという認識が広がり、子供たちが避難できなくなります」という言葉があった。これが「風評被害を煽る」と非難されたのだ。
 
 著者自身も、この動画ではだいぶ悩んだらしい。「サイトの規定に照らし合わせて削除することも考えた」が、「議論の中で、偏った意見に対しては是正を求め、様々な客観的情報が集まり、よりフラットに状況を捉える環境ができれば」と削らなかった。その判断が「フィルタリングをしないメディアにジャーナリズムはない」と酷評されることになった。この顛末については「深く反省させられた」と率直に非を認めている。
 
 8bitNewsが体験した現象は、ネットメディアの特徴を見事に浮かびあがらせている。スイートスポットに当たれば爆発的発信となり、旧来の大手メディアをしのぐ力を発揮するが、その分、大手メディア同様の責任も引き受けなくてはならないということだ。ネットメディア人は、ネットの「だれでも」送受信という気軽な様態を守りながら、それがごくまれにマス化するときの怖さも頭の片隅に入れておかなくてはならない。
 
 この本で僕がおもしろいなと感じたのは、8bitNewsの名前の由来を1980年代半ばにさかのぼって述べたくだりだ。テレビでは人気番組「8時だヨ!全員集合」が幕を閉じ、著者と同世代の子どもたちは、テレビ画面につないだファミコンソフトに熱中するようになった。「少年少女は8bitのマイコンチップで構築されたゲームの世界に、一方的に与えられるだけのテレビ番組にはない新鮮な驚きを感じて夢中になった」
 
 「あれから約30年。あの時子供だったファミコン世代は、社会の中核を支える存在になった。インターネットが発達し、ウェブ上では思想・信条や趣味や関心によって結びつけられた小さなコミュニティが各所で形成されるようになった」
 
 そうか。僕たち大人がマスコミから天下るニュースやエンタメの受け口だと信じて疑わなかったテレビ受像機を、あの子たちは遊び道具に取り込んでいたのである。「マスコミ」が古色蒼然としてきた理由がわかる気がした。
 
写真》新しいメディアは昔ながらのメディアと入れものが変わっただけではない=尾関章撮影
(通算209回)
 
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●『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』
(コリン・ジョイス著、谷岡健彦訳、NHK出版生活人新書)


 「片岡義男的な空気が吸いたい」と言ってはじめた当ブログ。吸いたい空気はもっとあるな、と思いめぐらせて脳裏に浮かんだのが「英国」だ。その魅力については2年前、ロンドン五輪の直前に「英国のあの『緩さ』がたまらない」という一編を書いた。そんな表題にしたのも、「緩い」が「無責任」の同義語となってしまった日本社会の心のありように異を唱えたかったからだ。「緩い」ことでほめられるのがユルキャラだけ、というのでは困る。
 
 僕自身のロンドン特派員時代を振り返っても、英国の「緩さ」に圧倒されることは幾度もあった。一例は、新聞の「誤報」の始末のつけ方である。新聞記者にとって絶対にあってはならない誤りの一つは、生きた人を「死なせる」ことだ。死んでいない人の死亡記事を出すことは、それこそ致死的な誤りとされている。いまの日本の新聞であれば「おわび」記事の掲載にとどまらず、僕の嫌いな言葉だが「処分」問題にまで発展するだろう。
 
 英国ではどうか。ある日、新聞を読んでいたとき、紙面の片隅にある奇妙な記事に出会った。もはや証拠物件が手もとになく記憶をたどるしかないのだが、「われわれは、その知らせを聞いて、とてもうれしく思っている……」という切りだし方をしていたと思う。いったいなんのことかと読み進むと、死亡記事を載せた人が実は生きていたという話だった。事実上の訂正記事にpleasedだかhappyだか、そんな言葉を見つけて驚いたものだ。
 
 これをもって、英国の新聞がすべてそうだとは言えない。この新聞が、タイムズやガーディアンのようないわゆる高級紙ではなかったことも言い添えておくべきかもしれない。ただひとつ言えるのは、こんな人を食ったような対応にも怒ったり眉をひそめたりせず、むしろニヤッと笑ってすます寛容な人が英国には多いらしいということだ。そんな文化がなかったら、死人にされた当事者はもちろん、読者も黙ってはいないだろう。
 
 で、今週の一冊は、英国の新聞記者が書いた日本社会評。『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(コリン・ジョイス著、谷岡健彦訳、NHK出版生活人新書)だ。著者は1970年生まれ、オックスフォード大学で歴史を学んで来日、高校の先生などをした後、ジャーナリストとなり、英紙デイリー・テレグラフの東京特派員を務めた。ちなみにテレグラフは、保守色が濃いといわれる「高級紙」である。
 
 拙稿冒頭の段落でリンク先に飛んだ人は気づいただろうが、著者は「英国のあの『緩さ』……」でとりあげた『驚きの英国史』(森田浩之訳、NHK出版新書)を書いた人でもある。出版年は『「ニッポン社会」……』が2006年、『驚きの……』が2012年。僕は後者の本で英国の風土は緩くていいなあと改めて感じたのだが、その著者の目に日本社会がどう映っていたのかがわかるのが前者である。
 
 緩さをめぐる彼我の差のことは、「壱」の章「プールに日本社会を見た」にさっそく出てくる。「もちろん、イギリスのプールにも規則はある。ただ誰もそれを守ろうとしないし、守らせようともしないだけだ。一方、日本はたくさんある規則にみんながしたがうことで、うまくやっている国である」。休憩時間の厳守、水泳帽の着用、潜水の禁止、レーンの一方通行。そういえば、いろいろなルールが決められている。
 
 著者は「好きな規則は五分間休憩の規則だ」と皮肉る。「ぼくはぜんぜん疲れてないし、むしろ、ちょうど調子が出てきたところ」と言って監視員を困らせたくなるからだという。ただこれには、休憩はプール点検のためでもあるという反論が出てくるかもしれない。
 
 だが、スキンヘッドの知人が水泳帽なしに泳ぐことを許されなかったという話からは、なんのための規則かを吟味せず、順守だけを強いる日本社会の狭量さが見てとれる。水泳帽を着ける最大の理由は、髪で水を汚さないことだ。ほかにも頭部を守るとか、子どもにかぶせて目印にする、といった効能もある。帽子がない人がいたら、それらを勘案して柔軟に応じればよいのに、思考停止でダメなものはダメということになってしまう。
 
 これで僕が思い出すのは、緑地が広がる公園で禁止事項のアナウンスが延々と続くのにうんざりした経験だ。野球、サッカー、自転車、一輪車、遊戯用円盤……といった具合で、新しい遊びが広まればそのつどふえていく感じだった。唐突だが、それは日本の政治をみていて感じることに通じる。コトが起これば国会はすぐ法律をつくりたがる。今の世情で言えば、ゴーストライター規制法案や論文不正防止法案が出てきそうではないか。
 
 その一方でこの本は、日本社会にも緩さがあるという。著者の行きつけのプールでは、宵の口から常連集団が「ひとつのレーンをすごい速さで往復し始める」。その水しぶきと騒々しさは「ひとりで泳ぎに来ている人には迷惑」なのだが、無頓着だ。「プールの利用客から本物の暴走族やヤクザにいたるまで、大きな集団の悪事に対して寛容すぎるのは、日本人の弱点」と、痛いところを突いてくる。
 
 裏を返せば、英国の緩さは規則を個々人にあてはめるときに生ずる摩擦を和らげるためにあるのかもしれない。それが必要なのは、英国、とりわけロンドンに民族文化の異なる人々が大勢共存しているからだと僕は推察する。一方、著者が言うように「東京は世界の首都の中でも抜きん出て民族的多様性に乏しい」から杓子定規が通用するのではないか。著者は、この多様度の違いも理由に挙げて、日本と英国は似ているという見方に同意しない。
 
 この本でもう一つ興味深いのは、日本の科学技術のイメージだ。日本発の話題で外国人を引きつけるものに「ロボットの魚や踊るロボット」の記事があるという。著者が街で見かけて興味をそそられたのも「バイクの荷台についている出前の岡持ちを吊り下げる装置」だ。
 
 これを読んで僕は、「英国人が見た、もう一つの戦前日本」に書いた『東京に暮す』(キャサリン・サンソム著、大久保美春訳、岩波文庫)の一節のことが頭に浮かんだ。外交官の妻である著者は、そば屋の出前持ちの技に見惚れたという。岡持ち装置はこの流れのなかにある。日本のハイテクはとことん器用で芸が細かいが、そのことと科学技術を賢く使うこととは同一ではない。それを思い知らされたのが、3・11だったように思えてならない。
 
 その意味で「日本の『失われなかった』十年」という章は必読だ。ちょっと奇抜だが、「サッカー」と「ビール」がバブル崩壊後の日本を「黄金時代」にした、と著者は言う。「このふたつの点において、日本はここ十五年の間に、どうしようもなくダメな国から世界でも指折りの国へとめざましい進歩を遂げた」というのだ。Jリーグが津々浦々に根を張り、地ビールがあちこちに生まれて多様なビール文化が育ったことを指している。
 
 これは、英国人ならではのユーモアだろう。だが、3・11後の今になってみると、深い洞察をはらんでいたことがわかる。Jリーグも地ビールも「集中から分散へ」のベクトルをもった現象だ。未曽有の原発事故でエネルギー集中生産の危うさが歴然となり、今こそ求められているのが、分散志向のベクトルである。原子力重視にまたもや舵を切った国策の動向をみるとき、Jリーグと地ビールに学べ、と言いたくなる。
 
写真》英国と言えばフィッシュ・アンド・チップス。東京・世田谷のなじみのレストランで撮らせてもらった。本場英国のものは、もうちょっとワイルド。紙にくるんで歩きながら食べると、たまらなくおいしい=尾関章撮影
(通算208回)

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●『洋食屋から歩いて5分』(片岡義男著、東京書籍)

 「1週1冊」という僕の気長な大事業は、新しいステージに入った。古巣の新聞社を離れて完全自立したのである。月並みなたとえで言えば、大型ショッピングモールのテナント店舗を引き払って地元商店街に小さな店を出したことになる。
 
 店名は「本読み by chance」。本を偶然のなすままに読みたい、という思いを込めた。二つの意味がある。一つは文字どおり、偶然の出会いを大事にしたいという気持ち。積ん読本の山が崩れ、はじき飛ばされた1冊を開くと未知の世界が見えてくる、なんていうことが人生にはままある。もう一つは、本選びを自分自身の気まぐれに委ねたいという気持ち。読みたいものを読みたいときに読む。そんな読み手の特権をフルに行使しようと思うのだ。
 
 と、ここまで書いて、だったら一人で読書日記をつければいいじゃないかと自問する内心の声が聞こえてくる。ブログの開店にあえて意義を見いだせば、それは、僕の気まぐれが世間の関心事とかなり重なり合っていることにあるのだろう。新聞記者という仕事を36年間も続けたためか、意識の底に世情が伏流水のように流れている。そうならば、店を開いてなにかを書けば、ときに来店客の思いと共振することもあるのではないか。
 
 世間の関心事と言っても、新聞紙面に居並ぶニュースばかりではない。一つひとつのニュースをつないで見えてくるかたち、理系用語で言えば「包絡線」のようなものこそ時代を映している。そんなメタニュース志向で本の話を語っていこうと思う。
 

 で、今回は『洋食屋から歩いて5分』(片岡義男著、東京書籍)。2月のことだったか、いい本があるよ、と友人が貸してくれた。その時点で、文理悠々の店仕舞いやby chanceの店開きを伝えていたわけではないので、本好きの厚意の域を出るものではなかったのだろう。それが、めぐり合わせの妙で、はなむけの一冊となった。しかも、このエッセイ集には今の世の中にあってほしい空気が詰まっている。この偶然を生かさない手はない。

 

  僕は、かつて朝日新聞読書面の書評で『白い指先の小説』(片岡義男著、毎日新聞社)をとりあげたことがある。『スローなブギにしてくれ』が忘れられない世代を代弁して「この短編集は晩夏の夕暮れの白ワインか。もはや『強いジン』ではない」「静かで、しかもキリッとした女たちが登場する」と書いた。『洋食屋から……』の33編も「夕暮れの白ワイン」の趣だ。そしてやはり、「静かで、しかもキリッとした女たち」が折々顔を出す。
 
 冒頭の「いつもなにか書いていた人」がそうだ。「僕」、すなわち著者が交差点を渡っていると、同年代の女性が「カタオカさん」と声をかけてくる。「今日も喫茶店?」。彼女は「僕」がまだ二十代で雑誌のライターだったころ、原稿書きに入る喫茶店でウェイトレスをしていた人だった。「僕のテーブルにコーヒーを置いて、配膳のカウンターへと戻っていくときのうしろ姿が、素敵だった」「あらまあ、すっかり小説のなかの台詞ねえ」
 
 彼女には「妙齢」の娘がいて、小説が好きだという。「ほんのしばらく私とつきあって。まず、書店へいきましょう。あなたの本を買いましょう」と、僕の手をとった。遠い昔に「お母さん」が働いていた店では、後に小説家となる人が「いつも雑誌の原稿を書いてたのよ」。そのことを娘に立証するためだ。彼女と「僕」は手をつないだまま書店へ向かう。「僕」の本を2冊買って「ひと言、添えて。娘が完全に信じるように」。
 
 「僕」は「素敵なお母さんとそのお嬢さんへ」と書こうとしたが、「嬢」の字がすぐに出てこない。試しにレシートの裏に書いてみると「そうよ、それでいいのよ」――ここまで読んで僕は、成熟した男女の関係っていいな、と思った。
 
 「僕」と彼女は、恋人同士だったわけではなさそうだ。今もこれからも、夫婦や愛人関係になりそうにはない。かと言って、老境の茶飲み友だちというほど枯れてもいない。ほどよい距離感で性を意識する大人の男女だ。最近、性愛のねじれがもたらす事件のニュースを目にするたびに思うのは、そんな男女のありようが世の中に欠乏していることである。「僕」と彼女の再会は、成熟男女が輝きを放つ一瞬を巧く切りとっている。
 
 もう一つ、この本で印象深いのは、著者のコトバへのこだわりだ。片岡作品には、題名から入る、という作法があるらしい。以下は、「栗きんとんと蒲鉾のあいだ」という一編に出てくるエピソード。夏至の日、女性編集者を交えて鰻を食べた後、彼女とふたり喫茶店に入ってコーヒーを飲む。代金を別々に払って店を出るときにひらめいたのが「割り勘の夏至の日」。約2週間後、実際に「割り勘で夏至の日」という短編を書いたという。
 
 そうかと思えば、イタリア料理店のメニューに「三種類の桃のデザート」を見つけて「これはいい、題名に使える」と感じる。居酒屋でも、壁に貼られた短冊の品書き1枚1枚に目をやる。「僕がいまもっとも好いている品書きは、塩らっきょう、とだけ書かれた短冊だ」「これを部分品に使って、塩らっきょうの右隣り、というフレーズをひねり出すと、そこには物語がすでにある」
 
 次の一編「こうして居酒屋は秋になる」では、隣駅の町にある居酒屋の名物「わさび」という飲み物の話がいい。焼酎ソーダ割りのジョッキに胡瓜の細切りを入れ、わさびを落としてかき回し、飲むというものだ。
 
 ここから著者の想像が広がる。ウールのシャツを着てバーボンを飲む男の横に「秋の服にたおやかにその身を包んだ妙齢の女性がいる」とする。そんな彼女に勧めたいのが「わさび」だ。「端正な手つきでわさびを完成させた彼女が、それをひと口飲む。暑かった夏の日を思い出します、とでも彼女が美しい笑顔で言うなら、そのときからその居酒屋は秋になる」。そうか、片岡義男の小説はこんなふうに組み立てられていくんだ、と僕は思った。
 
 「鮎並の句を詠む」では、著者のコトバへのこだわりが俳句趣味に及んでいることがわかる。電車に吊るされた酒の広告に鮎並(あいなめ)の句を見つけて、同乗の編集者と「せっかくだから自分たちも鮎並の句を作ってみようか、ということになった」。著者は1駅ごとに1句ずつ詠む。小田急の代々木八幡、参宮橋、南新宿、新宿。そのとき、日常性の象徴である各駅停車は至福の乗り物に変わっていたことだろう。
 
 コーヒーや桃のデザートや俳句や町や電車があり、「静かで、しかもキリッとした女たち」もいてコトバと想像力を触発する。僕が今、若いころとは違う意味で片岡義男を好きな理由はそこにある。このブログで愛おしみたいと思うのは、そんな世界の「たおやか」な空気だ。


写真》片岡義男的な空気は1杯のコーヒーから=尾関章撮影
(通算207回)

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