『草枕』(夏目漱石著、小学館文庫)

 100年前の新聞小説を再掲載するという試みには、はっと驚かされた。朝日新聞が今年4月、夏目漱石『こころ』の連載をオピニオン面で始めたときのことだ。新聞社が自らの文化遺産を発信するのは悪いことではない。
 
 漱石は1907(明治40)年4月、東京帝国大学の講師を辞して朝日新聞社に入った。小説を書く記者が「社員作家」として筆をふるっていた時代のことだ。朝日新聞の今年4月17日付デジタル版によると、この転身は「権威ある帝国大学」から「ベンチャー企業といってもいい新聞社」へのトラバーユだったので、本人も報酬などにこだわったという。結局、「部長より高い月給200円の小説記者として入社が決まった」のである。
 
 もっとも、彼はこのときすでに人気作家だった。『吾輩は猫である』『草枕』は、もう人々の心をとらえていた。朝日新聞は「読売新聞との争奪戦の末」に花形作家を引き抜いたのだ。それによって紙面の目玉が約束されたのだから、部長をしのぐ高給でも安いくらいだろう。社員第1作の『虞美人草』は、三越呉服店の新商品「愚美人草(ヒナゲシ)浴衣」につながったというから、当時の新聞ビジネスは華麗でしたたかだった。
 
 『こころ』について言えば、たとえ「社員作家」の作品であっても、もはや新聞社は著作権を主張できない。すでに世間の共有財産なのだから、再掲載は「蔵出し」とも言えない。文庫本ですぐ読める小説に紙面を割くことに納得しない人もいるだろう。だがそれでも、新聞が過去の連載小説を昔とほぼ同じ歩調で載せていくことには格段の意味がある。作品の背後にある世情を、著者の筆の進みに合わせて追体験できるからだ。
 
 さて、その連載が始まって4カ月、正直に告白すれば僕は熱心な読者ではない。読まないで済ます日も多いということだ。一つには、中学生か高校生のころにひと通り読んだという記憶がおぼろにあることだが、もう一つの理由は、小説の筋とは別のところに僕の関心が向かっているからだ。たまたま、その日に載っている一節の独白や情景描写から感じとれる空気に魅力を覚えるのである。
 
 たとえば、いま手もとにある今年8月21日付紙面の「先生の遺書」(八十六)。「先生」の述懐が続いている。学生時代、下宿生活をしていたときのこと。「その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子(こうし)をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時に御嬢さんの笑い声が私の耳に響きました」
 
 「がらり」という引き戸の音から、一瞬のうちに日本家屋の内部空間が目に浮かぶ。玄関の奥には襖だけで仕切られた部屋があり、声は筒抜けで、同じ下宿生のKと御嬢さんの快活な談笑も隠しようがない。「先生」が襖を開けると、Kだけがいて御嬢さんはいない。「私はあたかもKの室(へや)から逃(のが)れ出るように去るその後姿(うしろすがた)をちらりと認めただけでした」。青年ならではの切ない猜疑と嫉妬が風通しのよい家屋に漂う。
 
 この一節に触れるだけでも、漱石作品には筋とは別の魅力があることがわかる。で、今週の一冊は『草枕』(夏目漱石著、小学館文庫)。多様な読み方のショーケースのような作品だ。
 
 巻末の解説で、作家の夏川草介さんは、そのことをこう表現している。「話の筋は、つかもうとすればふわりと消える湯けむりのごとくで、いつまでたっても視界は晴れない」「本書は小説の枠をはみ出た『類のない』小説なのである」
 
 そのことは、夏川さんも引用しているように、著者が主人公の口を借りて披歴する小説観と符合する。「余」という一人称で登場する画工(えかき)の旅人は洋書と思われる小説を開いていて、宿の娘那美から「御勉強なの」と聞かれ、こう答える。「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開(あ)けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」
 
 これぞ、新聞小説『こころ』のココロではないか。僕の『こころ』再連載への接し方が正当化されたようで、うれしくなった。
 
 『草枕』の舞台は、「那古井」という山あいの温泉場。架空の場所らしい。「余」は、ここへ向かう途中、「山路(やまみち)を登りながら」「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される」などと考えていたわけだ。
 
 歩きながら思いめぐらす思考のなかで、際立つのは傍観者に徹する姿勢だ。「これから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう」「画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる」
 
 この一歩退いた視点こそ、漱石の真骨頂だろう。「余」は那古井に一軒しかない宿に泊まる。そこで出会ったのが那美だ。バツイチの謎めいた美女。夜更けに庭を歩いたり、会話の相手となって気の利いた言葉を発したり、風呂場の湯けむりの中にすらりとした裸体で現れたり、と気をもたせる。そうやって読み手を引きつけながらも、「余」はあくまで傍観者のままだ。宿とその周辺の人々を見つめて、思索にふけるばかりだ。
 
 「余」が思いめぐらす物事は、生活の細部にまでわたる。たとえば、羊羹(ようかん)論。「余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好(すき)だ。別段食いたくはないが、あの肌合(はだあい)が滑(なめ)らかに、緻密(ちみつ)に、しかも半透明(はんとうめい)に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上(ねりあ)げ方は、玉(ぎょく)と蠟石(ろうせき)の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい」
 
 伝統の和菓子、羊羹を愛でる気持ちの裏返しとも言えるのが、汽車論だ。出征の若者を見送るために那古井から町に出て、停車場にやってきたときのことだ。「いよいよ現実世界へ引きずり出された」「汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟(ごう)と通る」「詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸滊(じょうき)の恩沢(おんたく)に浴さねばならぬ」
 
 「汽車ほど個性を軽蔑(けいべつ)したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」。江戸の世の駕籠と明治の世の鉄道の違いを、これほど的確に見抜いた言葉はない。
 
 思えば、近現代の科学技術史は、「個性」を「軽蔑」するベクトルと、それを「発達」させるベクトルとの相克の歴史だった。人々は鉄道の個性軽視に不満を抱くと、再び愛馬のようなマイカーを追い求めた。これは「発達」のベクトルだ。住まいも同様。マンションという居住形式は「何百と云う人間を同じ箱へ詰めて」の鉄道に似ている。だが、ひとたびドアを開ければ、『こころ』の下宿とは違って鍵のかかる個室がある。
 
 そして、汽車がいよいよ停車場を離れようとするそのとき、見送る人と見送られる人の関係性が変わる。「車輪が一つ廻れば」「吾々の因果(いんが)はここで切れる」「行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔(へだた)っているだけで、因果はもう切れかかっている」。当時の列車は、車掌が車室の戸を一つひとつ閉めていく方式だったらしい。見送られる人の車室が閉まったとたん、「世界はもう二つに為(な)った」のである。
 
 漱石は、停車場を舞台に、近代人の群衆としてのありようと、それと表裏一体の孤独を浮かびあがらせた。ふと開いたページに、そんな描写があれば、話の筋が「湯けむり」でもよいではないか。
 
写真》「余」が愛でた和菓子の美の夏バージョン、水羊羹=尾関章撮影
(通算227回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
■ブック・アサヒ・コム「文理悠々」のバックナンバーはこちらへ
■「本読み by chance」は原則として毎週金曜日に更新します。